第12話「アドホックワーク」

「やっぱ、返ってこないか…」

スマホの画面を見つめて俺はため息を吐く。

トーク画面から既読の二文字が付く気配は一切なく、時が止まっている世界にいるような感覚を覚える。

職場で鳴り響く、耳が痛くなるような電話のコール音が、なんとか俺を現実に留めていた。


——先日の葬儀で遭遇した黒づくめの人物。

その正体は大宮さんだと俺は思った。

確信は持てないが、おそらくそうだと思う。


だがその理由がわからない。

なぜ畑島さんの葬儀場に来たのか。

なぜあんな身を隠すような格好をしていたのか。

何一つ結びつかないことに頭を悩ませる。


あの日から2日経っているが、徐々にあの人物の正体は大宮さんではなく、俺の思い違いなのではと考え始めていた。


確認のために本人にメッセージを送っても返ってこない。


…忘れるべきだろうか。

いや、それで簡単に忘れられるならここまで悩んでいない。



テュルルルル…、テュルルルル…、


そんなとき俺のプライベートスマホが鳴った。

この時間帯に電話?アヤノか?

画面を見ると、知らない番号からの電話だった。

怪しかったが基本的に俺は電話に出ることにしているので、通話ボタンをタップした。


「はい。」

「あ、こんにちは。達川東二さんですか?」

「はい、そうですが。」

中性的な声、友達の家に電話をかけて親が出た時のような口調。男女の判別も出来ない。

「自分、達川さんに伝えたいことがありまして」

「伝えたいこと?営業なら結構ですが」

「違います違います。あなたが興味を持ってるCAのことについてです。」

その瞬間、俺の心臓がドクンと強く鼓動を打ち、多くの血流を全身へ巡らせた。

「……それが、何か」

「一つあなたに情報を提供しようと思いまして」

「なんで急に?あなたの意図がわからないんですけど」

俺が質問すると、電話越しに薄笑いが聞こえた。

「まぁそんな警戒せずに、気楽に聞いてくださいよ。別に見返りとか求めませんし。ラジオでも聴いてる感覚で聞いてください。」

なんだそれは。ますます意味がわからない。

「からかってるなら切るぞ。お遊びに付き合う義理はない。」

見えない相手に語気が強くなる。

「あーもう、面倒臭いな…。わかった、わかりましたよ。私があなたに電話した経緯を話したら聞いてくれます?」

「それはこっちが判断する。」

電話の相手はため息をつきながら、「まったく…」とぶつぶつ小言を言っている。


「私は情報屋なんです。私はあなたが想像もつかないほどの膨大な情報を有しています。だからあなたがなにかと巻き込まれるCAについてももちろん知っています。それをあなたに教えたくて電話したんですよ。」

相手は「これでいいんだろ?」と言わんばかりの口調で話す。

「なんだそれ。意味がわからない。お前にメリットないだろ。」

俺は当たり前の疑問を投げかける。

「あなたに私の情報を教えることで、私は面白いものを見れるんですよ」

面白いもの?

頭にハテナが浮かぶ。相手は続けて話す。

「世界が動く様を。あなたならやってくれる」

夢を語るかの様子で話す相手に俺はイライラが募っていった。

「いい加減にいてくれないか。話が見えないんだよ。いきなり電話かけられて情報屋?しかも見返りを求めないで世界が動く様とか、やばい人にしか見えないだろ。こっちの身にもなってくれ。」

俺は社内であることを忘れて、声が熱くなってしまった。

周りの人間は俺をいぶかしげに見る。

俺は頭を下げ、パソコンモニターで顔を隠す。

「………そうですね。ごめんなさい。私はあなたの立場で考えられていなかった。」

相手はすんなりと謝る。

俺は拍子抜けだった。

「あ、あぁ。わかってくれたなら…」


「まあでも、明日には聞いてくれるでしょう」


は…?

「お前…!まだ懲りないのか。」

「懲りる懲りないの話ではないですよ。じゃあ、また明日電話しますね」

プツッ

プー…、プー…、プー…――。

相手はそう言い残して、即座に電話を切った。

「なんだったんだよ…」

俺は真っ暗なスマホの画面を見つめるしかなかった。


***


今日も窓際社員としての仕事が終わり、俺は一人家に向かって歩いていた。


『まあでも、明日には聞いてくれるでしょう』


この言葉が頭の中にガムのようにこびりつく。

何をもって俺が情報屋を名乗るあいつの言うことを聞くのだろうか。

あそこまできっぱり言われたら、冗談で笑い飛ばすにもできない。

何か俺に危険なことが起こるのだろうか。


色々考えているうちに、俺は家のドアの前に立っていた。

もう着いたのか。


俺はポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。

そして時計回りに回す。しかし開いた感触がなかった。

あれ?

俺はすぐさま鍵を回し戻し、反時計回りに回す。


ガチャン


開いた。そう思って鍵を抜き、ドアノブに手をかけ、こちらに引っ張る。

開かない。

俺はもう一度、鍵を差し、時計回りに回す。


ガチャン


今度こそ開いた…?

もう一度、ドアを引っ張る。

するといつものようにドアが開き、玄関が姿を現わした。


俺、疲れてんのか?

ドアを開けるのに手こずるなんて。


「ただいま」

俺はいつものようにアヤノに帰りを知らせる。

…………。

返事がない。聞こえなかったかな。

「ただいまー」

…………。

ん?またもや返事がない。

「居ないのか?」

アヤノが居ないなんて珍しい。

父親の会社の手伝いにでも行ってるのだろうか。

しかしそれなら連絡の一本くらいすると思うが。


俺は廊下を抜け、リビングに行く。

真っ暗で人の気配はない。


照明をつけるが、あるのは家具やテレビだけ。

静かな部屋が広がっていた。


俺は少し焦った。今まで普通に居たはずの人間が突然いなくなることに。


スマホを取り出し、アヤノにメッセージを送る。

一応、返信を待とう。

10分経って返ってこなかったら電話しよう。


そして俺は返信を待つ間、アヤノが外に出る可能性を模索する。


買い出しは…、昨日買いだめしたから必要ない。

だが足りないものがあったとかなら可能性はあるか…。


誰かと出かけているというのは…、おそらくない。アヤノは自分で「友達少ないし、基本インドアだから」と言っていた。


あとは…、思いつかない。

彼女と言ってもまだ一週間とちょっと。彼女を完璧に理解しているとは言いがたい。


俺は足りないものがあって買い出しに行っているという可能性に決めた。


それでも不安は拭えない。

俺は何があっても良いように、とりあえずスーツから普段着に着替える。

そしてそれ以外はスマホを片手に握り、自室のデスクチェアに座ってアヤノからの連絡を待った。


壁に掛かってる時計を見つめる。

秒針が一つ進むのが10秒ほどに感じられる。

返信を待つ時間はいつになく長く感じられた。


  ・

  ・

  ・


連絡を送ってから7分。いまだスマホは震えない。

時間が進むにつれ、不安は大きくなる。


徐々にいてもたってもいられなくなっていた。

その時、デスクの上に置いてあった鍵が目に入った。


鍵…。そういえばさっき…。

俺は鍵を開けるのに手こずったシーンを振り返る。


最初、いつものように鍵を回すと感触がなく、逆に回すと音がした。

そして開かなかったということは、鍵を閉めたことになる。


つまり最初から鍵は開いていた…?


アヤノが買い出しに行く際に閉め忘れたのだろうか。

可能性としては全然あり得る。

だが「元々鍵が開いていた」という事実は俺の不安を急加速させるには十分すぎるものだった。


すぐさまアヤノに電話をかける。


テュルルルル…、テュルルルル…、

テュルルルル…、テュルルルル…、

テュルルルル…、テュルルルル…、


「おかけになった電話は電波の届かない場所にいるか電源が入っていないためかかりません」


……繋がらない。


身体の内部から冷えていくのを感じる。

対して表面は物凄く熱い。

身体を冷やすまいと血液が物凄いスピードで循環している。


「頼むから無事で居てくれ…」


俺の本心が口から漏れ出た。


ブー、ブー、ブー、


スマホが震えた。

画面を見る。


「アヤノ…!」


俺は通話ボタンをタップする。

「大丈夫か!アヤノ!」

「あー、もしもし?今日のお昼ぶりですね、達川さん。」

その声は中性的だった。スマホから聞こえる声に俺は頭が真っ白になった。

「明日またかけようと思ったんですけど、案外早い再会でしたね。」

「な、なんで、アヤノの携帯にお前が出るんだ…。」

俺はかすれた声で問う。

「いやー。情報屋っていうのは楽ですね。自分のしたいことが思うがままにできる」

相手は軽やかな声で鼻歌交じりに話す。

「アヤノっていう人をこちら側に連れてくれば、あなたは私の言うことを聞くと耳にしましてね。知り合いのちょっと怖ーいお兄さんたちに攫ってきてもらったんですよ」

「アヤノに何をした!」

「別になにもしてませんよ。ただ拘束しているだけ。私はグロいのもエロいのも好きではないので。私の目的はあなたが私の言うことを聞いてくれることです。」

「………何をすれば良い。」

「そうですね…。まずは昼に話しそびれた情報でも提供しましょうか」

「そんなのはいいから、早く何をすれば良いか…」

「あなたに決定権がおありだと?」

相手は声が低くなった。

「アヤノさんの処遇はこちらが決められるんです。それは綺麗な方ですからね。闇市にでも売り出せばかなりの額に…」

「わ、わかった…。わかったから、やめてくれ…」

「じゃあ話しますね」

相手は軽やかな口調に戻った。


「あなたはCAと日本推進党の繋がりを知っていますか?」

「まぁ、なんとなくは…。これっていう根拠はないけど、広末直正の動画を見たときにCAを激推ししてたから…」

「そうですね。実際にその両者は繋がっています。じゃあそもそもなんでこの両者は繋がることになったんでしょうか?」

「いや…、それがわからないから困ってるんだろ。」

「そう。あなただけじゃない。メディアも現政権も、確たる証拠を掴めないから困ってる。現政権なんか、このままいけば次の衆議院選で負けるのは確実だからって血眼になって証拠探ししてますよ笑」

ケラケラと乾いた笑い声がする。

「それをまずお教えします。なんで繋がっているのか。」


「それは両者が元々同じ親組織から生まれたものだからです。」


元々同じ…?

「…CAと日本推進党は同じ親をもつ子組織だって言いたいのか?」

「そうです。だからなんで繋がっているのかとかいう以前に、元々同じところから生まれたものなんです。」

そうだったのか。でもさほど驚きはなかった。というより規模がでかすぎて現実味がなかった。

「最初はCAが先に生まれたんです。でもたかが一会社ではできることが少ない。だから政治に潜り込ませようと政党を作ったんです。」

政治に潜り込ませる。この言葉で悪いことを企んでいなかったことはないだろう。

「親組織は何をしようとしているんだ?」

「それは私もわかりません。情報屋としては不甲斐ないですが、親組織の情報は滅多に入ってこないので。でも親組織の名称ならわかります。」

「なんて言うんだ?」

相手は一つ息を整える。


「『八咫烏』って言うそうです。」


「八咫烏!?」

俺は思わず大きい声を上げる。

銃自殺をした男から渡されたカード。その差出人は八咫烏だった。


「ご存じなんですか?」

「いやまぁ…。聞いたことがある程度かな…。」

俺は必要以上に情報を与えたくないと思い、適当にごまかした。

「……そうですか。まあいいや。話を戻すと、CAと日本推進党は同じところから生まれたので繋がってるっていうことです。で、ここからが伝えたい情報なんですが…」

「え?まだ終わってなかったのか?」

「そうですよ。今までのは前振りです。ここからがあなたに関係する話ですよ」

俺に関係する話…。

俺は全神経を耳に集中させる。


「来週の日曜日。12月11日です。ちょうど衆議院選挙の投票日ですね。この日にあなたの尊敬する上司である大宮良秋さんが人を殺します。」


は?


「ちょ、ちょっと待て!今なんて…」


「大宮良秋さんが人を殺すんですよ。大体…、200人くらい」


俺は絶句した。200人を殺すなんて正気の沙汰ではない。

「実は12月11日にCAのとあるセミナーがあるんですよ。高所得層プラン限定の。実はそのセミナーに登壇する人っていうのが、大宮さんの追っている復讐対象なんです。あの人思ったより優秀で、もうそんなことまで掴んじゃってるんですよ」

復讐対象。やはり大宮さんは道徳から外れたことをしようとしていたのか。

あの執念の目が脳裏によぎる。

「で、本来ならその登壇者だけ殺せれば目標達成なんですけど、その人が一人になるタイミングがなくて。ならいっそ会場ごと爆破すればいいやって計画立ててるみたいですよ」

「あの人がそんなことするわけ…。罪のない人をそんなに殺すなんて考える人じゃない!」

俺は声を荒げた。しかし相手は乾いた笑いで受け流す。

「今のあの人は単なる復讐魔ですよ。良心なんてないです。」

俺は何も言えなかった。

いつも優しくしてくれた。クソみたいな理由で仕事から逃げている俺を庇ってくれた。あんなにも頼りになる存在だった大宮さんが…。

俺の記憶にいる彼が間違っていたのだろうか。

そんなことは考えたくない。


「実際に会ってみますか?」

「…え?」

不意に聞こえてきたのは意外な提案だった。

「実はあなたにまずやっていただきたいことがこれです。大宮良秋と会うこと。これをすればアヤノさんはお返しします。」

「…それで本当にいいのか?本当に…」

「ええ。彼は今、日本橋2丁目のカフェに居ます。しばらく動くこともないでしょう。日本一の情報屋の情報ですから。信頼してくれて大丈夫ですよ。では」

プツッ

プー…、プー…、プー…――。


一方的に話されて電話を切られた。

だがその態度に苛ついている暇はない。

時刻は18時48分。

アヤノを返してもらうためだ。すぐに行こう。


俺は上着を羽織ると玄関に向かい、日本橋へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る