第2話「Ms.アンドロイド」
ポコンッ
しばらく街中をブラブラしているとスマホが鳴った。
先ほどDMを送った相手からの返信だ。
『ご連絡ありがとうございます。××町の公園で待ち合わせましょう。時間は30分後でお願いします。』
「はあ…。」
俺はスマホの画面に目を落としたまま、ため息をついた。
××町の公園なんて真反対じゃないか。ブラブラと歩いてはいたが、それとなく猫が目撃された路地の方面に向かっていたというのに。保護した人が遠くの自宅まで連れ帰ってしまったのだろうか。
心の中で悪態をつきながらも、後ろに方向転換して歩き出した。
まあ早く仕事を終えて、会社に戻っても仕事は振られずに置物のように過ごす日々だ。時間つぶしにはちょうど良い。
それはそうと少し腹が空いたな。先ほど寄ったコンビニで何か食べ歩きできるものを買おうか。そう思い俺はコンビニに寄って、スティック状のサラダチキンを買った。
***
「はあ。」
30分長々と歩いて公園に着いた。アラサーになってから、何をするにもため息が出るようになってしまった。別に大して疲れているわけでもないのに。
そんな老いを感じながら公園を見渡すと、猫をつれた一人の女性が遠くのベンチに座っていた。
あれだ。俺はベンチに向かって歩く。徐々に近づくと、向こうがこっちに気づいた。
「…DMくれた人ですか?」
「はい。猫を保護してくれた方ですよね。ありがとうございます。」
俺は軽いお礼を言いながら、彼女の顔を見た。
絹糸のような長髪、筋の通った鼻、つややかな唇、少しつり目の大きな目、誰がどう見ても美人と評価する顔立ちだった。だが…。
「…いえ、大したことではないです。猫は好きなので。可哀想と思って。」
「あ、あぁ。そうですか。」
なんだこの生気のない目と声は。焦点の合ってない目にほとんど動かない表情筋。最近の人型アンドロイドでさえまだ良い表情をしている。俺の第六感があまり関わらない方が良いと警告を出しているように感じたので、早々に退散することにしよう。
彼女から猫を受け取ろうと彼女に近づく。
「とりあえずありがとうございました。何かお礼をしたいところですが、なにぶん忙しい身なので…」
「身分を証明出来るものを」
受け取ろうとした瞬間、彼女が問いかけた。
「え、いや…。」
「首輪には住所がついています。あなたの住所と一致しているか確認させてください。」
彼女は淡々と話す。まるで人工音声のように。
「あのー…、実はですね。私は猫探しを頼まれた身なんです。会社の上司から。なので身分は証明出来ないんですけど…。」
「そうですか。ではその上司を連れてきてください。」
彼女はそう言うと猫を抱え再びベンチに座った。
「い、いや…。大丈夫ですよ。ちゃんと上司には届けます。今から連絡しますから。」
予想外の展開に動揺し、俺は焦り始める。
「信用できません。あなたが飼い主の知り合いをなりすましている可能性は否定できません。SNSで連絡を取っただけですから。」
彼女、本当にロボットなんじゃないか?
事務的にことを進める姿勢に俺はそんなことを考えてしまう。
「じゃ、じゃあ、私の身分証を見せます。それならいいでしょう?仮に私がなりすましでも、警察に私の捜査を頼むことができますし。」
俺はそう言って、財布を取り出そうとポケットに手を入れる。
「嫌です。その間に猫に何をされるのかわかりませんし。確実に飼い主である方にお返しします。」
彼女は早口でまくしたてる。
一旦ここは引くか…。
「はあ…。わかりました。ちょっと待ってください。」
俺は心底疲れたため息を吐き出すと、大宮さんに連絡を試みる。
大事な会議だと言っていたから、電話はやめておこう。
俺は経緯を説明するメッセージを送ると、再び彼女の方を向いて質問する。
「なあ、あんた。いつまでここにいられるんだよ。」
あんまりなことの面倒さと、彼女に対する苛立ちから、敬語も外れてしまう。
「特に何時までといった制限はありません。いつまでも居られます。今日中が難しければ明日また来ます。」
変わらず平坦な声で説明する彼女に、さらに苛立ちが募る。
「あのさ、信用できないっていうけど、こっちの身にもなってくれよ。あんたみたいにいつまでも居れるほど暇じゃないの。実際に上司と連絡取れてるんだし良いだろ。」
こう言いながら実際は仕事中に猫探しを頼まれるほど暇である自分が惨めになった。
「ていうか、仮に俺が別の家の猫を引き取ろうとしてる悪者だとして、あんたには関係ないだろ。なんてそこまでこだわるんだよ。」
すると彼女はほんの少しだけ眉間にしわを寄せて言った。
「私はあらゆるリスクを回避したいだけです。あなたが猫を連れ帰ったあとに、本当の飼い主が現れ、身分証の情報を警察に連絡したって、もしその間にあなたが猫を殺しでもしたら誰も救われません。あなたが逮捕されても猫は帰ってきませんし、飼い主も私も失望や罪悪感に苦しむんです。そのリスクがあるルートを回避したいという考えはそんなにおかしいですか?」
反論の余地のない正論を言われ、俺は何も言えなくなってしまった。
恥ずかしさに身を焼かれながら、彼女を見ると、焦点の合っていない目でまっすぐ前を見つめ、手は猫をなで続けている。その手つきが優しさをはらんでいるのは彼女の猫好きが本当であることの証拠だろう。
それを見ていると俺は彼女に興味を持ち始めていた。先ほどまでの以上に頑固で冷たい態度も、猫を溺愛するがゆえの裏返しの行動だと思うと非常に愛らしい。こういった冷静で知的な女性が実は家ではめちゃめちゃ甘えん坊で…。
………何を考えているんだ、俺は。
頭の中に突如として現れた邪な考えを振り払うように首を振り、俺は改めて彼女を観察した。ロボットのような思考や行動、女優のような端正な顔立ち、愛猫家。あらゆるキャラクターを持っている彼女に俺は不思議と引きつけられた。
苛立ちはどこかに消え去り、彼女のことをもっとよく知りたいと思った俺は彼女に「隣、座って良いですか」と聞いた。さっき強い口調で詰めてしまった手前、物凄い気まずさはあったが。
彼女はこちらを見ずに「構いません」と言ったので、俺は彼女の隣に腰を下ろす。
スマホを見ても、大宮さんの返信はない。暇つぶしにはちょうど良い。
・・・
「……。」「……。」
あれから何分経っただろう。
俺がベンチに座ってから互いに一言も会話を交わすことなく時間が過ぎている。
もう10月下旬。季節は秋。日が落ちるにつれて下がっていく気温に身体を震わせる。
話す試みは何度もした。だがやはり先ほどの俺を無礼な態度が気まずさを加速させている。頭の中で会話のスタートをシミュレーションしたが、下手に出ればさっきの態度とのギャップで気持ち悪いし、さっきのようなため口で強い口調でいけばさらに空気は悪くなる。要するに詰みだ。
また、話せない原因はもう一つある。それは彼女が美人過ぎて緊張してしまうことだ。俺は初対面の美人に気さくに話しかけられるほど、生涯の女性経験は多くなかった。横から見た彼女はより華やかで、この画だけで多くのスカウトマンが来るだろうと思った。
そんな訳で何分も言葉を交わすことなく、沈黙が続いているのだ。
彼女は変わらずずっと正面を向き、猫をなでている。何か少しでも他に興味を示す反応があればそれをきっかけに話題が生まれるかもと思ったが…。
あ、そういえば…。根本的なことを聞いてなかった。この空気を打ち破る話題としては良い方だろう。
「あの…。よければなんですけど、名前はなんて言うんですか。私は達川東二っていいます。」
様子をうかがいながら質問する。
しかし彼女は聞こえていなかったように、反応を示さない。
「あー…、やっぱり嫌ですよね…。無神経でした…、すいません…。ははっ…。」
勇気を出した質問を無視され、プライドがズタボロになり今にも涙が溢れそうなとき、彼女は小さく口を開いた。
「………アヤノ。アヤノです。」
マジか。答えてくれた。驚きと同時に、途端に嬉しさがこみ上げる。
「アヤノさんって言うんですね!ありがとうございます!いやー、それにしても素敵な名前ですね。個人的にはぴったりだと思いますよ。」
嬉しさの余り、口がどんどん軽くなっていく。まともに女性と話すなんて何年ぶりだろうか。
「そういえば、アヤノさん。猫が好きみたいですけどなんか理由とかあるんですか?」
するとずっと目線を前に向けていた彼女は、少し目線を下に下げた。
「…単純に、可愛いからですよ。」
そういった彼女の言葉にはなにか含みがあるように聞こえた。なにか言いたくないことがあるのだろうか。とても気になったが、初対面でいきなり聞くのはデリカシーがなさすぎるため、俺はスルーすることにした。
「そうですね。猫って可愛いですよね。俺も飼おっかなー、って俺のアパート、ペット禁止なんすけどね笑。」
「……。」
冗談をかましてみるも、彼女の反応はなかった。
再び沈黙が訪れ、俺のプライドはまたも傷つけられる。
空気に耐えられずに苦しくなってポケットからスマホを取り出すと、4分前に先輩からの返信が来ていた。
話すことに必死で気づかなかった…。
内容的には今こっちに向かっているらしい。時間的にあと数分で着くだろう。
なんとか頼み事は解決しそうだ。
「アヤノさん。猫の飼い主、そろそろ来ると思います。」
「そうですか。」
「あと…、色々すいませんでした。初対面なのに敬語外して苛ついたり、ズケズケと隣に座ったり…」
「別に気にしてません。」
「それはよかった。怒っているのかと…。」
「……達川さん。」
「は、はい!」
なんと、いきなり名前を…。思わず声が裏返ってしまった。覚えてくれていたのか。
「私は表情を表に出すことが苦手で勘違いされることが多いですけど、私は達川さんのことを嫌ってないですよ。」
「あ、ありがとうございます…。」
急にこんなに喋られると困惑する。
「それに、今日達川さんと話してみて感じたことがあるんです。」
彼女は一呼吸置くとゆっくりと話す。
「あなたは良い人だって。」
「え?それってどういう…」
「おーい!達川ー!」
俺が彼女に質問しようとした瞬間、遮るように大宮さんの声が聞こえてきた。
大宮さんは俺たちの所まで走ってくると、俺たちに笑顔を向けた。
「ありがとうな、達川!見つけてくれて。そちらの方もうちの猫を保護してくださってありがとうございます。」
そういうと大宮さんは深々と頭を下げた。
「いえ。お礼には及びません。それよりも本人確認をさせてください。」
彼女はまた事務的な態度で接する。
「あぁ、はいはい。これ免許証です。」
大宮さんは財布からゴールドの免許証を取り出した。財布もブランド物で高そうな匂いがプンプンする。どこまで完璧なんだこの人。
彼女は大宮さんから免許証を受け取り、猫の首輪の住所と照らし合わせた。
「…はい。確認しました。では、猫をお返しします。」
そういうと彼女は抱いていた猫を彼に渡した。
大宮さんは猫を受け取るともう一度頭を下げた。
「ありがとうございます。長い時間待たせてしまって申し訳ありませんでした。では僕らはこれで失礼します。達川、行こう。」
「あ、はい。ではアヤノさん、これで…」
先ほどの彼女が言った言葉の意味を知れぬまま別れるのは名残惜しいとは思いつつも、俺は大宮さんの後ろについていく。
すると後ろから彼女の声が聞こえた。
「達川さん」
振り返ると、無表情ではあったが、焦点を俺に向けている彼女がいた。
「DM、また送ってください。」
「えっ」
すぐに彼女は後ろを向き、帰ってしまった。
何か反応したかったが、あまりの衝撃的な発言で俺は固まってしまった。あれだけ無口だった彼女がここまで言うなんて。
嬉しい感情と、何か裏があるのかと不安な感情と、よくわからない混沌とした感情のまま固まっていると、「達川ー、何してんだー。奢ってやっから飯行くぞー」という大宮さんの声が聞こえた。
「は、はい!今行きます!」
今は考えるのはやめよう。猫探しの仕事は果たしたんだ。
DMは今度、気が向いたときにでも送ろう。
心の中で強引に整理をつけると、俺は大宮さんのもとに走った。
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