3 悪霊憑きは火炙り、嫌なら婚約
「食事にしようよ。スープが冷めちゃう」
見るとテーブルに鍋がデンと置かれ、何枚かのお皿やパンが置かれている。オレンジの果汁を入れた瓶もある。慌ててベッドから降りたリーシャがふらつくと、傍に立っていた若者がすかさず支えた。
「大丈夫? キミ、すぐ倒れるね」
「ちょっと
「お腹の空き過ぎ? それにしても下着のままで食事はどうかと思う」
これって下着だったのね? 着せられていた服は、生地は薄いけどレースが付いた素敵な服と思っていたリーシャ、見る見る顔が真っ赤になった。クスッと笑った若者がベッドの上にあったガウンをリーシャに掛ける。
「ちゃんとした服は食事が済むころ届けられる。今はこれで我慢して」
ガウンに袖を通したリーシャが歩こうとして、またも眩暈でフラ付いた。仕方ないな、と呟いた若者が少し屈んだかと思うと、リーシャの脇の下に腕を差し込んだ。
「な、なにするの!?」
「
あっという間に抱きかかえられ、後ろに落ちそうになったリーシャが慌てて若者の首にしがみ付く。目の前に若者の顔、そしてなんだかいい匂い……
「ちゃんと座れる? すぐにスープをあげようね。それともオレンジジュースのほうがいい? 咽喉も乾いているよね」
若者に見惚れる間もなく降ろされて、椅子に座らされる。答える前にグラスがオレンジ色の液体で満たされ、鍋の蓋がとられたと思うと木のレードルで若者がお皿にスープを装った。リーシャの腹がグゥと鳴る。
「はい、スプーン。今朝はスープとパンだけなんだ。昨日、勝手に出かけたのがバレちゃって朝飯抜きの罰――スープ、僕が作ったんだけど、ちゃんと食べられるものになったかな?」
「はいぃ?」
慌ててリーシャが皿の中身を確認する。具沢山のスープには、キャベツとカボチャとカブ、濃い緑の菜っ葉はきっとカブだ。
「これ、どうやって作ったの?」
「キャベツとカボチャとカブをよく洗って一口大に切って水に入れて煮た」
そう言って若者がカボチャを口に入れた。
「うん、カボチャの味がするし、ちゃんと煮えてる。でもなんか、なんだろう?」
「お塩、入れました?」
「あぁ、そうか、塩気がないんだ……でも大丈夫、食べても問題ない」
「そりゃそうでしょうけど」
つい笑ってしまったリーシャだ。
「お塩、ないの?」
「あるだろうけど、もう取りに行けない――オッキュイネのご飯を取りに行くついでに厨房を覗いたら、誰もいなかったんで勝手に作った。今はみんな来ていて、朝の支度で忙しいはずだから、ウロチョロしたらまた叱られる」
「これ、材料、盗んだ?」
「人聞きの悪い……でも、盗んだって言えば盗んだのかな? オッキュイネに分けて貰った」
「あ、鳥の餌?」
「オッキュイネのご飯だってば! 餌なんて言うな」
「はいはい、あんな大きい鳥が可愛くって仕方ないのね」
「そりゃあそうさ、僕が育てたんだ」
「あんなに大きいのに草食なのね」
「そうなのかな? ヒナの時、何を食べさせていいか判らなくって、菜っ葉を出したら食べたから――外では僕に内緒でウサギとか食べてるかも。時々僕にも持ってきてくれる。たいてい生きてるから捕まえるのが大変」
「あ、でも、このパンは? オッキュイネのご飯にパンはなかった」
「それは貰った。キミをこの部屋に運んで小間使いに世話をさせてる間に厨房へ鍋を取りに行ったんだけど、調理長が内緒だからね、ってジュースと一緒にくれた――おいしいでしょ?」
「うん、ほんのり甘いのね。それにしても朝ごはん抜きの罰?」
クスクス笑うリーシャに気を悪くした若者が拗ねる。
「みんな僕を子ども扱いさ。もう十四だって言うのに」
「十四?」
「うん、十四」
「わたしと同じ? ずっと上かと思った」
「あぁ、背ばっかり無駄に高くなったって、父上が嘆いてる」
ふと若者が部屋に一つしかないドアを気にする。
「誰か来た――キミの服を持ってきたのかな? 食べてて……貰ってくるね」
若者が立ち上がりドアの向こうに消える。向こうで何か話す声が聞こえるけれど、なんて言っているのかは判らなかった。
戻ってきた若者は手にしていた服をさっきまでリーシャが寝ていたベッドにどさりと放り、持っていた靴を床に置いた。どう見ても女性用の靴、リーシャのためのものだ。
「食べたらその服を着て――行くところがあるから」
「行くところ? それよりわたしの服は?」
「あれは処分させて貰ったよ。ここではあの服じゃ、ちょっと粗末過ぎる」
「失礼な――」
「ごめん、でも、体面って物があるから」
「処分って、まさか捨てた? 帰る時はあれを着て帰りたいわ」
えっ? と若者がリーシャの顔を見る。
「帰る? どこへ?」
「わたし、修道院に住んでるの。もう
「ダメだよ。さっき言ったじゃん。キミはオッキュイネが僕にくれた、つまり僕のものだ」
「はいっ?」
「修道院では、キミはキミを連れ去った鳥に食べられたと思ってる。帰らなくても大丈夫」
「ちょっと待ってよ!」
「うん、待ってるから早く食べて」
あっ! と、ついリーシャが手にしたスプーンを口に運ぼうとする。
「違う! そうじゃなくって、わたし、修道院に帰りたいの!」
「なんで? 今朝は僕が作って美味しくないかもしれないけど、いつもはちゃんとして、美味しいんだ。調理長の料理は絶品だよ。キミは痩せ過ぎ。美味しい物をたくさん食べて、もう少しだけふっくらしたら、きっとさらに美人になる」
「そうじゃなくって!」
「服だって、キミが着ていた物よりずっとおしゃれで、上品で、清潔で、上等な物を用意してあげる。靴だって、足が痛くなることのないよういいものを用意するから」
「どうせおしゃれじゃありませんよ。下品かもしれませんよ。でも洗濯はコマメにしていたし、上等じゃなくてもわたしには分相応の服です。靴は大きさがあっていれば痛くならないわ」
「何が不満なの?」
「なにが、って! わたしはわたしの居場所に帰りたいの」
「僕はキミに、ここにいて欲しいのに?」
「いや、えっと……なんで? なんでわたしにいて欲しいの?」
「うん? なんでだろう? キミ、判る?」
「わたしが聞いてるんだってば」
「そっか、それじゃ、ちょっと待って。考えてみるよ」
「考えないと判らないのね」
「そうそう、キミが気に入ったからだ。だから傍にいて欲しい」
「考えた末にそんなこと言われても信じられない」
「ねぇ、キミ、僕の婚約者になってよ」
「またぶっ飛んでるよ、この人。変わってるとは思ってたけど――さっき会ったばっかりで、はい判りましたって言うわけないでしょ」
リーシャの答えに若者がフフンと笑う。
「僕の言うこと聞かないと、
「え――」
若者はニヤリとするが、リーシャの顔は表情が消える。
「
「カケイって?」
「
リーシャの顔が見る見る青ざめた。
「あ、あ、
「今更しらばっくれるなよ。キミが猫を操ったところ、見たもんね、僕」
「猫なんて、懐けば寄ってくるようになるわ」
餌をやっているところでも見たのかしら?
「暴漢を襲わせたじゃん。猫を
「それって昨日の?」
「そう、昨夜の、修道院の裏手でのお話」
「どこから見てたの?」
「内緒――で、この子、いいな、って僕が思った。それを感じたオッキュイネがキミをここの塔に連れてきた」
「ちょっと待って、あなたも
「冗談やめてよ。オッキュイネは自分の意思でそうしたんだ。僕とオッキュイネは以心伝心だけど、それは僕がオッキュイネを育てたからで、だいたい僕はオッキュイネに命令なんかしないし、オッキュイネ以外の鳥と意思疎通できない――キミ、猫以外は何が使役できるの?」
「猫のほかは犬とかネズミとか、リスとか」
「凄いね、その能力、僕のために使いなよ」
「
「知ってるんじゃん。まぁ、知ってるから自分が
ニンマリと若者が笑った。
酷いわ、とうとう泣き出すリーシャ、すると若者が顔色を変える。
「ねぇ、泣かないでよ」
「泣かしたのはあなたでしょ?」
「泣いて欲しいなんて言ってないよ?」
「わたしが泣くようなことをあなたが言ってるってことよ!」
「そんなこと、僕、言った?」
こいつ、頭おかしい、本気でそう思うリーシャだ。
「あなたと結婚しなきゃ、火炙りにするって言ったじゃない」
「いや、婚約者になって欲しいとは言ったけど、結婚するとはまだ言ってない。火炙りにするとも言ってない、
「どこがどう違うのよ?」
「結婚するとしても、早くたって三年は先だし、
「なんか、あんまり違わない気がする」
「気のせいだよ――なにしろキミがこの部屋で暮らすには僕の婚約者になるしかない。他になにか口実、ある?」
「ここに住む口実のために婚約? どうしても修道院には帰してくれないのね?」
涙をいっぱいにためた瞳でリーシャが若者を見つめる。
「うん……お願いだからここにいて」
若者が、リーシャを不安げに見つめ返す。
この人、なんだかヘンだけど、悪人ではないのかも? それに――こんな綺麗な瞳、見たことない。ちょっとだけリーシャの心が揺れた。
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