第22話 クズは衝動的に闘うことを選んでしまった
あっという間に、ルクレチア、ブラムス、キーラの姿が見えなくなった。
俺たちから離れたところにいるルインズは終始無言だ。
いつもであれば、とっさにクロエの元へと駆け寄ってきそうなものだが俯いたまま動かない。
「……?」
流石に疑問に思ったのか、クロエがルインズに声をかけた。
「ルインズ・ディケイズ、どうかしましたか……?」
「……」とルインズは俯いたままだった。
「体調でも悪いのでしょうか……?」
クロエはキョトンとした表情で、俺の隣から腰を上げた。
その瞬間――――結界が俺たちの周囲を覆った。
――っ⁉
このヒリヒリとする結界。
ひんやりとする空気感。
少し漂う死臭……
「ふははは」
ルインズが顔を上げた。
虚な瞳がこちらを捉えている。
「この時を待っていたんですよ!クロエ様っ!」
この雰囲気は――明らかに人間じゃない。
吸血鬼だよな……?
いや何だこの異様な雰囲気は……まるで別の生き物のように感じる。
領地にいる吸血鬼たちと同じような雰囲気と少し違うような気もするが……
いや、ごちゃごちゃと考えるのはよそう。
「ルインズ……いつから人間をやめたんだ?」
「黙れ、汚れた者!私とクロエ様との間に入ってくるなっ!」
虚な瞳がギロっと見開かれて、血走った目が俺を捉えた。
どうやら話をする時間を与えてはくれないらしい。
すでに理性が消滅しているのか……あるいはそれとも単に話が通じない性格なだけなのか。
クロエがこの場を上手く収めてくれることを信じて、俺は口を閉じた。
「ルインズ・ディケイズ……やはりあなたが吸血鬼でしたか」
「クロエ様、とっととそいつを殺して二人きりになれましょう!さあ、僕たちだけの世界を作り上げるんです!」
「あなたは……」とクロエは憐れみの視線をむけた。
「……クロエ様?なんで僕から離れようとするんですか……?あれ、僕がクロエ様から離れていっているような……そんなことはない……いや違う!」
ルインズはブツブツと独り言を言いながら、亡霊のようにゆらゆらと身体を左右に揺らしてクロエに近づくように歩き出した。
クロエは下唇を軽く噛んで、話の全く噛み合わないルインズに冷めた視線をむけ続けた。
「ルインズ・ディケイズ……あなたは吸血鬼化に失敗したのですね……これが吸血鬼になり損ねた人間の末路ですか……思考と言動の乖離が生じるのですね……」
ルインズの足元――地面がひび割れた。
「――っおい、クロエ、時間のようだ!」
俺はボーッと佇んだクロエを引き寄せて、後方へと転移した。
ルインズが馬鹿力で俺たちを追ってきた。
魔術を全く行使していないくせに、なんて脚力だ。
「クロエ様っ!なんで逃げるんですかっ!」
――このままじゃ、埒が開かない。
もう一度、俺はクロエを抱えて後方へと転移した。
「おい、クロエ!どうやらルインズの生前の執着――――自我の残滓がお前を欲しているようだ。どうにかしろっ!」
「……すみません。少し戸惑ってしまいましたが、も、もう大丈夫ですから」とクロエは少し俯いて、ぎゅっと掴んでいた俺の腕を離した。そして、「大地よ凍れっ!」と魔術を行使した。
その瞬間、辺り一体が氷漬けとなった。
木々や草が透明な氷に覆われた。凍てつく空気が周囲の温度を一気に下げた。
わずかに氷の結晶が、空で舞った。
ルインズの足元は大地にくっつくようにして氷で覆われている。
「なぜです……クロエ様……」とルインズはブツブツと何かを言った。そしてすぐに「あーっ!」と遠吠えをあげた。
鋭い牙が生えている……?
いや、瞳に正気が戻っているんじゃないのか。
親の仇を打つような鋭い視線を俺にだけむけてきた。
おいおい、自我が一時的に戻ったとでもいうのか⁉
「チューヤ・ベラニラキラ!僕の邪魔をするなっ!」
その瞬間――氷漬けであったはずの足がちぎれ、すぐに再生した。
腰につけていた剣を抜いて、ルインズが俺の目の前に現れた。
——っち、先ほどよりも馬鹿力が増している!
脚力だけで一〇メートル以上は軽く飛んできやがった。
くそ、銀色の刃――斬撃がくる。
素早い突きだ。
俺の上半身を狙ってきている。
身体をそらしてから『燃えよ』と炎の魔術を放つ。
ルインズの腕に一瞬で着火し、燃え上がった。
クロエから意識を逸らすことに成功したのは良かったが……反撃する余地を与えてはくれないのだろう。
そうだとすれば足止めをするのみ——
「『土よ壁となれ』」
氷の地面の中から土壁を出現させたその瞬間——壁に衝撃波がぶつかり、空気が揺れた。
———そのまま剣で突いてきたのか⁉︎
「くっそ、常識ってものはないのかよ?」
「どうやら、チューヤ様だけを狙い始めたようですね」
「軽口を叩いている場合か?」
「ふふ」とクロエは若干、この状況を楽しんでいるかのように余裕を見せている。
ああ、この腹黒王女様はどれだけ頭がおかしいのか。
いや、今はこんな頭のネジがおかしい王族を相手にしている場合ではない。
ガン、ガンと壁に当たる衝撃が響く。
その音と呼応して、ヒビが入り始めて、ボロボロと壁が崩れ始めた。
剣術と言って良いのかわからないが、剣をただ叩きつけてでもいるのか。
なんていう馬鹿力だ。
ガタンと言う音がしてついに壁が壊された。
俺はクロエの引き寄せて後方へと移転した。
「『銀色の氷よ落ちよ』!」
視界が広がったと同時に、クロエが氷魔術を行使した。
無数の光沢のある小さな氷の塊が空中に出現し、勢いよくルインズのいる場所へと落下した。
雪の結晶が周囲に散り、キラキラと輝いている。
……シルエットが徐々に浮き彫りになった。
先ほどまでの端正な顔は半分ほど潰れており、右脚をひきづるようにして姿だ。
なんというか、しぶとい奴だ。
「クロエ様……」とルインズのか細い声が聞こえた。
しかしクロエは少し目を細めて俺に言った。
「以前……吸血鬼に関する本を読んだことがあり、うろ覚えでしたが……どうやら効果がありそうですね。氷魔術に銀の破片を混ぜて行使しましたが、このまま押し切ることができそうでよかったです」
「おいクロエ……話しかけれているんだ。返事くらいしてやれよな」
「なぜです?彼はすでに自我――理性を失ったバケモノではありませんか?まともに会話ができるとは思えませんが」
クロエはキョトンした顔でわずかに首を傾げた。
確かにルインズはバケモノなのだろう。
しかし、何度か俺に視線を向けることがあった。
微かかもしれないが、自我というものが残っているのではないか。
ところが、このお姫様——クロエは、どうやら人の機微に疎いようだ。
おそらくルインズは生前のわずかな残滓——懸想人であるクロエに執着しているのだろう。
しかしクロエはその想いを歯牙にも掛けていない様子だ。
「あああ、クロエ様、僕と一つになりましょう!」
ルインズの身体の傷はゆっくりと元に戻り、口元から唾液をダラダラと垂れ流して駆け出した。
「あら?ボロボロの身体なのにまだ馬鹿力を出せるんですね……どうしましょ」
「もう一度、飛ぶぞ」
俺はクロエを抱きしめて、後方へと移動した。
クロエ……確かにクロエのいう通り銀は一時的に足を止める程度には有効な手段だ。
しかし、吸血鬼の弱点はその吸血鬼自身によって身体のどこかに隠している無尽蔵のコア——人間の心臓にあたる器官を壊さないと死ぬことはない。
それに、そのコアの数や比率は吸血鬼の真祖に近いほど自由自在に分散させることができる。
もちろん通常であればコアの数や比率を知るには直接的に吸血鬼本人に聞く——拷問してはかせるしかない。
それを知らなかったとはいえ、少し冷静すぎやしないか、このお姫様は。
いや今はお姫様の肝が据わっていることなんてどうでもいい。
今の厄介な状況を切り抜けるのが先だ。
もう迷っている時間はない。
——心眼を使うしかない。
「おい、クロエ!すまないが、少し魔力をもらうぞ」
「はい……?」
クロエを引き寄せて強引に魔力を奪う。
ピクっと華奢な身体が一瞬だけ怯んだ。
生命力を奪うこととは異なり、魔力であれば身体的負荷はかなり緩和される。
と言っても、他人の力を吸い取るのだから吸い取られた側は急に身体から力が抜け落ちていく感覚があるはずだ。
しかし今はそんなことを気にしている余裕はない。
多少強引なのは許してくれ。
「……あっ」
クロエの口から吐息が漏れて、耳元で聞こえた。
わずかに俺の胸に寄りかかるようにぎゅっとローブを握りしめた。
他人の魔力と俺の魔力が混じり合う。
俺の体内に一気に流れ込んだせいで魔力が身体の奥で煮える。
まるで幼い頃に風邪をひいて寝込んだ時に熱を出した時のように少し気だるい感じがする。
しかしこれで心置きなく心眼を使える!
『心眼』
一気に情報が脳内に入ってきた。
少し引き攣っている頬の筋肉。
破れて開いている胸元。
不自然なほどに蒼白な肌と斑点のような跡。
先ほどちぎれて再生した右足。
身体に流れる魔力が不自然だ。
魔力の流れがおかしい?
通常であれば心臓に近い器官から魔力が身体へ拡散するように流れていくはずなのになぜか魔力の流れが逆流している。
心臓に魔力を集めることで能力を底上げしているのか……?
いや、違う。それだけではない。
頭脳から身体の中心に魔術が流れているんだ。
まさか自分の脳へ直接的に何かしらの魔術式を埋め込んでいるのか⁉
ああ、わかった。
吸血鬼の弱点——コアは二箇所だ。
頭と心臓。
この二つのコアから供給され続ける無尽蔵な生命力。
——これらを銀で切り裂くしかない。
徐々に乗り物酔いした時のような吐き気が俺の意識を襲う。
だめだ、情報の波が抑えきれない。
氷漬けにされた樹木。
少し離れた樹木の根元に生えている『ハレハレ草』。
かつて誰かが木の上にいたように布切れが枝に引っかかっていること。
過去に魔獣がこの草原で死んだのか、骨の残骸が地面に散らばっていること。
くっそ、邪魔な情報だ。
それを無理やり抑え込む。
俺は移転してルインズとの間合いを詰めた。
この至近距離でハズす確率は低い。
「『銀よ切り裂け』」
右手を伸ばして無数の銀の弾丸を生成し、風魔術でルインズの頭と心臓をめがけた。
至近距離で発射した無数の弾丸がルインズの身体を撃ち抜いた。
「うっ」とルインズの唸るような声と共に身体が後方へと吹っ飛んでいった。
氷漬けになった地面に身体がぶつかって、数回跳ねて樹木に激突した。
ルインズが起き上がる気配はすでにしない。
「すまん、クロエ。手加減はできなかった」
「いえ、あの状態ではどちらにしても殺すしかありませんでしたから」
そう言って、クロエはルインズの屍を見た。
そしてすぐに碧眼の瞳が俺へと向けられた。
「そうだな……そう言ってもらえると助か――」
「チューヤ様……?」とクロエの心配そうな表情で「大丈夫ですか――」と口を動かしているのはわかった。
しかし段々と音が遠くなり、途切れ途切れに音が耳に入ってくる。
ああ、だめだ。限界だ。
くっそ頭が痛い……
瞼も重いし、視界が霞んできた……
『心眼』を解除して、俺は意識を手放した。
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