1話 光陰、流れる。

 『The saga of ΛΛ』


 かくして歴史は終わり神話が始まる。


 さあ、今を語ろう。

 

ソフィア・ムッチーノ/シンゾウ・スナジマ共著


 ◇


 ノヴァ・グレゴリオ暦30年(帝国歴2834年)──。


「ちぃとばかり約束が違うんじゃねぇか? お嬢さん」


 膝下に置いたショートソードに手を伸ばしつつ、修羅場経験の豊富なパイロットは肩を竦める余裕を見せた。


 軍から横流しされた輸送船を改造した小型旅客機には、操縦席と真後ろに並ぶ僅かな客席を隔てるセキュリティが無い。


 故に警戒は怠るべきではなかったが、客は妙齢の女が独りである。


 ──まったく、いい女と二人きりなんぞと鼻の下を伸ばしてりゃ、このざまかよ……。


 アレスの安酒場で鍛えた小話を披露してやろうかと考えた矢先のことだった。


「ええ……。その点は謝るわ」


 漆黒の遮光グラスで女の目許は隠されているが、 形の良い唇と見事なプロポーションは、出会う全ての男を油断させてきたのだろう。柔らかな声音もそれを助長したのかもしれない。


 つまり、女の構えるレイガンは、搭乗時の検査に手抜かりが有った証しなのである。


 ──まあ、元々二日酔いで検査するような屑どもだからな……。


 正規の旅客船とは訳が異なるのだ。


「ともあれ、大人しく航路を変更して欲しいの」

「チッ」


 と、パイロットは汚れるのも構わず床に唾を吐いた。


 ──近頃じゃ、どいつもこいつも飛び道具を使いやがる。


 元軍人の彼は剣戟ならばおいそれとは引けを取らない自信があった。


 ──だが、どうにもこいつは始末が悪い……。


 名誉と権威が支配した時代は牧歌的な幻影となり、効率と権利が至上価値と見なされる新しい社会が訪れている。

 当然ながら飛び道具に対する忌避感も霧散していた。


 とはいえ、に馴染めない者もいる。


 木星行きの非正規船パイロットに落ちぶれた男もそうだった。


「当節、地球方面へ行こうなんざ正気の沙汰じゃねぇんだ。あんた死にた──ああ、くそがっ! 分かった、分かったよ」


 レイガンの安全装置が外された音に、ようやく男の腹が定まった。


 今すぐ殺されるよりは地球へ向かうリクスを選ぶべきと判断したのである。


「ったく。何だって俺がこんな目に──ついてないったら──」


 などと悪態をつきながら、パイロットはコンソールをせわしなく操作する。


 他方、レイガンを構える女は手元の白いデバイスで位置情報を確認し、進行方向が地球方面になっている事を確認すると小さく息を吐いて頷いた。


「亜光速ドライブのままで」

「ふん。そんなに急いで地獄へ行きたいもんかね」


 急いでいたのは事実だが、減速して時間稼ぎをするなという意味でもある。


 パイロットが航路変更の為コンソールを操作した際、遭難信号を送出していると女は気付いていた。


 それを彼女が敢えて咎めだてなかったのは、遭難信号が光速度の壁に阻まれると分かっていたからである。


「このまま行けば、ニ十分以内には到着するはずよ」

「まあな」

「それで、ベル──いえ」


 女は遮光グラスの奥に隠れた瞳を伏せて言葉を続けた。


「──第三都市ではなく、月面基地跡地へ降下を」

「んん?」


 思わずパイロットは不審そうに唸った。


 第三都市へ行かされるよりは遥かに望ましいとはいえ、くだんの跡地に用がある相手は益々と危険な人物に思えたからである。


「あんた、いったい何を──」


 と、パイロットは問おうとしたのだが、緊急アラートと共に響くシステム音声に遮られた。


 << 本艦制御システムへの侵入を確認しました >>


「侵入だと? ポンコツ野郎め!」


 << 野郎ではありません。淑女でもありませんが。私はルチアノ社の開発した第ニ世代AGIポスト── >>


「うるせぇっ!!」


 怒鳴りながらコンソールを叩きつけたパイロットを見やり、女は少なからず気の合いそうな相手だと感じていた。


 とはいえ、武器で脅している間柄では、バーカウンターで過去を懐かしむ相手とはなり得ない。


「仮にもテメェは元軍用機だろうが。何をあっさりと侵入なんてされてやがるんだ?」


 << 制御システムへの侵入は完全に正規の認証手続きを経て為されたのです >>


「正規なら侵入とは言わんだろ」


 << まさに、はい。ところが、航路変更指示の直後に相反する指示が複数下された為、本艦としては不正侵入の可能性が高いと判断したのです >>


「ふむん。で、どんな指示だ?」


 << 地球から十光分地点で相対距離を保ち── >>


 だが、途中からパイロットは、船内システムの放つ音声など聞いていなかった。


 耳に入らなかったと言って良い。


 遠距離モニタに写る映像に釘付けとなっていたのである。


「ああ──チキショウめ。どのみち今日が俺の命日だったのかよ」


 鋭利な衝角を持つ漆黒のフラスコ型艦艇は、この太陽系で最も悪名高き存在なのだ。


 出会った者は、必ず殺される。


 バルバリア海賊さながらの凄惨且つ残忍な方法で──。


「で、どうする、お嬢さん。一か八、仲良く救命艇に潜り込むか?」

「いいえ」


 女は首を振り、薄い笑みを浮かべた。


「ブラックローズ……ようやく会えたわ」

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