21 恋は最強の魔法
そのあとはタラタラと、お茶を楽しみながらの雑談が続き、ジュジャイ伯爵夫人がリーシャを開放する気になったのは夕刻だった。
「王宮には百を超える猫がいるけれど――」
ジュジャイ伯爵夫人がオホホと笑う。
「前王妃さまが亡くなってからと言うもの、猫たちは放置状態。リーシャ、あなたがこれからは束ねるのですよ」
つまり前王妃――ライナムルのお
「貴族のかたは誰もが特殊能力をお持ちと思っていいのですか?」
リーシャの問いに、やっぱりジュジャイ伯爵夫人がオホホと笑った。
「そうとは限らなくってよ。王家や貴族の子弟に能力者が生まれることはよくある話ってこと。王妃さまやバンバクヤ侯爵は鳥使いで有名だけど、国王陛下はこれと言って特別なお力はなかったような……もっとも、わざわざこんな力がありますなんて、誰も言わないから、知られていないだけかもね」
「それじゃあ、マーリンが紙使いだって教えてくれたのは珍しいことなのね?」
「いぃえ、わたしの力は知れ渡っているわ。何しろこの国の誰よりも書物に書かれたことを知り尽くしているのはわたしですから」
知れ渡っていたり隠されたり、その基準はどこにあるのかな? 疑問に思ったリーシャ、なんだかよく判らないけれど訊かないことにした。ライナムル同様、ジュジャイ伯爵夫人も面倒臭い。欲しい答えをくれそうにない。
「どちらにしろ、不思議な力の発動を見ても王宮の中では日常茶飯事、いちいち驚いていてはダメよ」
ロンバスが炎使いだってことも知られているのか訊きたかったが、ライナムルが誰にも言うなと言ったのを思い出したリーシャ、代わりにライナムルの紐のことを尋ねてみる。
「あのぉ……」
恐る恐るリーシャが切り出す。
「髪を束ねる紐が宙をクネクネ移動するのです。自分の意思があるかのように――」
「髪を束ねる紐? 物を動かせる能力者かしら?」
「ライナムルの、なんですけど」
「ライナムル?」
ジュジャイ伯爵夫人は少しギョッとしたようだ。
「そう……それはライナムルの仕業じゃないわ。敢えて言うなら紐の意思。あなたが感じたとおりよ。紐が勝手にライナムルのところへ飛んでいくのよ」
「紐が勝手に?」
「はいはい、今日はもうお仕舞。夕刻となりました。帰る時間だわ――またね、リーシャ」
慌てて立ち上がるジュジャイ伯爵夫人、憮然としたリーシャが引き留めようとするが聞く耳を持たない。
「気になるなら自分の婚約者に訊くことね――多分、ライナムル自身、よくは判っていないだろうけど」
「待って、マーリン」
「はいはい、じゃあね、また今度」
ジュジャイ伯爵夫人を止めようと急いで立ち上がったリーシャが、勢いで倒してしまった椅子を直しているうちにジュジャイ伯爵夫人は応接室へと行ってしまう。すると開け放たれたドアの向こうでジュジャイ伯爵夫人のオホホ笑いが木霊した。
「ライナムル! 帰っていたのね。なんで声を掛けてくださらないの?」
「ジュジャイ伯爵夫人、本日もありがとうございました――すぐにお声をおかけしようかと思いましたが、勉強の邪魔をしてはと遠慮していた次第です」
ライナムルの声が聞こえる。ライナムルが帰っている! 嬉しさにリーシャも応接室へと駆け出していく。
「ライナムル!」
ロンバスが扉を開けてジュジャイ伯爵夫人を見送っている。部屋着に着替えてソファーで寛いでいたライナムルが、リーシャを見て立ち上がる。リーシャの声に振り向いたジュジャイ伯爵夫人の目の前でロンバスがパタリと扉を閉めた。ライナムルが両腕を広げ、リーシャがそこに飛び込んだ。
「ライナムル! ライナムル……」
ライナムルが泣きじゃくるリーシャを受け止める。オホホ笑いがドアの向こうで聞こえ、すぐに遠ざかっていく。
「どうしたの、リーシャ?」
言葉と裏腹に、少しもライナムルは不思議がっていない。リーシャが泣くから驚いているだけだ。リーシャだってなんで自分が泣いているのかがよく判らない。なんで泣いているのだろう? ライナムルを見詰めながらリーシャが思う。
「心細かったの。ライナムルがいなくって、わたし、心細かったの」
そんなリーシャの頬をライナムルが優しく撫でる。
「そうか――ごめんね、リーシャ」
ロンバスが、『着替えてまいります』と廊下へと出て行った。
とにかくお座り、落ち着いて、ライナムルに促されソファーに座ったリーシャ、ライナムルはそんなリーシャの手を取ってそっと包み込む。そして困った顔をする。
「そんな顔で僕を見詰めないで。愛しさで胸が潰れそうだ」
「ライナムル……」
わたしもあなたが好き、瞳で訴えるリーシャをライナムルがそっと抱き寄せる。そして軽く溜息を吐いた。
「僕は必ずキミを妻にする。僕を信じてリーシャ」
なぜそこで溜息を吐くの? ライナムルの言葉を疑うわけではないのに、新しい不安を感じるリーシャだ。それを察したライナムルが言葉を繋ぐ。
「バンバクヤ侯爵がキミを養女にするのを拒んだ。いや、考えさせてくれと言った」
「あ……」
「でも心配いらない。必ずクリセントはキミを養女にする。僕には判っているんだ。だけど少し時間が必要。それにリーシャはクリセントに会わなくちゃならない」
「わたしが侯爵さまに?」
「うん、養女にするのがどんな娘なのか、クリセントだって会わずには決められない。もっともな話だろう?」
「バンバクヤ侯爵はなぜ考えたいと?」
「うん――」
抱き締めていたのを緩め、ライナムルがリーシャを見詰める。
「クリセントには奥方がいた。それが十年前、当時四歳の姫君と一緒に突然いなくなった。クリセントは今も奥方と姫の行方を探している――その姫は、うん……」
急にライナムルの口調が淀む。
「その姫君はね、リーシャ、僕の婚約者だったんだ」
「あ?」
ライナムルを見詰めるリーシャの息が止まる。婚約者? ライナムルの?
「それって……」
「誤解しないでリーシャ。母上とクリセントが決めたことで、うん、父上も了承しているけれど。でも、十年間行方不明だ。破棄されている。だから仮とは言え、リーシャとの婚約を父上は認めたんだ。今の僕の婚約者はリーシャ、キミなんだよ」
「でも、でも――」
もしそのお姫さまが見つかったら? 誰もわたしの味方をしてくれなくなる。みんな、ライナムルはそのお姫さまと一緒になったほうがいいと思うに決まっている。わたしだってそう思うもの。身分の違いがリーシャを悩ます。
「見つかるかどうか判らない姫君をいつまでも待っていられない。そんなことはバンバクヤ侯爵だって判っている。それに――」
「それに?」
言い淀んだライナムルにリーシャが先をせがむ。そんなリーシャをライナムルがじっと見つめて言った。
「僕には愛しあう人が必要なんだ」
僕に掛けられた呪いを少しだけ話すね、と今度は深い溜息を吐くライナムル、どんな呪いだろうが構わないと思うリーシャ、ライナムルはリーシャを離し、ソファーにきちんと座り直した。
「さっき、ジュジャイ伯爵夫人に紐のことを訊いていたよね」
あ、ライナムルは
「いや、いいんだ。気になるよね」
薄くライナムルが笑う。
「あれは僕がしているんじゃないんだ。僕に掛けられた
「呪いの仕業?」
「うん――僕に掛けられた呪いは万物が僕のために働く、と言うものだ」
「えっ?」
「僕の思惑に関わらず、すべてのものが僕のためにと勝手に考えて動く。猫たちが僕の願いを聞き入れたのも、小鳥たちが僕に寄ってくるのも、みんな僕を喜ばそうとしてのことなんだ――オッキュイネは多分違う。アイツは僕が育てたから、僕を親だと思ってる、きっとそう。そうであって欲しい」
「うん、そうよね、オッキュイネはそれはそれはライナムルが好きだもの」
泣きそうなリーシャがグッと涙をこらえる。オッキュイネまで呪いのせいでライナムルに従っているなんてことになったら、ライナムルが可哀想だ。
だけど万物がライナムルのために働くのなら、それは呪いと言えるのかしら? むしろ祝福なのではないの?
リーシャの疑問をライナムルの言葉が吹き消した。
「僕のために何かが動く、働く、するとその度、その動きの大きさに合わせて僕の命が削られていく」
「えっ?」
「僕が急激に老け込む時があるのはそのせい。回復の魔法を使わないとどんどん老けていくばかりだ――僕、十四には見えないでしょう?」
確かにライナムルは年よりずっと大人びて見える。今日は
「僕と心から愛しあっている、親以外の誰か、その誰かに包まれて眠る、それが回復の魔法――だからリーシャ、一緒に眠って欲しいんだ」
「うん、判った、これから毎晩ライナムルと一緒に眠る」
嬉しそうにライナムルが微笑む。
「やっぱりリーシャは僕を好きになってくれた。初めて会った時、この子だって思ったんだよ」
そうね、ライナムルには予知の力があるのだものね。ジュジャイ伯爵夫人の言葉を思い出す。
「今まではオッキュイネが回復の魔法だったの?」
「うん、でもオッキュイネでは少し足りなかった。どんなに大事な友達でも、僕はオッキュイネの一番になれなかったんだ。オッキュイネの親代わりではあっても僕はオッキュイネの恋人じゃない」
「恋の力が必要なのね?」
「うん、恋は最強の魔法のひとつだからね」
再びライナムルがリーシャを抱き寄せる。
「僕はキミに恋をしている。リーシャ、キミは僕に恋をしているよね?」
耳元で聞こえるライナムルの声に、瞳を閉じて頷いたリーシャだった。
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