6 ウルマは母親似
ふらふらとソファーに倒れ込んだリーシャを
「急に立ち上がるからだよ」
と、ライナムルが覗き込む。すぐお飲み物を、とロンバスが退出した。
「わたし、思い出したの――」
「うん、なにを?」
「あのロンバスって人、ウルマって女の人と
「うん。それで?」
「それで、なんだかガラの悪い人に襲われて――だからわたし、思わず助けてあげてって猫ちゃんたちに頼んだのよ」
「うん」
と、ここまで言ってリーシャがハッとする。
「ちょっと! それをライナムル、あなたも見ていたんでしょ?」
「まぁ、見てたって言えば見てたけど?」
「なんで、昨日の人だよ、って教えてくれないのよ?」
「判ってるもんだと思ってた――リーシャって思ったよりもおバ……記憶力、悪いの?」
「酷い! 今、おバカさんって言おうとしたよね?」
「言ってないじゃん」
「言ってないけど、言おうとした!」
「リーシャ……」
リーシャの剣幕に、ライナムルが悲しそうな顔をする。
「お願い、そんなに怒らないで」
「だって――」
「ねぇ、機嫌、直してよ。可愛い顔が台無し――何かお菓子も持ってこさせようか? 卵とバターをたっぷり入れて焼いたケーキとか。ヌガーでいいならキャビネットにあったはず」
思い立ったらすぐ動くタイプなのか、リーシャが返事をする間もなく、キャビネットに向かうライナムル、取り残された気分のリーシャは、可愛いと言われたことに気を取られ、怒りもどこかに消えてしまった。顔を赤くしたことに気付かず行ってしまったライナムルに安心したり、少し残念に感じたり――
そこにロンバスが戻ってきた。
「ねぇ、ロンバス、ここにヌガーをしまわなかったっけ?」
「あぁ、それはこないだウルマさまの時に、街の子どもたちにあげるってお持ちになりましたよ――ジャムを乗せて焼いたビスケットをご用意しましたから、これで我慢なさってください」
「ふぅん……」
不満そうなライナムル、一瞬キャビネットの前で顔を
熱いお茶を
「美味しい……」
と顔を
「そう言えば、ウルマって人、王妃さまに似ているわよね。国王陛下の仰る通りだわ」
「うん、母親似ってよく言われる」
「えっ? ウルマさまは侍女なのでしょう?」
「そうだよ」
なんだか話が嚙み合わない。王妃さま似、の『王妃さま』は自分の母親だから『母親』って置き換えたのかしら? それにしてもヘン。話題を変えよう――
何がいいかな? そうだ、大好きなオッキュイネの話ならきっとライナムルも乗ってくる。
「オッキュイネはずっとあの部屋にいるの?」
「夜はだいたいいるね。たまに僕が行くから、居てくれる――夜、一人でいると無性に寂しくなることってない? そんな時、僕はオッキュイネのところに行って一緒に眠ってもらうんだ」
「ライナムルって寂しがり屋さんなのね」
「それって他の人は寂しくなっちゃうことがないってこと? 僕、変わってる?」
寂しがり屋は別にして、いろいろと大きくヘンです、そう言いたいが本人を前には言えないリーシャ、
「ううん、みんな寂しいけど、強がって隠してるの。それを素直に出す人を『寂しがり屋』って言うのよ」
と誤魔化した。
するとビスケットをモグモグしながらライナムルが真面目な顔で言う。
「へぇ、そうなんだ――リーシャ、思ったよりも博識なんだね」
「いえ、そんな――」
これくらいで博識と言われても、と思うリーシャの後ろでロンバスがクスッと笑った。なんか、ひょっとして、実はライナムルはわたしを馬鹿にした? だからロンバスは笑った――いいえ、疑うなんていけないわ、リーシャが気を取り直す。
「夜は、ってことは、昼間はどこかに行っちゃうのかしら?」
「オッキュイネ? それとも僕? オッキュイネは自由にいつでも好き勝手に出かけちゃうけど、僕は巧く抜け出さない限り、どこにも行けないよ――昨日も内緒で出かけたんだけど、思いのほか時間がかかっちゃって、夜、居なかったのがバレちゃった。朝ごはんの時に話したね」
「オッキュイネは出かけちゃうのね」
言い方が可笑しくてついリーシャが微笑む。
「そうさ、あいつ、飛べるのをいいことに、僕に内緒で出かけちゃうんだ。しかも姿を消せるから、探そうたって見つけられない――ほっといたって帰ってくるし、大声で呼べばどこからか飛んでくるから、探したことはないけどね」
「そう、姿が――」
消せるのね、と言おうとして、やっと意味をしっかり理解したリーシャが思わず息を飲み、ビスケットを咽喉に詰まらせる。だから捕まった時、急に出てきた、と思ったんだ!
「ゴホガホゲホ、グハッ」
「リーシャ、慌てなくてもビスケットが足りなければまた持ってきてもらうよ。落ち着いてゆっくりお食べ」
リーシャの背を撫でながら、ライナムルが笑う。ほら、とカップを手渡され、少し冷めたお茶をごくごくと飲んだ。
「いや! そうじゃなくって! 姿を消せる、ですって?」
「うん、凄いでしょ? オッキュイネは片足に一人ずつ、人を乗せて空を飛ぶこともできるんだ。ロンバスと二人、海を見に行ったこともあるよ。飛べない鳥には無視されるけど、空飛ぶ鳥たちを従えて、いろいろさせることもできるみたい。鳥の王様なのかもね。それに、とっても綺麗でしょ?」
目を丸くしてライナムルを見るリーシャ、冗談を言っている様子はライナムルにはない。ニコニコと嬉しそうな笑顔だ。まさか、妄想? いや、そうも思えない。
「そ、そう……オッキュイネって凄いのね」
ライナムルのお気に召す話題だってのは当たってた。でも、訊くんじゃなかった――頭痛がしそうなリーシャだ。
そう言えば、
「ウルマさんって、なかなか来ないわね」
と思い出す。話題が変えられてよかった――
「ウルマ? 今日は来ないよ。でも明日の朝には市場に買い出しに行くから……オッキュイネのご飯を買いに行くんだ。リーシャも一緒に行こう。ロンバスが馬車を出してくれる」
「王子さま自ら買い出しに出るの?」
「だ・か・ら、ウルマが行くんだよ。リーシャは何を聞いているのかな?」
小首を傾げて微笑むライナムルに、それなら一緒に、って言わないでよ、と思うけど、言えないリーシャ、ウルマと一緒にって意味なのね、と考え直す。でも、『行こう』って言った。それじゃ、自分も行くって意味になるわよ。
ライナムル、あなた、言葉使いがヘンよ、なんだかおかしくなって笑ってしまったリーシャだ。
「リーシャ、笑うとますます可愛いね」
ライナムルが微笑んだままそう言った。恥ずかしくって拗ねたような顔になってしまったリーシャだ。
「そうそう、わたしに手伝って欲しいって言っていたけど、何をどうすればいいのかしら?」
ビスケットがそろそろなくなるころ、思い出してリーシャが訊いた。
「あぁ、まだ考えてない」
「考えてない?」
「これから考えるよ――小動物ならどこにでも行って話を聞いて来られるだろうし、小さなものなら盗んできてくれそうだ。大いに利用価値があると思ってる」
「なぁんだ、具体的には何もないのね」
「そんなにがっかりするなよ、すぐに活躍してもらうから」
「ライナムルって思い付きで行動する人? あるいは思い立ったらすぐ行動?」
「その言い方、思慮分別に欠けるって言われてるみたいで気分が悪いぞ」
「ごめんね、そんなつもりはないの」
「そう? なら許してあげる――僕はこうしようって思ったらすぐ実行したくなる。そんな男は嫌い?」
「その割にはライナムル、落ち着いて見えるわね。嫌いとは思わないわよ」
「じゃあ、好き?」
「じゃあ好きって――好きか嫌いかしかないなら好きにしておく」
「お返事上手なリーシャ」
笑うライナムルがちょっと
「ライナムルはいつもそうやって女の子を騙してるの?」
と皮肉った。
うん? とライナムルがリーシャを見る。
「騙してる、って?」
「その気もないのに可愛いだとか綺麗だとか、そんなこと言われたら、女の子はその気になっちゃうわ」
「その気って?」
「好きになっちゃうってことよ、しらばっくれないで」
「へぇ……そんなものなんだ? 知らなかった、気を付けるよ。これからはリーシャ以外には言わない」
「だから、それ――もういい、知らない!」
「え、なに? なにを怒っているんだい?」
どうやらライナムル、本気で判らないようだ。ソッポを向いて機嫌を直す様子がないリーシャに困り果て、ロンバスに助けを求める。
「さぁ、わたしにもさっぱりで――」
「いーや、ロンバス、僕に嘘を吐くな。その顔は判ってて笑ってる!」
「気のせいですよ、ライナムルさま――それよりも、そろそろ夕餉の時間です。用意させましょうか?」
「ビスケットでお腹いっぱい――リーシャは?」
「えっ? わたし? わたしもまだお腹すかないわ」
「ではライナムルさま、リーシャさまにお城の中をご案内などなさってはいかがでしょう?」
どうやらロンバスはライナムルに助け舟を出したようだ。
「そうだね、そうしよう――行くよ、リーシャ。お手をどうぞ」
機嫌を直すタイミングを失していただけのリーシャが、まだ拗ねているフリをしながら、差し出されたライナムルの手に自分の手を重ねた。この人になら騙されてみようかな?
ううん、ダメよ、この人は王子さまだもの、悲しい思いをさせられるだけ……楽しげに王城を案内するライナムルの横顔を、そっと盗み見るリーシャだった。
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