14  長すぎる妊娠

 食事を済ませると早速ライナムルが髪を結ってくれ、髪飾りとネックレスもつけてくれた。

「料理長にリーシャを連れていくって言ったら大喜びでね」

上機嫌のライナムルには申し訳ないがリーシャとしては、どうせ仮の婚約で結婚はしないのだからと後ろめたい。かと言って、それを言ったところでライナムルは理解しそうもないのだから、面倒なのでここは従っておくほうがいい。


 応接室から廊下に出る扉を開けて、ワゴンを廊下に運び出すライナムルに続いて廊下に出ると、窓枠からライナムルに話しかける猫がいた。


(ライナムル。ご依頼の件が判ったよ)

その声にライナムルが猫を見た。

「ちょっと待って」

ライナムルが猫に答える。


 どういうこと? ライナムルは猫の言葉を理解した? 戸惑うリーシャ、ライナムルはワゴンを廊下に置いて部屋の扉を閉めると

「リーシャ、この子は今、なんて言ったの?」

と聞いてくる。あぁ、そういう事なのね、と

「頼んだ件が判ったんですって」

教えるリーシャだ。


「あとで庭に行くよ」

そう猫に言うと、ライナムルはワゴンを押して歩き始め、それを見た猫は身体を伸ばし、頭から尻尾までブルブルさせると躊躇ためらいいもなく窓枠から庭に飛び降りた。廊下側の窓の向こうはすぐそこに地面があって、リーシャが覗き込んだ時には、もう猫の姿は消えていた。

「リーシャ、ついてきて。手を引いてあげられなくてごめんね」


 王宮の中はやけに静かで、ライナムルが押すワゴンの『ゴロゴロ』と言う音だけが響いて聞こえる。

「いつもこんなに静かだったっけ?」

「今日はね、国王が王都の東門の視察に行ってるんだ。こないだなぜか壊れちゃって修繕した。その出来栄えを見に行ったんだよ」


「なぜか壊れた?」

「王都の西と東と北には門があって通行手形がないと通れないことになっててね。それも昼間だけ。夜はきつく閉ざされてる。もちろん昼夜を問わず門番もいる」


「なのに、なぜ壊れたかが判らないの?」

「突然、門の上部が崩れてきたんだって。昼間のことで、下には王都に入ろうとする者、出て行こうとする者が集まっていて……門番たちは何とかその人たちを誘導したんだけれど、怪我人が出たみたい。軽傷だって聞いたけど」


「怖かったでしょうね……その門はそんなに古かったの?」

 ライナムルが足を止めてリーシャを眺める。


「いいや、壊れるはずのないものだった――さぁ着いたよ、この先が厨房だ」

「えっ? って、ちょっと、ライナムル!」

 厨房の入り口の自在戸をワゴンで押し開けたライナムル、東門が気になるリーシャも置いて行かれるのは心細い。ライナムルについて厨房に入った。


 広い厨房は調理台やシンクがピカピカに磨かれてキラキラしていた。大きな鍋やフライパンが整理されて置かれているが、どれもやっぱりピカピカだ。


「ライナムルさま、お待ちしておりました」

ライナムルを見ると白い髭を蓄えた大男がニッコリを微笑んだ。隣にはロンバスが立って、少し嫌そうな顔でライナムルを見た。大男は、背の高いロンバスよりも頭一つ飛び出ている。


「うん、少し遅れた、ごめんね、ドンカッシヴォ。ロンバスもごめん」

「はい、お陰で準備は済んでございます」

ロンバスの声は皮肉含みだ。


「で、ドンカッシヴォ、この子がリーシャ、僕の婚約者。よろしくね――リーシャ、料理長のドンカッシヴォ、凄い力持ち、大きな鍋も鉄板も、片手でひょいひょい持ち上げちゃうんだ」

「リーシャでございます」

慌ててリーシャが軽く膝を折り挨拶する。


「いつもお料理がおいしくて……」

リーシャが言い終わらないうちにドンカッシヴォがガハハと笑う。

「ドンドンお食べくだされ。ジュジャイ伯爵夫人から、少し太らせるよう言いつかっておりますよ」


 ここでロンバスが咳払いした。

「ライナムルさま、先を急ぎましょう。護衛兵たちも待ち草臥れてしまいます」


護衛兵? 何の事かしら……リーシャがそう思っているうちに

「そうだね――行くよ、リーシャ。じゃあね、ドンカッシヴォ」

慌ただしくライナムルがリーシャの手を取り厨房を出て行こうとする。やっとのことで料理長に会釈したリーシャだ。


「行くってどこに?」

 手を引かれながらリーシャがライナムルに問う。ロンバスはライナムルの前を早足に歩いていてライナムルもそれに合わせているものだからリーシャは最早小走りだ。


義姉上あねうえに会いに行こうと思ってるんだ――話は馬車の中で」

「猫のお話はどうするの?」

「あ……ロンバス、とまれ!」

ライナムルの命令にロンバスが軽く舌打ちしたようにリーシャには思えた。


「先に猫の話を聞きに行く。こないだの件、判ったそうだよ」

答えの代わりにため息をついてロンバスが方向転換した。


 広場では相変わらずたくさんの猫がたむろしていた。猫は寝そべって顔の手入れをしていたが、ライナムルを見ると手を止めてニャーンと鳴いた。ライナムルが来た、と言ったのだ。すると奥から、さっき窓辺にいた猫がゆったりとした足取りで姿を現した。他の猫は気づいているのかいないのか、全く関心を示さない。そんなフリで猫たちが、実は神経を集中させて窺っているとリーシャは知っている。猫の無関心に騙されちゃいけない。


「遅くなってごめんね。しかも急いでるんだ。手っ取り早く聞かせて欲しい」

(ったく、あんたはいつも勝手なことばかり言う――結論は一つ、予測通りだった)


ニャオニャオを聞きながらライナムルがリーシャにすがるような目を向ける。

「予測通りだったって」

「そうか、判った。で、どっちだった?」


(頭が真っ黒け)

「頭が真っ黒けって言ってるわ」

ライナムルとロンバスが顔を見合わせた。


「判った。詳しいことはあとでまた聞きに来るよ……今日は来れないかもしれない。お礼もちゃんとするからね。ありがとう」


 言うなりリーシャの手を引くライナムル、すぐさま早歩きを始めるロンバス、

(お礼は魚、骨は取っちゃってよ)

ニャオニャオを聞きながら、引きずられるように広場を後にしたリーシャだ。


 今日は馬車だった。リーシャから見れば、とっても馬車だ。籠には彫刻が施され、金銀箔や螺鈿らでんが埋め込まれてきらびやかだし、中も豪華で程よくクッションが効いたソファー、ライナムルとリーシャが並んで座り、ロンバスはライナムルの対面に乗り込んだ。それでもゆったりしている。御者もきちんとした御者服を着ているし、馬車の前後をそれぞれ五騎の衛兵が固めている。


 ロンバスの横に置いてある箱にリーシャが目を止めると、

「サラサーラさまへのお見舞いでございます」

とロンバスが言った。


「ドンカッシヴォは何を作ってくれたんだろう?」

「アップルパイだと申しておりました」

「……」

何か言いたげだったライナムルだったが、何も言わないことにしたようだ。


「サラサーラさまって?」

「兄上のお妃だよ。懐妊して体調が思わしくないんで王都の西にある父親の館で静養してる」

「それはご心配ね」


「うん、本当に心配。義姉上は優しいおかた。しかも兄上を愛しておられる。なのになぜ、兄上の傍を離れたまま帰ってこない?」

「ライナムル?」


「お人好しの国王は、大事を取ってるんだというサラサーラの父親の言葉を鵜吞みにして疑おうともしない。だから僕が確かめに行く。義姉上がどんな暮らしをなさっているか。お腹の子は無事なのか――気遣い無用、気を使われれば却ってこちらも気を遣う、静養の妨げになると言われて王宮からは様子を見にもいかない。父王が東門の視察に行った留守を狙った。だから急いでいるんだ」


「疑っているの?」

「静養に入ってもう九ヶ月が経つ、なのに未だ生まれないものヘンだろう? まぁ、リーシャは気にしなくていい。黙ってニコニコしていて。来訪の口実は婚約の報告だから」


「わたしって、しょっちゅう口実に使われてる気がする」

するとライナムルがきょとんとした。

「気のせいだよ」


 本当に気のせい? すっきりしないリーシャだが、ライナムルの表情に騙そうとする様子はない。


「ジュラナムル王子はお幾つなの?」

「ロンバスの次は兄上に興味を持った? でも兄上は話した通りサラサーラ妃がいる。僕でいいじゃん」


「いいえ、年齢聞いただけです!」

「なんで兄上の年齢なんか知りたいのさ? ま、僕より十ばかり上だよ」

「そうですか、下じゃなくって良かったわ――随分離れているのね」


「僕より上だから兄なんだよ、リーシャ――二人目は諦めるしかないって思い始めたら、やっと僕を身籠ったって話だね」

「へぇ、そうなんだ」


「お陰で陛下がライナムルさまを甘やかすものだから、王妃さまが怒ってばかりだったとか」

横からボソッとロンバスが呟いた。少しだけライナムルが嫌な顔をする。が、咎める気もないのだろう。その理由はすぐ知れた。目的地に着いたのだ。もともとゆっくり走っていた馬車がゆるりと速度を落として停まる。


「ついたようだね――リーシャ、ギミビジ公爵家の屋敷だ。公爵は今、自領に戻っている。ご高齢の母君の容態が悪いという事だ」

「都合よく次々に病人が出る――」

これもロンバス、さっきよりももっと小さな呟きだ。


 ところが停まったきり一向に動かない。屋敷の門が開かないのか?

「ライナムルさま……」

 籠の外から衛兵がライナムルにお伺いを立てる。


あるじ不在の折、ご遠慮いただきたいとのことですが、いかがいたしますか?」

ライナムルがフフンと笑った。


「第二王子であるわたしに遠慮しろと? 『そちらこそ遠慮いたせ、無礼者』そう言ってやれ」

伺いを立てた衛兵がニヤリと笑い、『承知しました』と馬を駆った。


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