7 王子さまは女遊びにお出かけ中
その夜、こんなフカフカで眠れるのかしら? 慣れないベッドに潜り込んだリーシャだったが、あっという間に夢の国、何度もライナムルとオッキュイネが出てきて、だけど夢の中では不思議とオッキュイネを怖いと感じず、ライナムルは優しく微笑んでリーシャを見つめ、幸せな気分で眠り続けた。
小間使いの女の人に揺り起こされたのは、まだ朝ぼらけ、空では夜が名残を惜しんでいる頃だった。
「お急ぎください。ウルマさまとロンバスさまがお待ちです」
眠い目を
身支度を整えて応接室に入っていくと、ソファーに座る人がいた。ウルマだ。『失礼しました』と退出する小間使いを『ご苦労』と傍らに立っていたロンバスが
「おはよう、リーシャ」
とニコリとウルマが微笑む。
「おはようございます、ウルマさま」
「ウルマにさまは不要、リーシャさまの侍女なんだから――お茶とアップルパイを用意したから、食べてから出かけるよ」
どうやらウルマも食べていたようで、食べかけのアップルパイが乗った皿を手にしている。
「ロンバスが馬車で連れて行ってくれる。馬車と言っても荷馬車だけれど――早く行かないと市場も人が多くなる。食べたらすぐに出かけよう。きちんとした朝食は帰ってくるまで我慢してね」
アップルパイを口に運びながらリーシャが思う。修道院の裏手で見た時も思ったけれど、ウルマはなんて綺麗なのかしら? 煌めく黄金の髪、涼しげな眼元、瞳の色は緑掛かった濃いブルー、すっとした鼻は高過ぎもせず、形の良い唇は少し薄めだけれどふっくらと優しげ。そんな見た目に加え、なにしろウルマからは気品を感じる。凛として、ちょっと近寄りがたい雰囲気、でもそれがウルマを美しく見せる一番の理由なんだわ……
「わたしの顔に、何かついてる?」
ニッコリと笑みを浮かべるウルマ、リーシャは赤面して、いいえ、と答えた。
馬車を用意すると言って一足先にロンバスが部屋を出る。慌ててペースを上げるリーシャに、
「ゆっくり食べないと、また咽喉に詰まらせるよ」
とウルマが笑う。それをリーシャが聞き
「また?」
「うん、昨日ビスケットを咽喉に詰まらせたよね」
「ライナムルに訊いたの?」
「いや、聞いたわけじゃない」
「じゃあ、なんで知ってるの?」
「リーシャ、キミ、大丈夫? って、本当に記憶力が悪い?」
「えっ?」
「ライナムルの顔を忘れちゃった? だったら物凄くショックなんだけど……リーシャじゃないけど
あれ、この声……この綺麗な目――
「ラ、ラ……ライナムル!?」
「しっ!」
リーシャの叫びに、慌ててウルマが指をリーシャの唇に当てる。
「思い出してくれた? でも内緒だよ。侍女に化けてるとき、僕をその名で呼んじゃダメ。知ってるのは母上とロンバスだけだ。あ、それとリーシャ、キミも」
小さな声、でも、そう、その声はライナムルの声だ。ウルマはライナムルだ。いや、ライナムルがウルマなのか? 混乱で眩暈がしそうなリーシャ、でも、踏みとどまった。少しだけ、眩暈を起こすには刺激が足りなかったようだ。
「だって……いや、なんで?」
「なんで、って、呼んではダメな理由? それとも侍女に化ける理由? 侍女に化ければ、城から割と自由に出られるし、誰かに王子と気付かれない。王子が女装だなんて誰も思いつかない――でも、バレたらまた城に閉じ込められちゃう。判ってると思うけど、バラしたらバラすからね」
ニヤリと笑うウルマ、判ったら行こうか、と応接室の扉を開ける。やっぱりライナムルはヘン、普通に変装すればよくない? なんでわざわざ女装なの? このまま傍にいたらわたしもヘンになっちゃいそう、そう思いながらもウルマの後をリーシャは追った。
市場に着くころはすっかり夜も明けて、
「やぁ、ウルマさま、
「ガオ、お世話さま。今日もお勧めをたくさん馬車に積み込んでくださいな」
「今日はモーウイがあるよ。それと約束通りにカボチャも仕入れてある。あのなんだっけ? 王子さまの小鳥はニンジンも食べたっけ?」
小鳥? 耳を疑うリーシャだが、わざわざ言いはしない。
「うん、ありがとう。年がら年中カボチャを調達するって大変でしょう? オッキュイネ、カボチャがないと機嫌が悪くなるんだ。壁を突きまわして宥めるのに苦労する。助かるよ――ニンジンもたぶん好き、入れといて。それと……果物も適当に。よろしくね」
「はいよ、任せとき!」
ガオが積み込む色とりどりの野菜で、荷台はすぐに満載になる。
「それじゃね、ガオ。お代はいつも通りお城に取りに来て――またカボチャ、よろしくね」
「おう、野菜のことなら任せとき! ウルマさまの頼みなら、いつだって揃えてやるさ。またな!」
裏門から城に入り、荷馬車を降りたウルマが荷台のリンゴを一つ手に取る。
「ロンバス!」
振り向いた御者台のロンバスに、手にしたリンゴを放ると、また二つリンゴを手にし、一つをリーシャに手渡した。
「ロンバスは荷馬車を片付けてからくるよ、先に部屋に帰ろう。リンゴ、袖でこすって汚れを取ってから
「お行儀が悪いわ」
「この時間なら、城の中をウロウロしてる人もいない。お行儀の悪い食べ方って、結構おいしかったりするんだよ――食べながら帰ろう」
そんなものかしら? ウルマの真似をしてリンゴを齧るけど、その
大きく遅れたリーシャのところに戻ってきたウルマが
「食べてから帰ろうか?」
と笑う。庭の木立に置かれたベンチに腰掛けた。
朝の
その様子に、
(本当にライナムルは
とリーシャが思う。
昔から
「残った芯は庭に放り投げていい。誰かが食べてくれる」
ウルマの声にリーシャの物思いが中断される。
「誰かって?」
「人じゃなくって動物の誰か」
「なっとく」
笑うリーシャにウルマが微笑む。
「そう言えば、今日はオッキュイネにご飯、あげに行かないの?」
「オッキュイネのご飯は中二日空けることにしてる。毎日あげても喜ばないんだ」
「そうなのね――それにしても、あれだけの量の野菜、一人で荷台から降ろすなんて、ロンバスは大変ね」
「いや、馬だけ外して荷台はそのまま納屋に置いとくんだよ。荷台から降ろさせるなんて、それじゃあロンバスが気の毒だ」
「ウルマ、優しいのね」
少しウルマの頬が赤くなった。
りんごを食べ終えたところへ、そのロンバスが追い付いてきた。
「まだこんなところに?」
「リーシャが歩きながらじゃ食べられないって――ちょうどよかった、食べ終わったところだよ。行こう。リンゴで余計に空腹になった。考えてみたらリンゴばかり食べてる」
ところが部屋の扉の前でウルマが立ち止まる。
「なんだか、嫌な予感がする……ロンバス、先に入って」
「はい? 王城に暴漢がいるはずもなし、気のせいですよ」
おおらかにそう言うと、何の
「ね、国王陛下と王妃さまがいらっしゃるだけです。安心なさってください」
「ロンバス――」
笑うロンバス、ライナムルの顔が引きつった。
部屋にいた国王が怒りを込めた声でロンバスに問う。
「ロンバス、ライナムルはどこだ?」
「陛下、ライナムルさまは女……」
ハッとロンバスが口を閉ざす。なぜ国王がここにいる? そして今、自分は何を口走ろうとした?
「陛下、王妃さま、おはようございます」
部屋に入ったウルマが膝を折って挨拶する。慌ててリーシャもそれに倣う。
「おお、ウルマよ、ライナムルがいないのだ。どこに行ったのか知らぬか?」
国王の後ろでは口元を隠した王妃がオホホ笑いを堪えている。
「夜は自らの屋敷に帰るわたしが知ろうはずもございません。ロンバスさまならご存知なのでは?」
ウルマさま……ロンバスが恨みがましい声を出す。
「そうだな、ロンバス。ライナムルはどうした? 女、と言ったな? 女がどうした?」
女の格好でここにいらっしゃる、つい、そう言いそうになったロンバス、一体どう誤魔化そう?
「いや、その……」
「いや? その?」
「えーーとですね」
「えぇと?」
「いやぁ……」
「ロンバス! はっきりしろ!」
とうとう怒鳴り出した国王、『陛下、
「はいっ! ライナムルさまは、その、お、お、女、女……そう! 女遊びにお出かけです!」
はぁ? と目を丸くする国王、王妃が後ろで笑い転げた。
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