幕間1「灰汁取り」

「あなたー、あなた宛にお手紙来てるわよー」

書斎で本を読んでいると、ドアの向こうから妻の愛里沙ありさの声が聞こえてきた。

「わかった、今行く。」

そう言うと俺は読んでいた本にしおりを挟み、机に置くと、リビングへ向かった。


「そこ、テーブルに置いてるわ」

愛里沙はキッチンで昼食の準備をしている。窓に目を向けると、庭で息子の俊輔しゅんすけがバスケットゴールに向かってシュートを打っている。もう冬も近く寒いのによくやることだ。部屋の隅では愛猫のポプラがキャットタワーの中でのびのびとくつろいでいる。

平和な日曜日だな。窓から差し込む心地よい日光を浴びながら俺はそう思った。

テーブルの白い封筒に目を向けると、宛名には「大宮良秋よしあき様」と書かれている。

25歳を過ぎると冠婚葬祭関連や同窓会など、あらゆる出来事での手紙が来ることが多くなった。今回は何だろうか。

俺はソファに腰掛けて手紙を手にし、のり付けされた封を外して中のものを取り出す。ぱっと見えた白黒で簡素な見た目から、めでたい知らせではないことがわかった。

俺は気分が下がりながらも中の内容に目を通す。

「……えっ…?」

俺はしばらく言葉を失った。そこに書かれていた内容はあまりにも意外だった。


「西家さんが…亡くなった…?」

西家大智にしいえだいちさん。俺が七橋商事に転職する前の職場、蒼海そうかい株式会社にいた5つ上の上司だ。とにかく話し好きでムードメーカー。でも仕事はバリバリ出来て、職場全員から慕われていた人だ。俺は西家さんとは仲良くさせてもらっていて、よく飲みにも連れて行ってもらった。俺が七橋商事に転職することを決めたとき、西家さんは「ほんとに行っちゃうのか~?寂しくなるな~。今なら取り消しても許してやるぞ~?」と最後まで俺の転職を悲しんでくれた人だ。


そんなお世話になった人がなんでこんな急に…。

西家さんはとても健康な人でも有名だった。毎年行われる健康診断の結果を職場で自慢げに見せては、「やっぱどれだけ酒飲んだり、お菓子食ったりしても、納豆さえ食ってれば健康なんだよな~!」と笑っているくらい納豆信者だったことを覚えている。実際、西家さんは健康面で特に異常はなく、いつまでも若々しい印象だった。

だから急死となると、病気ではなく不運な事故だろうか。

「ていうか、あいつらこんな重大なことなんで連絡してこないんだよ…。」

俺はメッセージアプリを開き、元同僚で今でもちょくちょく連絡を取っている人たちに「西家さん亡くなったって本当?訃報の手紙で初めて知ったんだけど」と送った。


「あなた、大丈夫?誰からだったの?」

俺の普通じゃない様子を見て、愛里沙が声をかけてきた。

「あ、あぁ…。大丈夫だよ…。」

俺は手汗を拭き取ると、震える手で手紙をテーブルの上に置く。明らか大丈夫ではないことは誰の目から見てもわかる。

「全然そんな風には見えないわよ。なんかあったの?」

愛里沙は俺の横に座る。ソファがぐっと沈む。

「あのさ…。俺が前に蒼海にいたときに上司だった西家さんっていただろ?その人が亡くなったんだよ…。」

俺はうつむきながら呟くように言った。

「え!?西家さんって時々うちにいらしてた方よね?」

愛里沙は口に手を当て、息をこぼす。

「そう。俺もかなりお世話になった人だから、ちょっとショックが大きくて…。」

「…そうね。私ですらショックよ。西家さん、家族で行ったお土産とかもうちに買ってきてくださったり、お歳暮なんかも贈ってくださったものね…。」

「ああ。来週の土日に通夜と葬儀があるから、日曜にちょっと行ってくる。お前も花くらいお供えするか?」

「そうね。西家さんの奥さんにもご挨拶したいし…」

愛里沙はそういってスマホを取り出し、予定表を確認する。

「なんとか予定合わせて行こう。俊輔も連れて。あいつも西家さんに可愛がってもらってたからな。俺は火葬まで出席するつもりでいるけど、愛里沙と俊輔は花だけ供えて帰ってもらっても構わない。」

俺はそう言って、庭にいる俊輔を見た。そういえばあのバスケットボールも西家さんから…。途端に目頭が熱くなった。

「わかったわ。あなた…、無理しないでね。」

愛里沙は俺の背中を優しくさすると、キッチンへ戻っていった。


俺はテーブルの上の手紙を手に取り、窓に目を向ける。

先ほどまで心地よかった日差しが、いつの間にか突き刺す痛みに変わっていた。

落ち込んだ気分にこの快晴はこたえる。

俺はふらふらと立ち上がると書斎に戻った。


・・・


俺は薄暗い照明の中、何もせずにぼーっとしていた。

身体が鉛のように重い。指一本すら動かすのが億劫になっていた。

書斎の空気がどんどんと息苦しくなっていく中、ポコンっとスマホが鳴る音がした。

俺は何十秒もかけて、ようやくポケットからスマホを取り出した。

すると先ほどメッセージを送った元同僚から返信が来ていた。

来た…!

そう認識するやいなや、すぐさま顔認証が反応し、ロックが解除される。そして返信の内容が姿を見せる。


『悪い…。ちょっと色々ごたついてて連絡出来なかったわ。こっちも社内で大騒ぎになっててさ。実は西…』


メッセージが途切れてる。イライラしながら俺は即座にメッセージアプリに遷移した。気づけば身体の重さは消えている。アプリが立ち上がるとすぐに元同僚とのトーク画面を開く。


…………………………………。


その内容を見た瞬間、俺はトーク画面を開いたことを後悔した。途切れたままでよかったと初めて思った。再び身体は重くなるどころか完全に固まった。身体が急速に冷えていく。書斎はいつから冷凍庫になったのだろうか。そう錯覚するほどに。俺は画面に映し出される文面を何度も読み返し、そしてえずいた。




『悪い…。ちょっと色々ごたついてて連絡出来なかったわ。こっちも社内で大騒ぎになっててさ。実は西家さん、殺されたらしい。』

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