36  隠したいライナムル

 ライナムルはどうも言い辛そうだ。考え考えリーシャに話す。

「クレセントの養女になる時、あの、まぁ、なんだね、もう少し貴族のの名前にしろと言われるかもしれない」

「貴族の姫ぎみの名前?」


「呼び名ならリーシャって素敵だけど、正式な名前、例えば書類に書くとか、そうなるともうちょっとなんって言うか、勿体つけた名前じゃないと貴族っぽくないって言うか……」


ライナムルがしどろもどろなのは、リーシャの名前にケチをつけていると思われたくないからだと思うリーシャだ。言われる通りリーシャでは庶民っぽい。


「判った……もし誰か貴族の養女になると決まったら、その時は相手の家風にあった名前をください。素直にその名を名乗ります――でもライナムル。二人きりの時はリーシャって呼んでね」

「もちろんだよ」

ニッコリと笑顔を見せてライナムルが頷いた。


「ねぇ、リーシャ? もう一つ訊いていい?」

「えぇ……本当の名前のこと? 思い出すよう頑張るわ」


「そうじゃない、無理に思い出す必要なんかないんだ――いや、リーシャの話にお父さんが出てこないなと思って」

「あぁ……」


 ずっとお母さんと二人だった。お父さんのことなんか考えたこともなければ、お母さんが口にしたこともない。


「父はいないの。いれば修道院には入れなかったわ」

「そうだね、修道院は大人だと女性しか受け入れてくれない――僕が聞きたいのは、リーシャはお父さんに会いたいと思っているのかって事」

「父に?」

ライナムルの問いにリーシャが迷う。


 いるかどうかも考えたことがない相手に会いたいだなんて思う? でも、それじゃあライナムルが冷たい女だと感じないかしら?


 そう思ったリーシャだが、

「ううん、会いたいって思ったことないわ。だっているかどうかも考えたことがないんだもの――もし会っても戸惑うだけだと思う」

と答えたリーシャだ。嘘だろうが『会いたい』と言ったら母を裏切ってしまうと思った。


 どうして父がいなかったのかは判らない。でも困っていた母を助けてくれたのは父ではなく修道院だ。ライナムルには素直に自分の気持ちを伝えればいい。ライナムルはありのままのリーシャをきっと受け止めてくれる。自分勝手でどこかが違うライナムルをわたしが受け入れたように――


 ライナムルは『判った』と、いつも通り優しく微笑んだ。

「どうしてそんなことを聞いたの?」

「リーシャが会いたいと思っているなら探そうかと思ったんだよ」

探せば見つかるものなの? そう思ったが、それは言わないでいた。ライナムルの足元でホシボクロが前足で忙しなく顔を撫でまわしていた。


 食事を片付けるとロンバスが『参りましょう』と、地下室から持ち帰っていた封印の剣を携えてライナムルを促した。立ち上がったライナムルは国王から借りたと言う魔力封じの剣を手にした。


「父上に報告に行かなきゃならないんだ。きっと待ち草臥れて、そろそろ癇癪を起してるよ」

と、クスリと笑う。


 リーシャは疲れただろう? 先に寝てしまっていいからね――そう言い置いて部屋を出て行ったライナムル、ホシボクロもライナムルについて行ってしまった。


 確かに疲れてる、話し相手もいない――もし、オッキュイネの部屋まで一人で行けたなら行っていただろう。でもリーシャには行ける自信がない。オッキュイネが気になったけど、ライナムルに連れて行って貰ったほうがいい。


 やっぱり眠ろう、そう思って立ち上がると少しフラッとした。ゆっくり自分の寝室に向かい、ベッドに横になる。途端に眠りに引き込まれたリーシャだった――


 部屋に帰ってきたライナムルがリーシャを探す。見つけたのはリーシャのベッド、どうやらすっかり眠り込み、起こしたところで簡単には起きそうもない。担いだって起きないリーシャだ、寝かしておこうとライナムルは微笑み、応接室に戻った。


「リーシャ、眠っちまったか?」

 ホシボクロが笑う。

「やり慣れないことをしたんだ。無理もないね」

「それにしても驚きました、リーシャさまが魔物の王を討ち取ってしまうとは」

お茶の用意をしながらロンバスが言った。


 ホシボクロが

とどめはロンバスが刺したんだろ?」

と言えば、

「魔物の王はリーシャさまに切り刻まれてボロボロ、魔力で回復しようと足掻いているところに魔力封じの剣、ひとたまりもありません――実体のない相手です。いくら霞んで見えているとはいえ、リーシャさまは剣を振るったこともないでしょうから、大したものです」

と答えたロンバス、本気でリーシャを褒めている。


「泣き虫で弱っちくて高いところが苦手で――自分が行くってよく決心したよね。しかも剣を持ってくるだけじゃなく、魔物の王と対峙してやっつけた。ボクもこれからはリーシャに敬意を払う事にする!」

ロンバスが床に水を入れた皿を置いたのでホシボクロがトンと床に降りた。ロンバスは笑いながらライナムルの前にお茶のカップを置く。


 陽気なホシボクロと違いライナムルはどことなく沈んでいるようだ。魔物の王が消滅したのだからもっと明るい表情でもいいはずなのに、何か他に心配事でもあるのだろうかとロンバスが思う。


「何か気掛かりな事でも?」

ロンバスの問い掛けに曖昧な笑みを浮かべるライナムルだ。


「ライナムルだって疲れたのさ!」

 水を舐め取るのを少し休んでそう言うとホシボクロは再びペチャペチャと音を立てる。


「ライナムルさま?」

「いや、心配ないよ、ロンバス。兄上もお目覚めになり、ほっとしているんだ」


 クスリと笑ったのホシボクロだ。ソファーに上がったところを見ると、もう水はいいのだろう。

「ジュラナムル、『あぁ、よく寝た』って言って起きたんだってね。みんなが心配してたって言うのにお気楽だよな」

「眠ってらしたのですから、仕方ありませんよ」

ロンバスが王太子を庇う。


「健康状態に問題なしとカリンデランも言ってくれたし、本当によかったよ。凄くお腹が空いてるらしいけど、今夜はポタージュしかダメって言われてお気の毒だった」

やっとライナムルの表情が明るくなった。


 ホシボクロがソファーの上で宙返りし、

「これで明々後日しあさっては舞踏会だ! ロンバス、美味しいもの、ボクにも持って来いよ!」

とロンバスに言う。ロンバスは、いつも通り『はいはい』と答えながらライナムルを気にしている。ジュラナムルのことを話した時は明るい笑顔を見せたライナムルの表情が、もう沈んだものに戻っている


 カップを手にしてライナムルがロンバスに問う。

「舞踏会だけどさ、やっぱりリーシャは連れて行くだよね?」

「連れて行きたくないのですか!?」

ロンバスが驚いて、お茶を吹きそうになる。


「仮にとは言え婚約者、陛下も王妃さまもライナムルさまとリーシャさまが踊るのを楽しみにしていらっしゃいますよ」

「ライナムル、踊れるんだ?」

茶々を入れたのは勿論ホシボクロ、

「それとも下手っぴだから舞踏会には行きたくない?」

とライナムルを揶揄からかう。


 ロンバスが『ライナムルさまのダンスはお見事ですよ』と、ホシボクロをムッと見てから、

「王太子さまの快気祝いとライナムルさまの仮婚約のお披露目を兼ねた舞踏会です。王太子と王太子妃が踊り、ライナムルさまとリーシャさまが踊る、そのあとでなければ、誰も踊れはしませんよ」

と言えば、うん、と頷くライナムル、今度は暗く沈んだ声だ。


「当然だけど、クリセント――バンバクヤ侯爵も来るよね?」

ため息交じりにライナムルが呟く。ロンバスとホシボクロが思わず顔を見かわした。


 ライナムルに意見したのはホシボクロが先だった。

「まさかクレセントにを隠しておこうなんて思ってないよね?」

それにロンバスが同調する。

「隠したってバンバクヤ侯爵は気が付きますよ」

「でも――」

ライナムルが顔を上げて一人と一匹を見る。

「真実を明らかにすればいいってもんじゃないよね? リーシャを傷つけたくないんだ」

リーシャと聞いてロンバスが困り顔になり、ホシボクロが背を舐め始める。


 ややあってライナムルが立ち上がる。

「まぁいい。よく考えるよ。どっちにしろクリセントにリーシャを会わせない訳には行かないんだ――今日はもう休む。夜着に替えてくる」

と寝室へ向かう。後を追うホシボクロ、ロンバスは茶器を片付け始めた。


 着替えるライナムルをホシボクロが見あげる。

「真実を知ったからってリーシャが傷つくとは限らないよ?」

ライナムルは答えない。


「クリセントにも真実を教えないつもり?」

これにはチラッとライナムルがホシボクロを見た。


「ホシボクロの言う真実って?」

「奥方が娘を連れていなくなった理由だよ――クリセントを一番苦しめているのは、その理由が判らないからだ」

再びライナムルが黙り込む。


「ねぇ、ライナムル……」

それ以上はホシボクロも言えないようだ。ライナムルの名を呼んだきり黙って見詰めているだけだ。


 が、着替え終わったライナムルを見て吹き出した。

「なんだよ、それ!」

「うん?」

笑い転げるホシボクロにライナムルもニヤリと笑う。ホシボクロが笑ったのは、ライナムルのネグリジェ姿だ。


「よく似合うだろう? リーシャとお揃いなんだ――僕はリーシャと眠る。ホシボクロ、おまえはどうする?」

「ボクは邪魔じゃないの?」


 邪魔なもんか、と答えたライナムルの後を、嬉しそうなホシボクロが尻尾を立てて追っていった。


 応接室にロンバスの姿はなかった。茶器を下げ、そのまま自分の部屋に帰るのだろう。


 思いついたようにライナムルが髪を束ねる紐を解いた。紐は宙を進み、キャビネットの引き出しが勝手に開いて紐を受け入れ勝手に閉じた。


 溜息を吐いてライナムルはリーシャの寝室に入っていった。

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