2話 ♪♪

 第7特別居留区、第102高等教育院、第4講義室。


「専制政治の問題点については先週説明した通りですが──」


 そう言って教壇に立つ若い女は、すり鉢状の聴講席に並ぶ生徒達の顔を見回した。


「古典文明の事例を紐解かずとも、三十年前に最悪な形でオビタルは目撃したのです」


 その三十年という歳月は、長命のオビタルを以て少女を大人にするに十分であり、尚且つイデオロギーや価値観に変革をもたらし得る期間だった。


「トール・ベルニクの凶行を」


 以降に産まれた生徒達は、教師の女とは異なり実際にそれを目撃したわけではない。


 だが、高等教育院に至るまでの課程で彼等は徹底的に叩き込まれるのだ。


「罪無き聖職者達の大量殺戮は誰が成したのでしょうか?」


 聖都アヴィニョン揚陸戦時の記録映像視聴は、オリュンポス評議会の定める教育指導要領に明記されていた。


「自由と友愛を求めた思想集団──青鳩あおばとへの弾圧と、彼等への武力行使が苛烈を極めた責任は誰が負うべきでしょうか?」


 少なくとも太陽系において、青鳩あおばとという組織は残っていない。


 とはいえ、オリュンポス評議会議長として政治的実権を握るグレン・ルチアノが、旧体制の既得権益者でありながらも青鳩あとばとの思想に傾倒していたのは事実である。


 ピュアオビタルを否定したい者と、民主主義を希求した青鳩あとばとは実に相性が良かったのだ。


「ばかりか──、許し難いことに生物兵器まで用いました」


 ロイド製薬と結託したトール・ベルニクが、ヒトをヒト以外に変容させるウロボロス・II型ウイルスを使い、青鳩あとばとの武装拠点を壊滅させたと一般的には伝えられている。


 屈強な揚陸部隊を擁した彼が、敢えてウイルスを利用するのは蓋然性に欠ける──と指摘する者も居たが、オリュンポス評議会はノイズとして処理し黙殺した。


 トール・ベルニクとは徹頭徹尾、旧弊を象徴する悪でなければならないのだ。


「それら蛮行の責任は、亡き帝国の威を借りて銀河の半分を意のままに動かした男に帰せられるべきでしょう」


 と、光速度の彼方に消えた嘗ての支配者を語るうち、教師の声は徐々に熱を帯び始めた。


 恨み節を幾度幾千幾万繰り返そうとも、彼女の昏い怒りの焔が消える事はないからだ。


「当時、政治的に無力だった大衆は、あの男の暴走を止める手段を持たなかったのです」


 大衆が政治的に無力でなかった時代があったか否かについては議論の余地もあるのだが、トール・ベルニクが我欲のままに動いていたのは事実である。


「その挙げ句が──大断絶による未曾有の災害──」


 ポータルとEPR通信を失ったオビタルは、銀河を翔ける両翼をもぎ取られた哀れな半神半人に過ぎない。


 だが、彼等には自らの存在理由に思索を巡らせるいとまなど無かった。


 現在も復旧の目処が立たない銀河の断絶に伴う甚大な被害は、二十三秒間の孤独で発生した災厄の比でなかったからである。


 オビタルを支える全てのインフラはEPR通信に依存しており、医療から交通網に至るまでが壊滅的な打撃を受けた。


 また、オビタルだけでなく地表人類までも養う穀物の大半を他星系の穀倉地帯に頼っていた為、ポータルを経由した輸送手段の喪失は食料危機に直結したのだ。


「飢餓、混乱、暴動」


 専制君主──つまりはトールと繋がりを絶たれた統帥府は、控えめに言っても十分に機能しなかった。

 飢餓の回避、混乱の収拾、暴動の鎮圧、この全てに尽く失敗したのである。


 かような情勢下で未知の外敵侵攻まで受けた政府は崩壊し──軍高官の娘として約束されていた彼女の未来も消えたのだ。


「そして数多の別離──」


 下らぬ理由で喧嘩別れをした父と彼女が再会する事はもう叶わない。


 運が良ければ遥か遠い星系で現在も戦艦に乗り合わせているのかもしれないが……。前向きな想定をし得る条件が余りにも少なかった。


 故に、フィオナ・カウフマンは決して許さない。


「我々は忘れてはなりません。大衆が主権を手放せば、待つのは悲劇のみであると」


 父を道連れにした男を決して許さない。


 ◇


「♪おっとこぉ、おとっこぉぉ、漢は──♪」


「な、何!? ロベニカが?」


 部下からの報告を受けたグレン・ルチアノは、苛とした表情を浮かべ執務机の天板を指先で叩いた。


「♪おっとこぉ、おとっこぉぉ、漢は──♪」


「左様でございます。グレン議長」


 と、部下は恭しく頭を下げた。


 オリュンポス評議会議長グレン・ルチアノの背後には、軌道都市アレス直下に聳えるオリュンポス山が映し出されている。


 その山は火星の象徴であり現在は権力の象徴でもあった。


 かつてグレンが理想とした権力構造とは些か異なるが、教育の進捗と状況が安定するまでは主権を民衆に渡してはならぬ──との神託を得ていたのだ。


「これは明らかに君等公安委員会の怠慢だぞ」

「誠に申し開きのしようもないのですが──ともあれ、軍と連携し後を追──」

「それは困る」


「♪おっとこぉ、おとっこぉぉ、漢は──♪」


 議長任期を延長する為の法案を評議会に通そうとしている最中、派手に動いて政敵から足元を掬われるリスクを冒すわけにはいかなかった。


 いかなる手を打つべきか、と沈思黙考すべくグレンは瞳を閉じたのだが──、


「♪おっとこぉ、おとっ──」

「おい!! いい加減にしろっ!」


 最高権力者の執務室で奇妙な節の鼻歌を吟じ続けていた男は、ようやくオリュンポス山から目を放してグレンを振り向いた。


 圧倒的な陽の波動を放つ隻眼の男である。


「へへへ」


 彼が鼻の下を擦って照れくさそうに笑う姿はメディアを通じ広く愛されていた。


「兄貴ぃ、困った時はオイラを頼ってくれよ」


 反り身の大刀を常に背中に背負う姿は滑稽ですらあるが、本人談によるなら実父はコメディアンでもあったらしい。


「男の中の漢」


 彼が満の笑みを浮かべると、前歯が欠けているのが分かる。


「トーマス・クィンクティをさっ!!」


 

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