第13話「低燃費人間」

多くの車が往来する夜の街。

どこまでも続いていく赤いランプと点滅する黄色いランプ。

車が横切る度に起こる風がこの冬の寒さをさらに増加させる。


俺は今、日本橋2丁目のコーヒーカフェの前に立っている。

ガラス張りの扉の向こうに見える人の中に俺の見知った顔は見えない。


時刻は19時47分。

家を出てからちょうど1時間かかった。

かなりかかったが、まだここに大宮さんがいるのだろうか。


『日本一の情報屋の情報ですから。信頼してくれて大丈夫ですよ。』


こんなことを言っていたが、果たして信用できるのだろうか。


だが俺の脳に、一人の女性の姿が浮かぶ。

グダグダと考えている時間はない。


俺は意を決して、金メッキの加工が施された取っ手を掴み、奥側に力を入れる。


カランカラン…


軽快な鐘の音とともに、「いらっしゃいませ」という声が聞こえた。

俺は店内を見回す。

そこまで広くはなく、それぞれの客の大体の顔は見えた。


俺はゆっくりと、慎重に店内を歩く。

その時、ある方向から視線を一瞬感じた。

そちらへ素早く向くと、そこには黒いキャップ帽を深くかぶった男性客が座っていた。

その男は露骨なほどに俺とは反対方向を向き、コーヒーをすすっている。


しかしそのコーヒーを飲む仕草は俺が何年も見たことがある姿だった。

俺は無言でその男の席へと近づく。

男はかたくなにこちらを見ない。

俺が男のすぐ近くに立っても、彼は向こうを向いたまま、帽子のつばに手をかけ、深くかぶり直す。

ここまで来てそのあがきは無理だろ。

俺が長年尊敬してきた男にしては随分と情けない行動だった。


「大宮さん」

「…。」


男は何も答えない。


「ここ、座りますね」

「…。」


なにも答えない。


ウエイターが困惑の表情で注文を取りに来た。

「あのー…。相席でよろしかったですか…?他にもお席ございますが…」

「あ、お構いなく。私たち、知り合いなので」

俺は何のためらいもなくそう答える。

「あ!そうなんですね。大変失礼致しました。ではご注文お伺いします。」

ウエイターの表情が晴れる。

「じゃあ…、ホットコーヒーで」

「はい、以上でよろしかったですか?」

「はい、お願いします。」

ウエイターはキッチンへと去って行った。


注文を終えた俺は無視を続けている大宮さんに向き直る。

正面に座っていて、横顔はあらかた見えているというのに、いまだ横を向いている。

そんなにばれたくないことをしているのか。

それともプライドが許さないのか。


どちらでも良い。

俺はアヤノを取り返すためにするべき事をするだけだ。


「あの。いい加減話しませんか?」

「……。」

大宮さんの唇は固く結ばれている。

「じゃあ、こっちが勝手に話すんで。話す気になったら話してください。」


「こちら、ホットコーヒーになります。」

俺はウエイターが丁度良く運んできたコーヒーに口をつける。

少し熱かったが、胃袋から全身を温めていく感覚が心地よかった。


「ふぅ。まずは単刀直入に。大宮さん。あなた今なにしてるんですか?」


「…。」


相変わらず横を向いたままだ。

首が痛くなりそうだが。


「…こんな公共の場で言うのも嫌ですけど、大宮さん。爆破殺人を企んでるそうですね。」


「…!」


大宮さんは唇を噛んでいる。


「あなたはそんなことをする人ではなかった。少なくとも私が見てきたあなたは。11月の後半からあなたは変になった。その近辺で何かあったんですか。」


「……っ」


大宮さんは唇を震わせている。

あと一押しか。

だが俺が今持っている大宮さんの情報はこれくらいしかないな。


……少し鎌をかけてみるか。


「実は、大宮さんが休み始めてからすぐに、職場のビルで放火事件があったんですよ。犯人はビルを担当していた清掃員の男。その男は供述で、謎の集団に声をかけられ、放火を実行したと言っていました。どうも実行のタイミングが怪しいんですよね。大宮さんが居なくなってから2日後に起きたんです。これって…」


「違う…!あれは俺は関係ない…!」


大宮さんは急にこちらに向き、悲痛な掠れ声で言ってきた。

「おっ。やっと喋ってくれましたね。関係ない?てことは、他になにかあるんですか?」

「あ、いや…」

大宮さんは下を向き、またも帽子を深くかぶり直す。

完璧超人であった大宮さんがここまで小さく見えるとは。敬意が少し下がると同時に、彼も同じ人間なんだという親近感にも似た感情を感じる。

「………大宮さん。話してください、すべて。あなただっていくら復讐でも罪のない人を大量に殺すなんてことはしたくないはずです。もし俺にできることがあるなら協力しますから。」

俺は心からの思いを伝える。

大宮さんは震えている。なにかに葛藤しているのか。


1分間弱下を向いて無言だった大宮さんは、何かを決めたように顔を上げ、ゆっくりと口を開く。

「……ありがとう…、達川。やっぱりお前は良い奴だな」

大宮さんは微笑を浮かべていた。

「じゃあ…」

「でもダメだ。もう引き返せない。」


即座に言葉を切られた。

対面の男の先ほどまでの優しい笑顔はすぐさま消え去り、代わりになにも感情が見えない、仮面のような真顔が張り付いた。

「えっ…、引き返せないって…」

「別に今まで俺がしてきたことを話すつもりはないし、話したところでなにも変わらないよ」

淡々と話す目の前の男が俺は大宮さんとは思えなくなっていた。

「なんで…。そんなに俺を信用できないですか!?」

「信用とかの話じゃない。お前を巻き込みたくないんだ。話せばお前も外野にはいられない。」

大宮さんは何を知ってるんだ…?

先ほどまで自分だとばれないようにあがいていた情けない男の姿はなく、かといって俺の理想としていた完璧な上司に戻った訳でもなく、何かを諦めた虚ろな人物が座っていた。

俺は底知れない闇をはらむ彼の目に吸い込まれそうになり、背筋が凍る。

それを溶かすように俺はホットコーヒーを流し込む。

しかしそれでも震えは止まらない。

歯がカチカチと音を立てる。



「だが…、一つだけなら話せる。…聞きたいか?」

大宮さんがおもむろに話す。

何かを絞り出して出た一言。そんな感じだった。

その口調は少しだけ優しさを取り戻しているように聞こえた。


はい。聞かせてください。


俺は有無を言わさず、そう即答したかった。

だが男の目の闇を前にして、俺は怖じ気づいてしまっていた。


本当に聞いて良いのだろうか?

俺は自分を冷静に俯瞰ふかんした。


俺は身の回りでCAに関する事件が起きていて、成り行きで追っているに過ぎない。

目をつむれば、平穏な日常が送れるのだ。


しかしこのまま帰って、あの情報屋はアヤノを返すだろうか。

『大宮良秋と会うこと』。この条件は言葉通り受け取るなら既に達成している。

だがあいつはこうも言っていた。

『世界が動く様を。あなたならやってくれる』

このまま何の情報も得ず帰ることは、あいつは望んでないだろう。

そうなれば、また俺を利用するために、アヤノが危険に晒される可能性も大いにある。


俺は必死に考えた。どうすればベストか。

そして俺は決心し、一つの答えを出す。


「………聞かせてください。」

重々しく言葉を発する。


「これですら、あまり話したくない。それでも聞きたいか」

大宮さんはまっすぐ俺を見る。


「……はい、お願いします。」

「…………わかった。」



お互いに強い意志を持った目で見つめ合った。



その時間はとてつもなく長くも短くも感じられた。


そして大宮さんは周りに聞こえないように小さく、しかし重く心に響く声で、話す。




「CAの目的は、国民の思考力を奪うことだ」



国民の思考力……。

何を思い、どう考えるか。その力を奪う。

それをしてどうしようというのか。


「思考力を奪って、どうしたいんですか」

俺は続けて質問する。

大宮さんは顎に手を当て黙り込む。

常にどこまで話すべきかを考えているのだろう。


「思考力を奪って…、『低燃費人間』を作る。それが目標だ。」


……低燃費…人間…?


「なん…ですか?その…低燃費人間ってのは」

「単なる造語だ。CAがそう呼んでいるに過ぎない。これを増やして、日本を平和にすると言っている。」

「どういう事ですか。なんでそれで平和になるんですか!」

俺は徐々に熱が上がる。

「…もうダメだ。これ以上は話さない。」

「どうして!」

俺はテーブルに手をつき、立ち上がる。

ドンという音が店内に響き、遠くにいた客が驚いた表情をする。


「……うるさいぞ。静かにしろ。」

「だって…!」

「……もう帰る。」

そう言って、大宮さんは伝票を手に取り、コートを着て、会計へ向かう。

「待ってください。お願いします。」

「フン。さっきまで怯えてた癖に、えらくズケズケ聞いてくるな。そんなに知りたいなら、後は自分で探せ、達川。」

大宮さんは素早く会計を済ませると振り返ることなく、店を出て行った。


カランカラン…


軽快な鐘の音とともに、「ありがとうございました」という声が聞こえた。

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