幕間2「委ねの代償」

「そこをなんとかならないですか。」

俺は机にひたいがつくくらい頭を下げる。

「あのね…良秋。いくら長い長い付き合いのあんたでもそんなバカなお願い聞けるわけないわよ」

そう言って早希さんは紅茶をすする。


――目の前にいるのは三島早希みしまさきさん。俺の大学時代の1個上の部活の先輩で、今でも飲み仲間である。早希さんは現在検察官として働いている。司法試験を突破するほどの頭の良さと、面倒見の良い性格から、誰からも慕われている。またかなりの美人で、年を重ねるごとに増していく大人の魅力に、彼女を狙っている同僚の数は底知れないという。しかし本人に結婚願望は一切ないらしく、仕事以外興味がないらしい。


「…本当にダメですか」

俺は顔を上げずにもう一度頼み込む。

「頭上げなさいよ。」

早希さんは頭を上げた俺の耳元にささやいた。

「あのね、検察の捜査資料を外部に漏らすなんて犯罪以外の何物でもないのはあんたにもわかるでしょ。こんなカフェで話すことすら恐ろしいくらい。あんたが元上司のかたきを討ちたいっていう気持ちはわからなくはないけど、そんな私情で捜査資料なんて見せられないの」

「すいません…」

早希さんは「はぁ」とため息をついた。

「その…西家さん?その人が殺されたっていう話はどこで知ったの?」

「…つい先日、訃報の手紙を貰って。そこでまず亡くなったことを知ったんです。それで元同僚に連絡したら、殺人の可能性があるって。そしてこの前、西家さんの葬儀があったので行ったんです。そこで元同僚の…ゆうに詳細を聞きました。」

「優くんね。それで?」

「西家さんは車にはねられての事故死と処理されたそうです。でもその捜査を担当した刑事さんの一人が事情聴取の際にぽろっと『やっぱおかしいんだよな…』と言ったそうです。それに引っかかった優はその刑事さんにおかしい理由を聞きました。」

俺は深呼吸をする。


「刑事さんが言うにはおかしい点はいくつかあるみたいです。例えば、轢いた車を運転していた人は実はアリバイがあって、物理的に西家さんを引くことは不可能なんです。ほかにも事故現場とされる場所は閑静な住宅街なんですけど、近くの住民に話を聞いても、その時刻に急ブレーキ音といった大きな音は一切聞いていないとか。そんな感じで交通事故で考えるのは無理があるんです。でも…」

「でも?」

「警察の上層部がかたくなに事故として処理する動きをしているらしいんです。なにか大きな力が事件を揉み消そうとしているように」

「…」

「だからそんな理不尽は許せなくて…!それで俺は…」

「良秋」

早希さんが俺の言葉を遮る。


「あんたはヒーローにでもなりたいの?」

早希さんの目が虚ろになっていく。眼球だけが光を反射しなくなった。

「仮にそんな大きな力が働いているとして、それを解き明かしたらあんたは何が得られるの?正義を貫いた達成感?他人からの賞賛?そんなもののために大事な家族を犠牲にするの?」

「………犠牲にはしません」


パンッ!


その瞬間、俺の左頬に鋭い痛みが走る。

「ふざけないで!今の時点で十分家族に負担になってるわよ!その西家さんとかいう元上司が殺されたからって、その犯人捜しのために家族との時間を捨てて、さらに危険にさらすの!?もし本気で言ってるなら、あんたの人間性終わってるわよ!」

カフェに大きな怒号が響く。幸い客はいなかったが、店員が全員こちらに奇妙な視線を送っている。

「…すみません」

早希さんは店員たちに頭を下げると、俺に向き直った。

「いい?今すぐやろうとしていることをやめて家族のところに戻りなさい。会社にも。そして平穏な生活を送るの。それが家族を持ったあんたが果たすべき責任よ」

「……………」

俺は何も言わなかった。自分の行為が愚かなことなんて知ってる。だが家族を捨てるつもりもない。すべてを守って、解決するだけだ。

「……しばらく連絡してこないで。今日は帰る。」

早希さんは千円札を机に置くと、コートを羽織りながら出て行った。


***


「手がかりは掴めず…か」

俺はボソッと呟く。

これからどうしようか。西家さんの奥さんを尋ね、事件当時の西家さんの行動を把握しようとしたが、自由人ゆえいつもどこにいるかわからないと言っていた。他の元同僚たちに聞いても同じような返答だった。

となると西家さん側からのアプローチは厳しい。やはり事件の裏に潜む大きな勢力の実態を掴むしかない。

俺はスマホを取り出し、あるサイトに飛ぶ。

「株式会社CAグループ…」

俺の心当たりはこの会社だ。最近ブームになっている資産運用会社。今一番勢いがある日本推進党との繋がりも見受けられる。

一週間後に迫った衆議院選挙で多くの議席を獲得すれば、さらに大きな力を持つことになる。

ここに何かしらの形で潜り込めないだろうか。

俺は頭を悩ませる。



「あのー…、すみません。」


突然目の前に人影が現れた。

「大宮良秋さんですね」

「…誰ですか。あなたは」

目の前の人物はニット帽に黒サングラス、マスク、黒ジャージ上下。不審者と言ってくださいというような格好だ。性別は女だろうか。中性的な声をしているため、いまいちわかりづらい。

「実は大宮さんに良いお話がありまして」

「マルチなら結構です。」

「違いますよ。今あなたが一番欲してるものを提供致します」

「一番欲しいもの?」

「はい。あなた今、西家大智さんが亡くなったことについて調べていますね?」

俺は目を見開く。物凄く図星の占いをされた気分になった。

「西家さんが実は殺されたのではないか。そんな疑念を持っていらっしゃる。そうですね?」

俺は頷かなかった。だが読み取れるほど表情に動揺、期待といった感情を表してしまっているだろう。

「私はあなたに情報を売ります。私は情報屋なのである程度の情報はご提供できるかと思います。」

「情報屋…ね。いくら払えばいいんだ」

「さすが大宮さん。決断が早い。ですが私はお金はいらないんですよ。別のもので支払っていただきます」

「別のもの?」

「あなたの銀行口座、そして紐付けているクレジットカード類です。」

銀行口座?クレジットカード?

「それって結局金じゃないのかよ」

「いえ。お金とは少し違います。私はあなたの『決定権』が欲しいんです。」

「どういう意味だよ」

「日本国民はあまり投資をしません。大体の人は銀行口座を貯金箱のように捉え、そこでお金の管理をしている。あなたも例に漏れずその一人です。なので何かお金が必要になったとき、銀行口座から引き出す、引き落とす行為をしています。」

女は淡々と説明するが、話がいまいち見えてこない。

「つまり銀行口座が失われれば、お金に関する決定権がなくなるも同然。私があなたの銀行口座を手に入れれば、大宮さんの、はたまた大宮さんのご家族の経済を私が操ることが出来るんですよ。」

確かにその通りだ。だがそれは…

「それって結局金じゃないのか?お前は俺の資産で豪遊とかをするってことだろ?」

「まさか。そんな下品なことはしません。約束しましょう。私があなたの口座からお金を引き出すことはしません。あなたはお金が必要になった際、私に連絡してくれればいいんです」

「それってお前に何のメリットがあるんだよ。ただ俺が面倒くさいだけじゃないか」

俺は頭をポリポリとかきながら言った。

「それはあなたに教える義理はありません。さぁ、買いますか?」

女はマスク越しでもわかる笑みを浮かべてこちらを見る。


俺は腕を組んで考える。

銀行口座か…。お金が必要になったときにこいつに連絡して、それを素直に聞き入れてくれる保障はない。引き出しを差し止められれば、貧乏生活だ。あまりにもリスクが高すぎるな…。


「やめておく。」

「あら、そうですか」

女は拍子抜けした声を出した。

「あぁ。リスクが高すぎて、どんなに良い情報でも割に合わない。だから今回は断る。悪いが帰って…」


「そうですよね!そういうと思いました!」

突然女が大きな声を出す。

俺はびっくりして尻が少し浮いてしまった。

「な…なんだよ…」


「大宮さんがまともな人かをチェックしたかったんです。リスクを想定出来る人間かどうか。」

「い、いや。あんな無茶苦茶な提案、少し考えれば誰だって…」

言い切る前に女は胸ポケットから封筒を取り出し、中身をテーブルにぶちまけた。


その中身は大量の通帳、キャッシュカード、デビットカード、クレジットカードだった。

俺は唖然とする。

「今の日本にはこんなにも盲目的な人がいるんですよ」

女は狂気じみた声で話す。

俺は偽物だと疑ったが、すべて本物のようだった。


「大宮さん。あなたはちゃんと考えられる人です。そして、そういった思考力と金銭の余裕には相互関係があると私は考えています。高い思考力が豊富なとみを形成し、豊富なとみが思考力を鈍らせない。」


女の演説を俺の脳は強力な掃除機のように吸い込んでいく。

「あなたにはタダで情報を提供しましょう。この封筒にあなたの欲しい情報がすべて入っている。」

女は大きな茶封筒を机に置く。

「では私は行きます」

「え!いや、なんで急に…」

「…あなたならたどり着きますよ。私のタダがその証拠。」

女はぶちまけた中身を片付けると、スタスタと店を出て行った。


俺はただ出て行く女の背中を眺めることしかできなかった。


***


あの情報屋を名乗る女。正体も目的も一切わからなかった。

だが運が良い。なかった手がかりが突然手に入った。


俺は受け取った茶封筒を開ける。

興奮が高まってきた。手が震える。


封筒の中身を出すと、複数の書類と写真が出てきた。


ザッと見、西家さんの捜査資料といった所か。

事故現場の写真、西家さんの素性、相手方の素性がまとめられている。


あまり有益な情報は…、ん?


ふと目にとまったのは、事故が起こった経緯が記された書類。


「11月4日午後6時48分。被害者は日課であるランニング中に、信号無視した車に轢かれ即死亡。」


ランニング中?俺は事故現場を地図上で見る。

西家さんの家から一直線に東に5km遠く離れた住宅街。

こんなところをランニングルートにするだろうか。

西家さんがランニングを日課としていたのは知っていた。

だが、夕食前の15分に軽く走るだけで、がっつりは走っていないと言っていた。

家から一直線に5km。往復したら10km。15分のランニングルートとは到底考えられない。


これは…。俺はさらに資料を調べる。


「事故当時の被害者の服装は、上下黒のジャージに白のスニーカー。」


足りない。西家さんはかなり目が悪くコンタクトレンズをつけていたが、西家さんは家に帰ったらすぐにコンタクトを外して眼鏡にすると言っていた。

夕食前のランニングなら、眼鏡で走っているはずだ。

なら眼鏡も記載がなければおかしい。

もし轢かれた際にどっかに飛んだとしても、現場近くには落ちているはずだ。

しかしそういった記載もない。


ここまでの情報から考えるに、西家さんはどこか別の場所に行こうとしていたのだろう。その時に事故に見せかけて殺されたんだ。

真相が近づいてきた感覚に高揚し手汗が止まらない。


俺は目をつけていない方の書類を手に取る。


こっちはCAの内部資料のようだ。

やはり関わっている。西家さんがなぜ殺されたのか。これを見ればわかる。


「株式会社CAグループ 顧客データ」


これは超重要なデータだ。もし西家さんがCAの禁忌に触れるようなことをしたのなら、西家さん自身がCAで資産運用をしていた可能性が高い。

俺は顧客データの「に」の欄を探すと、上の方に「西家大智」の文字を見つける。


あった!

ここには契約者のプラン、運用額、運用益までが記載されていた。




「あ」




俺は素っ頓狂な声が出た。

先ほどまでの高揚も急速に蒸発した。

まさかここまでとは。



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「備考:西家大智。ノルマ達成のため処分決定。決行予定日は11月4日。」

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