第4話「下準備」
18時48分。帰宅ラッシュも少しばかり収まってほどほどに人が往来している東京駅前。水曜日であるため、飲みに行く人だかりは少ない方だが、それでもこれから本格的に夜が始まる時間帯であり、人々は様々な表情で多く溢れている。
そんな中、俺もこれから食事の用事で待ち合わせ中だ。
正直いつもならば17時半に定時を迎え、そこから足早に帰宅していたのだが、今日は食事の用事があり、19時に駅前で待ち合わせだったため会社に居残っていた。別に普段なら用事があったとしても会社には居ずにカフェで時間を潰すのだが、今日は俺が用事があるのを知ってか知らずか大宮さんが仕事を振ってきたのだ。「どうせ暇だろ?」と言って。本当にこの人にはかなわない。
そんなわけで久々の仕事をこなし、18時27分に退社して今、19時の待ち合わせを待っているのである。
今日の食事は俺から誘った。理由は友人に相談に乗ってもらうためだ。アヤノさんに待ち合わせの連絡をした後のしばらくメッセージのやりとりがあり、日曜日は俺が行く場所を決めていいということになった。もはやデートだ。まだ下の名前しかわからず、お互い何をしているのか不明な状態でどこに連れて行けというのか。こんな無理難題を突きつけられた俺にとって頼れる人はただ一人だ。
寒空の中、ポケットに手を入れていると前からこちらに歩いてくる人影が見えた。
その影は徐々に大きくなり、やがて俺の前で正体を映し出す。
「よう。早いな、まだ10分以上前なのに。」
「伊月だってこの時間に来てるだろ。」
「ははっ。確かに。」
伊月は相変わらずの長身で俺を見下ろし、しかしクールな笑顔を見せた。
――
「久しぶりだな、半年ぶりくらい?」
「そうかな。伊月が忙しかったから、なかなか飲みには行けてなかったな。」
「俺が暇だろうが忙しかろうが、東二から誘うことなんてなかっただろ笑。だから珍しいな。東二が飯誘うなんて。」
伊月は俺の横でスマホをいじりながら話す。メッセージの返信中のようだ。
「俺だって誘うときは誘ってるわ。」
「東二、面倒くさがりだもんな。店の予約とかスケジュール調整とかしたがらないし。」
伊月は先ほどまでいじっていたスマホをポケットにしまうと、小馬鹿にしながら笑みを浮かべる。
「まあ実際そうだな。そんな面倒くさがりな俺がわざわざ誘った。つまり?」
俺は試すように伊月の前に人差し指を立てる。
「相談事か。わかりやすい奴だな、お前。」
「正解。伊月からなら良い答えが聞けると思ってよ。」
「はいはい、ご期待に添えるよう頑張りますよ。とりあえず早く飯屋向かおうぜ。ここじゃ寒い。」
伊月は呆れたように首を横に振ると、親指を立ててクイクイっと急かすジェスチャーをした。
***
「失礼します。こちら生ビール2つと、フライドポテト、唐揚げ、枝豆、たこわさ、シーザーサラダになります。」
大きなジョッキに注がれたきめ細かい泡のビールが運ばれ食欲をかき立てられる。
店員が立ち去ると、俺たちは「乾杯」といって、ジョッキをコツンと当て、お互いに3分の1強を飲んだ。いくつになっても最初の一口は大きくいきたいものだ。
「はあ、うめっ。しかし大衆居酒屋なんて久々に来たな。ここ最近はそれなりに値が張る店ばっか行ってたからな。」
伊月は手に持っていたジョッキを置くと、枝豆に手を伸ばしモソモソと食べ始めた。
「なんだ伊月、俺への当てつけか?いいですね~、ベンチャー行ってこの年で執行役員やってるエリートさんは~。さぞ美味しいものを食べてるんでしょうね~。」
俺は口をとがらせ、頬杖をつきながら言った。伊月の前だと気兼ねなく物事を言えて気が楽だ。
「そんなすねんなって。そういうつもりで言ったんじゃないよ。役員なってから色々な社長さんたちとの会食とかをする機会が増えてきてな。高いもんは食わしてくれるけど、今後の仕事にも繋がってくるから粗相をしでかさないよう気を抜かないのに必死で、味なんてかみしめる余裕ないんだよ。しかも会社の役員としての顔もあるから、良いスーツとかブランド物の時計とか、高級なものを身につけていかないと俺だけじゃなくて会社自体も足下見られかねない。マジで気が休まらなくてしんどいんだよ。楽しくないし、俺に向いてねーよ。東二と飲みに行った方が100倍うまく感じる。」
伊月には珍しい厳しい口調で吐き捨てるように話した後、伊月は口を潤すようにジョッキに口をつける。
「へー、大変なんだな。自分で会社動かせるようなポジにいるからやりがいとか大きそうだけど。」
伊月は大学時代から積極的に行動する男だった。学業はもちろん、サークル、アルバイト、留学に長期インターン、娯楽のバンドライブ鑑賞。いつ寝てるのかわからないスケジュールでいつも過ごしていた。だから大手ではなくベンチャーに飛び込んだのも、伊月らしい選択だと関心していた。なのに今の伊月にあのころの活力は感じられず、くたびれた姿でジョッキ片手に遠い目をしている。
「最初は楽しかったんだけどな…。やっぱ、自分の肩に色んな責任がのしかかると半端ないプレッシャーだよ。」
そう言ってジョッキを置くと、伊月が神妙な面持ちなった。久しぶりの再会を喜ばしく思っていた空気が一変し、重たい空気になっていくのを感じた。
「…東二の境遇は知ってるし、それが原因で東二が社内で辛い思いをしているのも知ってる。でも…」
伊月はジョッキに一口つける。
「やっぱり俺は東二がうらやましいよ。大きな責任もなく、それなりに高い給料をもらってるんだから。」
伊月はこぼすように話していた。今一度伊月をよく見ると、腫れぼったい目、荒れて何度もリップクリームを塗った形跡のある唇、逆むけが目立つ手。そしてそれらを隠そうと必死な伊月の微笑。その口調とその姿は日頃のつらさが俺の想像を絶する物なのだと感じさせるようだった。
それを見て俺に怒りは湧かなかった。もしさっきのセリフを伊月以外が言っていたら俺は激昂していただろう。
伊月は俺に怒られるのを覚悟して、俺の地雷を踏んだようだった。その目が俺の返答を待っている。
俺は反応に困りながらもなんとか話さなければと思い、口の動くがままに言葉を発する。
「……正直、俺は自分が…情けないって思ってるよ。確かに俺は会社からそれなりの仕打ちを受けた…とは思う。でもそれを差し引いても、俺より辛い思いをしている人はいるし、それでも頑張っている人はいる。俺は…ガキみたいに、会社が悪い、社会が悪いって駄々こねてるだけだ。」
俺は途中途切れながらも自分の正直な思いを語った。いつの間にか、自分の声が震えている。
「あの事件の後、転職っていう選択肢もあった。でも、奨学金の返済もあるから、給料は高い方が良いから…、だから…、会社にしがみついて…。まぁ…、なんていうか…」
本当に情けない。自分がダメ人間でクズであることは自分でもわかっている。でも認めたくない自分が出てくる。どうにか自分には責任がないと思えるルートを探してしまうのだ。
「東二。」
叱られた子どものようにうつむいてだんまりしていた所に、伊月が呼びかけた。
「東二、それって、普通のことだと思う。」
「…え?」
俺は顔を上げて伊月を見ると、一言では形容しがたい顔で俺を見つめていた。とても優しくて、諦めていて、悲しそうで、気楽そうで。そんな顔だった。
「東二は俺のことを優秀だと思ってるだろ?俺だけじゃない。同じ社内の人間とか、同期とか大体の奴らをお前は優秀だと思ってる。自分みたいに社会のせいにして投げ出して生きていないから、俺より偉くて凄い奴らだって。」
「……。」
「東二は自分を責めてばかりいる。周りはみんな頑張ってるのに、ミスしても反省して立ち上がっているのにって。でも、東二は周りの人間を過大評価してるよ。俺だって、みんなだって、何かしら理由をつけて「自分は悪くない」って思い込む。そうやって現状維持を求めるんだ。そう考える方が楽だから。」
伊月はそう言ってフライドポテトをケチャップにつけ一つ口に入れる。伊月の頬が緩む。
なぜ伊月は俺より辛いはずなのに、そんな考えが出来るのだろう。俺には到底理解が及ばなかった。
「…どうして、そんな考え出来るんだよ…。俺はそんな自分を認められない…。」
「俺もよくわかんないけど、あるときから人って大して違いが無いんだなって気づいたんだ。みんな似たような考えに走る。そう気づいたら、自分が辛くて逃げだそうかなって考えることも、自分がダメなんじゃなくてごく自然なことだって考えられるようになったんだ。」
伊月は手についたフライドポテトの塩をおしぼりで拭きながら答える。
「自分はダメだ、クズだ、価値がない。今後そう思った時は、周りもそう思ってるって考えなよ。人間なんて99.9%のDNA配列が同じなんだから、自分がそう思ったってことは周りの誰かもそう思ってる。そう考えるとめっちゃ楽になるよ。超くだらないけど笑。」
そして伊月はケラケラと笑っていた。濃い目の下の隈とともに。
なんだ、その考え方は。根拠もなにもないし、何も解決しない。ただの開き直りか、現実逃避か。こうでもしないと現代日本の社会人の心は持たないのか。そんな一歩間違えればおかしくなってしまうような思考を持った人間が目の前で笑っている。
なのに俺の気持ちは徐々に晴れ、伊月と一緒にケラケラと笑っていた。
そうか。今の俺に必要なのはこういった日常なのか。友達同士で辛い現実をさらけ出して、愚痴り合って、笑い合う。こうやって悩みを正直に吐露できる友達がいて良かった。まだ、なんとかやっていけそうだ。
・・・
「はあ、なんか気づいたらに重たい話になっちゃったな。」
「そうだよ。忘れてた。今日は東二の相談で集まったのに。」
俺たちはあの後、数分笑い続けていた。とんだくだらないことでバカみたいに笑い合える大学時代を思い出すようだった。
「よし、本題だ。東二、相談事ってなんだ?」
伊月はさっきまで崩していた姿勢を直し、真剣な表情で俺を見つめる。
「そんなかしこまらなくて良いよ。まぁ…、その…、デートの相談だ。伊月、彼女いるし、恋愛経験豊富だから良い助言が聞けるかと思ってな。」
俺は伊月の目を見れずに、もじもじと話した。
「え!好きな人できたの!東二、お前そんな感じしなかったじゃん!」
伊月は目をまんまるく見開いて驚いていた。まあそうなるのもわかる。
俺は大学時代に2人の女性と交際したが、社会人になってからというもの、恋愛に対して全くといって良いほど興味が湧かなくなっていた。
「好きな人…なのかな。なんか興味が深いというか、何考えているのか知りたいんだよ。」
俺は自分の素直な思いを伝えた。まだ彼女に好意を抱いている訳ではない気がする。
「興味深いって。それって好きなんじゃないの?」
伊月は不思議そうな顔で俺を見る。
伊月にそう言われ、俺ももう一度心の整理をつけてみる。
物凄い美人で、でもアンドロイドのように無機質で、でも猫好きで。そして俺との関係を続けようとしてくれている。彼女の行動にあまり一貫性を見いだせないため、大きな興味と少しの恐怖が混在している。これが今の俺の正直な気持ちだ。
「いや、まだ好きってわけじゃないと思う。上手く言えないけど。まあこれには追々折り合いをつけていこうと思ってるよ。」
俺はそう言って、ジョッキに入ったビールを飲み干し、2杯目を頼もうと呼び出しベルを鳴らす。
「だから、今日お前に相談に乗って欲しいのは、今週末のデートの話だ。」
「デート?」
「そう。俺の恋愛経験は大学で止まってるんだよ。だから社会人っぽいデートプランていうのがわからない。だから伊月に大人のデートプランのアドバイスを聞きたい。」
俺は淡々と今回の相談の目的を述べた。
すると伊月はキョトンとした顔で首をかしげる。そしてしばらく無言が続いた後、伊月はニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「東二~、別にそんな難しく考えるなって。お前が連れて行きたいところに連れて行けば良いんだよ。水族館でも映画館でも散々子どもっぽいところに連れて行ってやれ。まあ、ディナーくらいは良いところを予約して格好つけた方が良いかもしれないけど。」
「…え、そんなんで良いの…?」
「お前は逆に何を想像してたんだよ笑。デートなんて一緒に過ごすことに意味があって、どこに行くかなんてさほど関係ないよ。お前が相手のためを思って練ったプランなら相手も喜んでくれるって。」
伊月はさも当たり前かのようにつらつらと話すと、注文を取りに来た店員に「生2つ、あと揚げ出し豆腐ください。」と言った。
「いやでも、相手のことあんま知らないんだよ…。まだ1回しか会ってないのにさ、向こうから連絡してくれって言われて、次のデートで2回目だぜ…?」
「え!じゃあ向こう、東二にめっちゃ気があるじゃん!なおさら、心配しなくて良いよ!もう押してけ!」
伊月は目をキラキラとさせて、グーパンチのジェスチャーを繰り返す。
「…わかった!俺なりのデートを練るよ。そこは自分で考える。その代わり、伊月。おしゃれな店、教えてくんない?」
「オッケー!任せな!散々社長たちに連れられた分、おしゃれな店リストは豊富だからな。」
伊月は胸をドンっと叩き、鼻を鳴らした。
「よしっ、相談事は終わり!飲むか!」
俺がそう言ったと同時のタイミングで店員が戸を開け、ビールを運んできた。
俺たちは再度乾杯をして、大学時代の過去話や下世話な話で盛り上がった。それからは常に笑いが絶えなかった。
久々にこんな楽しい時間を過ごした。自分の悩みも打ち明けられて、恋愛相談まで乗ってくれて。伊月には感謝しきれない。
逆に伊月は今のストレスを幾分か減らすことは出来たのだろうか。
俺は伊月を尊敬し、頼りにしている存在だが、伊月も俺をそんな風に見てくれているだろうか。
もし見てくれているのなら、これからも伊月と対等な関係でいよう。
見てくれていないなら、これから頼りになる存在になろう。
それが友人だと思うから。
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