4  僕のこと、知ってるよね?

 用意された服も靴もリーシャには贅沢過ぎて気がひけた。気紛れに修道院を訪れる慈善家のお嬢さまみたいだ。きっとわたしには似合わない、そう思いながら着てみると、服も靴もサイズはぴったり、いつの間に測ったの? と思ったけれど、着ていた物に合わせたんだとすぐ気づく。若者が言っていた通り新品の靴も足に当たることなくフィットする。


「よくお似合いですよ」

着替えを手伝ってくれた、若者が言うところの使の女の人がそう言ってくれたけど、きっとお世辞だ。


 こんな上等な服、わたしが着たってきっとみっともないだけよ、そう思って恐る恐る部屋にあった姿見の前に立ってみる。


(わぁ……どこのお姫さま?)

意外と似合っているんじゃない? わたし、いつもより美人に見える。薄桃色のドレスはふんだんにレースを使い、たくさんのひだを取り、おしとやかだけど華やかだ。服が顔色を映えさせて、表情さえ明るく見える。わたしの唇って、こんな綺麗なバラ色だった? 紅を差したわけでもないのに? 馬子まごにも衣裳とはよく言ったもんだわ――嬉しくなってつい顔が緩んでしまった。


「思った通り、よく似合ってる」

 急に若者の声がして、リーシャが振り返る。小間使いはいなくなって代わりにいるのはニコニコ顔の若者だ。


「こんな上等な服、汚さないか心配だわ」

「汚したっていいんだよ。キミのものなんだし、替えもある。今日中にはこの部屋のクローゼットを満杯にしておくよ」

「そういう問題じゃなくって!」


「それより髪を結ってあげる。この椅子に座って」

「髪を結うって……あなたが?」

素直に腰かけるリーシャに若者は微笑むだけだ。


 リーシャの髪をブラッシングしながら若者が言う。

「僕の兄がね、急に病気になったんだ」

「それは……ご心配ね」


「五日前の朝から目覚めない。起こそうといろいろ試したけれどだめだった。もちろん医者にも診せたさ。医者は『どこも悪くない』と言う」

リーシャには言える言葉がない。


「僕ね、調べてるんだ。ひょっとしたら誰かが兄に何かしたんじゃないかって」

「眠り薬とか?」

「それも考えたけど、兄は両親と一緒に食事をしている。僕と違ってなんだ。同じ物を食べているから、毒なら両親も同じように眠り続けるはずだ――のろいとか、そんなのかなって」

「呪い?」

「うん。で、調べてみたけれど、判らなくって――リーシャ、キミ、小動物を使役できるよね。その力で僕を助けてくれない?」


 髪がまとめられて、グッと持ち上げられるのをリーシャが感じる。それからいくつかに分けられて、こてで巻いているようだ。


「わたしにできるかな?」

「手伝ってくれるの?」

「だって、そのためにわたしを脅したんでしょう? 婚約を偽ってまで、わたしをここに居させたいんでしょう?」

「うん……」


 若者の手が止まり、出来栄えを確認するためかグルリとリーシャの髪を眺める。

「リーシャ、キミの髪は素敵な色だね。それに艶々つやつやしていてとっても綺麗だ」

「えっ?」

「黒味の強いブロンド? どんな髪飾りでも似合いそうだね」


 感じたトキメキをどうしよう? リーシャの髪は生まれた地方ではよくある髪色、それを思い出し、聞かれてもいないのに身の上話を始めてしまった。


「生まれはアイアネイドなんです。小さなころ母とこちらに移り住みました」

「アイアネイドか。グレーブロンドの多い地域だね。バンバクヤ公爵の領地で、公爵もこんな髪の色だ――なんで王都に?」


「小さい頃なのでよく判らないんです。こちらに来て母と二人、あの修道院に助けて貰いました」

「孤児って言ってたよね、お母さんはもう?」

「はい――四年ほど前に亡くなって、修道院の共同墓地に埋葬されています」

「そうか……」


 若者が遠ざかるのを感じる。さすがに今の話題、暗すぎたよね? 振り返って見ると、若者は壁際のキャビネットで何かを選んでいるようだ。盗み見ているのを知られるのも恥ずかしい、リーシャが前に向き直る。すぐに近付く気配がした。


 髪に何かが差し込まれる。

「うん、よく似合う。髪飾りもキラキラと、キミの髪につけて貰って喜んでる」

嬉しそうに若者が言った。


「鏡で見てごらん。見た目だけなら立派なお姫さまだ」

「どうせ見た目だけですよっ!」

悪態をつきながら、それでも鏡を覗き込んでみる。さっきの姿見だ。


「ね、リーシャ、キミはとても綺麗だ」

鏡の中でリーシャの後ろに立つ若者が、微笑みながらリーシャに囁いた。


 高く結い上げられた髪、その根元にはキラキラ光る色とりどりの宝石を使った髪飾り、クルクルと巻かれた髪が顔を縁取り、絵本で見るお姫様さながらな誰かが鏡の中からこちらを見ている。若者が髪飾りとお揃いのネックレスをつけてくれ、さらにリーシャを夢見心地にさせた。


「これが、わたし?」

「うん、この鏡、魔法の鏡じゃないから。ありのままのキミだよ……さて、父上に会いに行こう。キミをこの部屋に住まわせる許しを貰わなきゃ。早く来いって言われているんだ。ついてきて」

 若者がドアの向こうの部屋に入っていく。慌ててリーシャも後を追った。


 応接室はリーシャが寝かされていた部屋よりもずっと広く、豪華なシャンデリアが二つ、座り心地のよさそうなソファーのセットも二つ、ゆったりと配置され、寝室寄りにはリーシャの部屋で食事したのと同じテーブルと椅子のセットが置いてあった。窓を分けるように暖炉があるが火は入っていない。上に置かれた花瓶には華やかな花がたっぷりで、武骨な石造りの暖炉を柔らかく見せている。向こうの窓は足元まであって、多分外に出られるのだろう。


 出てきたドアがある壁にはもう一つドアがあり、そこが僕の寝室だよ、と若者が言った。対面の壁にはドアが三つ、バスルームと予備室、それと物置だと若者が説明する。窓と反対側にある大きな扉が廊下に通じているらしい。


 若者とは同じくらいの年齢、つまり十八くらいの男の人が一人いて、若者を見ると上着を広げて着せかけた。袖を通し、前止めを掛けながら、若者がリーシャに尋ねる。


「そうだ、リーシャ、僕が誰だか知っているよね?」

そう言えば、まだ名前を聞いてない。


「いいえ、今日初めて会ったのよ。知るはずないでしょう?」

「そうか……僕の名はライナムル、この国の国民なら名前くらいは聞いたことがあるんじゃないかな?」

「そんな有名人なの?」

若者の上着を持って待っていた男がクスッと笑った。ライナムルは少し気を悪くしたようだ。


「この国の第二王子だよ。これから会うのは国王だ。きっと母上も同席なさる。粗相のないようにね。それからこの男は僕の側近のロンバス、これからいろいろ世話になる。ちゃんと顔を覚えてあげて」

「へっ? 今、なんて? 王子? 国王? そう言った?」

「急に耳が悪くなったフリするな、ちゃんと聞こえただろう?」

「だって、だって――」


 リーシャを眩暈の発作が襲う。薄れそうな意識の中で、だからこんなに上品なのね、と思っている自分がいる――

「おい、またかよっ?」

慌てて駆け寄るライナムル、リーシャを支えたところにロンバスが椅子を運ぶ。


 座らされたと思ったら、ロンバスから受け取ったグラスをライナムルがリーシャの口元にあてがってきた。

「梅酒を薄めたものだ、気分がしっかりするよ。緊張もほぐれる――お飲み」


グラスを持つライナムルの手に自分の手を添えて、リーシャが梅酒を口に含む。甘く香りのよい液体が口中に流れ込み、ゴクンと飲み込むと胃がジンワリと熱くなってきた。なんだか体中に熱さが行き渡っていくような気がする。


「王子さま? 本当に? わたし、国王陛下に会うの?」

「うん、それと王妃さまにもね」

リーシャが飲み干したグラスをライナムルがロンバスに渡す。


「そんな身分じゃないわ」

「そうだね、判ってる――だから僕は我儘わがままを押し通す、いつものようにね。リーシャは自分の名前が言えればそれでいい。あとは僕に任せて」


 震えるリーシャの頬をそっとライナムルのてのひらが包み込んだ。


 そろそろ落ち着いたかな? とライナムルがリーシャに手を差し出す。


「いつ倒れてもいいように、僕がエスコートしていくよ」

そう言うと勝手にリーシャの手を取って、自分の手に重ねてしまう。

「さぁ、ゆっくりでいいから立って。さすがに抱きかかえて父上の部屋に行くのは拙い」


促されるまま立ち上がると、ロンバスが窓の反対側にある扉を開く。ライナムルに手を引かれるままドアと抜け、長くて広い廊下に出た。部屋の向こう側には大きな窓が並んでいる。庭が見えているところを見ると、ここは地上に近そうだわ、少しだけリーシャが安心する。

(それにしても……)


 この人が王子なら、ここは王城? わたしなんか一生、足を踏み入れたりしないと思っていた場所。床は大理石なのかしら? 大理石を見たことがないからよく判らない。窓から光がこんなに差し込んで、灯火のない廊下なのにこんなに明るい。小鳥たちが窓辺に集まって、覗き込んではさえずっている――


「きょろきょろしない! ちゃんと前を見て、背筋を伸ばして!」


 すぐ後ろをついて来るロンバスに、小さな声で叱責されたリーシャだ。ライナムルがクスリと笑い、『そのうち慣れるよ』と、やはり小さな声で囁いた。


「さぁ、ここが父上の部屋だ」

一際ひときわ大きな扉の前でライナムルが立ち止まる。後ろにいたロンバスが前に進み扉に手をかけると大きな声で、

「ライナムルさまがお越しです」

のたまった。


(国王がこの中にいる――わたしが国王の前に……出る?)

 早鐘のように響き始めたリーシャの心臓、グッと強く握りしめられた手、ハッとリーシャがライナムルを見る。


「大丈夫だよ――僕が一緒だ」

優しい微笑みに見惚れてしまいそうになるリーシャだった。

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