第9話「遭、合、愛」

「こんにちは…。アヤノさん」

アヤノさんからの電話があった翌日。俺はアヤノさんに呼び出された。

「達川さん。来てくれてありがとうございます。」

アヤノさんも今日は元気がない。


「あの。ご友人の件は…、大変ご愁傷様です。」

「あ、はい…。お気遣いありがとうございます…。」

アヤノさんは目を伏せる。

「やっぱり今日はその件ですか…?」

「まあ、それもあるんですが、メインの用件は別です。」

あ、違うのか。俺は想定外の展開に少し驚いた。

「実は今日、達川さんをお呼びしたのは、達川さんにお願いがあるからです。」

「お願い?なんでしょう」



「私と同棲してください。」



……………。

「ドウセイ?」

「はい。一緒に住んで欲しいんです。」


俺はオーバーヒートというものを初めて体感していた。

身体は爆速で火照り、冬にもかかわらず汗が噴き出す。

脳内では電気信号が駆け巡る。あらゆることを考えるが、結局何を考えていたのかわからなくなり、「あ、え、いや」としか言葉が出ない。


「達川さん?大丈夫ですか?」

「え、あぁ。大丈夫ですよ。」

大丈夫ではない。

「そっか。良かったです。確かにいきなりこんなことを言って困惑させてしまいましたよね」

本当だよ。

嬉しいけど。


「実は同棲してほしいのには理由があって。」


「最近、私をけている人がいる感じがするんです。」


尾けられてる?

その話で俺はようやく頭の熱が冷め、ある程度話せるようになった。

「それはつまり、ストーカーってことですか?」

「わかりません。外出するときは必ず後ろに人がいて、いつも私の進む方向と同じなんです。かといってその人を問い詰めるのも怖くて…」

アヤノさんはか細い声で言う。

「なるほど。それで僕と同棲を考えたんですね」

「はい…」

「いきなり同棲するのはどうなんですかね?アヤノさんが外出する時にできる限り僕が付き添うとかでも良いんじゃないですか?」

俺は今すぐにでも同棲したい気持ちを噛み殺し、一応の建前として現実的な提案をした。

「でも家にまで来られたらと思うと不安なんです。昨日の件もあって精神的にもキツくて…」

確かにそうだ。俺の予想以上にアヤノさんの恐怖は大きいだろう。


ていうかそもそも…

「あの、ストーカーの被害はいつ頃からですか?」

大事なことを聞いてなかった。

「今週の月曜日からです。達川さんの体調が悪くて帰られた日の次の日からです。」

なるほど。あの日、アヤノさんの返信が遅かったのはこれが原因だろうか。

「わかりました。ただし、まずは一週間お試し期間としましょう。それで何か問題が起きれば中止するって形で。」

「はい。それでも凄い助かります。よろしくお願いします。」

アヤノさんの顔は少し明るくなった。

「それで住む家なんですけど…、どっちの家にしましょう?僕の家は、まあ…二人住むには少し狭いですけど住めないことはないって感じです。」

「あ、それなら私の家でどうでしょう。私の家、一つ余っている部屋があるので、そこで良ければ。ちなみに下北沢に住んでいるので、達川さんは少し通勤が楽になるかもですね?笑」

アヤノさんがからかうようにクスッと笑う。

アヤノさんも俺との同棲を楽しみにしてくれているのだろうか。


俺の中で何かがうごめいた。

彼女に対しての特別な感情。


なに考えているんだ。ストーカーに怯えている相手にこんなことを伝えるなんて。

少なくともタイミングは今じゃない。


しかし彼女の笑顔を見る度、思いの圧力は強まっていく。

理性というストッパーはもはや機能しなくなっていた。



「アヤノさん。僕たち、正式にお付き合いしませんか。」



気づけば俺は声を発していた。

最低だ。

俺は言った後でひどく後悔する。

ストーカー被害に遭い、追い打ちをかけるように友人を失っている彼女に付け込むような告白だなんて。


「……はい」



「えっ?」

俺は聞こえた答えに現実味を持てなかった。


「…私も、達川さんともっと一緒に過ごしたいと思っていました…。だから、こちらこそよろしくお願いします。」


アヤノさんは顔を赤らめている。


「ほ、本当に良いんですか!」

「はい。私、達川さんの前だとちゃんと素を出せるんです。それは達川さんが積極的に私と話そうとしてくれるから。達川さんが優しい人だっていつも伝わってきます。それに私はホッとするんです。」


俺はただアヤノさんのことを知りたくて話しかけていた。時にはしつこいと思われていないかと不安に思うこともあった。

だけどこんな風に思ってくれていたなんて。


俺は今までで感じたことのない嬉しさを感じていた。

初めて恋愛してると感じた。大学時代のなんとなくの恋愛とは違って。


「ただ…、付き合うには条件があります。」

アヤノさんはまっすぐ目を見つめる。

条件?


「お互い、下の名前で呼び合う。敬語もなし。どうでしょ…、どう?」

なるほど。可愛い条件だな。

敬語で呼び合うのも大人の恋愛っぽかったのに。


「いいよ。これからよろしく。アヤノ。」

「よろしく。東二。」


***


「え…、マジ…?」

俺は一人たたずむ。

「何してるんでs…、何してるの、早く入って。」

部屋の中からアヤノの声が聞こえる。


大理石タイルの玄関、すぐに見える正面には広々としたリビング、右にはリビングより少し小さい位のベッドルーム、そしてすべての部屋に大きい窓。


東京でこれって、家賃エグくないか…。


俺は無意識に腰が低くなりながら、リビングに上がる。


「実はアヤノってお金持ちだったりするの?今まで仕事の話とかしてこなかったけど」

俺はキッチンにいるアヤノに話しかける。

「私、不動産持ってるの」

「あ、そうなの!?」

俺は驚嘆の声をあげる。

「そう。私の祖父が持ってたもので私が継いだんでs…、継いだの。そこにビルを建てて、テナントを貸してる。そのお金が入ってくるから、それで生活してるんだ。」

本当の勝ち組っているんだ…。

「とりあえずそこ座って。飲み物はお茶で良い?」

「あぁ、ありがとう」

俺は言われたように、明るい緑色のソファに腰掛ける。


・・・


「じゃあ今は働いてないの?」

俺はアヤノが出してくれた暖かい緑茶をすすりながら聞く。

アヤノは否定の意を込め、手を横に振る。

「さすがに全く働かないのはマズいから、父の会社の手伝いをしてるよ。主に会計業務。税理士さんとのやりとりとかだね。」

「すごいな。俺より数倍稼いでるでしょ。」

するとアヤノは少し頬を膨らませる。

「そんな見方しないでよ。自分がいくら稼いでるとかあんまり考えないようにしてるの。父がお金に凄い厳しい人で、小さい頃よく怒られたから。母が私を甘やかして多めの小遣いとかあげるともうカンカン。『使うお金は生きられる分で十分。それ以上のお金は人のために使え』って」

「へぇー。怒るのはともかく良い考えだと思うけどな」

「そうなんだけど、人のためにお金を使うって難しくない?」

「そうかな?色々あるんじゃない?募金とか。あとは色んな観光地に旅行して、そこでお金をいっぱい使うのも、観光業を盛り上げたっていう意味で人のためとも言えるし。」

アヤノは顎に手を当てる。

「確かに。そういう考え方もあるね…」

アヤノは難しい顔をして考え込んでしまった。

「い、いや、そんな難しく考えなくても良いよ」

「あー、ごめんごめん。」

ハッと頭を上げ、アヤノは笑いながら謝る。


「じゃあそろそろ本題に入ろう。ストーカーの件だけど、俺は今後どうすれば良い?」

俺はこの同棲の目的を思い出し、本題を振る。

「そうだね。話さなきゃね」

アヤノは真剣な顔つきになった。

「東二にお願いしたいことは私が外出するときに一緒に付き添って欲しいかな。それだけでストーカーには効果あると思うし。」

「わかった。でも俺も一応仕事あるし、その時間帯はどうすれば良い?」

窓際社員だけど。

「大丈夫。その時間帯は私は外出しないから。まぁ、もし家に乗り込まれたら電話するかもだけど」

アヤノは親指と小指を立てて、電話のポーズをする。

「OK。ストーカーの件はこれで良いね。あと…」


「アヤノの友人の件なんだけど…。ほんと大丈夫?昨日、亡くなった連絡が来たばかりなのに俺と居て。なんか近々葬儀とかあったりとかは…」

俺は聞きにくいながらも聞かなければと思って切り出す。

するとアヤノは顔に影を落とす。やはり心の傷は深いようだ。

「まぁ…、昨日の今日だから、まだ葬儀とかの話はないけど、おそらくあるだろうし、あるなら行く。でもこんな時だからこそ、東二が居てほしいの」

アヤノはお茶を一口飲む。

「一人だと色々考えちゃうから。東二が居てくれるだけで助かる」

その言葉を聞いて俺は一層彼女のためになりたいという思いが強くなった。

「わかった。辛いと思うけど、いつでも俺を頼って良いから」

俺はアヤノに微笑みをかける。


「ありがとう、一週間よろしくね」

「うん、よろしく」――







この同棲が俺の人生を大きく狂わせることを、この時の俺はまだ知らなかった。

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