ナンバー8
シジョウケイ
第1話「自分探し、猫探し」
Prrrr……、Prrrr……、
「はい、七橋商事の田中です。あぁ!お世話になっております!先日はどうも……――」
「はい…、大変申し訳ございません。もちろんご対応いたしますので……――」
多くのビルが建ち並ぶ東京。その中でも全面ガラス張りで輝かしさを身に纏った高層ビルの27階のオフィス。
至る所で電話がけたたましく鳴っている。
あるものは笑顔で、あるものは険しい顔で電話対応をしている光景は、あたかも仕事の善し悪しを一瞬で判別できるようで、ある種の芸術性を感じられる。
そしてその中で一人、コンビニのパンをかじりながらネットサーフィンをしている俺は最もこの光景で異質で、邪魔な存在だろう。
――俺は
…そう思っていた。そんな俺が今は端っこのデスクでコンビニパンをかじりながら、仕事に精を出さずに置物と化している。なぜか。
俺はこの会社である事件を起こしてしまったのだ。
事の経緯は入社当初に遡る。
俺は入社当初、よくある入社後のギャップというものに悩まされていた。
「思っていたのと違う」「こんな部署に配属されるなんて」
自分の思い描いていた働き方とのギャップに絶望する。ファーストキャリアを手放す新卒社員の多くがこれだろう。例に漏れず俺もこのギャップを感じた一人だ。
当時、研修を終えた俺は事業投資部門に配属された。成長の見込みがある事業に資金や人材、ノウハウを投入し、会社の利益を生み出す。まさに文字通りの仕事が出来ると胸が高ぶっていた。
しかし実際に行っていたのは、会議の資料作成、議事録の作成、取引先へのアポ取り、接待等…、想像とは程遠い仕事の連続だった。
事業投資に関わる仕事はベテランの社員。部下はそれのお手伝い。よくよく考えれば、半年の研修を終えただけのペーペーの新入社員に、会社の利益に直接関わる仕事なんかさせるわけがないのは営利企業、しかも大手の企業となれば至極当然なことだ。当時の俺も不満はあったが、数年耐えれば理想の仕事が出来ると思い、一つ一つの仕事に真摯に取り組んでいた。
だが本当の絶望はここからだった。2年目に突入した時のこと。俺に会社説明会の登壇の声がかかった。日頃の働きぶりが評価され、就活生に対して、若手社員の働き方を見せる一例として俺が選出されたのだ。当日行うことは、「仕事のやりがい」と「これからのビジョン」を話すだけだと言われた。正直乗り気はしなかったが、仕事と割り切り当日話す内容を考え、原稿を採用担当者に見せると、
「ダメです。もっと就活生に希望を見せて入社意欲を高めるような内容でお願いします。」
とダメだしされた。
それを言われた瞬間、俺は採用担当の言葉を理解できなかった。入社意欲を高める内容?その言葉が徐々に俺の脳に浸透し、裏にある意味を理解していくと、今度は俺の視界が歪み、猛烈な吐き気に襲われた。
俺が提出した原稿は就活生の企業選びのためになって欲しいと思い、それなりにリアルよりな仕事内容を書いた。資料作成や電話対応といった事務的業務が若手社員の仕事だと。だがそれでは説明会に来てくれる就活生に対して申し訳ないし、せっかくなら七橋商事にエントリーしてほしいため、それらの内容もポジティブにまとめた。こういった業務をこなしながら先輩社員の仕事を横で見て学ぶことで、自分の今後の仕事に活かすことができると。俺がそう信じたかったというのもある。
だが採用担当にダメだしされ、後日勝手に修正された内容は、全くといって良いほど俺が今までしてきた仕事とはかけ離れており、このまま発表すれば詐欺と言われても仕方が無いほどに改悪された。採用担当が俺に放った言葉は、自分の今行っている業務に対する侮辱であり、同時に「お前はこんな嘘くさいストーリーに魅力を感じ、入社意欲を高めていたんだよ」と就活生時代の俺をあざ笑い、過去の俺の努力の価値を急激に下げるもののように感じられたのだ。
最悪な原稿を受け取り、説明会当日まで満足に寝られず、憔悴した心で登壇した。そしてそこで目にしたのは、未来に希望を持ったキラキラとした目の就活生ばかりだった。俺が原稿を読み進める度に、うなずき、メモを取り、そして羨望のまなざしで俺を見る。段々と冷や汗が止まらなくなり、ろれつも回らなくなり、視界も滲んでいった。希望を持った就活生に対する罪悪感と、就活生側の席に過去の俺を見つけてしまった状況に耐えきれなくなった俺は壇上で涙を流し、さらには意識を失ってしまったのだ。これは即座にSNSで拡散され、七橋商事の仕事に疑念を植え付ける事件となってしまった。最悪のマイナスプロモーションをしてしまった俺は、採用担当から大目玉を食らった。
この一連の事件で企業のブランドに傷をつけたため、俺の評価は下がっていった。また俺自身もこの事件を通して、組織の、会社の、社会の気持ち悪さを痛感し、そこから仕事にやる気を出せないでいた。何度もミスをし、時には寝坊までしてしまった。以前の働きぶりから一変して、使えない無能社員となってしまい、それはもう毎日怒られた。だが俺はどうしても働くことが出来なかった。別に手を抜いていたわけではない。だが働こうと意気込む度に、採用担当の言葉、就活生の顔、原稿の文字列が頭の中を駆け巡る。自分の仕事に価値はあるのか。そんな自問自答が止まらなくなり集中出来なくなってしまった。毎日怒られ、それでも改善が見られず、日々やつれていく俺を見て上司は何も言わなくなった。俺の生気の無い態度に怒りよりも心配が勝ったのか、何も言われないと同時に仕事も振られなくなっていき、会社の中で腫れ物扱いされる人間となって、現在に至るのである――
「達川。ちょっといい?」
忙しく回るオフィスを目にしながら過去の自分史にふけっていると、突然部長の大宮さんが声をかけてきた。
「あ、はい。なんですか。」
俺は焦ることなく、Alt + Tabでパソコンのウィンドウを仕事用に切り替え、コンビニパンを机においた。まあ大宮さんなら怒ることはないが。
「凄く個人的な頼み事なんだが聞いてもらっても良いかな。」
大宮さんはその端整な顔立ちがくしゃくしゃになるほどに申し訳なさそうに言った。
――
「頼み事ですか…。僕で良ければ。」
大宮さんの頼みなら聞いてあげよう。しかしこんな完璧な人が俺に頼み事とは。
「実はさ…、さっき家内から連絡あったんだけど、俺んちの猫が逃げちゃったみたいなんだよ。で、俺も探しに行きたいんだけど、これから外せない会議があってさ。家内一人に探させるのも酷だし、手空いてるなら探しに行ってくれないかな?」
大宮さんはパンっと手を合わせる。
なんだそんなことか。どうせ俺がいようがいまいが会社はまわる。ネットサーフィンも飽きてきて暇だし、行ってあげよう。
「わかりました。任せてください。」
「本当か!ありがとう~達川!今度飯おごるからさ!」
「そんな大丈夫ですよ。いつもお世話になってる部長の頼みですから。おごりの条件無くても引き受けますよ」
「くぅー!やっぱお前は良い奴だな!マジでありがとう。じゃあ頼むな。猫の写真は送っとくから。それっぽいやついたら捕まえて俺に連絡してくれ。」
「わかりました。じゃあ行ってきます。」
そう言うと俺はジャケットを羽織り、つま先をトントンと蹴るとデスクから立ち上がった。
久々の仕事が猫探しとは。これじゃまるで探偵だな。
唇の端をつり上げると、俺はエレベーターに向かって歩き出した。
***
ビルのエントランスを出ると冷たい風が顔に当たる。
寒いな。
今日の日付は10月20日。温暖化と言われているが、秋はやはり寒い。
ビルの外へ出たタイミングでスマホが鳴った。
開くと大宮さんから画像付きのメッセージが来ている。
『これがうちの猫!任せた!』
画像を開くと、体毛が真っ白の可愛らしい猫が映し出された。これは最近人気のミヌエットという猫種だろうか。これだけ白い猫ならすぐに見つかりそうだ。
与えられた仕事が早々に終わりそうだと思った俺は気楽に歩き出し、コンビニに寄った。そこでコーヒーを購入するとイートインスペースの席に着いた。
猫探しなら、やみくもに探すよりもまずは情報収集だ。
SNSで「○○区」「猫」「白い」と検索する。すると数件画像付きの投稿が引っかかった。その中で大宮さんの猫の画像に近い投稿を探すと、20分前にそれらしき投稿を発見した。
『○○区の住宅街の路地に白い猫がいました。首輪があったので飼い猫だと思います。ご迷惑かも知れませんが私の方で保護していますので、心当たりのある方はDMで連絡ください。』
ビンゴ。写真の特徴も一致しているし、保護してくれているため探す手間がなくて良かった。早々に大宮さんの依頼は終わりそうだ。
まだ冷たさを残しているコーヒーを一口飲むと、早速DMを送った。
さて。ただ返信を待っているのも退屈だ。少し街を歩こう。身を粉にするように働いていた頃と一転して仕事をしなくなってからというもの、なんとなくおなか周りが気になってきた。アラサーになったというのもあり身体に気遣って運動でもしなければと思っていたところだ。
俺は少しの間イートインスペースでコーヒーを嗜むと、プラスチック製の容器をゴミ箱に捨て、街へ繰り出した。
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