第16話「新月」
「うーん。まだかな…」
スマホのロック画面には19:15と表示される。日にちは12月9日。
今日は三島さんとの待ち合わせの日だ。
待ち合わせ場所は東京駅の八重洲北口の改札口付近。帰宅ラッシュの時間帯であり、群衆が雪崩のように改札口を次々と通っていく。
俺はそこから少し離れた蛍光板のある柱に寄りかかっていた。
「いるか…?」
白のスーツに真っ赤な高いヒール。確かに目立つ格好だが、この群れの中に隠されると見つけるのは難しい。電話番号は一応知っているので連絡はできるが、三島さんのあの感じからして、かなり情報の事に関して注意を払っているのがわかったので、あまり気軽に連絡するのは気が引ける。
俺はもう少し待ってみようと彼女を信じ、boueのスマホケースが見える角度でスマホをいじっていた。
カツカツカツ……
多くの足音の中、小高い足音が俺の方に近づいてくるのが聞こえる。
来た…!
俺は顔を上げる。
前方から歩いてきたのは、真っ黒のスーツとヒールを履き、眼鏡をかけたOLだった。歩きスマホをして、こちらには目もくれず、俺の横を通りすがっていく。
なんだ人違いか…。
俺は肩を落とし、ため息をつく。
「だーれだ!」
「うおっ!」
突然、後ろから声がし、同時に俺の視界が手で覆われて真っ暗になった。
咄嗟の出来事に、俺は反射で手をどけて、後ろを振り返る。
するとそこには堂々とした立ち姿で悪戯っ子の笑みをする、抜群のスタイルの美人が佇んでいた。
白のスーツに真っ赤な高いヒール。ヒールで数cm足されているとはいえ、無しでも170cmはありそうな身長。キリッとした目に、スッと通った鼻筋、笑顔から見える真っ白で並びの良い歯。すべての顔のパーツに自信が満ちあふれ、生き生きとした若さを感じた。とても大宮さんの一個上には見えなかった。
「な、なにするんですか…!」
「ごめんごめん、怒んないで。ちょっと反応が見たかっただけ」
そういって彼女は顔の前で手を合わせる。
「…ていうか、なんで僕だってわかったんですか。他にも人いるのに。」
そういうと彼女は自分の目に向かって指を指す。
「私、視力めっちゃ良いんだ。だから人混みの中で、遠くに派手なスマホケースを持ってる人が目に入ってね。そのロゴがboueのやつだったから、すぐ東二君だってわかったよ。」
ニヤニヤと自慢げに話す彼女は、100点のテストを見せびらかす小学生に見えた。
「だから回り道して、柱の後ろに回ったの。そしてゆっくり近づいて…、目隠し!」
彼女の精神年齢はかなり下なのかもしれない。俺はそう思った。
「はぁ…。悪趣味ですね、ほんと。さ、早く行きましょ」
俺は呆れながら、彼女に案内を促す。
「もうー、冷めてるなー。はいはい。エスコートしてあげますよ、東二君」
彼女はほっぺたを膨らませながら、歩き出す。
俺は彼女の後ろに続く。
なんか話しやすい人だな。
俺は彼女に底知れぬ安心感を感じていた。ただ明るいとか、ただ優しいとかではない。俺が何を言ってもベストな言葉を返してくれそうな雰囲気。大宮さんの飲み仲間っていうのも頷ける。大宮さんも近しいものを持っていたから。おそらく彼女のマインドが移ったんだろうな。
「フッ」
「ちょっと、なにがおかしいのよ」
「いえ、別に」
「はぁ。あんまりノリ悪いと、割り勘にするわよ」
「え?元々おごってくれる予定だったんですか?」
「えっ。い、いや、その~」
「…ご馳走様です!」
「言うんじゃなかった…」
俺たちはそんな会話を繰り返しながら、人混みの駅を抜け、
***
「どう?おいしい?ここのお店結構気に入ってるんだよね」
三島さんは口に手を当てて、美味しそうにサラダを食べている。
「はい、とても美味しいです。ありがとうございます。」
「そう、良かった!」
目を細めて、にっこりと彼女は笑う。やはり何かと子どもらしい部分が多い。
俺は一度、手に持っていたフォークを置くと、周りを見る。
薄いピンクの壁紙に、真っ赤なカーペット。上を見れば豪勢なシャンデリア。少し遠くのドアにはウエイターが常に立っている。こんな個室で食事なんて人生で一度も無い。
「すごいでしょ。ここ、有名人とか、超大手の社長さんとかもよく使ってるの。だからプライバシー保護も万全。大事な商談とかもやってるとか。だから安心してね。」
彼女は自信満々に言う。
俺はそれに対して微笑で返す。小学生を見つめるかのように。
しかし確かに凄いな…。
一人感心しながら食事を進める。
「ふぅ。」
彼女はナプキンで軽く口元を拭く。
その瞬間、彼女の空気が変わった。先ほどまで暖かかった空気が一気に2℃ほど下がった気がした。
彼女の顔を見ると、目は細く獲物を見つめるかのようで、上がっていた柔らかな口角も今は動く気配もない。
俺は身が震えた。さっきとはまるで別人だ。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。」
変わらずの落ち着いた声。しかしそこにさっきまでの温かみはない。これまで多くの被告人と向き合ってきたであろう、検察官としての三島早希が座っていた。
「東二君。12月6日に良秋と話した内容、私にも聞かせてくれる?」
真っ直ぐ射貫く視線は、隠し事なんか許さない。そう訴えかけるようだった。
俺は自然と背筋が伸びる。
「は、はい。まず前提として、大宮さんと話はしました。ですが、大宮さんは最初、僕と話すことを拒んで、黙っていました。僕を危険に巻き込む可能性があるから。」
彼女は相づちの声も、頷きもせず、じっとこちらを見続ける。
「な、なので…、最初は僕が知っている情報を一方的に話していました。根気強く話していると、『一つだけなら話せる』と言ってきました。」
「一つだけ?それは?」
「CAの目的は『低燃費人間』を生み出し、国民の思考力を奪うことだと」
「…! なるほどね…」
彼女は顎に手を当て、考え込む。
「大体わかってきたわ」
「え!?もう…!?」
「私だって今日まで何もせずに過ごしてきたわけじゃないの。色々調べて情報を得てる。なんなら、検察の捜査資料を自由に見れる分、あなたより知ってるかもね」
彼女は俺にマウントを取る口調であざ笑う。
愛想の良い子どもから、性格の悪いクソガキになったのか?雰囲気は変わっても、精神年齢は変わらないらしい。
俺は心の中で舌打ちを鳴らす。
「…じゃあ、三島さんの仮説を教えてください。情報交換といきましょう。多分ですけど、僕もあなたが知らない情報を持ってますよ」
俺は挑発する。
彼女の眉がピクッっと動く。
「…えぇ、わかったわ。じゃあ私から」
単純な人だな。俺は一人勝ち誇った気分になった。
「良秋が追っていると思われる、危険な組織。その組織の正体は「Corvus Albus」。通称CAという資産運用会社。でもCAよりももっと上の親玉がいる。それが「八咫烏」。滅多に表に出ない謎めいた組織。ちなみに、今絶対的な支持率を持っている日本推進党もこの組織から生まれたものね」
「はい、知ってます。」
「…!ま、まぁ…、これくらいは知ってるわよね。じゃあこれは?最近、起こってる大手企業社員の殺害事件。これの指揮を執っているのは、CAの内原って男。そいつはCAの中でも結構気に入られていて、高所得層の殺害に関しては一任されている。」
「へぇ…。それは知りませんでした。犯人割れてるなら捕まえないんですか?」
俺が質問すると、彼女は顔を歪める。
「内原は実行犯じゃない。身寄りの無いホームレスに金を撒いて、そいつらに殺しをさせてるから、確実な証拠がいまいち掴めてない。」
殺人教唆は重罪であるが、立証が難しい犯罪でもある。
「それに正直微妙なのよね。さっき高所得層殺害は一任されているって言ったけど、裏にもう一人この計画に噛んでる人がいるっぽいの。内原は所詮トカゲの尻尾でいつでも切れる人間。だから内原を捕まえちゃったら、尻尾切られて、本体は地下に潜っちゃって、今後の動向を掴めなくなっちゃうのよ。だったらせっかく表に出ている尻尾を泳がせて、動きを把握した方が良いでしょ。というかそもそも警察もまともに機能しているか怪しいから、捕まるって結論に至らないかもね」
「なるほど…。」
色んな都合が絡んでるのな…。俺は社会の闇を見た気がした。
「その計画に噛んでる人ってわからないんですか?」
「そうね…。候補はいる。一番有力なのは、日本推進党のNo.2の神城伊月ね」
…え?
「彼は実際の議員じゃなくて、表向きはただの会社員の顔を通しているんだけど、トップの広末直正のブレインとしてかなりの力を持ってる。実際、元々推進党の内部にいた人からなんとか話を聞けたんだけど、神城は集会でも毎回2番目に名前が挙がっている。というか、これは噂なんだけど…」
「ちょ、ちょっと待って!!!」
俺は気づけば勢いよく立ち上がっていた。
三島さんはあまりに突然のことに口をぽかんと開けている。
「そ、その…、に、日本、日本推進党の…、No.2って…」
「ちょ、ちょっと。急にどうしたの?」
「No.2って!」
俺はまともな会話ができなくなっていた。
「No.2は神城伊月。それがどうしたの」
「かみしろ…、いつき…。伊月…。」
俺は虚ろな眼でその文字列を理解しようと努める。だが理解にたどり着こうとすると、猛烈な頭痛が襲う。
「東二君?一旦、座ろ?」
俺は言われるがまま、抜け殻のように腰を下ろす。視界が暗く、霞んでいた。
「話、続けても言い?」
首が勝手に縦に動く。心は全力で拒否していた。
「そう。それでこれは噂なんだけど…、神城伊月は元々八咫烏の人間で、日本推進党に派遣されてきたって話もあるの――。」
元々…、八咫烏の人間…?
そんな悪の親玉みたいな組織に伊月が…?
なんで…?いつから…?
俺の知ってる伊月は…そんな…!
「…君。…二君!東二君!大丈夫!?」
「嫌だ!嘘だ!」
「落ち着いて!とにかく深呼吸!大丈夫だから!」
過呼吸でまともに声が出ない。
俺は涙を流し、約数十分間、その場で現実に押しつぶされていた。
・・・
「はい、お水」
三島さんは水の入ったコップを手渡す。
「…ありがとうございます」
俺は覇気のない声でお礼を言う。
そして緩慢な動きでコップを口に運ぶ。
常温の水が食道を通り、胃袋に落ちていくのを感じる。
俺も、三島さんも、周りにいるウエイターも、誰も言葉を発さなかった。
「………あの…」
そんな硬直化した空気に、三島さんはか細い声で穴を開けた。
「東二君…。話してくれる?」
少し申し訳なさそうに、しかし真実のためには気を遣ってられないという意思を持った発言。
「………わかりました」
しわがれた老人のような声で答える。
俺はもうどうでもよくなっていた。いや、それは少し違うかもしれない。大事な友人が裏の顔を持っていたかもしれないという悲劇を嘆く気力もなく、ただ自分は観客でいたいという気持ちが強くなった。演者の劇を、喜びも悲しみをせずに
俺は浅い呼吸を数度繰り返し、口を開いた。
「…神城伊月は…、俺の友人です。」
「……。そう…。じゃあ、あなたの友人は殺しに加担しているかもしれないってことになるわね…」
三島さんは憐れみの目を俺に向ける。
俺はずっと俯いていた。
「…今日はありがとね。もう帰りましょうか」
気を利かせて、三島さんは立ち上がり、ジャケットを羽織る。
「…待ってください」
その時、俺は彼女を引き止める。
「どうしたの?」
「俺の情報をまだ言ってません」
「いや、それは…。」
彼女は
「…わかった。教えて」
「…12月11日の日曜日。大宮さんが爆破殺人をします」
「は!?」
「これはとある情報筋からのもので、多分大宮さん本人と、僕と、その情報提供者しか知らないと思います。」
「そんなこと…!?」
彼女は頭を抱え、髪を掻き乱して、苦しみ出す。
「でも、僕はもう彼を止める気力はないです。これまで散々巻き込まれてきたんだ。もう、僕の彼女とどこかに逃げて、平穏に暮らしたいと思います。だから、三島さん。できるなら大宮さんを止めてください。11日の日曜、CAのセミナーがあるはずです。そこを大宮さんは狙います。これが僕の知ってる全てです。」
俺はまるで遺言のような口調で話す。
「大宮さんも本当はこんなことしたくないはずです。だから…、お願いします」
そう言って俺はふらふらと立ち上がり、部屋の扉に向かう。
三島さんは俺に見向きをしなかった。
俺はドアの前に着くと、振り返り、「ごちそうさまでした。美味しかったです。」といって、この場を後にした。
これで本当に終わりだ。早く帰って荷造りをしよう。
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