第8話 クズと腹黒王女の相引き?
ブーブーと、控えめな音が聞こえた気がした。
部屋の壁にかけられている時計を見上げると、ちょうど午前零時だった。
読みかけの魔術書を閉じてから、俺は腰掛けていた椅子から立ち上がった。扉を開けると、黒いローブの奥からクロエの少し楽しそうな声が聞こえた。
「ふふ、こんばんは。チューヤ様?」
「……どうぞ」
「はい」と言って、クロエが室内に入った。
一度、俺は廊下へと顔を出した。
相変わらず五階の廊下は窓から差し込む月明かり以外、一切変わり映えしなかった。念のため探知魔術を使用したが、周囲には誰の気配もなかった。
扉を閉め施錠してから室内へと戻ると、クロエはキョロキョロとリビングルームを眺めているようだった。
俺が近づくと、クロエはフードから顔を出した。
サラサラと黄金色の髪が舞った。クロエが首元から髪をかき上げたせいかもしれない。窓から差し込む月の光と相舞って、より一層輝きを増している。
「……?」
「いや、なんでもない」
「そうですか。てっきり私に見惚れていたのかと思いました」
「なわけあるかっ!」
「ふふ、そういうことにしておきます」
「はあ、もういい。とりあえず……ソファーにでもかけてくれ」と俺が誘導すると、クロエは「はい」と言ってソファーに腰を下ろした。俺は暖炉近くの椅子に腰を下ろした。
「ここまでは、移転魔術を使って来たのか?」
「ふふふ、ご想像にお任せします」
そう言って、ニコッと笑みを浮かべた。
手の内は明かさないらしい。
まあ、当然か。
俺がクロエの立場であっても、昨日今日知り合ったばかりの相手に自分の手札を明かすようなことはしないだろう。
それに隠しごとをしているのはお互い様だしな。
「そうか。まあいい。時間もないから早速だが本題に入るとしよう。お互いに無用な駆け引きはなしだ。手っ取り早く情報を交換しよう。お互い知っていることを出し合う、いいな?」
「はい、王宮を抜け出したことがバレてしまうのも時間の問題ですからね」
「まずは提案者の俺から話すが……実のところ俺の知っていることは、吸血鬼が関わっているかもしれないということくらいなんだよな」
「吸血鬼ですか?」
「ああ」
「滅んだはずの吸血鬼ということでよろしいのかしら?」
「そうだ。その滅んだとされる吸血鬼で間違いない」
「チューヤ様が嘘をおっしゃっているわけではなさそうですが……それにしても奇妙ですね。お祖父様の代で吸血鬼を滅ぼしたはずですが……」とクロエは数秒ほど思案した。それから「チューヤ様がそのように考える根拠は何でしょうか?」と眉を顰めて言った。
根拠ね……。
さてどこまで説明するべきか判断に迷う。
まさか領地内に滅びたはずの吸血鬼の一族――それも真祖を匿っているなどと口が滑っても言えない。それこそ反逆罪でベラニラキラ家含めて、領民も処刑されるのがオチだろう。
そうなると――ある程度はぼかしつつ説明するしかなさそうだ。
「路地裏で助けたあの時に襲ってきた奴らのことを覚えているか?」
「ふふふ、もうとぼける気はないということなんですね?」
「そうだな」
「あら、やけに物分かりが良いのですね……心境の変化の原因はなんだったのでしょうか?」
わずかに目を細めて、クロエは俺のことをじっと見た。
俺の表情かあるいは魔術で身体的な反応でも探っているのか。
「さあ……どうだろうな?」
「はあ」とクロエは諦めたかのように浅く息を吐き出して「答えたくはないということですか……まあいいです。確か……三人でしたよね?」と言った。
『実は、あの場にはもう一人いたんだ』なんてことは今の段階で伝える必要ないだろう。
それもその人物はおそらく自分自身の気配をほぼ完璧に消せるほどの存在だということ。
ただし、あの場にいた人物が吸血鬼であったとは断言できないわけだが……しかし、高位の魔術師であることには変わり無いだろう。
まあ今の段階で「たられば」を考えたって仕方ないか。
「そうだな。その内の一人――馬車の手綱を握っていた奴がいただろ?そいつを眠らせる前に吸血鬼が糸を引いているらしいと聞き出したんだよ」
「……そうでしたか。チューヤ様が去った後、宮廷魔術師があの三人を尋問したのですが、三人とも記憶障害で『覚えていない』の一点張りだと伺いました。もしかして、チューヤ様が憶を奪ったのですか?」
「いや、他者の記憶を奪うなどという高度な魔術は使っていない。しかし……」
「……?」とクロエはちょこんと首を傾げた。
「そうだな……考えられる可能性は二つある。一つは吸血鬼の暗示にかけられていた可能性だな」
「文献で読んだことがあります……確か吸血鬼には魅了の能力があるのだと。しかし……そうなるとチューヤ様が聞き出した時点で記憶障害が発生していないとおかしいのではないでしょうか?」
「確かにその疑問は出てくるが、おそらく暗示の発動条件があったはずだ。例えば、『真犯人は誰だ?』といったような問いかけをする時点ではなくて――」
「徐々に意識や記憶が混濁していき、問いかけの時点で質問に答えられるなくなるというような制約条件の存在ですか……」とクロエは独り言のように言った。
「そうだな。おそらくだが、それが1つ目の可能性」
「わかりました……もう一つの可能性はどのようなものなのでしょうか?」
「……俺のせいなのかもしれない」
「それは……どういうことでしょうか?」
クロエの碧眼がすっと細められた。
俺のことをじっと観察している。
やはり何かしらの魔術を行使しているのか。
クロエが尋問系の魔術を使えるのかどうかは判然としないが、数秒ほど経って俺から視線を逸らした。
「詳しくは話せないが、俺が使用した魔術の副作用によって対象者の記憶を食ってしまった可能性がある……かもしれない」
「そうですか……代償を必要とするような高度な魔術を行使したんですね」
クロエはどこか上の空のようにつぶやた。
手がかりを与えすぎたか……
いや、ある程度こちらから情報を出さないと警戒されるだけだ。
移転魔術を行使できることついては手がかりとして開示したとしても仕方ない。しかし、それ以上に心眼の持ち主であることをバレるわけにはいかない。
バレたあかつきには、良いように国家に使い潰されることが目に見えている。
「次はそっちの番だ。知っていることを話してくれ」
「ええ、そうですね……」
「……どうした?」
「あの時、なぜ私が魔術を行使して抵抗できなかったのかわかりますか?」
「さあな?」と俺は、反射的に嘘をついてしまった。
「ローブに魔術が施されていたからです。チューヤ様ならばお気づきになっているのかと思いました」
「いや、気がつかなかった」と俺は間髪入れずに答えた。
「そうですか……でしたらそう言うことにしておきます」とクロエは神妙な表情で頷いた。
クロエは俺の使える魔術をだいぶ察知しているのかもしれない。
とりあえず強引にでも話を進めて、注意をそらさせてもらうか。
「それで、ローブにかけられていた魔術の痕跡から何かわかったのか?」
「いえ、有力な手がかりはありませんでしたが一つ分かったことがあります。魔術がかけられたタイミングです」
「襲われた時にかけられたんじゃないのか?」
「いいえ。彼らには魔術の素養はありませんでした」
「だったら、路地裏に入る前の街中で知らぬ間に犯人の誰かとすれ違っていて、その時に付与されたんじゃないのか?」
「いいえ、それはありえないです」
「……どういうことだ?」
「あの時、私は――移転魔術で学院から直接あの路地裏に向かったのですから」
クロエの冷めた声が室内に静かに響いた。
てか、やっぱり移転魔術使えるんじゃねーか。
先ほどこの部屋までどのように来たのか隠す必要あったのかよ。
全く王族というやつらは、マジで意味わからん。
∞
「あー、と言うことはなんだ?学院にいるときにすでにローブに魔術が付与されていたということだよな。例えば……移転魔術を一度使った後で、魔術行使無効の呪いが発動するような条件が付与されていたとか?」
「そうですね……学院内であらかじめ魔術を施されていた可能性が高いです。もしも私の誘拐を首謀したのが吸血鬼ということでしたら、この学院内に吸血鬼本人或いは吸血鬼に内通する魔術師のいる可能性が高いということになります」
「……」
言葉を濁しているが、要するに内部犯による計画的な犯行であるということか。
クロエが移転魔術を行使できることを知っており、路地裏へと誘導することができる人物。そして、クロエの生活パターンを把握することができる人物。
それは学院の関係者、護衛、宮廷内の誰かが関係しているということなのだろう。
だから俺とは内密に会いたいなどと言ったのか。
本来であれば関係者として正式に日中に落ち合えば良いものの、なぜ護衛を振り切ってまで秘密裏に会おうなどと言ったのかようやく分かった。
単に王宮と学院を往復するだけの退屈な生活を送るお姫様がスリルを味わうために夜遊びをしたかっただけではないようだ。
「口振りから察するにおおよその目星はついているのだろ?」
「……いえ、まだ確かなことはわかりません。それに護衛のみなさんが交代で私を守ってくださっています。なので、もしかしたらそのうちの誰か一人が酒場で酔って、ポロッと愚痴をこぼしたところを犯人が盗み聞きしていたのかもしれません」
「まあ、それも考えられなくはないだろうが……希望的観測だろ?」
「そう……なのかもしれませんね。しかし、私は幼き頃より護衛して頂いているみなさんのことを……」
『疑いたくはありません』という言葉がクロエの口から出てくることはなく下唇を噛み少し俯いた。
こうしていると噂通りの心優しいお姫様なんだな。
全く……調子が狂う。
俺は話題を変えた。
「この件については国王に伝えているのか?」
「いえ、どこから漏れるかわからないため、調査をしてくださった宮廷魔道士のボーア卿に緘口令を引いています」
「ボーア卿ね……」
銀髪で赤い瞳が脳裏に浮かんだ。
外見は猫のようなくせして、性格は猪突猛進な厄介な同級生。
ルクレチア·ボーア。
「どうしましたか?」
「いや……ルクレチアのことが思い浮かんだだけだ」
「そういえば、チューヤ様は――ルクレチア様と仲がよろしいのでしたね」
「それに関しては肯定できん。むしろ嫌われているだろ?」
「ふふ、気になる殿方には、ついついちょっかいを出したくなるものなのですよ?」
クロエは口元を隠して笑った。
何がおかしいのか判然としない。
が、勝手にライバル視されて、勝手に敵対心を燃やされるのはいささか気が滅入ることをこのお姫様はわからないらしい。
まあルクレチアのことはこの際どうでも良い――いや待て。
使えるかもしれない。
「クロエ……ルクレチアとは社交界で何度か話したことあるよな?」
「ええまあ。立場上、気を使って頂いてしまい、結局、公の場以外で話すほど親しい関係にはなれませんでしたが……」
「仲違いしているわけではないならば、あいつを巻き込むことにする」
「それはどういうことでしょうか。今回のお話も全て共有するということでしょうか?」
「いや、ルクレチアには何も話さない」
「……?」とクロエは目を点にして首を傾げた。
「とりあえずのところは、まずルクレチアと友達になれ!」
「私のことを馬鹿にしていますか?」
クロエはジトーと俺を訝しげに見た。
「いやいやめっそうもない。まさかお姫様はお友達の一人も作れない訳ではあるまい?」
「なっ⁉そんなことありません!わ、私にだって友人の一人や二人…………っ!」
クロエの言葉尻は段々と怪しくなった。
下唇を噛み、キッと悔しそうな視線を俺へと向けた。
……まじか。
思い返したら、みんな友達とはいえないような利害関係ばかりの人間関係だったんだな。
クロエも一国のお姫様なりにそれなりの苦労をしているらしい。
「その……うん、これから見つけていこうな?ほ、ほら、俺たち友達だろ?」
「同情なんていりませんからっ!」とクロエはぷくっとふぐのように頬を膨らませた。それから、クロエは「それに……」と何かを言いかけた。
「……?」
「――チューヤ様と友達の関係なんて嫌ですからっ!」
「お、おう……」
このお姫様はなんというか……マジで意味がわからん。
その後、俺とクロエは微妙な空気になった。
俺はどっと押し寄せてきた疲れと戦いながら、クロエに幾つかの指示をし、この夜は解散することになった。
「それでは、私はこれで失礼しますね」
「ああ、気をつけて帰ってくれ」
それにしても今更吸血鬼がお姫様を誘拐する理由はなんだろうか。
先代の国王が吸血鬼狩りを実行したのは数百年前ではないにしても、数十年前以上前の話だ。それこそ俺らが生まれる前にはすでに、吸血鬼は滅びた種族とされている。
悠久の時を生きる吸血鬼と人間とでは時間の価値観が異なるのはわかる。
しかしそれでもすでに世代が交代し、吸血鬼を追放した国王は代替わりをしているにも関わらず――今更ながら隠れて生き延びた吸血鬼が復讐しようなどと思うものなのだろうか。
それにしたって早くこんな面倒ごとからは足を洗って、寄生先を探したいというのに……なぜ深入りなんてしているのだろうか。
自分自身から逃げるように、瞼を閉じ眠った。
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