幕間5「ヒーロー」
ブゥーン――…
暗い周りの景色が素早く移り変わるのを横目に、俺はハンドルを握っていた。
12月10日。時刻は20時10分。
鴉丸綾野から呼び出されたのが22時。十分間に合う時間だ。
正直、今日はゆっくりしたかった。なぜなら明日は決行の日だから。
明日、日本橋の大きな会場で行われるCAのセミナー。その会場を爆破し、登壇する内原を殺害することで俺の復讐は成し遂げられる。
今日が俺が一般市民でいられる最後の日なのだ。明日から俺は凶悪犯罪者として生きていくことになる。
しかしそんな日に限って、先日の電話で八咫烏当主からのお呼び出し。しかも達川と家族を引き合いに出されれば行かないわけにはいかない。
俺はチッと舌打ちを鳴らす。
だったら…、もう昨日が最後の日でいいか。
俺は赤信号でブレーキを踏みながら、助手席に置いてあるボストンバッグに目を向ける。
この中には大きく切れ味抜群なサバイバルナイフが入っている。
これで烏の喉元をかっさばいてやろう。
俺は鴉丸綾野を刺し殺す。その瞬間を想像して身が震える。
内原という本命の前にボスを殺めることができるとは。
信号が青に変わる。
俺は意を決してアクセルを踏み込んだ。
***
腕時計に目を落とすと、時刻は21時38分を指していた。
俺は
約束の時間は22時。鯵ヶ島灯台はここから歩いて15分程度。
灯台までのルートは人もいるだろうが、街灯が少なく、暗いため、目立つことはないだろう。
海沿いの道を足早に進み、灯台で待ち構えているであろう鴉丸綾野を刺し殺す。そしておそらくともに行動しているであろう達川をそこで保護し、急いで車に戻る。
シミュレーションを頭の中で何度も繰り返す。
繰り返しているうちにコートのポケットの中にあるナイフが、まるで生きているかのような存在感を皮膚の感触を通して伝えてくる。
シミュレーションを完璧なまでに描き終えると、既に時刻は21時46分となっていた。
「…よし。」
俺は小声でそう呟くと、トイレに人がいないのを確認し、暗闇の中へ飛び出した。
***
「はぁ…、はぁ…」
息が荒い。肺が冷たい。
苦しさから自然と顔が下がる。
思ってみれば12月という真冬に海沿いを走るなんて、アラフォーには堪えるに決まってる。
自分の考えの浅はかさに猛省しながら顔を上げると、大きくそびえ立ち、光を回している塔がすぐ目の前に見えた。
赤や緑に電飾されてもいて、クリスマスを演出している。
あそこの下には目標がいるはず。
俺は走るのをやめ、歩きながら、先ほどまで必死に振っていた右腕をポケットに入れて、柄を掴む。
掴んだ瞬間、ドクンと心臓が跳ね、血液が沸騰するようだった。心拍が上がり、興奮の領域に引き込まれる。
これから人を殺す。
その覚悟をいま一度試されているように感じた。
「すぅー」
大きく息を吸い込み、冷たい空気で上がっていた体温を少し冷ます。
大丈夫だ。明日の予行だと思えば良い。
俺は世界を正そうとかそんな大層なことをしているつもりはない。ただ西家さんのような理不尽な死を迎える人を無くしたいだけだ。
目を閉じ、葬儀場で泣いていた西家さんの奥さんと子どもの顔を思い出す。
『おとうさーん!!もうあえないの!?』
『千里…。お父さんはね、遠くに行っちゃったの…。』
うん。問題ない。俺はやれる。
気がつくと、もう灯台は少し顔を上げないと視界に収まらないほど近くまで来ていた。
そして数十メートル先に見える灯台の下にいる人影。
綾野だ。
俺はコートのフードをかぶり、ナイフを取り出すと、ゆっくりと近づいていった。
・・・
「東二!助けて!!」
視線の先にいる綾野が突然叫びだした。
達川を呼んだ…!?
てことは…
俺が後ろを軽く振り返ると、こちらに向かって走ってくる人影が見えた。
達川が来る…。ならば達川の保護が先か…?
「やめて…!こっちに来ないで…」
そう思った瞬間、懇願する演技をしている綾野がポケットからなにか取り出すのが見えた。
なにかのスイッチ…?
――『東二がどうなっても知らないですからね。』
先日の綾野の電話が脳内に流れた。
俺は数瞬間で最悪のケースを考える。
まさか、達川を殺すものか…?
よく見ると、達川は紙袋を持っている。
あれになにか細工がしてある可能性は捨てられない。仮にはったりだとしても今この瞬間では綾野を刺し殺すことが優先だ。
俺はそう判断し、綾野に向かって走り出した。
「アヤノ!!」
遠くから達川が叫んでいるのが聞こえる。
俺は達川に追いつかれないようにナイフを綾野の心臓に向け、猛ダッシュする。
「東二!早く来て!!」
逃げ惑う綾野をもう少しの所までに捉えた。
いける…!!
「いやっ…!!」
ザッ…
突っ込んだ俺のナイフは狙いを外し、綾野の右腕をかすめただけだった。
しかし綾野は横にバランスを崩して座り込んでいた。
「くっ…!あっ…!!痛い…っ!」
ちょうど良い。その頭に上からナイフを突き立ててやろう。
俺はナイフを逆手に持ち替える。脚を広げ、重心をしっかりと安定させて、両手で握ったナイフを大きく振りかぶった。
「ははっ…!」
無意識に口から笑いが溢れた。
なんだこの高揚感は。
目下には外道な組織を率いている女。その女がひざまずき、頭を垂れている。
そして俺はその後頭部にナイフを突き立て、殺すのだ。
脳内麻薬がドバドバと分泌される。
さあ、裁きの時だ。
俺はさながらヒーローの気分だった。
振りかぶったナイフを思い切り、振り下ろす。
ドスッ
***
そこからはよく覚えていない。
薄れゆく意識の中、俺が倒れ、あの女が座りながら俺を見下し、笑っていた。
フードを取られ、露わになった顔に達川が絶句しているのが見える。
手にはカジキを模した包丁が握られてた。
なんだそれ…。だっせー…笑
身体が冷えていく。目も開かなくなってきた。
結局、復讐は果たせず、か…。
死に際に自分のやってきたことを振り返る。
西家さんの復讐のために、CAを追いかけた。そこで日本推進党との繋がりや、親玉の八咫烏のことを知った。
そして気づけば、そのすべてを追いかけていた。
『あんたはヒーローにでもなりたいの?』
結局、俺は自分のことしか考えてなかったんですね…、早希さん。
左頬に覚えのある痛みを感じながら、俺の意識は遠のいていった。
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