最終話「想ってくれたあなたへ」
『12月11日に行われた衆議院選挙から2週間。圧倒的議席数を獲得し、大勝利を収めた日本推進党がこれからどう動くのか。さあ、コメンテーターの安木さん。公約では、さらなる福祉国家を目指していくという風に受け取れますが…。』
『そうですね。主に、若い世代にお金を回していくというのが狙いでしょう。少子高齢化社会の日本でよく若者向けの政策で票を取れたなという感じですが。これからの日本がどう変わるのかはちょっと予想できないですね。ですが、今まで通りでは絶対にないです。大きく様変わりすると思います――。』
この男の言う通り、日本は様変わりを始めている。良くも悪くも。
日本推進党は300近い議席を獲得する大勝利を収め、総理大臣として広末直正が選出された。圧倒的信頼を築いてきた広末はたちまち受け入れられ、大きな期待を寄せられている。
国民はこれから思考力を奪われるであろう。国に逆らってはいけないという洗脳とともに。
「東二。」
テレビを見ていたところに、アヤノが声をかけてきた。
「どうした」
「講演の時間。そろそろ出発しなきゃ。」
「あぁ…」
時計に目をやると、時刻は13時過ぎを指していた。
「…出るか。車のエンジンかけてくる。下で待ってるから、準備できたら来て。」
そう言って俺は厚手のジャケットを羽織り、玄関を出る。12月の冷たい風が身に染みる。急いでポケットに手を入れると、エレベーターで地下駐車場まで降り、黒い光沢を纏ったお気に入りの自分の車に乗り込む。
「今日の会場は…、渋谷か…。ったく、クリスマスなのに渋谷で講演なんてイカれてるわ…」
悪態をつきながらエンジンをかける。
今日は自己啓発セミナーを行う。題目は『幸せに生きるために』。もちろん登壇者はアヤノだ。
『ね。知らない方が幸せだったなんていっぱいあるんだから。それを日本に広めていきましょう――。』
2週間前のアヤノの言葉がよぎる。
「はぁ…」
この2週間、ずっと考えていた。俺はどうしたかったのか、と。
2週間前の夜。俺は大宮さんが殺された衝撃と、伊月が関わっていたという驚きで頭が混乱し、言われるがままにアヤノの言葉を受け入れてしまった。
別にアヤノの言葉に共感しなかったわけではない。実際に、知らない方が幸せだったことなんて多くあった。俺自身そっちの方が気楽で良いと思った。
だが、それを他者に強制することを自分が望んでいるかと言われれば違う気がする。
1週間前にも一度同じようなセミナーを行った。
そこに参加した人は目を輝かせ、オアシスを見つけたかのように救われた顔をしていたのが印象的だった。
彼らはこの教えを支えに生きていくのだろう。なのに俺の心は晴れていなかった。
もう少し手を伸ばせば今以上の幸せが手に入るかもしれないのに、傷つくことを恐れ、現状の幸せを味がしなくなっても噛み続ける。
アヤノが国民にもたらそうとしている幸せは、いわば飢餓状態における水だ。
飲む水が身体に沁みるために、一度飢えさせようとしている。
これは俺が共感したこととは違う気がする。
バタッ
「おまたせ~。ちょっと遅れちゃった。急に電話来て。」
一人で考えにふけっていると、アヤノが乗り込んできた。
少し息が乱れている。
「全然大丈夫だよ。じゃあ出発するよ。」
そう言って俺はシフトレバーをPからDに変える。
「あ、ちょっと待って。出る前に話したいことがある。」
アヤノが手のひらを向けて制止させる。
「なに?」
「今日のセミナーなんだけど、東二が喋ってくれない?」
「え!?」
「今後は東二にも喋ってもらおうと思ってたし、ちょっと早いけど練習も兼ねてさ。内容は頭に入ってるでしょ?」
アヤノはけろっとした顔で話す。
「いや、急に言われても…。」
「ごめん。もう決定事項なの。あたしその時間に会議入っちゃってさ。だからお願いじゃなくて命令。」
「マジかよ…」
俺はうなだれる。心持ちが一気にネガティブに振り切れる。
「じゃあ出発ね。時間も意外とギリギリだし。」
「はいはい…」
俺は生気の無い返事をして、アクセルをゆっくりと踏み込んだ。
***
『本日は「幸せに生きるために」の講演会へ、ようこそお越しくださいました。みなさんの辛く苦しい生活、それを考え方一つで幸せにしましょう!では本日の講演者は達川東二さんです!拍手でお迎えください!』
ワアアアアーーー!!
大きな拍手と歓声が鳴り響き、目が痛くなるほどの眩しい光が俺の目に差し込む。
数秒して目が慣れてくると、ステージの下には多くの人間が俺に視線を集めていた。客席側は暗くて詳しくは見えないが、女性が多いように思える。
さあ一言目。何を話そうか。正直、なにもまとまっていない。ある程度の本筋はアヤノの講演を見ていたためにわかっているが。まあ、なんとかなるだろう。
…しかし、こんな胸中に疑問を持った人間の言葉など、観客に響くだろうか。アヤノや八咫烏の皆が盲信する幸福論を伝えられるだろうか。
スゥ――
俺の小さく息を吸い込む音をマイクが拾う。それに呼応するかのように皆が集中する――。
***
…皆さん。アダムとイブの話は知っていますか。
そう。今、皆さんが思い浮かべたであろう、蛇に騙され、果実を口にし、失楽園をしてしまった二人のお話です。
ふんわりとしか知らない人もいると思うので、ご説明します。
――神様は天地をつくり、動植物をつくり、最後に人間をつくりました。
最初にアダム、そしてイブです。
生まれた彼らは「エデンの園」という何不自由なく暮らすことができる世界で過ごしていました。
神様は彼らに、たった一つのルールを課していました。
「園の中央の樹にある実を食べてはいけない。食べれば死ぬ。」
しかし、悪の化身である蛇がイブに対して、「神様の言葉は嘘だ」「食べれば賢くなって神様のようになれる」と誘惑したのです。そしてイブはその実を口にしてしまいました。さらにイブに勧められたアダムまで。
すると二人は裸でいることが急に恥ずかしくなり、イチジクの葉で腰巻きを作って身につけました。
神様に見つかり、食べたことを問い詰められると、二人は「イブに勧められたから」「蛇に勧められたから」と責任転嫁をし始めました。
言い訳が通じるはずもなく、神様は二人をエデンの園から追放したのです――。
少し詳細を省きましたが、ざっとこんな感じです。
約束を守れば、ずっと不自由ない暮らしができたのに、言葉巧みな蛇によって食べたしまった。
…このお話、イブはなぜ実を食べてしまったのでしょうか。
絶対とは言いませんが、おそらく「好奇心」でしょう。
蛇の言葉の真偽。食べたらどうなるのか。
「知りたい」という欲が、彼らの結末を引き起こしたのです。
ここから学べることが、私が今日、ただ一つの伝えたいことです。
「賢くなると、人は不幸になる」。
これは失楽園が不幸ということではありません。それは単なる結果です。
彼らは実を食べたことにより、羞恥心を覚え、責任を負うことの辛さを知ってしまったのです。
蛇の言う通り、賢くなった。あらゆる事を知った。人前で裸でいることが恥ずべき事だと。責任は人になすりつけた方が楽だと。でもそれは、今まで必要なかった服が必須になり、責任ある行動を取りづらくなった。知見を得たのに、不自由になったと受け取れると思います。
さて、じゃあ皆さんはどうでしょう。
美味しいお肉を食べたら、スーパーの肉が味気なく感じてしまった。
SNSでは皆が楽しそうにしているのに、私は家で一人。
憧れていた結婚生活だったのに、今では毎日口喧嘩。
いざ知ってしまえば、人は不幸を感じてしまうのです。
人生、知らない方が幸せなんですよ。
***
ウワァァァァーーー!!
俺が話し終えると、鼓膜が破れるほどの歓声が上がった。
皆が目を輝かせ、中には涙を流している人も見られた。
…なんとかなったな。
俺は額の汗を拭う。
アダムとイブの話は、それっぽいことを言おうと完全にテンパって出任せで話していたが、なんとか本筋に繋げられて良かった。実際、アダムとイブの話はこんなことを伝えたい話ではない。人間の「罪」を主題とした話だ。少し教養のある人なら知っていそうなものだが。
まあ、初めてにしては上出来だろう。
俺は安堵の気持ちでステージを降り、舞台袖に置かれた椅子に腰掛ける。
そしてペットボトルの水を手に取り、一口飲んだ。冷たい水が胃の中に落ちていくのを感じる。そして高まっていた俺の脳も少しずつ冷ましていった。
今日、俺は人を飢えさせたんだな…。
背けていた現実が目の前に立ちはだかる。今日の講演を聞いた彼らは、自分から学ぶことを恐れ、現状の小さな幸せを噛み続け、自分は不幸じゃないと思って生きていくのか。
そう思うと、徐々に身体が震えていった。
この感覚は…。
嫌な思い出が顔を覗かせる。
俺は頭を振る。自分は悪くないと言い聞かせるように。
「東二、お疲れ様」
下向く俺の頭上から、馴染みある声が聞こえた。
「アヤノ…」
「なんか元気ないね?講演は上手くいったって聞いたけど」
「あぁ…、まぁ…講演はなんとかなったけど…」
「けど?」
アヤノは首を傾げる。しかし俺は言葉を返せなかった。だって相談したって意味がないから。
「…まぁいいや。それよりさ、東二に会いたいって人が来てるよ」
アヤノは手をパンっと叩いて話題を切り替える。
「俺に?」
「今日の講演に来てた人で、東二と話したいって。呼んでくるね」
「あっ、ちょっと!」
アヤノは俺の答えを待たず、走って行ってしまった。
俺に会いたい人って誰だ…?
顎に手を当てて考える。講演を聞いて、会いに来るってことは顔見知りなのか?
宙をぼんやり見上げて考える。色々考えたいことが多くてまとまらない。
すると遠くから足音が近づいてきた。
「お待たせー。彼女が東二と会いたい人」
そう言うアヤノの隣にいる女性を見て、俺の頭に火花が弾けた。
「…え、な、何で…」
「久しぶり…。達川くん。半年前に家に来た以来かな?」
スラっとした立ち姿。いつまでも若々しく美人な容姿。そこには、いるはずのないずっと尊敬していた上司の妻が存在していた。
「
「大宮愛里沙さん。東二はもちろん知ってるわよね。彼女もこの講演を聞いてくれてたんだって。」
「はい。たまたま参加した講演に達川くんが話してるんだもの。驚いちゃった。旦那を最後まで守ろうとしてくれた恩人だからね。挨拶しなきゃと思って。」
え…?今なんて…?
「警察から聞きました。達川くんが旦那を守ろうとしてくれたって。鯵ヶ島灯台で組織に狙われた旦那をたまたま居合わせた達川くんが間に入って守ってくれたって。」
頭が混乱する。俺は頬をつねり、これが夢ではないかの確認をする。だって俺が見てきた話と何一つ違うから。
「いや…、何か誤解が…」
「結果的に旦那は殺されてしまったけど、あの人を大事に想ってくれる人が私以外にもいてくれたってだけで嬉しいの。」
彼女は目に涙を浮かべている。
「あの…、愛里沙さん。大宮さんを殺したのは…」
「犯人も達川くんの証言で捕まったでしょ。内原って言う人。その人が旦那の追ってた組織のトップだったから、リーダーがいなくなって組織も解体。旦那には復讐なんてして欲しくなかったけど、でも達川君のおかげで旦那の願いが叶ったのなら、旦那もあの世で笑顔だと思います。」
俺は愕然とした。全てが書き換えられている。彼らの都合の良いシナリオに。
大宮さんを刺したのは俺だし、内原は八咫烏のトップじゃないし、解体なんかされていない。なんなら今日の講演だって、名前を隠した八咫烏のものだ。
ふと横にいる女に目を向ける。
笑っていた。余裕じみた、上品で、まるで哀れな俺を慈しむかのような微笑。
ふざけるな。
その笑顔に俺は今まで感じたことのないほどの怒りが湧き出てきた。俺を手のひらの上で転がすだけならまだ良いが、こんな罪のない人にまで嘘を吹き込み、自分たちの都合の良い考えを植え付ける。そんなことは許されない。
そんな余裕をしてられるのも今のうちだ。愛里沙さんに真相を全部ぶちまけてやる。
「あの……!!」
俺は彼女に向き合い、口を開く。
……………。
「…達川くん?どうしたの?」
なぜ?なんで声が出ない?この人に真実を話さなければいけないだろう?なのになんで俺の声帯は震えず、ただ息が漏れていく?
だってこの人は大宮さんの死を誤認している。しっかりと真相を伝えるべきだ。真相を…。彼女だって真実を望んで…。
そうなのか…?真実を伝えることが彼女のためか?
本当に…、そう…なのか…?
「…何でも…ないです…」
「そう…?なら良いけど…。じゃあ、達川くん。今日はありがとうね。講演も凄く良かった。もし良かったら、また家に来て、お線香でも上げてね」
そう言って彼女は去って行った。旦那を殺した相手に笑顔を向けながら。
その場に立ち尽くしていた俺に、アヤノが笑いかける。
先ほどの嫌に憎らしい笑顔ではなく、心の底から優しい笑顔で。
「やっぱり東二は良い人だね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます