19 クチバシ軋りな夜
ギシッ……ギシュ……
何の音だろう? 夢うつつの中、リーシャは思う。
ギシュシュ……ギリッ……
それにしてもライナムルったら、手を繋ぐだけでいいって言ってたのに、完全にわたしを抱き締めちゃってる。うん、嫌じゃないけど。あったかくって優しくて、いい匂いがして、なんだかとっても幸せ。ライナムルの傍にいれば、どんなことがあっても大丈夫って感じる。寂しくなることはもうないと感じる。
ギッシュ、ギリギリ……
うーーん、やっぱり耳障り、なんなのよ、この音! せっかくいい気分でいるのに台無しよっ! 思わず上体を起こしたリーシャ、腕を払われた勢いでライナムルが向こう側に寝返りを打つように転がった。あらライナムル、今日はベッドから落ちないのね。いつもらなら落ちてる案件よ。だけど、もうちょっと優しくすればよかったかな、と思うリーシャだ。が、今更遅い。落ちなかったから良しとしよう。
それよりも音の出どころが気になっている。でも、あれ? 視線が高くなったリーシャの目の前に――
「ギャーーーーっ!!!」
薄闇にギラリと光る大きな二つの目、それがリーシャを睨みつける。思わずあげた悲鳴にリーシャ自身が驚いて、さらに悲鳴を上げ続ける。
「キャーキャーキャー!!!」
「煩いよ」
さすがに気が付いたライナムルが上体を起こし、リーシャを見ると座り直して首に腕を回して軽く抱き締めてくる。
「怖い夢でも見たの? リーシャ、僕が傍にいるよ、もう大丈夫、落ち着いて。こんなに震えて、どれほど怖い夢だったんだい? それとも寒い?」
「あ、あ、あ……そうじゃなくって!」
ライナムルの横から腕を伸ばし、リーシャが指すのはライナムルの後ろ、大きなモコモコしたなにか、光る眼でリーシャとライナムルをじっと見ている。
「うん?」
振り返ったライナムルの目がリーシャの指さす方を追い、モコモコの後ろを覗き込む。
「うん? ちょっと暗いけど、夜だからね、灯りを入れる?」
「そうじゃなくって!」
「そうじゃなくって?」
「ライナムル、あなたのすぐ後ろ! 目がぎらぎら光ってる!」
「あぁ……」
視線をモコモコの後ろから、すぐ上に移動させたライナムル、ギョロ目とちょっとだけ見つめ合う。
「オッキュイネがどうかした?」
「オッキュイネ?」
リーシャを抱いていた腕を離してライナムルがパチンと指を鳴らす。するとグルリと部屋を取り囲む壁の燭台に火が点った。ライナムルの後ろのモコモコに色が付き、オッキュイネの姿に変わった。それにここはオッキュイネの部屋だ。
「だって、だって、オッキュイネ? そうよ、ぎしぎしヘンな音がしてたわ」
「オッキュイネの
「嘴軋り?」
「うん、そう、そうしないと嘴が伸びすぎて自分が怪我をするらしいよ。学者が言ってた」
出たよ、出たよ、得意の学者、でも、今度は本当にそうかもしれないと思うリーシャだ。
「それより! なんでオッキュイネの部屋にいるのよ?」
「だって、なんだかオッキュイネが可哀想で。滑車で布団を運んで、リーシャは僕が担いできた。リーシャ、よく眠ってたよ、起きないんだもん、凄いよね」
「凄いって、変なところで感心しないでよっ! それに布団?」
見るとふかふかの布団の上に座っているリーシャとライナムルだ。
「なんでわたしまで?」
「目が覚めた時、僕がいないと心配すると思ったからだよ――もういいから、まだ夜明けまでずいぶんある、寝直そう」
「えぇ? いいって、なにが?」
ゴロンと横になったライナムルがリーシャの腕を引く。引っ張られたリーシャ、納得いかないまま横になるしかない。ライナムルと言い争っても疲れるだけ、きっと理解してくれない。でも、なぜかそれが嫌じゃない、少し不満顔のリーシャを満足そうな顔で抱き込むライナムル、その二人をオッキュイネの翼が覆った。
(それにしても……)
布団を運び、リーシャを運び、夜中にライナムルは何をしているのやら? 苦戦するライナムルを想像して、ふとリーシャの顔が綻ぶ。
「笑ってないで眠って。僕、眠いんだよ」
目を閉じたままライナムルが呟く。リーシャはそっとライナムルの胸元に顔を埋めた。いつも通りのいい匂い、それに今日は陽だまりみたいな匂いもする。オッキュイネの匂いかしら? オッキュイネの嘴がリーシャの髪をそっと啄んだと感じながら、 リーシャも眠りに落ちて行った。
ところが――目が覚めたのはいつもの自分の寝室、自分のベッド、ライナムルは起き出した後なのか姿が見えない。窓から差し込む光で部屋は明るく、とうに夜は明けてしまったらしい。
あれは夢だったの? 戸惑うリーシャの耳に、ドアが開く音がした。
「おはようリーシャ、朝ご飯だよ」
ゴロゴロとワゴンを押して入ってきたのはライナムルだ。いつも通りニコニコ顔のライナムルだ。早く食べたいと顔で語っているライナムルだ。
「ライナムル!」
なぜか安心したリーシャの声は必要以上に嬉しそうに響いてしまう。
「どうしたのリーシャ? ヤケに嬉しそうだね。僕に会えてそんなに嬉しい? それともお腹がすき過ぎてた?」
ニッコリ笑うライナムルに、少しだけ
今朝は蒸し鶏と野菜を混ぜ込んだサラダ、トウモロコシのポタージュ、卵液に漬け込んでバターで焼いたパン、トロリと発酵させたヤギの乳を掛けたブドウ――ライナムルのパンの皿がてんこ盛りなのを見てギョッとしたリーシャだったが、自分の前に置かれたパンは程よい量が盛り付けられていてホッとする。
「料理長がリーシャならこれくらいだろうって」
パンの皿を置くときライナムルが不安そうな顔をした。
「足りる?」
「うん、ちょうどいいわ」
リーシャの答えにライナムルもホッとする。
それにしても……
「ヘンな夢を見たわ」
ポタージュをスプーンで掬いながらリーシャが言う。
「オッキュイネが
「リーシャ、それを言うなら
「歯抜けなの?」
パンを口に入れようとしていたのをやめてライナムルがリーシャを睨みつける。
「リーシャ、オッキュイネはね、鳥なの。鳥には嘴があって歯は元からないの」
そんなことも知らないの? 侮蔑しきった眼でリーシャを見るライナムルだ。ムッとしたリーシャだが、おバカと言われなかっただけマシかなと思い直す。言われたほうがマシだった気もしなくもないが、ま、深く考えるのはやめておこう。
「でね、ライナムルが指をパチンと鳴らしたら、オッキュイネの部屋の灯りが付いたの」
「うん」
「部屋が明るくなって、嘴軋りしてるのがオッキュイネだって判ったの」
「ふぅ~ん」
「ライナムルがね、僕が傍にいるから安心してって優しく抱き締めてくれたの」
「大丈夫だから落ち着いてって言ったんだ」
「そう? そうだったかもしれない。どっちにしろ、嬉しかったの」
「うん――リーシャ、お喋りもいいけどちゃんと食べて。今日はジュジャイ伯爵夫人が来るよ」
「そうなんだ?」
「うん、こないだの続き――僕は父上のご用で出かけるけど、終わるまでには帰ってくるから」
「ひょっとしてギミビジ公爵の件?」
「いや、クリセント――バンバクヤ侯爵に会いに行く。王都の仮館に滞在中らしいんだ」
「ホシボクロを取り返しに行くの?」
「あぁ、ホシボクロもそろそろ返して貰わなくちゃね」
「違うのね」
「違うよ――リーシャ、早くお食べ」
「今日は連れて行ってくれないのね」
「父上のご用だからね……寂しい?」
「うん、寂しい」
自分で言っておきながら、頬が熱くなるのを感じるリーシャだ。ライナムルの頬も赤く染まる。
「なるべく早く帰ってくるよ。いい子にしててね、リーシャ」
食事が終わるころにはいつもよりもきっちりした服のロンバスが現れ、身支度を整えるため寝室に戻ったライナムルの代わりに食事の後片付けをしてくれた。
「今日は着飾ってる?」
リーシャの問いに、
「正装ですよ、リーシャさま」
とロンバスが笑う。
「ライナムルさまは国王の名代として、バンバクヤ侯爵に会いに行かれるのです。そのお供のわたしももちろん正装、という事ですね」
小間使いに手伝って貰ってリーシャが身支度を終え、応接室に戻った時にはライナムルも戻ってきていた。
ロンバスの言うとおり、ライナムルは薄い水色の衣装、金糸銀糸の刺繍やモールで飾られたいつになく立派な
やがて廊下から『オホホ』笑いが聞こえ、ロンバスが扉を開く。
「おぉ~や、ライナムル、今日はお出かけですこと?」
「ジュジャイ伯爵夫人にはご機嫌麗しく。本日もリーシャをよろしくお願いしますね」
行ってしまうのね? 目で訴えるリーシャに
「それじゃあね」
とライナムルが微笑む。ロンバスがジュジャイ伯爵夫人を迎えて、いったん閉じた扉を再び押し開く。
なぜだろう? ライナムルが行ってしまうと思うと凄く苦しい。戸惑うリーシャの目の前で、ライナムルに続いてロンバスが出て行く。そして扉が閉ざされた。
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