第19話「烏の猿芝居」

「これ、可愛くない?」

アヤノはデフォルメされた魚介のマグカップを見て、目を輝かせている。

対して俺はシンプルな黒の皿が魅力的に感じ、手に取って素材感を確かめる。


――俺たちは今、アヤノが見つけたお土産屋に来ていた。鯵ヶ島灯台の記念グッズやご当地お菓子といった土産品はもちろん、普通におしゃれな食器といった雑貨類なども取りそろえていた。

俺たちは早々はやばやと手当たり次第にご当地商品を買い物カゴに入れ、それよりも目についた雑貨コーナーで、掘り出し物はないか吟味しているところである。


「ねぇ、東二ってば聞いてる?これ可愛くない?」

「まぁ……」

俺はアヤノが勧めるマグカップをまじまじと見る。

タコ、イカ、カジキ、イルカ、チンアナゴ…。何も考えずに海に生息している特徴的な生き物のシルエットを散りばめただけのデザインに対して「可愛い」なんて感想は、人生何度生まれ直しても出そうになかった。

「アヤノが欲しいならカゴにいれな。」

「やった!」

アヤノは買い物カゴにそっとマグカップを入れる。

「あとは…、あっちにもなんかあるね!」

アヤノはまた別の所に興味を示した。

俺はその後ろについていく。


「あ!見て見て!カジキ包丁だって!可愛い!!」

アヤノが真っ先に飛びつき、手に取ったのはカジキ包丁という、カジキ特有の剣のような上顎を包丁の刃に見立てた商品だった。

「ほら!柄の部分もしっかりカジキの胴体のデザインで、持ちやすいように改良されてるよ!」

アヤノは目を光らせ、絵を品評するかのごとく舐め回すように包丁を見ている。

「…欲しいのか?」

俺は正直興味が無かったが、アヤノが欲しいというなら拒む理由はない。

「いいの?」

「あぁ。好きなの買いなよ」

「ありがとう!」

アヤノはカジキ包丁もカゴに入れる。

「私はもう大丈夫。東二は欲しいものないの?遠慮しないでいいから」

「そう?じゃあどうしようかな…」

俺は辺りを見渡し先ほど手に取った、黒の皿が目につく。陶器で出来ており、何もデザインされていない無地の皿だった。

「あれにする」

俺はその皿に向かって真っ直ぐ指を指した。

「えー…。まぁ…東二の好みだし、別にいいけど…」

アヤノは本当にそれでいいのかと言いたげな目を何度も向けてきたが、俺の意思は揺るがなかった。

「ああ、あれが良いんだ」

そう言って俺は皿を買い物カゴに入れる。


『本日はご来店いただき、誠にありがとうございます。当店はまもなく閉店とさせていただきます…――』


その時、蛍の光とともに閉店のアナウンスが流れた。時計に目をやると、時刻は21時55分を指している。

「もうこんな時間になってたのか。早く会計済ませて出るか」

俺たちは急いでレジに向かい、会計を済ませると早足で店を出た。


両手は多くのお土産と雑貨類の袋で塞がっていた。

「結構買ったな」

「そうだね。私、一つ持つよ」

そう言ってアヤノはお土産類が入ってる袋を俺の手から取る。

「良いのか?そっちの方が重いけど…」

「東二はそういうところ気にしすぎだよ。まあ、気を遣ってくれるのは嬉しいけど!」

アヤノは明るく笑うと、公園の方へ走り出す。

「ほらほら!もうすぐ灯台のライトアップだよ!急ご!」

「はいはい…」

俺はこの時間でも元気なアヤノに呆れ笑いながら、彼女の後を追いかける。


時刻はちょうど22時を指した頃だった。


***


「すごい…!灯台がちゃんと光ってるのを見るの、初めてかも!」

アヤノは口に手を当てながら、静かに興奮を味わっていた。

一方、俺も灯台の光がぐるぐると回る姿を生で見るのは初めてだったので、アヤノと同じく心は高ぶっていた。

しかも今日は難破船を救った日の催しということと、クリスマスシーズンが重なり、赤と緑のライトまで身に纏ったイルミネーションスタイルだったので、存在感が増していた。


…しかし、俺は興奮の片隅に違和感を覚えていた。

辺りを見渡しても人がいないのである。夕方の夕日が見れる時間帯には見に来た人がちらほら見受けられたが、今は全く人がいない。

確かに22時という遅い時間帯ということや、この催し自体があまり認知されていないという要因もあるのだろうが、それにしてもだ。


「なあ…、俺ら以外に人いなさすぎじゃないか?」

「あー…、まぁ夜遅いしね」

アヤノはあっけらかんと答える。だが俺の違和感は徐々に大きくなり、いつしか灯台の興奮と同等になっていた。


「なぁアヤノ、この催しっていつまでやるんだ?」

「ざっと1時間くらいだと思うよ。あ!私ちょっとあっちで写真撮ってくる!」

「あ!ちょっと…!」

アヤノは聞く耳を持たず、灯台の真下まで走って行ってしまった。


「はぁ…」

追いかけるのが面倒になってしまった俺は近くのベンチに座り込む。

俺はもう一度周りを見回すも、やはり人はいなかった。

手に持っている買い物袋が震えてくる。

心に覚えのある動揺が出てきた。

再び、浮かび上がる烏のシルエット。


カア!


「ぅわ!」

突然、烏の群れがバサバサと飛び立っていった。


こんな夜に活動する烏なんて珍しいな…。




「東二!助けて!!」

その時、灯台の方からアヤノの叫び声が聞こえた。

明らかに異常事態の声。まるで烏が合図だったかのように。

「どうした!!」

俺は拳を握りしめ、灯台の方へ向かって走り出す。


アヤノは灯台の真下にいるため光がなく、遠目ではどうなっているのかわからなかった。


段々と灯台に近づいていく。それにつれ、アヤノの影がぼんやりと見え始める。

そして…、もう一人の影も。


「おい、誰だ!!」


俺は足を止めずに、その人影を後ろから観察する。

黒いレインコートに黒いブーツで全身を覆い隠している。身体つきから見て、男性であろう。身長はそこまで高くは見えず、170cm前半くらい。そして手には…、大きなナイフ。


「やめて…!こっちに来ないで…」

アヤノは悲痛な叫びで黒ずくめの男に懇願する。

その叫びも虚しく、男はズカズカとアヤノに迫っている。


間に合ってくれ…!!


俺は脚に鞭を入れる。このまま走れば間に合う。


そう思った矢先、男は歩くスピードを早め、ついには走り始めた。


まずい…!


「アヤノ!!」

俺は必死の声を叫ぶ。

「東二!早く来て!!」

アヤノと目が合った。男との距離は数十メートルまで迫る。

しかし男はスピードを早め、ナイフをアヤノに向けていた。


このままアヤノを刺す気か…!!


「待て!!やめろ!!」


俺は必死に走る。男との距離は約20メートル。


「いやっ…!!」



ザッ…



必死に走る俺の目に映ったのは、アヤノが切り付けられたシーンだった。

ナイフを向け突進してくる男を、アヤノはなんとか回避しようと横に倒れ込む。

その結果、男が狙っていたであろう胸部らへんは避けられたが、右上腕にナイフの刃が当たった。


「くっ…!あっ…!!痛い…っ!」


アヤノは地面に座りながら痛みに悶え、左手で傷口を押さえている。


そして男は追撃の準備に入っていた。ナイフを逆手で持ち、座り込むアヤノに上から刺す準備を。



その一連を見た俺は怒りに震え、頭には大量の血が押し寄せていた。


どうにかしなければ、アヤノが死ぬ。


どうにかしなければ…



その問題を突きつけられた俺の出した答えは、はたから見れば自己中心的で、当事者にとっては当たり前の選択かもしれない。



もはや持っていたことすら忘れていた買い物袋から、カジキの包丁を取り出す。

プラスチック製の外側のケースを開けて、包丁を取り出し、刃先を目標に向ける。

この間、僅か3秒。しかも走りながら。


危機的状況下で人間離れした動きを見せると、俺はただひたすら男の背中に向かって走る。


そこからはすべての動きがゆっくり見えた。

男の背中が大きくなるにつれて、動きは反比例し、遅くなっていく。


5メートル。


4メートル。


3メートル。


男はアヤノしか見えていないのか、後ろに迫る俺に振り返ることなく、ナイフを両手で持ち、大きく振りかぶっている。


2メートル。


アヤノは変わらずに傷口を押さえて目を瞑っている。


1メートル。


いける…!!

全身の血が沸騰するような感覚を覚える。

視界にあるのは男の背中と刃先だけ。

研ぎ澄まされた感覚の中、俺は腕に精一杯の力を込めた。



ドスッ



***


「はぁ…、はぁ…」


呼吸が荒い。


俺は左手を胸に当てて、なんとか呼吸を取り戻そうとするも、収まることはなく、むしろどんどんと荒さを増していった。


目線の先は、血のついた包丁。


足下には、倒れている男。


胸からは大量の血液が外へ流れ出していた。


それを見て俺はついにやってしまったのだと思った。


不思議と罪悪感はなかった。

正当化とかではなく、本当に自分はアヤノを守るためにこの行動しかなかったと思っているから。


だがしかし、自分は踏み越えてしまったのだとも思った。

多くの人が守っている線を。


罪悪感はないのに、後悔はあるという、矛盾したような感情が心を満たしていくのを感じながら、俺は男の隣で座り込むアヤノに目をやる。


アヤノはずっと刺される前の体制から変わっていなかった。


しかしその表情は、目を見開き、そして笑っていた。


何をおかしなことがあろうか。


アヤノの感情が読み取れない。


「アヤノ…?大丈夫…?」


俺は油の切れたブリキ人形のようなぎこちない動きでアヤノに近寄っていく。


するとアヤノはふらふらと立ち上がり、俺の身体に抱きついた。

俺の胸に顔をうずめる。


「ありがとう。東二。」


「あ、あぁ…。別に俺は…、ていうか怪我は…、あ、いや、それよりも警察…」


色々頭の中にありすぎて、よくわからない返答しか出てこない。



「東二。その男、誰だと思う?」


え…?


「フード、とりなよ」


埋めているアヤノの顔が見えない。どんな感情でそれを言っているのか。


「早く。それとも私がとる?」


アヤノはようやく顔を上げた。


「ひっ…!」


俺の喉から恐怖の感情が漏れ出た。



そこには無表情のアヤノがいた。

初めて会った時の、アンドロイドのような顔が。


アヤノは抱きついていた腕を離し、うつ伏せで倒れている男の側にしゃがみ込む。

そして滑らかな動きで後頭部付近に手を伸ばし、フードを摘むと、ゆっくりと持ち上げる。

男の頭が現れた。黒くしっかりとした髪。つむじから力強く生えている。


「あ…、ぁ、あ…」


声にならない音が何度も出る。目に入る現実が嘘であってほしいも思っても、願望空しく、こんな時に限って脳は正常な処理を繰り返した。


アヤノは次に男の左肩に手をかけ、うつ伏せから仰向けにしようと、斜め上方向に思い切り押し上げた。


男の身体は右腕を軸として転がり、徐々にその顔を現していった。


「な、んで…」


アヤノは俺を見て、ニヤリと笑みを浮かべる。


嘘ではなく、答えは見事に正解だった。


すべてが完璧な尊敬できる上司。

悪魔に魂を売った復讐魔。


それが俺の殺めた相手。


「大宮さん…」


俺はその場に立ち尽くす。

何もわからないから。


なんで大宮さんがここにいるのか。

なんでアヤノを殺そうとしたのか。

なんでアヤノは笑っているのか。



「…どう?東二。自分が誰を殺したのか。わかった?」


アヤノが立ち上がり、歩み寄る。


「ふふっ。東二ってば可愛い。何も知らないって顔だね。」


アヤノは人差し指を立て、俺の唇にそっと触れる。


「じゃあ一つずつ、答え合わせをしよっか。東二に『知ることの辛さ』をわかってもらうためにもね。」


そう言ってアヤノはパチンと指を鳴らす。


すると後ろから大勢の軍団が歩いてきた。

黒いレインコート、白いレインコート、黒のスーツ。その三種類で構築されている。


そして軍団が足を止めると、中から一人の黒いスーツの男が出てくる。


スタスタと歩き、俺と10メートルほど離れたところで立ち止まる。

背が高いシルエットで、クールな笑顔。


「よっ、東二。久しぶり。俺は忠告したんだぜ?『首を突っ込みすぎるな』って」


灯台の光が、神城伊月の顔をはっきりと照らした。

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