第3話「白いカラス」
Prrrr……、Prrrr……、
「はい、七橋商事の田中です。あぁ!お世話になっております!先日はどうも……――」
「はい…、大変申し訳ございません。もちろんご対応いたしますので……――」
猫探しの件から一週間。俺は相変わらずの置物ぶりだった。
定時ギリギリに出社して、コンビニのパンをかじりながら、業務時間が終わるのを待つ。完全なるお荷物社員。窓際族。給料泥棒。いくらでも嘲笑する呼び方があろう。30手前でこの地位になってしまう社員が日本にどれぐらいいるだろうか。これは完全な俺の私見だが、日系企業ではどんなにポンコツな社員でも30近くまではチャンスを与えられるような気がする。27で出世ルートから外され、暇を持て余しているのは希有な存在だろう。
自分の存在価値がこの場所にないようで気まずい感情が出てくると同時に、社会のレールから外れている自分に特別感を覚えてもいる。
学校に遅刻してくることを格好良いと思っている中学生のような思考で一人ニヤついていると、遠目で大宮さんの姿を見つけ、一週間前のことを思い出す。
あの猫探しの後、大宮さんにご飯に連れて行ってもらった。俺はただDMを送り、指定の場所に行っただけだというのに、たいそうな中華フルコースをご馳走してくれた。個室の部屋で、毎回シェフが食事を運んでくる。物凄く身の大きくプリプリなエビチリ、テカテカと光沢のある北京ダック、綺麗な曲線で魅了するフカヒレ。俺の今までの中華料理の代表格であった炒飯、餃子、回鍋肉などもすべて格が違う具材と味だった。正直途中からはおいしさよりも申し訳なさが勝ってしまっていた。
何でこの人は俺を気にかけてくれるのだろう。
時々、彼の俺に対する優しさの動機がわからず不安に思うことがあるが、すぐに忘れて彼の好意に甘えてしまう。
なんか情けないな…、俺。
自分の人間としての品格の低さに悲しくなった。
そんな自虐を振り払うかごとく仕事に取り組もうと思い、パソコンにむき直すも自分には仕事はないという現実にまた悲しくなる。
仕方が無いのでネットニュースでも見ようとスマホを取り出したとき、猫をなでていた女性の顔が浮かんだ。
そうだ。アヤノさんにDMを送ろう。
一週間前の猫探しから、連絡を送るかどうかを迷っているうちに忘れていた。
『あなたは良い人だって。』『DM、また送ってください。』
彼女はどうして自分と関わりを持とうとしてくれているのか。いや、実はあの無表情の裏にはかなりあくどい性悪女の顔があり、俺をもてあそんでいる可能性も…。
色々な可能性を模索したが、結局彼女とコンタクトを取らないことには始まらないと考えるのをやめて、フリック入力で文を打ち込んでいく。
「お久しぶりです。DM送って欲しいと言われていたのに少し時間が空いてしまってすみません。今度、カフェとかでお話でもしませんか?アヤノさんのお話もっと聞いてみたいです。」
うーん。少し文面が固かっただろうか。でも先日の話しぶりからするに、冗談とかはあまり好きじゃない感じもするし、そもそも大人の男性として急に距離を詰めるのはいかがなものかとも思うのでこれくらいでいいのか…?
メッセージに対して相手がどう受け取るのかを必要以上に考えてしまい、語尾一つでも数分考え込んでしまう。俺の昔からの悪癖というべきか。あまり気にしすぎない方が良いとはわかっているが、どうしても相手の評価を気にしてしまいがちだ。
数分悩んだ後、ようやく自分を納得できた俺はメッセージを送信して、自販機にコーヒーを買いに行った。
・・・
自販機の前に着くと、ラインナップにはホットの缶コーヒーも売られていた。
最近少し肌寒くなってきたと思ったら、もう朝方には一桁の気温になっている。
ホットコーヒーの入荷で冬を感じる当り、少し大人な感じがして気分がよくなる。
俺は財布から130円を取り出し、ホットコーヒーのボタンを押す。ガコンっと缶が落ちた音がして、取り出し口に手を入れようとしたとき、突然後ろから社員の大きな笑い声が聞こえてきた。
振り返ると、2人の男性社員が休憩スペースでテーブルを向かいに話している。数回遠目で見かけたことがあるレベルの人たちで名前も知らない。見た感じ、俺より少し年上だろうか。あまりに楽しそうに会話しているため、少し内容が気になった。俺は取り出し口から缶コーヒーを取り出すと、会話が聞こえる近くのテーブルについた。
缶の蓋を開け一口つけると、スマホを取り出し、ネットニュースのアプリを立ち上げ、怪しまれないようにしながら彼らの会話に聞き耳を立てた。
「いや、マジで安心だわ~。お前今いくらくらい?」
「大体300万くらいかな~。お前は?」
「俺はまだ始めたばっかで銀行口座にあった金を移しただけだから100万くらいだわ。でもマジでやんなきゃ損だよな。」
「年利18%のパフォーマンスなんて伝説の投資家バフェットクラスだろ。俺の今の300万が1年後には354万になってる。何もしなくても54万のプラスだぜ?しかも今後も積み立てる予定だから、年間利子はどんどん増えてく。老後の心配なんてしなくてよくなったな。」
「確かに。もう『計画的に貯金しなきゃ!』なんて思わないもんな。月々、いくらか積み立てれば良いんだから。でもさ、最初はちょっと怪しかったよな。」
「あー。まあ確かに。最近ネット広告でやたら出てくるようになったから気になってクリックしたけど、都合良すぎな感じがして胡散臭さはあったな、『CA』。」
「な。サイト自体は特におかしい所無かったし、URLもちゃんとしてたし。だから大丈夫とは思ったけど、好条件が過ぎるんよな。」
「でも、あの政治家の
「マジか!広末って今めちゃめちゃ評判良くて勢いある政治家だろ。野党で期待できるのはこの人率いる日本推進党しかいないって。次の衆議院選でも多くの議席を獲得するのは確実って言われてるし。そんな人がおすすめしてる『CA』ってすげーな。急に出てきたけど、どんな仕組みなんかね。」
「投資はハイリスクハイリターンな投資をやっているらしい。上がりそうな株を買って、上がった時に売ってを繰り返して収益を積み上げる。みんなが想像するような投資。そんで『CA』の特徴として、高所得層と低所得層でプランを分けてるていうところ。」
「プランを分けてる?」
「そう。俺らの高所得層には比較的高い金額を積み立ててもらう。月々最低4万円から。上限はなし。で高い金額を積み立ててる程リスクを向こうが負ってくれる。もし損失が起きたときは、月々の積立金額が高い人から順に補償していく。逆に低所得層は上限3万円までで下限は5千円から。かなりお手軽に始められるけど、もし失敗したときのリスクは個人が負うことになる。」
「なるほど、つまり積み立てれば積み立てるほど、良いポジションを取れて、ローリスクで運用できるのか。でもさ、それなら低所得層って審査された人は始めないんじゃないか?だって上限あるから得られる利子には限度があるし、リスクも高いんだろ?ハイリスクローリターンじゃんか。」
「うーん。実際この事実を知っている人ならやらないだろうね。でも低所得層にはこのデメリットは詳しく説明せずに、年利18%って点と、月5千円から始められるっていう点を押し出して売っているんだと思う。これだけ流行り始めてるってことは、低所得層も一定数やってるってことになる。多分、仕組みを知ってる人は少ないんじゃない?」
「えー…。そんなアホばっかなのか、日本って。」
「確かにきちんと説明されて理解して始めるなら相当なアホだけど、説明が雑だったり、長ったらしかったり、専門用語ばかり並べられたら理解するのは難しいだろ。お前だって利用規約とかプライバシーポリシーとか逐一全文読んでるか?」
「ま、まぁ…、言われてみれば…。でもよ、きちんと説明してなかったら不正販売とかで金融庁の調査とかがあるんじゃないの?ほら、昔も保険関連であったじゃん。」
「まあCAの商品もグレーだろうな。でも説明した証拠があれば、金融庁も問い詰めにくい。リスクの説明はしたし、規約にも記載がある。お客様はその上で購入した。そう言い張ればよほどのことが無い限りCAが止まることはないでしょ。」
「うぅ…。なんかCAが怖くなってきた。俺やめよっかな…。」
「なに言ってんの。乗らなきゃ一生損だよ。ビットコインブームと一緒。稼げるときに稼ぐ嗅覚が大事なのよ。」
「まあそうだな…。俺ら高所得層だしな…。大丈夫だよな…。」
「そう。低所得層はこんなリスクの高い商品でも、説明を理解する余裕も無く、良いとこだけ見て始めてしまう。日本は貧乏になってきてるっていうし、低所得層はどんどん金を取られる。一方俺らみたいな高所得層はその流れてきたお金で儲ける。どんどん格差は開いていくだろうな。」
「はあ。今になってマジで就活頑張って良かったと身にしみて思うわ。よし。午後も頑張って働くか。」
「OK。行くか。」
そういうと二人は空き缶をゴミ箱に捨て、去って行った。
ふぅ。かなり長い話を聞き終え一息ついた俺は、少しばかりぬるくなったコーヒーに口をつけた。
CA。最近耳にはしていた企業だが、俺は毛ほども興味が無かったため、何の会社なのかも知らなかった。話を聞いてる感じ資産運用会社だろうが、あまりに胡散臭すぎる。彼らの話の話だけで評価するのもどうかとは思うが、CAが行っているのは詐欺まがいの搾取に外ならない。要は契約者は金を積めば積むほどリスクを軽減できることがおいしい話の肝だ。運用が上手くいかなかった場合、CA側が補填するという。じゃあその補償金はどこから出てくるか。それは低所得層が積んだ金である。低所得層にはリスク説明は簡単に行い、あたかも夢のあるシステムに見せる。そうして巻き上げた金を高所得層のリスク補償金に充てているのだ。
それだけならまだ良い。積み立てた高所得層にとっては夢のシステムなのだから。だが現実はもっとシビアだ。少し考えればわかりそうなものだが、高所得層のリスクを補填するにしたって、高所得層の契約者が増えれば低所得層の積立金では到底賄いきれない。低所得層の最大積立上限は3万円までと言っていた。一方で高所得層の積立上限はなし。こうなれば話は見えてくる。現実問題、ちゃんとリスク補償して貰える層などいないのだ。上位層はリスクを減らそうと積み立て続けるチキンレースを行い、低所得層は搾取され続ける。こんなはなから終わってるシステムに人々は目を眩ませているのだ。まぁきちんと運用益を上げ続けられるのなら咎められることはないのだが、年利18%近くのパフォーマンスを出し続けることなど不可能だ。
彼らのうちの一人は完全に安心しきった顔で話していたが、端から見ればギャンブルに金を突っ込んでいるようにしか見えない。まあ俺も事業投資に対して知識はあれど、個人の投資や資産運用に対してはプロではないため、浅い知識で考えているに過ぎないが。少し調べてみるか。
俺は手に持っていたスマホでブラウザからCAを検索してみた。
するとトップに「株式会社CAグループ」のサイトがヒットした。
開いてみると、シンプルなレイアウトで色味も鮮やか、いかにも顧客からの信頼を得られそうな綺麗なサイトだった。そして社名の横には白い鳥のマークがあった。よく調べてみると、「CA」というのは、「Corvus Albus」、ラテン語で”白いカラス”という意味らしい。白いカラスは縁起が良い鳥で、お客様にも幸運が訪れて欲しい的な体の良いことが企業理念のページに書いてあった。あぁ、いかにもだな。
そんな小馬鹿にした調子でサイト内を物色していると、画面の脇からAIチャットボットが出てきて、無料相談の案内をされた。一気に見る気を失った俺はすぐさまブラウザバックした。結局向こうも金儲け。契約者が増えれば資金が増えて、より良いポジションを取りながら運用できるってことだ。
やめだ。俺は先ほどの彼らのように、未来に希望を持って生きていくことができない。俺とは縁の無い話だ。気が滅入る前に戻ろう。
俺はかなりぬるくなったコーヒーを一気に飲み干すとゴミ箱に捨てる。
そしてデスクに戻ろうとしたところで、スマホがブーっと鳴った。
見ると、アヤノさんから返信が来ていた。
『連絡ありがとうございます。来週の日曜でしたら一日中空いてるので、カフェだけと言わず、食事も一緒にどうですか?』
…え?
その文面に俺はその場で固まった。なんでこんな積極的なのだろう。自分はいきなり食事に誘うのは急すぎると思いやめておいたのに、まさか向こうから誘ってくるなんて。社会人ってこうなのだろうか?大学以降、恋愛をしていない俺にとって社会人の恋愛というのは飲みの席で交わされる話程度の知識でしかない。俺は嬉しさよりも彼女の見えない言動や行動に少し異質さを感じていた。
とにもかくにも、ゆくゆくは食事もできたら良いなと思っていたので、断る理由はない。俺はすぐに気持ちを切り替えて、『わかりました。では来週の日曜、11時に渋谷駅前で待ち合わせにしましょう。』と返信をした。
大宮さん以外で誰かとプライベートで会うなんて久しぶりだ。
俺は今から緊張しながらデスクに戻った。
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