第9話 クズは陰ながら努力をする

 早朝の王立公園は霧に包まれている。


 白夜のように薄明るい光はあるもののぼんやりとした少し湿った空気が周囲を覆っている。


 ここ王立公園は俺の暮らしている寮から少し歩いたところにある。

 王立公園は国民であれば誰でも入園することができる森林に囲まれた大きな公園だ。


 と言っても、普段は学院の生徒たちが魔術や剣術の自主練習をするために、公園を使っていることから、あまり一般人を見かけることはない。


 それに早朝ともなれば、より一層その傾向が顕著だ。


 こんな夜明けと言っても良い早朝から将来のひもを目指す俺がこんなにも熱心に身体を鍛えているのには、もちろん訳がある。


 魔術的な素養に長けていればいるほどにモテるに違いないからだ。


 それに加えて、そもそも魔術を行使するには、魔力と体力が必要だ。


 例えば、『きゃーチューヤ様!有毒なドクテングダケの解毒魔術を軽々と行使してしまうなんて、すごいっわ!本来であれば、教会の回復術師が何時間もかけて行う治療を短時間で終えてしまうなんてっ……ステキっ』というような高度な魔術を軽々と行使することで、間違いなくチヤホヤされるだろう。


 そんなことを期待――いや、近い将来、必ず起こりうるであろう予想をして、俺は実家にいるころから早朝走るのが日課となっていた。


 まあ、今のところそのような出来事に遭遇していないのだが……神様というやつは、どうやら怠惰なやつらしい。


 林立する木々を通り過ぎたところで――雰囲気が変わった。


 小鳥の囀りや風にあおられて葉や枝がぶつかり合う音が聞こえない。


 ――魔術的な結界か。


 足を止めて、周囲を見渡した。 


 どうやらまんまと引き摺り込まれていたらしい。


 わずかに右に重心を傾けた瞬間、左頬に――何かが通り過ぎた。


「やけに物騒なおもてなしのようだな?」

「――警告だ」


 くぐもった声が周囲一体に反響した。

 声を魔術的に加工している。これといった特徴を感じさせない感情の判然としない抑揚のない声だ。


 再度周囲へと視線を向けても、誰の姿も捉えることができない。


 それにおそらく一定の距離をおいて、何かしらの魔術を用いて話しかけてきているようだ。


 どうやら俺の前へと姿を現すつもりはないらしい。

 手がかりを残すつもりはないということか。


 はあ……なんでこんな朝から名も知らぬ存在と争わなきゃならないのか。


 バレないように探知魔術と雷属性の防御魔術を展開した。


「誰だか知らんが、別に俺はお前を邪魔するつもりはないんだが?」

「これ以上……クロエ・クレオメドリアに近づくな」

「わかった……と言いたいところなんだが、なぜなのかその理由くらいは説明してくれてもいいだろ?」

「……お前が知る必要のないことだ」

「正直、俺だって首を突っ込みたくはないんだよ……だから納得できるくらいの理由は説明してくれないか?」

「…………」


 沈黙が場を支配した。

 

 わずかに考えるような素振りがあるということは、交渉のチャンスなのかもしれない。

 揺さぶりをかけてみるか。


「そうだな、お前に協力することができるかもしれない」

「ふざけるな……もう一度告げる。チューヤ・ベラニラキラ、これ以上クロエ・クレオメドリアに近づくな。さもないと――次はない」


 どうやら俺の回答はお気に召さなかったらしい。

 

 霧の中からイラつくような雰囲気を醸し出し、わずかに怒気の含まれる声が聞こえた瞬間――パチパチという音が鳴り、俺の身体を防御していた微粒が舞った。

 

 魔術が共にぶつかりあいほんのわずかな衝撃波が俺の頬に触れた。


「――っ⁉」と俺の耳元で息を呑むような声にならない音が反響した。


 そして、すぐに俺から離れる気配を感じた。

 おいおい……いつの間に近づいてきたんだ……全く気が付かなかった。


 しかしこれではっきりとした。


 どうやらおおよそ吸血鬼で間違い無いだろう。探知魔術に引っかからないほどの低温であり、魔力が身体からほとんど漏れていない程に魔術に長けている人物。


 十中八九吸血鬼だ。


 それに……どこかで嗅いだことのあるようなにおいだ。

 それこそ少し薬剤のような甘い匂いだった。 


 いや今は香りのことを気にしている場合ではなかった。


「ピリッとしたか?」

「――っ」


 どうやら雷魔術に関しては、少しは効いたらしい。

 先ほどよりも相手の雰囲気――殺気が増した。


「どうする?ここで始めるか?」

「……」と吸血鬼は沈黙した。

「俺はどっちでもいいが?」


 そして気配が雲散霧消した。

 周囲の環境音が聞こえてきた。


 どうやら結界から解放されたらしい。


 ……このタイミングで怖気付いて逃げ出したとでもいうのか。

 それとも俺から離れなければならない何か別の理由でもあったのか。


 いやそんなことよりもこれからどうするべきかを考えるべきだ。


 名も知れぬ吸血鬼さんはどうやら好戦的な性格らしい。


 おそらくこのままクロエと距離を縮めていくとなると、またどこかのタイミングで衝突することになるのだろう。


 いやしかしそれでも……話を全く聞かない頑固な性格の持ち主という訳でもないらしい。


 先ほどの沈黙からも交渉の余地は残されていると信じたいが……果たして楽観的すぎるだろうか。


 いずれにしてもこれだけは言える。


 わざわざ俺のところへと接触してくるということは、少なくともクロエ側の関係者として認識されているだろう。そして先ほど抵抗したことによって、きっと完全に敵対者として認識されてしまったに違いない。


 あくまでもクロエの裏側でサポートする程度の認識でいたのだがどうやら選択肢を間違えたようだ。


 面倒なことになったものだ。

 もっと穏便に済ませたかったのだが……。


 そんなどんよりとする気持ちと対照的に、ちょうど木々の隙間から日の光が差し込んできた。


 透明な靄がなくなり、眩しいほどの日の光が視界を支配した。

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