20 ライバルはウルマ
ジュジャイ伯爵夫人が『オホホ』と笑う。
「いやだねぇ、この子ったら……箱に入れられて捨てられた子猫みたいな顔をしているよ」
きっと言われたとおりだ、とリーシャも思う。
「ま、婚約者が恋しくないなんて、そのほうが問題。大目に見ましょ。でもね、リーシャ、ライナムルがいないからってしょぼくれてたら、ライナムルに恥を搔かせることになるわ。あなたはいつでも毅然としていなくちゃいけなくてよ」
夫人の言うことは判るのだけど果たしてそうなれるのかしら? まったく自信がないリーシャだ。そもそもわたし、ただの下々の娘だし。婚約だって仮のものだし。切なくなったリーシャ、でもここで泣いたらジュジャイ伯爵夫人にまた怒られそう……
いつの間にこんなにライナムルのことを好きになっちゃったんだろう? あの人は王子なんだから好きになっても悲しいだけ、そう思っていたはずなのに。気が付いたら、ほんのちょっとの時間、離れているだけなのにこんなにも心細い。ライナムルが恋しくて堪らない。
そんなリーシャの悲しげな顔にジュジャイ伯爵夫人も気が付いた。
「リーシャ、ライナムルがあなたを選んだってことを忘れないでね。ライナムルが好きなら、彼を信じ、自分を信じることですよ」
「でも――」
「ライナムルはバンバクヤ侯爵に会いに行くと言ってなかった?」
「えぇ、そう言ってたわ」
「あなたの養女の件で行ったのだと思うわ」
「わたしの養女?」
「あなたをバンバクヤ侯爵家の養女にする、そんな話はライナムルがあなたを連れてきたときからありました。ライナムルが望んだのです」
「バンバクヤ侯爵って王妃さまのお従弟でしょう? わたしを王家の親戚に? そんな大それた――」
「えぇ、国王陛下はなかなかウンと言わなかったわ。でも陛下はライナムルさまには弱いときてる――ギミビジ公爵館からサラサーラさまをお救いし、東門に忍び込んだ賊をロンバスに命じて捕らえさせた、そのご褒美にと言われて嫌と言えなくなったのね。ま、東門の賊はタダの愉快犯、酔っ払いだったみたいだけど」
「あ……」
「でも、さすがに簡単には許せない。で、条件を出した。国王陛下はやたらと条件を出すのがお好きですからね――バンバクヤ侯爵の了承をライナムルが取付けたなら、としたの。それにしてもライナムルもせっかちね、昨日の今日で、もうバンバクヤ侯爵に働きかけるなんて。それほどあなたのことをライナムルは思ってるって事よ」
「昨日の今日?」
「えぇ、陛下が条件を出したのが昨日だから……交渉ってもんはね、普通は少し根回ししたり、それとなく探ったりしてからするものよ。だいたいライナムルが正攻法なんて珍しい」
「いつもはそうじゃないの?」
「そうね、ま、王妃さまの一族は大昔から鳥使いの一族、小鳥たちに因果を含めて情報を収集したり操作したり――」
「えっ? ちょっと待って、鳥使いの一族?」
ジュジャイ伯爵夫人がフフンと笑う。
「何をいまさら驚いているの? あなただって猫たちを使役できるって聞いているわよ」
「は、はいぃ!?」
「驚いたふりをしても無駄。王族貴族はたいてい誰でも不思議な力が使えるものです。まさか知らなかったの?」
激しく首を縦に振るリーシャだ。ちなみにわたしは紙使い、本でもただの紙切れでも思うが儘に動かせるし、書かれている内容が瞬時に判る。そう言ってオホホと笑うジュジャイ伯爵夫人だ。
「昔はね、そんな能力を持つ下々の者は『
それがいつの間にか下々の中にも能力を持つ者が現れた。原因は殿方の浮気の虫。
「それを『悪霊憑き』だって誤魔化して、捕らえては虐殺した。酷い話よ、自分のお遊びの後始末に、自分の子どもを殺したの。でも、すべてを見つけ出せたわけじゃなかった。能力が発動されなくて判らないまま遺伝していったのね。だからどの時代にも悪霊憑きが現れる。で、ある時、元をただせば王家の血筋なのだから、と考える王様がいて、そんな能力を持つ人を保護して役立たせることを思いついたのね」
「役立たせる、って?」
「召し抱えて貴族の扱いをするようになったの――もっとも、そう多くは出ないのだけどね。リーシャ、あなた、下々からは百年ぶりくらいに発見された悪霊憑きよ」
「あ……ってことはライナムルも悪霊憑き?」
するとジュジャイ伯爵夫人が首を傾げた。
「まさか! リーシャ、あなた、本当に何も知らないの? ライナムルさまは特別。特別に不思議。あとは本人に聞いて」
また本人に訊けって言われた。ロンバスもそう言ってた。みんな、知っているのにわたしには隠している?
確かにライナムルは不思議だ。何がどう不思議かって考えると、いろいろあり過ぎてすべてが不思議、としか言いようがない。
「ねぇ、ジュジャイ伯爵夫人」
「マーリン」
「あ、マーリン、教えて」
「教えられることと教えられないことがあるけれど、ま、なにが知りたいのか言ってみなさい」
「ライナムルは他人が見た夢を覗ける?」
さっきリーシャが見た夢の話をしたときに、ライナムルが自分のセリフを訂正したことをふと思い出したリーシャだ。あの時は聞き逃したけれど、夢の中のことをライナムルが知っているのはヘンだ。
「ライナムルにそんな能力があるとは聞いていませんよ」
「そうなんだ……」
「夢を言い当てたの? それは夢? 予知ではなくて?」
「予知? ライナムルは予知ができるの?」
言い過ぎたと思ったのか、ジュジャイ伯爵夫人が嫌そうな顔をする。
「ライナムルがふと思いついて口にしたことが現実になる、そんなことはよくあるようです」
さぁさ、無駄話は終わり、これ以上は何も話しませんよ。ジュジャイ伯爵夫人がコホンと咳払いする。
「今日はついでだから、我がザルダナ王国建国のお話をいたしましょう」
ジュジャイ伯爵の顔を眺めながら、リーシャはライナムルのことを考える。それに一つ判った。オッキュイネの部屋で寝ていたのは夢じゃない。あれは現実――
ジュジャイ伯爵夫人が溜息を吐く。
「リーシャ、今はお昼寝の時間ではなくってよ」
ウトウトしかかったリーシャが慌てて姿勢を正す。今日のジュジャイ伯爵のお話は退屈過ぎて、眠けに負けそうなリーシャだ。
「はい、マーリン、ごめんなさい」
「ま、いいわ。少し休憩にいたしましょう」
立ち上がったジュジャイ伯爵夫人は応接室に行き、扉の前に立つ。が、ロンバスも出かけていることを思い出し、自分で扉を開けた。
「誰か! お茶の用意を!」
もちろん自分で扉を閉める。
暫くすると小間使いの女の子がワゴンを押して現れ、ジュジャイ伯爵夫人に促されてリーシャの部屋まで運び、一礼して退出していった。
ポットからカップにお茶を注いでくれたのはジュジャイ伯爵夫人だ。お茶と、一口大に切り分けられたサンドイッチがある。サンドイッチはどうやらイチゴジャムが挟んであるようだ。
「やっぱりこの粒々がいいわよね。イチゴを食べてるって気分になるわ」
嬉しそうなジュジャイ伯爵夫人、ライナムルはその粒々が苦手だわ、と言いはしないがリーシャが思い出す。
イチゴジャムは小皿にも盛られていて、ジュジャイ伯爵夫人は嬉しそうにジャムをお茶に入れて溶かした。
「リーシャ、あなたもお好みでどうぞ」
マーリンの好物はイチゴか、イチゴジャムなのね。なんとなく暖かな気持ちをリーシャがジュジャイ伯爵夫人に感じていると、
「そうそう、五日後、王宮の大広間で舞踏会が開かれるのよ」
とジュジャイ伯爵夫人が言い出した。
「舞踏会ですか?」
「えぇ、ジュラナムル王太子の快気祝いと多分ライナムルの婚約の正式発表」
「王太子さまはお目覚めに?」
「まだらしいわ。でもライナムルが明日、兄上は目が覚めるって仰ったから」
「あ、ライナムルの予知?」
「たぶんね――で、リーシャ、あなた、ダンスは?」
「踊ったことなんかありません」
「そうでしょうねぇ」
イチゴジャムのサンドイッチを頬張りながらリーシャを眺めるジュジャイ伯爵夫人だ。
「ま、ダンスはウルマに教えて貰いなさい、あの子は器用だから、きっと上手に教えるわ」
「はい、頑張ります」
「そう言えばウルマは? あの子がいないから、わたしは自分で扉を開けて小間使いに命じる羽目になったのに、あの子はどこにいるの?」
どうしよう、ライナムルがウルマだなんて、あれ? ウルマがライナムルだったっけ? どっちにしたって言えないわ。
「ライナムルと一緒に出掛けたのかしら?」
素っ惚けたリーシャだ。
するとジュジャイがフフンと意地悪そうな顔をする。
「リーシャ、ウルマにライナムルを盗られるなんてことにならないようにね」
「はいぃ?」
「今のところライナムルはウルマに気があるようではないけれど、わざわざ王妃さまから貰い受けたのでしょう? 気に入っていることは確かです」
「はぁ……」
「しっかり目を光らせて、間違ってもウルマが先に懐妊するようなことにならないようにね」
「か、懐妊……」
「他人事ではありませんよっ? 判っているのですか、リーシャ?」
「はい……」
「またそんな気の抜けた……このマーリン、教育係を承ったからにはリーシャの味方。困ったことになる前に、ちゃんと相談するのですよ」
「うん、ありがとう、マーリン」
わたしには、ライナムルとロンバス以外にも味方がいるんだ。なんとなくジュジャイ伯爵夫人を怖がっていた自分を恥ずかしく感じるリーシャだ。そうだ、オッキュイネもたぶんわたしの味方、人間じゃないけどね。
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