37 心配事は終わらない
いつも通りのいい匂い、ライナムル、帰ってきたのね……
それにしても今日のオッキュイネは陽だまりの匂いじゃなくって、なんだか獣の匂いがする。疲れてるとこんな匂いに変わるのかな?
ライナムルったらまた布団を運んだのね。今日は掛布団も運んだみたい。結構マメよね、ライナムルって。きっとオッキュイネはまだ寝床を作り直せてない。だからオッキュイネが寒くないように、ここに来たのかしら? って、わたし、また担がれたのかな? 誰かに見られたらヘンに思われない? 夜中だから誰も見てないか……
ヘンなライナムル――でも、大好き……
目を閉じたまま寝返りを打って、握られていないほうの手でライナムルの髪に触れようとする。あれ? 獣の匂いがするのはライナムル? こっちを向いたら強くなったわ。それにライナムルの髪って、こんなにモアモアと柔らかかったっけ? それに短すぎない? わたしの知らないうちに、こんなに短くしちゃったの? いや、違う! 頭がこんなに柔らかいって、あり得ない!
なんかヘンだ、いつもと違う、とうとうリーシャが目を開ける。そこには――
「うっ! きゃあぁあぁあぁあぁ!」
闇をつんざくリーシャの悲鳴、目の前には金色に光る二つの眼! 驚いたライナムルが飛び起きて、すぐさまリーシャを抱き寄せて周囲を見渡しながら指を鳴らす。すぐに部屋に灯りが点った。
「すっごい悲鳴だなぁ」
笑ったのはホシボクロだ。
「あ、あんた、ホシボクロ!」
光る金色の眼はホシボクロだったと気づいたリーシャの身体から力が抜ける。悲鳴の訳を察したライナムルがリーシャから顔を背けてクスッと笑ったが、耐えきれなかったらしくアハハと大声で笑った。
「なんでここにいるのよ? なんで笑うのよ?」
いい気持で眠っていたのに恐怖で目覚めさせられたリーシャは泣きだしそうだ。
「ごめん、ごめん――ホシボクロ相手にあんな悲鳴をあげたんだと思うと、可笑しくって」
優しくライナムルが抱き寄せる。
「また何か怖いものが、ライナムルを襲おうとしてるんじゃないかって、わたし、心臓が止まりそうだったのに!」
「おい! こんなかわいいボクが怖かったって言うのかよ?」
ベッドに座ってホシボクロが抗議する。
「だって、いると思ってなかったもの。そこへいきなり金色の目がギロッと光って……」
想像したのか、ライナムルがまたクスクスと笑いだす。
それでもライナムルに肩を抱かれ、髪を撫で続けられると文句が言えなくなるリーシャだ。ライナムルがリーシャを落ち着かせ、慰めようとしているのが伝わってくる。
「今夜はオッキュイネのところに行かないの?」
いつまでも怒ったり泣いたりしていたらライナムルを困らせ悲しませる。話題を変えたリーシャだ。
ん? と少し首を傾げてリーシャを覗き込んでからライナムルが答えた。
「オッキュイネは治ったとは言え肩の脱臼だからね。僕たちが行ったら翼に抱き込もうとする。負担を掛けたくないよね」
「そっか、そうよね――それで代わりにホシボクロ?」
「よせやい! オッキュイネの代理だなんてイヤだよ」
ホシボクロがすかさず文句を垂れる。
「ホシボクロは今回、大活躍してくれた。ご褒美に今夜、一緒に眠ることを許したんだよ――事前に言っておかなかった僕が悪い。怖い思いをさせちゃったね」
落ち着いた? ライナムルがリーシャに微笑む。はい、とリーシャが恥ずかし気な笑みで頷く。それじゃ、寝直そうかと横たわり、リーシャの枕の上にライナムルが腕を伸ばす。すると――
「よっこいしょ」
とライナムルの腕を枕にしたのはホシボクロ、ムッとした顔でライナムルがもう一方の手でホシボクロをどかそうとする。抵抗するホシボクロ、爪を寝具に立てて動こうとしない。ライナムルがホシボクロの前足あたりを押すとお尻のほうが残り、お尻のほうを押すと前足が戻ってくる。
焦れたライナムルが
「ホシボクロ!」
と、とうとう声を荒げた。
「なんだよ、ライナムル! 一緒に寝ていいって言ったじゃんか!」
「言ったよ。でも、リーシャの横に寝ていいとは言ってない。僕の後ろにしてよ。またリーシャが寝ぼけて怖がるかもしれないし」
「えぇえ! ライナムルの意地悪っ!」
ボクを落っことすなよっ! ぶつくさ言いながら、ライナムルの背中側にホシボクロが回る。意地悪で言ってるんじゃないよ、とライナムルもぶつくさ言った。
「さぁリーシャ、寝よう」
気を取り直したライナムルが腕に頭を乗せたリーシャを抱きとめる。額に感じたライナムルの唇が
「リーシャ、いい匂い――ホシボクロは毛むくじゃらでクシャミが出そうだった」
小さな声で呟いた。聞こえてるよ! ライナムルの後ろからホシボクロのちょっと
朝、頬に触れる手――もちろん人間の、手の感触でリーシャが目を覚ます。触れたのはライナムルだ。ほかの誰かだったら怖い。ライナムルは真剣な眼差しでリーシャを見ていたが、目を覚ましたのに気付くといつもの優しい頬笑みに変わった。
「おはよう。今日もいい天気だよ」
「おはよう、ライナムル――随分若返ってるわ」
「そう? いくつに見える?」
「わたしより三つくらい上って感じ。十七歳」
「そうか。リーシャのお陰だね。それに心配事が減ったから」
そう言ってベッドから降りるライナムル、聞き咎めたリーシャが問う。
「心配事が減った? 魔物の王のこと? 減ったってことは、まだあるって事よね?」
「そう言うわけじゃないよ。心配しないで、リーシャ」
ガウンを羽織りながらチラッとリーシャを見たが、着替えてくるね、とだけ言ってライナムルは部屋を出てしまう。顔の掃除をしていたホシボクロもベッドを降りてライナムルを追っていった。
身だしなみを整えたリーシャが応接室に出て行くと、ちょうどロンバスがワゴンを押して入ってきたところだった。ライナムルはテーブルの椅子に座りワクワク顔でロンバスを見ている。
ホシボクロがロンバスの足に纏わりつき、
「ねぇねぇ」
と話しかけた。
「ライナムルったら、ネグリジェ着て寝てたんだよっ! しかもありゃ、女物だ」
と、ケラケラ笑う。
「そのネグリジェはわたしがご用意したものですよ」
それがどうしたとばかりに答えるロンバスだ。
「ちぇっ! 知ってたのか――ライナムルがヘンなのは判っていたけど、それに従っちゃうロンバス、おまえもヘンだな」
詰まらないとばかりにロンバスを開放し、お気に入りのソファーに陣取るホシボクロだ。
朝、ロンバスが来るという事は、今日も何か用事があるという事だわ、いい加減、行動パターンを飲み込んだリーシャが思う。今日は何があるのかしら――
ホシボクロには小さめの角切りにされた生魚に何かを混ぜた物、ロンバスが床に置くと大喜びでホシボクロがソファーから降りる。
「ドンカッシヴォ特製猫飯だぁ~!」
ガツガツと食べ始めた。
ライナムルがロンバスに、
「ドンカッシヴォ特製の朝ごはん、今日のメニューは?」
と問う。笑いながらロンバスが答えた。
「今日はフライです、白身魚と海老ですね。刻んだ野菜と茹で卵で作ったソースが掛けてあります。それと茹でた花芽とニンジン、蒸かし芋、干しブドウを練り込んで表面に砂糖をかけて焼き上げたパン、リンゴとブドウのシロップ煮、オレンジ果汁もありますよ」
「うん、美味しそうだね、早く食べよう」
ニコニコ顔のライナムルだ。
美味しそうにエビフライを頬張るライナムルを泣きそうな顔のロンバスが見詰める。
「随分と若返られて……」
「ロンバス、食事の時に泣き顔は禁物。楽しく食べよう」
ロンバスの嬉し泣きに水を差すのは言わずと知れたホシボクロ。
「でもまだ十四歳には見えないし――てかさ、改めてみると朝より老けてない?」
えっ? とライナムルを見たのはリーシャだ。
「本当! どうして? ライナムル、あなた十八歳くらいに見えるわ」
苦笑するのはライナムル。
「起きた時は十七歳って言ったよね。で、今は十八歳…… 一歳ってそんなに差があるもの?」
これに答えたのはロンバス。
「初めてお会いした人の年齢は判らないものですが、毎日顔を見るライナムルさまの変化なら判ります」
「なるほどね――でも、どうして僕、老けちゃったんだろう?」
「心配事のせい?」
探るように訊くリーシャにライナムルが再び苦笑する。
「リーシャは僕に悩みがあったほうがいいのかい?」
「そんなはずないじゃない!」
真面目な顔で抗議するリーシャの足元で、
「力を何か使ったのかぁ?」
とライナムルを見上げてホシボクロが訊く。
「うーーん、実は時々、無意識に使っていることがあるから――何とも言えない」
今更ながらリーシャがライナムルに問う。
「ライナムルの力って、具体的にどんな?」
「あ、それ、ボクも聞きたい。なんかよく判らないよね、ライナムルの力って」
「わたしも教えていただきたいです、もうずいぶんお世話してますが、恥ずかしながらよく判っていないんです」
ロンバスまで返事を求めてライナムルを見る。
タジタジとなったライナムルが申し訳なさそうに口を開いた。
「いや……僕にもよく判らないんだ。リーシャ言うところの
ライナムルの言葉に、ロンバスが遠慮がちに異を唱える。
「それってひょっとして、無意識に動物や鳥たちを使役しているんじゃないんでしょうか?」
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