第15話 クズと腹黒王女の相引き?(2)

「遅くなってしまい申し訳ありません。王宮内の警戒レベルが上がってしまい……抜け出すのに少々手間取ってしまいました」


 クロエはペコリと一礼した。


 時刻は深夜の一二時を過ぎていた。

 夜空には赤い月と青い月が二つ浮かんでいる。


「いや、気にするな。それよりも……その……大丈夫なのか」

「はい、王宮内から抜け出したことは見つかっておりませんので問題ありません」

「いやそうじゃなくて……」

「……?」


「あれだ、どこか怪我はなかったか?と言うことだ。あの後――俺がシニカちゃんに呼び出された後ですでに王宮に帰ったと聞いたからな」


「……」とクロエはポカンと呆気に取られた表情だった。が、すぐに笑みを浮かべて「ふふふ、ありがとうございます」と小さくつぶやいた。


「そうか……すまん」


「なぜチューヤ様が謝るんです……?」


「そもそも俺がお前を囮にするようなことを考えたせいで――」


「いいえ、これは私の問題です。魔術行使無効化の呪いを常日頃より確認するべきでした。ですから……そんな申し訳なさそうなお顔をしないでください」


「そう言ってもらえると助かる。それと、もしかしたら別の魔術もかけられていないかと疑っていたのだが……怪我もなくて良かった」


「いえ……その、ありがとうございました」


「いや……」


「でも意外でした。案外心配性なのですね?」とクロエは揶揄うように微笑んだ。


「心配くらいするだろ。お前は一国のお姫様なんだから」


「……っ⁉」とクロエはなぜか視線を右往左往させて「こんな時だけお姫様扱いするなんて……卑怯です」と小さくつぶやいた。


 若干色白い頬が朱色に染まっている。

 こうしていると普通の女の子なんだよな。


 ……⁉

 あ、危ないところだった。


 一瞬、寄生先の候補に挙げても良いかなと思ってしまうところだったが、いかんせん相手は王族のお姫様。


 面倒なところに違いない。


 そもそも隣国の皇族でもなければ、王国の派閥に影響のある中央貴族でもない。それにちょっとばかり国王から信頼のある辺境伯の嫡男だとしても相手にされるわけがないんだが。


「と、とりあえず、あの時の状況を整理しないか?」

「は、はい」とクロエは小さく頷いた。


 俺たちの間に流れる奇妙な雰囲気を誤魔化そうとして、咄嗟に話題を変えた。


「先生がお前とモーブさんを指名したのは、講義が始まる前から決まっていなかったよな?」


「そうですね……私のところへ事前に打ち合わせがあったということもありませんでした」


「……そうか」


 あの講義を履修しているのは30人前後のはずだ。


 そうなると、犯人は、クロエともう一人の誰かの組み合わせをあらかじめ予想しておくことはできたんだよな。


 ただし、当日、何番目に魔術の行使を実演することになるのかをドンピシャで決めつけることは難しかったわけだよな……?


 そもそも、あの講義はその日に全ての人が魔術の実演をするわけではないし、同じペアが何度も魔術を実演するように指示されることもあった。つまり、講師であるノノ先生が不規則に選んでいるはずだ。


 向かいのソファーに座っているクロエの碧眼が、いつの間にか俺をじっと見つめていることに気がついた。


「……チューヤ様もお気づきになっていると思いますが、理論上、あの講義をとっている人数と当日の出席者の組み合わせが何通りであるかを計算して、そのペアが何番目に実演するのか、当日に予測することは可能かもしれません。しかし、そもそも何番目に実演するかは問題ではなかったのかもしれません」


「そうなるよな……」


「はい、ですからクリスタルを使用するという点で何か見落としているのでしょう……魔術の出力が大幅に上昇するように細工されていたのは明白なのですが……」


 クロエの語尾は段々と弱くなった。

 そして、何かを思案するように顎に手を当てた。


「モーブさんのクリスタルを鑑定しても、不自然な魔術の痕跡や呪いの痕跡は見つからなかったんだろ?」


「ええ、そうなんですよね。そこがおかしいのです」

「……」


 高位の魔術師であっても完璧に魔術の痕跡を隠すことは難しい。

 何らかしらの形跡が残ってしまうものなのだが……


 鑑定したのはおそらく学院の教授連中だろう。それこそ魔術師のトップレベルの人物が鑑定したことになるわけだ。それに、もしかしたら王国お抱えの王宮魔道士――ボーア卿にも依頼し、二重で確認しているのかもしれない。


 それでもなお痕跡を発見できないとなると…… 


 例えば、俺の心眼のように神の力であっても、その力の行使の代償という意味では、身体的・精神的に使用した痕跡を残してしまうわけだが……


 犯人が吸血鬼だと仮定して、魔術や呪い以外の能力があるとしたら、魅了。しかし……魅了の暗示をかけられた人物は、夢遊病の患者のように意識が虚になるはずだしな。


 ……わからん。


 そもそもなぜクロエが狙われるんだ……?


 王族の一人であると言っても王位継承権はクロエの姉である第一王女の方が高いはずだ。


 それに犯人は一度目にクロエを誘拐しようとし、そして二度目に傷付けようとしたのかという点も意味がわからない。


 なぜ一度目と二度目で犯人の方針は変わったんだ?

 それとも方針を変えなければならない事情があったのか。

 やはり何かを見落としているのだろう。


「……チューヤ様?」とクロエはキョトンと首を傾げた。

「いや、何でもない。ちょっと考えすぎていたようだ」

「そうですか……」とクロエは心配そうな表情で言った。

「すまんが、一息入れたい」

「そうですね」

「紅茶でいいか?」

「はい」とクロエは頷いた。


 返事を聞いてから俺は椅子から腰を上げてキッチンへと向かった。



「あ、美味しい」とクロエは小さな声でつぶやいた。


 優雅で洗練された仕草でカップを口に運ぶ姿は、やはり王族なのだな。

 それに金色の髪が月の光に照らされて、幻影的な美しさを際立たせているかもしれない。


「……どうかなさいましたか?」

「いや、何でもない」

「そうですか?」とクロエは特に気にした様子もなく聞き返した。


 くっそ、俺だけが意識しているみたいではないか。

 

きっとこの特殊なシュチュエーションのせいなのは明白だが、とにかく何かを話さないと言ってはならない事を言ってしまいそうになる気がした。


「と、ところで、なぜお前の護衛たち――キーラとルインズは入学試験の結果を非公開にし、お前だけが入学試験の結果を公開したんだ?」


「私の成績を公開したのは、単純に一番であったからです。誰も文句はおっしゃらないでしょう。一方で、彼ら――護衛のお二人に関しては、その……上位の成績ですが、チューヤ様やルクレチア様、ブラムス様などと比べられてしまうと、王宮内で護衛のレベルとして問題となるからです」


「だから成績を開示しないことで比較できないようにしたということか?」


「そうですね」


「だったら初めから試験自体受けさせないで、免除扱いにしてしまえば良くないか?」


「……実はそれも検討しました」


「問題があると?」


「ええ、これからの中間試験、期末試験や進級試験を全て免除扱いということを繰り返さないと行けなくなります。そうなると、学院の生徒たちは快く思わないでしょう」


「まあ、わからなくもないが……王室の安全を維持するためならば、護衛たちの試験を免除にすることくらいは許容範囲ではないか」


「残念ながら現在の王宮内では、チューヤ様のように考える人は少数なのです」


 今の王宮内は一枚岩というわけではなさそうだな。

 そこら辺の政治や派閥関係についてベラニラキラ家は中立派であるから、あまり深入りしていないため詳しいことはわからない。


 しかし、クロエの口ぶりから察するに面倒な派閥――人物がいるのかもしれない。


 まあ、俺は初めからこんな面倒な王国から出ていき、隣国のそこそこの貴族か豪商に寄生する予定だったから、そこら辺の王宮内のゴタゴタを含めて調査してこなかったわけだが……。


「正直、そこら辺の政治については勉強していないから力になれそうにない」

「ふふふ……お気になさらないでください。これから勉強することになるんですから」

「……え?」

「いえ、何でもありません」とクロエは意味深に微笑んだ。


 その時だった。

 ブーブーとドアのベルが静かに鳴り響いた。

 すぐに――ドンドンと玄関のドアが強くノックされる音が聞こえた気がした。


「――⁉」とクロエは息を呑んだ。

「誰かわからないから、隣の寝室にいてくれ!」


 俺は即座に寝室の施錠魔術を解除してクロエを誘導した。


「だ、大丈夫でしょうか?」

「一応、寝室には三重の結界を張っているから安心しろ」

「ですが――」

「話は後で聞くから大人しくしていろ!いいな?」

「は、はい」とクロエはこくんと頷いた。

 

 もう一度寝室全体にかけられている施錠魔術を確認してから、俺は玄関へと向かった。



 いやなノック音がもう一度響いたところで、俺は扉を開けた。


「……シニカちゃん?」

「教師をちゃん付けで呼ぶな」

「す、すみません」

「ふん」とシニカ・ヴァレッタは、つまらなそうに言った。


 黒く長い髪と黒いゴシックの姿は、日中と同じ格好のようだった。


「それで、夜中に俺に何のようですか?」

「王宮のとある重要人物がいなくなったそうだ」

「へえ……そうですか」

「心当たりはないか?」

「いえ、わかりません」

「ふん……そういうことにしておく」とシニカ先生は独り言のように言った。俺はとにかく話を切り上げようと、「それでは、眠いので――」と言いかけて止められた。


「ところで、お前はローブを羽織って眠る趣味があるのか?」

「……先ほどまで魔術の勉強をしていたので、そのままでした」

「そうか……担任教師として一応言っておくが、身分違いの恋は前途多難だからな?」

「はい?」


 この教師は急に何を言っているのだろうか。

 シニカ先生は俺の反応を見て、ため息をついた。


「まあ、いいだろ、くれぐれもこれ以上首を突っ込むなよ、心眼持ち?私はこの後、別の生徒たちのところへ様子を見に行くから、それまでにはどうにかしろ」


 話は終わりだ、とシニカ先生の姿がなくった。


 おそらく転移魔術でこの場から離れたのだろう。


 最後のなんだったんだよ。


 てか、シニカ先生は、クロエが王宮から抜け出して、ここに居ることを予想ついているんじゃないか。


 とっとと切り上げる必要がある。


 俺は念の為施錠魔術をドアにもかけて室内へと戻った。



 俺は寝室の施錠魔術を解除してから言った。


「クロエ……もう出てきて問題ない」

「は、はい」ともぞもぞと、クロエはなぜか頬を若干赤く染めてできてきた。そして、チラチラと俺から視線を逸らしては、戻して、ということを数回繰り返した。


「なんだ?」

「いえ、なんでもありません……強引なところも……」


 クロエはブツブツとつぶやいた。

 いや……なんで頬をわずかに赤く染めてソワソワしているんだよ。


 まあいい。


 俺はそれを無視して話を続けた。


「シニカちゃんだった。どうやらクロエ――お前が王宮から抜け出したことがバレたらしい」


「コホン……わかりました」と先ほどまでの変な雰囲気からクロエは真剣な表情に変わった。


「とりあえず、さっさと今後の方針を決めるとしよう」

「どうやらその方が良さそうですね……ですがその前に――」

「……?」

「クリスタルのことです」

「何か気がついたことがあるのか?」

「まだはっきりとわかりませんが……引っ掛かります」


 クロエは思案顔で俺を見た。

 おそらくクロエ自身も言語化できていない部分があるのだろう。

 

 ここは話しながら情報を整理した方が良いのかもしれない。


「クリスタルの保管はどうしていたんだ?」

「先週の講義後に配布されてから、王宮の自室にて管理していました」

「そうか……」

 

 おそらく、王宮のクロエの自室へと出入りできた人物が何らかの魔術や呪いを付与する時間はあったわけか……

 

 しかし、クロエも馬鹿じゃない。

 

 王族でありながらも、魔術の天才とまで言われるほどの高位の魔術師だ。そのクロエが全く気がつかないなどということは考え難い。

 

 そうなると、クロエが朝、王宮から学院へとクリスタルを持ち出し、午後の講義で使用されるまでに、魔術と呪いを付与されたというわけか。

 

 クロエは俺と同様に何か考えているようだが黙り込んだままだ。

 

 何かしら引っかかるところがあるのかもしれない。

 あるいは手がかりを思い出そうとしているのか。


 しかし、そろそろ王宮に戻らないと取り返しのつかないことになる。


「今日は、これくらいにしよう」

「……はい」とクロエは下唇を噛んだ。

「ところで来週から行われる中間試験のことだが、薬草学の実地試験――薬草の採取には行くのか?」

「私は……逃げません」


 クロエの意志の強そうな大きな瞳が俺に向けられた。


 本来であれば、王室の権力を使いたがらないということは良いことなのだろうな。

 でも、一国のお姫様を危険に晒していいことにはならない。


 だからこそ、きっと王室の護衛がゾロゾロと集まり、実地試験にお供するのだろう。


 だとしたら、俺のできることは――


「わかった。俺もできるだけサポートする」

「ありがとうございます」


 クロエはそう言って微笑んだ。

 帰り際、俺は茶色のペンダントを渡した。


「一応、お守りだ。もしも何かあったときはそれに魔力を込めてくれ」

「……はい」


 クロエは首から下げて胸元でぎゅっと握った。

 

 なぜか衝動的にクロエを抱きしめたくなったが、きっと夜中というこの特殊な状況のせいなのだろう。


 クロエの気配が寮から無くなるまで探知魔術を使用し続けた。

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