第6話「全会一致のユートピア」

「こんにちは、達川さん」

昼過ぎの渋谷駅前。アヤノさんは今日も優しい笑顔で話しかけてくれる。

俺たちが駅前で待ち合わせしてデートするのは今日で4回目だ。

休日だけでなく、仕事終わりにも時間を合わせて会っている。


――初回のデートでアヤノさんの魅力に打ち抜かれた俺はあれから積極的にアヤノさんと連絡を取った。アヤノさんも拒否することなく、毎回付き合ってくれた。

初めて猫探しの時にあった時の無感情なアヤノさんの面影は無く、常に優しく笑っていて、品があって、どんな話にも乗ってくれて、少し恥ずかしがり屋で。一緒に居て楽しいし、日頃のストレスを癒やしてくれる。社会人になってから人と関わることになんとなく面倒くささを感じていたが、自分の好きな人に心を開いてもらえることの嬉しさを改めて感じている。


「こんにちは。今日はどこ行きましょうか。」

俺は心の中でウキウキしながらアヤノさんと向かい合う。

「達川さん、あの…。」

突然アヤノさんが気まずそうに口を開く。

「どうしました?」

「今日はちょっと相談に乗ってもらいたいんです。」

相談?気づけばアヤノさんの表情が少しばかり暗い。

「相談ですか…。僕でよければ是非乗りますよ。じゃあ場所を移しましょうか。」

そういって俺は近くのカフェを指さす。

「はい…、お願いします。」

アヤノさんは頭を下げる。そして俺が歩き出すと、後ろに着いてきた。

しかしアヤノさんの相談か…。あまり想像がつかない。強いて言うなら人間関係だろうか。感情を前に出すことが出来れば誰からにも好かれそうな性格をしているから、そこまで大きな問題ではなさそうだが。

交差点で信号を待ちながら思考を巡らせていると、駅前にそびえ立つ大きなビジョンから有名な俳優の声が聞こえてきた。


『老後の心配、子どもの養育費。そんな悩みを抱えていませんか?資産運用ならCAにおまかせ!適切な運用で、安心で幸福な未来を!』


整った笑顔で晴れやかな未来を想像させるようなCMが映し出されている。

胡散臭さ満載過ぎて逆に興味を持ってしまうほどだ。こんなものに人生を預ける人なんてどうかしていると俺の心の中で最大級の侮辱の感情が取り巻く。


「あ…。」

突然後ろからアヤノさんが声を漏らした。

振り返ると、アヤノさんの視線も大型ビジョンに向いている。それを見つめる表情は怯えているように見える。

「アヤノさん、CAを知ってるんですか?」

俺は心配になり、すかさずアヤノさんに声をかける。

「あっ…。は、はい…。そう…ですね。少しだけ…。実はこれからする相談もこれに関する話で…」

アヤノさんは目を伏せている。

まさかアヤノさんもCAで何かしているのか…?

俺の中でかすかな動揺が顔を出す。

「そうなんですね。自分はこのCAという会社のことはあまり詳しくないので期待に添えないかもしれないですけど、話はちゃんと聞きますよ。」

俺はできる限り優しい声色でアヤノさんを心配させまいと振る舞った。

「はい…。お願いします。」

アヤノさんがそう言うと同時に信号が青になった。周りの大勢が一斉に歩を進める。俺たちはそれに呼応するように足を踏み出しカフェの方向へと向かった。


***


カフェに着くと、向かい合うように窓際の席に座り、お互いにホットコーヒーを注文した。やはり相談事なら窓際だろう。

俺は運ばれてきたコーヒーを一口飲んで落ち着く。

黒い液体が口の中で気品ある苦みで刺激し、その香りは鼻を突き抜ける。そして喉を通り、食道、胃へと落ちていく感覚が温かさで伝わり、それは人混みの中を歩いてきた疲れを少しずつ癒やしていく。

俺が一人の世界に入ってコーヒーを楽しんでいると、アヤノさんがコーヒーカップをソーサーにコトンと置き、遠慮がちに口を開いた。

「あの…、相談したい件について話しても良いですか…。」

「あ、あぁ、はい。大丈夫ですよ。」

コーヒーを堪能たんのうしていて、少し相談しづらい空気を作ってしまっただろうか。

俺は心の中で反省した。

アヤノさんは軽く息を整えると真剣な表情で俺に向き直った。


「達川さん。CAっていう会社、どのくらいご存じですか?」

ゆっくりと、はっきりとした質問。それだけでこの相談の本気度が伝わる。

俺は先ほどの浮かれ気分を隅に追いやり、こちらも真剣に向き合う。

「そうですね。以前まで僕は全然知りませんでした。ですが職場の人間がCAについて熱く語っているのを耳にしまして。それで少し興味を持って調べたことはあるって感じです。なのでそこまで詳しくはないですね。」

「そうですか。ちなみにどのくらいまで調べたんですか?」

「そんな大したことまでは…。資産運用会社っていうことと…、あとは社名の由来とか。あぁ、あとはどんな感じで運用しているかっていうのは職場の人間が話してました。」

俺は今持っている情報を正直に話した。

「CAの運用の仕組みを知ってるんですね。それは私も調べました。実際、達川さん的にはどう感じてますか?」

アヤノさんの目がメラメラと燃えている。こっちが気圧けおされてしまいそうだ。

「正直、僕は良い印象は持ちませんでした。都合の良い事ばかり契約者に見せて、実体は成り立つことがほぼ不可能な博打ばくちビジネスモデルですから。」

「あぁ…、やっぱりそうですよね…。」

急に目の炎は消え、アヤノさんは落胆のため息をつき、頭を抱えた。

その様子に俺は自分の発言で何かまずいことを言ったのではと不安になった。

「ど、どうしたんですか、そんな急に…」

アヤノさんは顔を上げて、重々しく話す。


「実は…。私の友人でCAで資産運用をしている女の子がいるんですけど…、なんか最近変な事を言い出し始めたんです。」

「変な事?」

「はい。『が私に幸運をもたらすんだ』とか『金を持っている奴はダメだ』とか…。とても追い詰められたような表情で私に言うんです。以前はそんな事を言う子ではなかったんです。とても優しくておしとやかな子だったのに。」

アヤノさんはひどく落ち込み、頭を悩ませている様子だった。


カラス…。

「カラスってCAのことですかね?『Corvus Albus』。ラテン語で白いカラスっていう意味で、縁起の良い鳥だからっていう理由から社名として名付けたと会社説明に書いてありましたけど。」

「ですよね…。私もそう思っています。もしそうだとしたら、CAでカルト宗教的な何かよからぬことを行っていると疑わざるを得ません。ただもっと気になるのは『金を持っている奴はダメだ』って言っていたことです。」

「と、言いますと?」

「CAは資産運用会社です。CAと契約する人は自分の資産を増やしたい、要はお金儲けをしたい人たちです。それなのにお金を持つことを否定するなんて筋が通りません。」

確かにそうだ。俺は頭を落ち着かせるため、コーヒーに口をつける。

そして俺は腕を組み、頭をフル回転させながらアヤノさんに疑問を投げる。

「確かに筋は通っていないかもですね。ただひとつ僕が思ったのは、その彼女はCAのプランに気づいたからではないですか?」

「プラン…。低所得層と高所得層に分けてるってやつですか?」

「そうです。彼女は低所得層と審査され、低所得層のプランでCAと契約した。だがのちにこのプランの仕組みに気づき、高所得層、つまり『金を持っている奴』を批判したんです。これなら一応筋は通りますよね?自分はCAで金儲けしたいけど、高所得層がいる限り自分は搾取される側でしかない。この現実を嘆いた発言と取れば…、まあかなり無茶苦茶ですけど、考えられなくはないです。」

俺が意見を述べると、アヤノさんの顔がさらに曇る。

「そうですね…。それなら考えられます。でも…」

「でも?」


「おそらく彼女は…、高所得層と審査されていると思います…。」

「え!?」

俺は思わず立ち上がり大きな声を出してしまった。周りの数人がこちらを見る。

俺は軽く頭を下げ、謝罪をすると、座り直してアヤノさんの話に耳を傾ける。

「彼女は大手の広告代理店に勤めています。年収もかなりの額を貰っていて、先日は親に車を買ってあげていました。ようやく親孝行ができたと喜んでいたので…」

高所得層が金を持っている奴を批判するなんてあるのだろうか?会社で話していた2人はとても幸せそうだったのに。

まだほかに可能性があるだろうか。俺はさらに脳にムチを打つ。

「……例えば、CAの無茶なビジネスモデルに気づいた発言とかならどうですかね。高所得層のリスク補償なんてものはまやかしだと気づいたなら、自分よりも上に金を積み立てる人はいて、高所得層の自分ですら搾取される側になることにも気づく。自分よりも金を積み立てているのが恨めしい。『金を持っている奴』っていう発言は、『金を持っている奴』だったと取れば…」

「だとしたら、とっくにCAでの運用をやめているんじゃないでしょうか。カラスがCAを指しているのなら、彼女はまだCAと契約していたいと受け取れます。達川さんの今の意見は矛盾が起きてしまいますね…。」

俺の意見は茅葺かやぶき屋根のようにもろく吹き飛んだ。

もう頭が痛い。アヤノさんの友人がどんな動機からその発言をしたのか。あまりの困難さに俺は早々にその友人を諦めかけていた。

「アヤノさん、確かにそのご友人の心配をなさるのもわかるのですが、彼女になにか実害があったんですか?もしないなら、しばらくは様子見をしても良いかと僕は思います。」

アヤノさんは顎に手をあて、しばらく考え込む。そして顔を上げて話し始める。

「…そうですね。今のところ雰囲気が変わったというだけで、彼女が何かしらの被害を受けた訳ではないと思います。達川さんの言う通り、しばらく様子を見ようと思います。」

アヤノさんはそう言って口角を上げた。しかし不安の色はまだまだ濃い。

その苦しい笑顔を見て、俺はアヤノさんの不安を取り除けなかった悔しさとアヤノさんの友人を早々に諦めてしまった自己嫌悪で胸がいっぱいになった。

アヤノさんは本当にその友人のことが大事だったのに…。

溢れ出る負の感情を洗い流したい一心で目の前のぬるいコーヒーを一気に飲み干す。

「もう少しゆっくりしたら出ましょうか。デートの続き、しましょうね。」

アヤノさんは変わらずの無理した笑顔で見つめる。

俺は言葉に詰まり、何も言えなかった。

うつむいたまま無言で立ち上がりトイレに向かう。

はぁ。こんな気分でデートを楽しめるだろうか。軽い相談かと思ったのに、空気は物凄く重い。

憂鬱ゆううつな気分に引っ張られるよう、足取りも重くなっていった。


・・・


トイレに着くと、個室に入って洋式トイレの蓋の上から腰掛ける。

俺は今からでも何か力になれるかと思い、スマホを取り出し、CAについての情報を集めることにした。

ブラウザの検索欄に『CA』『カルト』『やばい』と入れて検索する。

しかしそれらしい検索にヒットしなかった。

やはりアヤノさんの思い過ごしか…。そう思い、ブラウザを閉じようとしたとき、ひとつの見出しが目にとまった。


広末直正ひろすえなおまさが斬る!現代日本での生き方!』


なんだこれは…?検索ワードとなんら関連性のない見出しだ。

そう思った瞬間、職場での会話がフラッシュバックする。


『でも、あの政治家の広末直正ひろすえなおまさもYouTubeでおすすめしてたぜ。今後は『CA』で資産運用するべきだって。』


そうか。これがあいつらが言っていたやつか。よく見ればYouTubeのリンクになっている。ならこれはCAと関係がありそうだ。

そう思いタップをすると、一人のエネルギッシュな男性が、大量に書き込まれたホワイトボードとともに立っている画が映し出される。数十秒見てみると、どうやらこの広末という男が景気が落ちぶれていく日本でどう上手く生きていくかを解説している内容だとわかった。

そして目を引くのが、ホワイトボードに大々的に書かれたCAの文字。

あの会社は俺の思っている以上に力を持っているのかもしれない。

俺はなにか怪しいところはないかと、動画のコメント欄を開いた。

そして俺は映し出された文字に眉をひそめる。



『推進党によって日本には革命が起こります!是非皆さん、日本推進党に投票しましょう!』

『広末さんは神の使い!』

『本当に国民のことを第一に考えてくれる人はこの人しかいないです!』…………



コメント数2,056件。

そのどれを見ても、肯定的な意見しか出てこない。コメントの表示順を新しい順にしても光景は変わらなかった。本来ならどんな動画にもアンチや、わざと炎上させようとする勢力はいるはずなのに。

しかもこのコメント欄の違和感はそれだけではない。

なんというか…。文体がみな同じように感じる。これだけネットが影響力を持っている時代だ。「w」や「草」といった、いわゆるネットスラングのような言葉を用いた多種多様な文章がいくらかあってもいいはずだ。

なのにここのコメント欄だけが、何かひとつの思想で統一されたような連帯感を感じる。

スパムではない。各々が違うアカウントでコメントしている。複数のアカウントを作ったサクラだとしても数が多すぎるし、手が込みすぎている。

こんな心酔するほど良い人とは思えないと小馬鹿にしながら見ていたが、見ていくうちになんだか気持ちが悪くなっていった。

誰も否定しない。誰もおかしいと思わない。そんな世界がここにはある。

未知の世界に足を踏み入れてしまったような恐怖感を味わった俺はすぐさま画面を閉じ、アヤノさんのもとに戻ろうと個室トイレから出た。


・・・


「達川さん、大丈夫ですか?かなり長かったですが…。」

席に戻るとアヤノさんが心配してくれた。だが、それに優しく返せるほどの余裕はなかった。

「アヤノさん、今日は解散にしましょう…。」

俺は息をなんとか整え、アヤノさんにお願いする。

「…やっぱり体調がよろしくないんでしょうか…?」

アヤノさんはより一層心配そうに眉が下がる。

「まあ、正直そんなところです。僕の方から誘ったのにごめんなさい。」

「いえいえそんな!私の方こそ相談に乗ってくれて嬉しかったです。体調がよろしくないなら、達川さんの自宅までお送りしましょうか?」

アヤノさんは手をブンブンと振り必死に否定すると、優しい提案をしてくれる。

「ありがたいですが駅までで大丈夫ですよ。そこまでひどい訳ではないので。」

「そうですか…。でも辛いときは頼ってくださいね。」

そう言ってアヤノさんはいつもの優しい笑顔を見せてくれた。

その笑顔に癒やされると、「ありがとうございます」と言って伝票を手に取り、レジへと向かった。

俺が2人分の代金を払い、2人は店を出る。

すると多くの人が行き交う光景が目に入ってきた。

この中に先ほどのコメント欄でコメントしている人がいるかもしれない。そいつは日常に潜み裏の顔を隠しているかもしれない。

過剰な妄想が頭の中に浮かんで膨らみ、また気持ち悪さがぶり返す。


「達川さん…?どうしました?」

立ち止まっていると、後ろからアヤノさんの声がする。


「ごめんなさい、アヤノさん。やっぱ一人で帰ります。」

そう言って俺は一人、駅方面へと早足で歩き出した。

「えっ?ちょ、ちょっと!」

アヤノさんの引き留めを無視する。


今日はちょっとダメだ。人に会いたくない。家でしっかり寝て、ゆっくりしたい。

今日見たことを忘れてリセットしたい。

俺は後ろを振り返ることなく、人混みの中をかき分けた。

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