8 苦手はイチゴのツブツブ
リーシャの横では明らかに、ウルマが笑いを
「お、お、女遊びとは、なにか、いわゆるあれか? 女の子となにを、なんだ、そのする?」
国王の顔は青くなったり赤くなったり、だけど誰も助けようともしない。それもそうか、ここにいるのは国王と王妃、ウルマとリーシャ、そして今、責められているロンバス。ロンバスが助けるはずもなし、王妃とウルマは面白がり、リーシャは畏れ多くて何も言えない。
「ライナムルは何を考えているんだ? 仮にも婚約したばかりなのに――ほら見ろ、リーシャが泣いてしまった。わしではないぞ、ロンバスが泣かせたんだ」
「えっ? わたしのせいですか?」
慌てるロンバス、王妃とウルマの笑い声、どうするんだ、ロンバス! 国王の怒鳴り声、ますます悲しくなったリーシャがしゃくりあげて泣く――
「お願いだから、泣きやんでください」
と、なんとか宥めようとリーシャの肩に手を伸ばす。その手をウルマがビシッと叩き、
「ライナムルさまの、仮にとは言え婚約者、気安く触れるとは不敬ですよっ!」
と本気で怒る。王妃のホホホ笑いだけが楽しげだ。
まぁまぁ、あなた、と王妃が国王を取り成す気になったらしい。
「隣の寝室で可憐な乙女が眠っていると思えばライナムルとてお年頃、じっとしていられなかったのでしょう。どうせ大したことはできないはず――女遊びとはロンバスに見栄を張ったのでしょう。そんな度胸、あの子にはありませんよ」
「でもおまえ……」
「ウルマを侍女につけたのです。そんなに心配しなくても大丈夫。可愛い子には旅をさせてあげるものです――たまには一緒に朝食を、と思ったけれど、ライナムルがいないのなら、わたしたちは退散いたしましょう。さぁ、帰りますよ」
じゃあね、ウルマ、ロンバス、と声をかけ、リーシャに会釈して部屋を出ようとする王妃、急いでロンバスが扉を開ける。
「おまえ、わしを置いて行くな」
慌てて後を追う国王、廊下から王妃のオホホが聞こえ、チッチピッピオ、待っておくれ、と国王の声がそれに続く。ロンバスが扉を閉めた。
「チッチピッピオって?」
「王妃さまのお名前ですよ」
リーシャの問いにロンバスがそっと答えた。
笑い転げるのはウルマだ。加えて少し怒っている。
「ロンバス! 失態だぞ? 巧く母上が誤魔化してくれたからいいものの、どうするつもりだったんだ?」
「申し訳ありません、ウルマさま」
「まぁ、いいや、面白かったから――父上たちはもう廊下にいないだろう? 小間使いに朝食の支度をするよう、それとリーシャの着替えを手伝いに来るよう伝えて」
畏まりましたとロンバスが言う横で、リーシャが
「着替えくらい自分でできるわ」
と言えば、
「今日は小間使いに髪を結って貰って。わたしも着替えてくる――またあとでね」
と、ウルマはライナムルの部屋に消えてしまう。ロンバスはとっくに部屋を出た後だ。なんだか朝から疲労感、少しベッドに横になろうかしら――リーシャも自分の寝室に戻っていく。
ベッドに向かう途中で姿見が目に入る。昨日とはずいぶん違う自分がいる。街娘にしては上等だけど、昨日みたいに華やかじゃない。昨日のわたしはキラキラしていた――あれ? わたし、キラキラしていたいのかしら? 少しがっかりしてる?
「お待たせいたしました」
ドアの向こうで声がする。小間使いが着替えを手伝いに、もう来たんだ。
「リーシャさま? 入ってもよろしいですか?」
あぁそうか、許しをあげなくちゃいけないんだわ。
「えぇ、どうぞ――」
こんな生活に慣れることなんてできるの? 着替えを済ませ、髪を結って貰いながら、ライナムルの顔を思い浮かべるリーシャだ。
ライナムルのために慣れなきゃダメよね。でないとここに居られない。ここを出されたら、きっとライナムルにはもう会えない。あれ? ライナムルの傍にいたいの? あんな変人に近寄らないほうがいいんじゃなかった? 自分で自分が判らなくなりそう――
支度を終えて再び姿見を見る。昨日と同じようにキラキラした自分を見れば、やっぱり素敵と感じてしまう。少しの間くらい夢を見ていてもいいよね? ライナムルのお手伝いをする間だけ。鏡の中のリーシャが頷いた。
今朝の食事はカボチャのポタージュ、いろいろな菜が取り混ぜられ、潰したイチゴが掛けられたサラダ、カリカリに焼かれたベーコンに卵を二つ使った目玉焼き、それに数種類のパン――
「目玉焼き、本当に目玉みたいだわ!」
「うん? 目のようだから目玉焼きだろう?」
ライナムルが不思議そうな顔をする。髪を後ろに束ね、服装も男物に替えている。
「いつもは卵、一つだけなの」
「それじゃ片目焼きじゃないか」
「それでも月に一度、出ればいい方だわ。ベーコンなんて、何かのお祝いの時だけ」
「いつも何を食べてたの?」
「朝は野菜スープとパン、夜も野菜スープとパン。たまぁにパンにチーズが入ってるわ。あとはミルク。修道院で飼っているヤギのミルクよ」
「ふぅん。だめだよ、もっと食べなきゃ。だからそんなに痩せているんだ。それともおやつの食べ過ぎで、食べられなかった?」
「おやつなんか修道院じゃ出ないわよ。バザーで売るために、たまにクッキーとか焼くけど、それも一人に一枚か二枚だけよ」
「へぇ、リーシャはクッキーが焼けるんだ? 凄いね。今度、僕にも焼いてよ。厨房を借りられるよう、調理長に頼むから」
ニコニコするライナムルに、やっぱり住む世界が違うとリーシャが思う。急激に食欲が失せていく。
「どうしたの?」
ライナムルが料理に手を付けないリーシャを不審がる。
「料理が気に入らなかった? なんだったら作り直させようか? 食べたいものでもあるの?」
そうじゃないのに――なんだか切なくなるリーシャ、するとライナムルがクスリと笑う。
「修道院の、ほかの子達にも食べさせたくなった?」
「えっ?」
「こんな贅沢、わたしがしてもいいのかしら? ほかの人たちに申し訳ない。わたしには分不相応の生活、慣れろって言うけど無理よ――こんな感じなんじゃないの?」
「そ、そうよ、だって、だって――」
「リーシャ、思い違いをしちゃダメだよ。リーシャが食べなければ、全部捨てられてしまう。食べられる物を捨てる、それこそ最大の贅沢だ。贅沢というより、罪深い
「あ……」
「それにね、野菜もベーコンも、ベーコンの材料になる肉も、そして卵も、作ってくれた人がいる。育ててくれた人がいる――僕たちのように金を持っている者が買い上げなくては彼らが困る。困るだけじゃないのはそこに働く者たちだ。解雇されて、それこそ路頭に迷う。日々の食事にも事欠いていく」
この人……ライナムルはヘンなフリをしているだけ? それともたまぁに
「だからリーシャ、ちゃんとお食べ。特にスープは全部ね。他は量が多かったら残していいよ。庭の誰かが食べてくれる」
さぁ、と立ち上がったライナムルがリーシャの横に回り込み、スプーンをリーシャの手に持たせる。
「とっても美味しいよ。冷めないうちにおあがりよ」
ライナムルがリーシャを覗き込む。
こんな近くに誰かの顔を見るなんて、いつぶりかしら? ママが死んでから、こんなに近づいてきたのはライナムルが初めてかもしれない。でも不思議と嫌じゃない。驚かされてばかりだけど、決して嫌じゃない。迷うのは修道院が恋しいし、ちょっと不安だからよ――
物思いに
「食欲なんかない、と思っても、食べてみると意外と美味しかったりする――好きなだけ食べるといいよ。食べれば身体だけじゃなく、心も元気になってくから」
食べ始めたリーシャに気をよくしたライナムルは上機嫌だ。曖昧な笑みで答えるリーシャ、確かに美味しい――
先に食べ終わったライナムルがニコニコと見ているものだから食べ難さを感じるリーシャ、ふと見たライナムルのサラダが、ほとんど手を付けられていないのに気が付いた。
「オッキュイネは野菜大好きなのに飼い主は野菜嫌いなのね」
と笑う。うん? とライナムルが応える。
「嫌いじゃないよ。でもイチゴは苦手。なんであんなにツブツブなのかな。ツブツブができないようにイチゴを品種改良した農民には
「鳥が好きなのね」
「オッキュイネの臣下は僕の臣下でもある。大事にしたいだけ」
「オッキュイネが大事なの? 臣下が大事なの?」
「そんなのどっちもに決まってる。でも僕はただの王子だから、臣下もそんなにいないし、父上みたいに民のことを考えなくてもいいから、オッキュイネを優先しても許される」
「それってオッキュイネが一番大事ってことね」
笑うリーシャ、ライナムルがふと真剣な顔をしてリーシャを見詰める。
「そうだね、今まではね――今はオッキュイネより大事な人ができた」
なんで顔が熱くなるの? 戸惑うリーシャもライナムルを見詰めた。
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