13 リーシャのものは
ドアがノックされたのは、着替えを終えて、髪にブラシを当てている時だった。
「今日はパンケーキ、エビと茹で卵と花芽のサラダ、玉ねぎのスープだって。オレンジのムースもある」
嬉しそうにワゴンを運ぶライナムルだ。どうやらリーシャの寝室で朝食を摂る気らしい。食べ物を目の前にするとライナムルはいつもとっても嬉しそうだ。寂しがり屋の食いしん坊、口にしないがリーシャが思う。
「ロンバスはまだ来ないの?」
「言わなきゃこんな早い時間にロンバスは来ないよ」
「そうなんだ……」
「なに? ロンバスが気になるの? 浮気は許さないよ」
「浮気って! そんなんじゃないわ!」
「真っ赤になって怒らないでよ、リーシャ」
「アンタがヘンなこと言うからでしょ!」
「リーシャがヤケにロンバスを気にするからじゃん」
「気になんかしてないし。普段いる人がいないから聞いただけよ。だいたい何よ、その浮気って」
「浮気じゃないならいいんだよ」
「わけわかんない」
「ふうぅ~ん」
何が『ふうぅ~ん』だよ、っと思ったが、これ以上やりあっても疲れるだけで勝敗もつかないとリーシャが黙る。
すると、それにしても、とライナムルがクスリと笑った。
「アンタだの、『おい』だの。あと『違うだろうが!』だったっけ? リーシャ、僕が王子だってこと、すっかり忘れてるよね」
「あ……」
さすがに血の気が引いたリーシャにライナムルが優しく微笑む。
「
「嬉しいの?」
「うん、リーシャが僕に心を開いてくれた、そう感じる」
そう言えばこの人、寂しがり屋だったっけ? 切り分けたパンケーキを口に運ぶライナムルをボケーっと見つめるリーシャだ。
気配を感じてなのか、
「リーシャ、僕に見惚れてないで早くお食べ。今日は残しちゃダメだよ。庭の誰かに食べて貰えるものがない。今日の料理はどれもバターやらの油脂や塩分が多くて、人間以外の生き物の身体によくない――なんで人間には害がないんだろう?」
とライナムルがリーシャを見もしないで言う。最後のほうは独り言だ。
「見惚れてなんかいないわよ」
悔し紛れにそう答え、ついでに、そう言えば、と思い出す。
「ロンバスも
と訊いてみる。なんとなく、声が小さくなる。ロンバスのことで揉めたばかりなのになんでまたロンバスの話題を振ってしまったのか。でも、思いついたらすぐに聞きたいリーシャなのだ。
「ロンバス? リーシャはやっぱりロンバスが気になるんだね」
チラリとライナムルがリーシャを見た。そうじゃないのにと思ったが、ここでヘンな反応をすればもっとライナムルを誤解させる。
「気になっているのはロンバス自身じゃなくってロンバスの能力よ――昨夜、暖炉の火を消して、シャンデリアの火を絞ったわ」
「おや、割と目敏いんだね。気が付いちゃったか」
「目の前であんなことされれば気が付くわよ」
「うん、まぁ、ロンバスは『火』が使える。誰にも言っちゃダメだよ」
「もちろん、判ってるって」
「ロンバスの力を悪用しようと思うヤツに知られると拙い。ロンバスはほぼ無敵だけど、人質を取られると、相手の言いなりになるしかなくなる」
「人質? そんなことを考える人がいるの?」
「リーシャ――」
食事の手を止めてライナムルがリーシャを見詰めた。
「昨夜、いろんな声が聞こえるって話したばかりだよね、もう忘れちゃったの?」
「あ……」
「それにさ、リーシャの力を、悪用じゃないけど、利用しようとしてるのが目の前にいるでしょ?」
「ん? そうよ、ライナムル、あんたねぇ!」
「ほら、また怒る――リーシャは僕の役に立つのが嫌なの?」
真面目な顔でそう言われて、いやとは言えないリーシャ、そもそも嫌じゃない。
「嫌じゃない、って顔してる……ひょっとして、嬉しい?」
「そ、そこまでは!」
「そう。僕は誰かの役に立てれば嬉しいけどな――ま、いいや、早くお食べ」
嬉しい、って素直に言えばよかったかしら……ちょっとだけ後悔したリーシャだ。でも、やっぱり言えない。なんだか悔しい。それに見透かされそうで怖い。なぜ嬉しいのか、自分でもはっきりと自覚できない理由をライナムルに知られたくない。
それにしても千里耳だったっけ……
「ねぇ、ライナムル?」
「なぁに、リーシャ?」
「声って夜しか聞こえないの?」
「その話か――昼間も聞こえるけど、昼間は他の物音ではっきり聞こえないかな。聞こうと意識すれば聴き取れなくもないけどね」
「あ、そう言えば、オッキュイネがお食事してるとき、あんなに煩かったのにわたしの声が聞こえたのはだからなの?」
「うん、聞こえたよ――あ、そっか。オッキュイネ、リーシャが壊した寝床の修復材料を探しに行ったのかも」
「あの枯れ枝、そこら辺の木じゃないんだ?」
「そこら辺の木と死んだサンゴとオッキュイネの抜け羽根と何とかって言うでっかい
「サンゴって?」
「海の中の岩みたいな生き物だって。それが死んで打ち上げられた物だろうって、学者が言ってた」
「おっきな蜘蛛、って?」
「それは、多分のお話。王城の崖下の森に、大きな蜘蛛がいるって昔から言われてて……その蜘蛛の巣を持ってきてるんじゃないかなぁ、って学者が言ってた」
いい加減なのは国防だけじゃないみたい、心の中で呆れるリーシャだ。『じゃないかな』って本当に学者がそう言っているの? そうは思ったものの、それを指摘できるリーシャではない。
用意された食事は思ったよりもボリュームがあって、残すなと言われた手前どうしようかと思っているうちにライナムルは食べ終えてしまった。しかも、お茶を淹れに立ったついでにテラスの窓を開けて『今日はお裾分けはないよ』と集まった小鳥たちに断りを入れている。もちろん、人間の言葉だ。本当に通じているのかしら? 疑問を感じるリーシャだが、これも否定する根拠がない。
戻ってきたライナムルが、ニコニコ顔で話しかけてくる。
「食べ終わったら、今日は僕が髪を結ってあげる。そのあと食器を下げに厨房に一緒に行こう。料理長に紹介するよ」
「えぇ……」
パンケーキが残り一枚と少し、その少しを何とかお茶で胃に流し込む。その様子をライナムルはお茶を飲みながらニコニコ眺めている。そんなライナムルをつい、恨みがましい目で見てしまったリーシャ、気付いたライナムルが『あれ?』っとリーシャを見る。
「どうしたの? パンケーキはお気に召さなかった?」
「そんなこと……」
そんなことない。こんなおいしいパンケーキ、初めて食べた。卵がたっぷり、ふわふわで、甘い香りとバターの香りが調和して、さらにハチミツもたっぷりで――でも、もうこれ以上は無理。どうしたらいいの? 困り切ったリーシャがつい涙を浮かべる。
「リーシャ? 修道院を思い出した? 孤児たちに食べさせたい?」
「そうじゃないの。違うの」
「困ったリーシャ、だったら何だろう? 泣くほど食べさせてあげたいのなら、今度調理長を連れて修道院に行こう。もちろん材料も持ってね」
「えっ?」
「リーシャがいた修道院だけ特別扱いにはできないから、頻繁にって訳には行かないけれど、年に一度くらいなら何とかなると思うよ。いろんなところを回ろう」
「だって、そんな……」
「今までだって、衣類を寄付したりとかはしているんだ……ロンバスが食べ物はやめた方がいいって言うから、衣類や玩具とか本とか、そんなのが多いけど。でもリーシャが――」
「ちょっと待って!」
「うん?」
ふと思い出し、リーシャがライナムルの言葉を遮る。
「あ、あ、あんた! ライナムル! 慈善家のお嬢さま!?」
「あぁ……そうだね、いつもウルマとして行ってた。年に一度」
「なんで言ってくれないのよ?」
「だってリーシャ、キミ、全く覚えてなかったじゃん。どうせウルマの顔なんか見てなかったでしょ?」
「アンタだって、わたしの顔なんか覚えちゃいなかったんでしょ!?」
「バレた?」
クスリと笑うライナムルだ。
「お互い覚えてないんだからお相子ってことで、そんなに怒るなよ――とにかく、まぁ、早く食事を終わらせて」
「ううぅ……」
目の前のライナムルに騙された気分のリーシャ、目の前のパンケーキを何とか誤魔化せないかと思うがどうも無理そうだ。とうとうすすり泣く。
「ごめん、もう無理、お腹いっぱい」
「えっ? ちょっとリーシャ、なんで泣くんだい? 泣かないでよ」
「だって、今日は残しちゃダメだって言ったじゃないの」
「あぁ……だからって無理して食べろと言ったつもりはなかったんだ。ごめんよ」
言うなりライナムルがリーシャのパンケーキの皿を取ると自分の前に置いた。
「心配ないよ、残りは僕が食べる。だから泣きやんで」
「ええぇっ!? ちょっと! ライナムル! それ、わたしの食べ掛けよ!」
慌てるリーシャを気にすることなくニコニコ食べ進めるライナムルを見ているしかないリーシャだ。
「この部屋での食事の時は僕が食べるけど、他の人も一緒の会食の時は、食べきれなかったり、食べたくない時には合図を出せば給仕係が下げてくれる。合図の方法はあとで教えてあげるから」
「でも……」
「会食の時の残り物は、場合によっては下級の召使たちの食事に作り直されたり、それも無理な時は家畜の飼料や菜園の肥料にされる。無駄にはならないから心配しなくっていい――でも、本音を言えば、リーシャの残したものを誰かに食べられるのは、なんか嫌だな。リーシャのものは全部、僕のものにしたいな」
サラリと言い放つライナムル、どういう意味ですか? と聞きたいリーシャ、でもやっぱり怖くて聞けない――
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