第18話「旅先」

「わぁーーー!!すごい綺麗だよ!東二、見て見て!」

隣でアヤノが子どものようにはしゃいでいる。

「ほんと!すごい綺麗だね。」

俺は水平線に沈みゆく夕日と、その光を浴びている彼女の両方に向けて言う。


鯵ヶ島灯台公園。鯵ヶ島灯台の下に造られた緑豊かな岬の公園。海を一望できる景色が売りで、俺たちの他にもちらほらと家族連れやカップルが見られた。

確かにこの景色は感動する。この時期では潮風がかなり身体を冷やすが、それでも見に来る人がいるのは頷けた。


「来て良かったね!」

アヤノは隣にいる俺と、夕日の景色を交互に何度も見て、そのたびに耳についてる金色のイヤリングが勢いよく揺れる。それが彼女の落ち着きの無さを際立たせていた。

そんな彼女を微笑ましく思いながら、俺も夕日に目を向ける。


水平線に向かってゆっくりと落ちていく丸い球体。それはまばゆい光を放ち、水面を赤く染めている。空には所々に雲が散りばめられているが、それらすべてがまるで太陽に吸い込まれていくかのような一体感を持っていた。

時間が経つにつれ徐々に太陽は水平線に飲まれていく。完全な円は半円に。そしてその姿を隠していく。そしてついには消え、その瞬間、光を失った世界に変わった。

それまで夕暮れの景色を演出するためだけに動いていたように見えた海や雲は、主役がいなくなった途端に各々の動きを取り戻していく。


美しい。心から感動したのはいつぶりだろうか。

俺は夕日が沈んでからもしばらくは立ち尽くしていた。


「綺麗だったね…!私もう興奮しっぱなしだったよ…」

「あぁ…。ほんと、来て良かったわ…」

俺は感嘆の声を漏らす。

アヤノはそれを優しく見守っていた。

「…もう少しここにいよっか」

アヤノはそう言って、近くにベンチを見つけると、俺の手を引いてベンチへ連れて行く。

俺たちはそこに腰掛け、特に何か話すわけでもなく、暗闇の海をじっと見つめていた。


・・・


「そろそろ行こうか」

俺は立ち上がる。

「うん、そうだね」

連れてアヤノも腰を上げた。

時刻は17時39分を指していた。さすがにこれ以上は身体が冷える。

「じゃあ…はい」

アヤノはおもむろに手を差し出す。

「え?」

俺は彼女が何を示しているのかわからず固まった。

「近くの美味しそうな場所、予約してるの。寒いし、手繋いでいこ?」

アヤノはそう言って、ポケットに入っていた俺の手を握り、ニコリと笑う。

「…うん。行こう」

俺たちは二人肩を並べ、少し遠目に見える明かりの群れに向かって歩き始めた。


***


「…お、おぉ…」

テーブルに並べられた豪勢な食事に俺は気圧けおされていた。


美味しそうな飲食店が多く集合する地帯の建物の一角。5階建ビルの2階に位置する海鮮食堂『潮庵うしおあん-あじ-』。入るなり煌びやかな店内に圧倒された。そして運ばれてきたコース料理に俺はさらに度肝を抜かれる。


脂ののった美味しそうな刺身の舟盛り、網の上からほんのり香ばしい醤油の香りを漂わせる焼きホタテ、宝石のような輝きをしている真っ赤ないくら…。そしてキンキンに冷えたビール。

唇を縫い合わせてもよだれが垂れてきそうなほど、一級品のの海鮮料理が目の前にある。


「どう、すごいでしょ」

ドヤ顔でアヤノはこちらを見る。

「え…、マジでこんな…、え…」

俺は上手く言葉を紡げなかった。IQが急速に下がっている。

「今日は東二のリフレッシュなんだから、東二は気にしなくて良いの。ビールもガンガン飲んじゃって!帰りの運転は私がするし、何だったら近くのホテル取って一泊したって良いんだから」

アヤノはどうぞどうぞと手の平を差し出して促す。

俺は一つ大きく唾を飲み込むと、勢いよく手を合わせる。

「いただきます!!」

そして即座に箸を取り、大トロの刺身を豪快に取る。

そして醤油皿に刺身を持って行き、チョンっと醤油をつけると、箸を動かさず、口で迎えに行くように食べた。口の中でとろける大トロ。幸福が血液とともに全身に流れていくのを感じた。

「…お、美味しい…!」

「良いリアクションするね~。私も嬉しくなるよ」

アヤノはそう言ってウーロン茶を飲む。

「美味い…、うわ、これも…」

俺がひたすらに目の前の料理にがっついていると、アヤノが口を開く。


「ちなみにこのコース、一人いくらだと思う?」


その言葉は俺の箸を止めた。熱かった脳内が一気に冷えていく。

目の前の料理を見て、俺の経験から概算する。

「えっと…、そうだな。1万弱…とか…?」

「1万5000円」

「…!」

俺は息を呑む。そして手に持ってる箸を反射でテーブルに置いた。

そして口をぽかんと開けたまま、アヤノの方を向いた。



「ップ…アハ…アハハ!何その顔!そんなビックリすると思わなかったよ!東二って結構そういうところに敏感だよね!」

アヤノは笑いすぎて涙を浮かべている。

俺はそんな抱腹絶倒ほうふくぜっとうしているアヤノに眉をひそめる。

「ごめんごめん!脅かすつもりはなかったの。ただちょっと言ってみたらどんな反応するのかなって気になってさ。」

アヤノは指で涙を拭いながら言う。

「さっきも言ったでしょ?今日は東二のリフレッシュなんだから気にしなくて良いって。」

アヤノは落ち着くために息を整え、ウーロン茶を飲み干す。

俺はそこで彼女にふと疑問に思っていたことを聞いてみようと思った。


「なぁ。なんで今日はこんなもてなしてくれるんだ?」

「え?」

「確かに最近俺は色々あって疲れてたから、アヤノが気を遣ってくれたのはわかる。それはすごい嬉しいけど…、でもなんか盛大すぎるというか…」

「そうかな?確かにこのコースは奮発したけど…、それ以外は別に普通じゃない?」

「いや、変とかではないというか…」

俺は心のモヤモヤを言語化できずに口ごもる。


「でもまあ、そうだな。強いて言うなら…」

黙っている俺にアヤノは人差し指を立てる。


「東二が良い人だからだよ」


アヤノは一呼吸置いてゆっくりと話す。

俺はその言葉を一度聞いていた。

「そうだ。アヤノ、前も言ってくれたよな。俺が良い人だって。結局、詳しい理由聞いてないけど、なんで俺が良い人だって思ったんだ?」

するとアヤノは口の端を少し吊り上げる。

「別に…、私がそう感じただけだよ」

焦点の定まってない目で含みのある言い方。


まただ。

アヤノは基本的に隠し事はせずに話してくれるが、時々絶対に話してくれないことがいくつかある。

例えば…、名字とか。


実はかなり前に聞いたことがあった。同棲を始めて2日後くらいに。



――「ねぇ、アヤノ。アヤノの名字ってなんなの?」

「ん~?別になんでもいいでしょ。」

「俺たち付き合ってるし、同棲までしてるんだから、知っておいた方が…」

「じゃあ達川で」

「は!?」

「達川で良いんじゃない?夫婦って感じで」

「い、いや…、ま、まだ結婚してないし…」

「東二は私との結婚は考えてくれてないの…?」

「そんなことはいってない!だけど…」

「いずれ性が変わるなら、早くたっていいでしょ。はい、ご飯できたよ~!」――



こんな感じでうやむやにされたことがある。アヤノはある特定のことははぐらかすのだ。あまりズケズケと踏み入って険悪な空気になるのも嫌だし、いずれわかることだろうと俺も聞かないでいた。


「そう感じただけ…か」

俺は今日くらいなら話してくれるんじゃないかと、今まで聞かずにいた質問の玉手箱を開けかけていた。

「東二、ビール空いてるけど、次何飲む?」

アヤノはメニュー表を渡してくる。

俺は無言で受け取り、メニュー表を開く。しかしメニューを見ることはなく、頭の中で葛藤していた。

今までの疑問を聞くべきかどうか――。


   ・

   ・

   ・

   ・

   ・


「……二。東二!聞いてる?」

「わ!」

ふと目の前にはアヤノの顔が至近距離にあった。

「ねえ、飲み物決まった?」

「あ…、ごめん。えっと、じゃあビールで」

「なんだ。そんなに悩んで結局ビールじゃん」

アヤノは怪訝な顔でこっちを見る。

気まずくなった俺は誤魔化すように焼きホタテに手をつけた。プリプリの貝柱の食感が絶品で、熱の入った醤油の香ばしさが鼻孔を刺激する。この美味が居心地の悪さを紛らわせる。

「よし、私も決まった。すいませーん!」

アヤノは元気よく店員を呼び、スムーズに注文をする。

いつも笑顔で優しい彼女。それを見てるとどうでも良くなってきた。


別に聞かなくてもいっか。


俺は開きかけの玉手箱を閉じ、目の前に料理とアヤノとの会話を存分に楽しんだ。


・・・


「ふぅー。美味しかったー…。」

俺はお腹をさすりながら至福の息を漏らす。

「東二…、意外と食べるんだね…」

アヤノは会計の金額を見て苦笑いをした。

コースの料理に完全に魅了された俺は、アヤノの許可の得て、単品注文も何回かしたのだ。

広島県産の生牡蠣、焼き牡蠣に、北海道産のウニ、そして明石たこの薄造り。

どれもが絶品も絶品で、箸は休むことを知らなかった。

「…ごめん。ちょっと調子乗ったかも。単品分は俺が払うから」

俺はさすがにこれを払わせるのは申し訳ないと思い財布を取り出す。

「ダメ。今日は東二のリフレッシュって言ったでしょ?私が払う。」

アヤノは譲らなかった。

「いや、無理しなくていいよ…。俺が…」

「ダーメ。無理なんてしてないし。…じゃあわかった。今度、私が落ち込んだ時にとびきりのところを奢って?それならいいでしょ?」

アヤノは是が非でも奢りたいらしい。彼女の善意を無碍むげにするのも良くないだろう。

「わかった。じゃあ、ごちそうさまです。」

「はい!どういたしまして」

アヤノはウキウキで会計へと向かう。

奥にいた店員が「彼女に払わせるのか?」みたいな目で見てきたのに心が痛んだが、俺はなるべく見ないように俯く。

「ありがとうございました」

アヤノが会計を済ませると俺たちはそそくさ店を後にした。


***


「うぉー、寒いねー」

外に出るなり、凍てつくような風が身体に当たってくる。

俺は腕時計に目を落とす。時刻は21時過ぎだった。俺はかなり長い時間、食べていたようだ。後半は何も食べずに飲み物をちびちびと飲みながら話していただけのアヤノに申し訳ない感情が出てくる。

「ごめんな、アヤノ。俺が食べすぎたせいでかなり長い時間退屈だったんじゃない…?」

「そんなことないよ。東二が美味しそうに食べてるのを見るだけで来てよかったって思えるし、話すだけでも楽しいしね」

なんて良い子なんだろう。俺はなぜか泣きそうになった。

「じゃあ22時まで、近くのお店を散策しよう!お土産とか買いたいし」

アヤノはまた俺の手を握り、歩き出す。

「あ、ごめん。その前にちょっと店に戻ってトイレ行ってきていい?」

俺は寒さにあてられたせいか、突然の尿意を感じた。

「あ、トイレ?あの店、店内にはトイレないよ。なんか3階に上がって、突き当たりを右…とか、色々面倒くさかった。だから戻るよりも…、ほら、あそこのコンビニでしてきなよ」

アヤノは30メートルほど先にある、コンビニを指差す。

「じゃあ私ここで待ってるから。」

「うん、行ってくる」

俺は小走りでコンビニの方へ向かった。


・・・


コンビニに着くと、俺はトイレに足を運ぶ。

幸いにも誰も入っていなかった。俺は洋式トイレに腰掛けて用を足す。

無事にトイレができて、一息つく。


   ・

   ・

   

よし。オッケー。

俺はトイレを出る。


寒いしなにかあったかい飲み物でも買って行くか。

ふと思い立った俺はホットのコーヒーとお茶を手に取った。会計を済ませて店員から飲み物が入った袋を受け取ると、コンビニを出る。



すると、店を出てすぐに、俺の視界の左隅にとある人影が映った。

「あれ…!?」

俺はすぐさまそちらを向くが、その人影はすぐに角を曲がってしまい、行方はわからなくなってしまった。

「俺、なんであの人を目で追ったんだろう…」

知り合いっぽい人を見つけたと思ったが…。

後ろ姿、しかも夜ならば見てもそうそうわからない。

「誰だっけ…?どっかで見たことある気が…」

だが一向に答えが見つからない。脳の中がムズムズしてくる。


…とりあえずアヤノのところへ戻ろう。


俺は顎に手を当てながら、アヤノが待ってる方向へ歩き出した。考え事が歩くスピードをいつもの75%くらいまで落とす。


「見たことはあると思う…。会ったことまではないか…?」


しばらくぶつぶつと独り言を言いながら歩いていると、正面から走ってくる人影が。


「東二〜。大丈夫〜?」

アヤノが慣れないヒールで小走りしながらやってきた。

「時間かかってるから心配しちゃった」

「あ…、ごめん。全然大丈夫だよ」

「そう。よかった」

アヤノはホッと胸を撫で下ろす。


「でね!待ってる間に少しぶらついたんだけど、あっちの方にめちゃめちゃ品揃え豊富なお店があって。お土産はもちろん、おしゃれな雑貨とか置いてて!そこ行こうよ!」

「いいね!そこなら色々まとめて買えそう。じゃあ行こうか」

そうして二人は店へと向かった。



街の中にひっそりと佇んでる時計が、21時24分を指していた。

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