5  可哀そうな国王

 ライナムルの応接室の何倍もありそうな広い部屋、ぐるりと取り巻くのは貴族のお嬢さまかしら? お仕着せを着ているのはきっとメイドだわ、そしてゆったりとした肘掛椅子に座るのが、国王陛下と王妃さま、ライナムルの金髪は王妃さま譲り。それにしても王妃さまの顔、どこかで見たような気がする……でも気のせい、王妃さまのお顔を見るチャンスなんてわたしにはなかった。ドキドキしながら、ちゃっかり見ているリーシャだ。


「それで? ライナムル、どこの令嬢なのかな?」

 機嫌のよさそうな国王が、ライナムルを見、リーシャに微笑む。令嬢って? とリーシャがぎくりとする。


「名はリーシャ・ジュディモ……修道院で暮らす孤児でございます」

「そうか、リーシャ嬢か。わしが国王――えっ? こ、こ、孤児?」

驚きのあまり声が裏返る国王、思わず腰を浮かしてしまう。隣で王妃が『ほほほ』と口元を隠して笑った。


「ライ、ライ、ライナムル! お、お、おまえが、けけ、結婚したい相手ができたというから、こ、こ、こ、こうして時間を作ったというのに? 孤児? 修道院?」

「陛下、落ち着いたらいかがです? みっともないほど狼狽うろたえておいでですよ?」

笑いをこらえきれない王妃が、それでも夫に国王の威厳を求める。


「ダメ、ダメ、ダメだ! これは許せない。あの、なんだ、馬鹿でかい鳥とはわけが違う。飼うことは許さん!」

「陛下、飼うという表現はいくら何でも感心できなくてよ?」

笑い転げそうな王妃がやっとのことで言う。


「馬鹿でかいってオッキュイネを言ってる? でかいは仕方ないけど、馬鹿だなんてあんまりだ!」

 口を尖らせて言うライナムル、ってのには抗議してくれないのね、わたしより鳥が大事なのね、と、言いはしないが涙ぐむリーシャだ。いろいろあり過ぎて神経過敏、梅酒の酔いも手伝って少しのことでも涙腺が緩む。


「あ! 父上がリーシャを泣かした!」

 目元に手を持っていったリーシャを見て、ライナムルが叫ぶ。


「え? わしか?」

「陛下! 女の子を泣かすなんて、なにを考えてるの?」

王妃が夫をヒステリックに責め始めた。女の子絡みだからだろうか?


「いや、わしは――」

なんて言うからだ!」

「そうよ、陛下、いくらなんでもあんまりだわ。だから泣いてしまったのよ!」


いや、そうじゃないんだけど、と言いたいリーシャ、場の雰囲気に飲まれてしまって何も言えない。それによく考えるとなのかもしれない。王様がなんて言わなければ、惨めな思いをしなくて済んだ。


 王妃と王子、二人から責め立てられて国王が小さくなる。が――

「わかった!」

これ以上まともに相手はしていられないと思ったのか、すべてを振り払うように国王が立ち上がる。


「わかった! その娘を――王城に住まわせてもよい。だが婚約は仮のもの。どうせ婚姻はまだまだ先、それまでにその娘が、王の息子の妻に相応ふさわしい教養と知識、礼儀作法に身のこなし、すべてにおいて及第点を取り、なおかつしかるべき貴族の養女になれたなら、その時は許してやろう。どうだ、これ以上は譲歩できぬぞ」


 またも王妃が『ほほほ』と笑い、ライナムルが

「まだまだ先とはいかほどに?」

と尋ねる。


「そうだな、早くても……三年くらい?」

急な質問に国王が王妃に助けを求めるように確認する。


「あら、陛下にしては妥当なご判断――ライナムル、三年だそうよ」

「承知いたしました」

ニコリと笑みを見せ、頭を下げるライナムルだ。


 そんなライナムルに王妃が微笑む。

「で、わたしからも一つ約束して欲しいことがあるの」

「母上がわたくしに? 珍しいこともあるものですね」


「えぇ、これだけは約束して。婚約が正式なものになるまでは、決してそのお嬢さんとにならないでね」


見る見るライナムルの顔が真っ赤に染まる。リーシャの顔も熱くなる。


 恥ずかしさに母親から顔を背けたライナムル、承知いたしましたと答えたものの、再び顔を上げ王妃を見る。


「そうだ、母上――お願いの儀があったのを忘れておりました」

「おやまぁ、またおねだり?」

オホホと王妃が嬉しそうに笑う。


「はい、母上の侍女のウルマをお譲りいただきたいのです――リーシャは何分にも修道院育ち、王城の決まりや慣習など、ウルマであれば事細かに指導して貰えるかと」

「ウルマはいかん、あれは王妃の侍女――」

「陛下!」


 反対しようとする国王を王妃が怒鳴りつける。

「そうね、陛下はウルマを大層お気に入りですものね。あの子がいると鼻の下を伸ばしちゃって!」

「いや、あのウルマはおまえの若い頃にそっくりで、つい見惚れてしまうのだ」

「そんな言い訳、聞きませんよ!」


 ツン! と国王から目を背け、ライナムルに向き直る王妃、笑みを浮かべ、

「いいでしょう――ウルマは今、使いに出したところ。帰ってきたらライナムルの部屋に行かせましょう……わたしは陛下とお話があります。早々に退出なさい」

と目配せをした。


 ライナムルに手を引かれて廊下に出たリーシャ、結局わたし、一言も喋ってないわ、と今更思う。


「兄上の部屋に寄ってから帰るよ」

「兄上?」

後ろでロンバスが深々と頭を下げてから、扉を閉めた。


「そう、第一王子で王太子のジェラナムル。眠っているから気を使わなくっていいよ」

「そんな……起こさないようにって気を使うわ」

「起こしてくれたら嬉しいな」


 あぁ、そうだった、眠ったまま目覚めないんだった。

「国王陛下、怒ってたわね」

気拙さに話題を変えようとするリーシャだ。

「そう? リーシャにはそう見えた? 僕には判らなかった。困ってるんじゃなくって、怒ってたのか……この部屋だよ」

例によってロンバスが扉を開く。

「ライナムルさまがお越しです――」


 部屋の中には貴族の令嬢が二人、ライナムルを見ると膝を追って挨拶を寄こした。それに鷹揚おうように片手をあげてライナムルが応える。

「兄上は?」

「お変わりございません」


答えを待たずに次のドアを自分で開けてライナムルが部屋に入った。それに続くリーシャ、令嬢がジロジロと見ていると感じる。


 中は寝室で、天蓋てんがいを半ば降ろしたベッド、医師なのだろうか、男が二人、心配そうに付き添っている。


「どうだ、カリンデラン。兄上は目覚めそうか?」

「王子よ、わたしをそんなに責めないでおくれ」


「そんなつもりじゃなかった。済まないね、カリンデラン――兄上、いくらか顔色が良くなったんじゃないかな?」

「水分などは少しずつお口に入れれば飲み下していただけるのですが……したスープや果汁を差し上げております。でも、それだけではどんどん弱まるばかりかと」

「うん――」

横たわり眠り続ける兄をライナムルが見つめる。


「兄上、まだ仮ですが婚約が決まりました――リーシャという娘です。早くお目覚めになって、祝っていただきとうございます」

ジェラナムルを見つめるライナムルの真剣な眼差しに、リーシャの胸が熱くなる。


「頼りにしています」

 兄に付き添うカリンデランともう一人の男にそう言ってライナムルが部屋を出る。応接室で待機していたロンバスが扉を開く。


「兄をよろしく」

と貴族の令嬢にも言い置いて退出するライナムル、廊下に出ると、振り返ってリーシャを見、さぁ、帰ろう、と微笑んだ。


 帰りもライナムルに手を引かれて歩くリーシャだ。

「国王陛下のお部屋や王太子さまのお部屋にいらした貴族の令嬢も、やっぱりここに住んでいるの?」


「貴族の令嬢? 侍女たちのことかな?」

「侍女?」

「身の回りの世話をしたり、話し相手をしてくれる。部屋は別のところにあるはずだよ。自分の屋敷から通っている人もいる」


「お仕着せを着ていた人たちじゃなくって、綺麗な服を着ていた人たちよ?」

「お仕着せを着ているのは小間使いで貴族じゃない。彼女たちは大部分が王城の敷地の中にある別の屋敷に住み込んでいるね――食事の世話や入浴の世話、部屋の掃除やら、そんなことをしてくれるんだ」


「それじゃあ、あそこにいたのはみんな召使?」

「微妙に違うけど、まぁ、そういうことになるね」

「侍女がしてくれる身の回りの世話って?」

「そうだねぇ、一緒にその日の服を選んだり、髪を整えてくれたり……お茶くらいは淹れてくれるかな」


「まぁ! それじゃ、わたし、ライナムルさまに侍女の仕事をさせてしまったの?」

「うん? あぁ、髪を結ったことを言っているのかい? あれはいいんだよ、僕がそうしたかったんだから。それにライナムルでいいよ、『さま』はいらない――さぁ、着いた、疲れただろう?」


 引いていた手を放し、ライナムルが扉を開けて部屋に入る。リーシャも入ればロンバスが最後に入り扉を閉めた。


 上着を脱いだライナムルが、応接室のソファーにどさりと座る。

「あぁ、僕も疲れた。リーシャ、そこに座って――ロンバス、お茶」

脱いだ上着をロンバスに渡しながらライナムルが伸びをする。受け取ってロンバスが、

「王子、王妃さまに話を通しておいたのですね? 聞いていて冷や冷やしました」

と笑う。


「まぁ、母上は言っておかなくても察して味方をしてくれただろうけどね。念のためにね」

「王妃さまは面白がっておいででしたね」

「今頃きっと、ウルマのことで父上を揶揄からかっているよ」

ライナムルとロンバスが声を立てて笑う。


(ウルマ?)

 ふとリーシャの記憶の欠片が動く。

(ウルマさま……ロンバス――)


「ロンバス!」

 急に立ち上がりリーシャが叫ぶ。名を呼ばれたロンバスがきょとんとする。

「どうかされましたか、リーシャさま?」


「あなた、ロンバス。そう、その顔――」

修道院の裏手で暴漢をやっつけたロンバスだ! 眩暈が起きそうなのを必死にこらえたリーシャだった。

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