24話 最期の絵筆。
「──あれは、後世に残すべきものではない」
謀略に生きたロスチスラフ・オソロセアだったが、毒殺という手段は使った事がない。
低コストに目的を達成する手段として古来より毒は用いられてきたが、古典文明においてさえ、テクノロジーが一定の段階に達して以降は活躍の機会が減ったとされている。
薬毒物検査技法と解毒医療が高度化した為に、毒殺の長所が失われたのだ。
「それを覆したのが坊主被れ、アイモーネの育てた毒殺部隊なのだ。一説にはエヴァンも利用した事があるそうだがな」
「『福音の楔』ですね」
「うむ。医療と信仰の融和などという題目で、ファンダメンタリスト共から金を掻き集めた益体もない財団法人なのだが──」
批判されにくい看板を隠れ蓑とする財団法人傘下の研究機関では、オビタルの薬毒物検査と解毒医療を凌駕する毒物と技法を開発していた。
「無論、それだけならば脅威とはならん。だが、各地の医療関係者に、楔の協力者が潜んでおると分かった」
ロスチスラフは、馬蹄のレリーフの彫られた真鍮製の火かき棒を使い、暖炉にくべた薪の位置を器用に調整している。
「──儂の侍医までもな」
アイモーネの裏を知りながら放置してきたロスチスラフだったが、
その過程で判明したのが、『福音の楔』による医療機関への浸透工作が、想像以上に広範囲に渡っているという背筋の寒くなる事実である。
──フレタニティ、カッシウスの啓示、七つ目、後は……。
──ホントに懲りないよねぇ……。
──何だってボク達って、妙な仲間を作るのが好きなんだろ?
想像を絶する孤独を経験した事もあるトールの内に眠る旧い記憶が、その解を叫んでいたのだが生憎と現時点の表層意識には届かなかった。
「いつでも寝首を搔ける状態にあったという訳だ」
ロスチスラフは、自身の頸を切る仕草をしながら片頬を上げた。
「その侍医は──?」
始末したのか、とトールは問うたのである。
『福音の楔』に関わっているだけで罪には問えないが、つつけば誰しも身から埃が出てくるものだ。
あるいは、人知れず亡き者にしても良いだろう。
権力基盤が盤石ならば、一定の横着は通るのが世の常である。
「いや」
だが、ロスチスラフは首を振った。
「あれ一人を消したところで意味などない。幸いにも先方から動こうとしておるしな」
「なるほど。だから、オリガ嬢は──」
ロスチスラフの隣に座るオリガへトールが視線を向けると、彼女は少し恥ずかしそうに俯いた。
トールが王配となり消したはずの淡い恋心が、本人を目の前にすると蘇ってくるのかもしれない。
「ち、違うんです」
「──ん?
「あの──」
オリガ・オソロセアは、猪突猛進で──何より正直な少女なのである。
「最初は興味本位だったんです。何だか頭の良い人も多くて──刺激的で──」
貧しく教養の無い人々が起こした革命など存在しない。
既得権益層の若者が反体制的思想に染まる原因の多くは、語弊を恐れずに言えば反抗期の発露に過ぎないのだろう。
「でも、段々と信じられなくなりました」
ロスチスラフの娘であり名誉近習でもあるオリガを、
その為には、徹底的にオルグする必要があると考えたのだろう。
「ニコライ・アルマゾフ」
嘗てはジェラルドを唆して父親殺しに貶しめ、現在は
「彼等と直接に話をする機会が多くなったのです」
女神、教会、女帝、貴族制度からの自由を謳い、大衆に正当な権利を返すのだと主張しながら、その為には手段を選ばないと
「はっきりとは明言していませんが、兎も角にも、混乱を引き起こそうしているように感じました。途方もなく悲惨な混乱を──」
彼女の見立ては正しい。
但し、革命を志すなら、方法論としては間違っていない。
つまるところ革命とは、権力を握る少数グループが、別の少数グループに取って代わるプロセスに過ぎない。
大衆に還元される利益など極僅かであり、支払った代償に見合う保証など無かった。
「危機的混乱を生じさせようとしている
誰に聞かせるでもなく、思わずトールは独り言を呟いた。
「──そうか。ロスチスラフ侯を排除する利害が、まず一致したんですね」
「そうだ」
新生派帝国の支柱であり、尚且つ現教皇の友柄とも言えるロスチスラフの排除は、
「連中の目論見は、オリガ──我が愛しの娘を唆し、楔に汚染された侍医と組ませて儂を亡き者にする事だ」
「ですが、その──」
トールは言い辛そうにして両名を見比べた。
「構わぬ。当然、オリガには伝えた」
「お父様──」
父の死期が近い事を告げられた時の悲しみを思い起こし、オリガはつと瞳を閉じた。
「その件、侍医には伏せているのですね?」
これまで聞いた話から、トールにもロスチスラフの思惑が分かり始めていた。
とはいえ、侍医が彼の死期を把握していたなら全ては水疱に帰す。
「うむ。事前に楔との繋がりを掴んでいたのが功を奏した。奴は来たるべき責務の重圧に震え、近頃では痩せ始めているそうだがな。ワハハ」
ロスチスラフは、
「これで、奴は調子づく。
一時的に罪を被るオリガはヴォイド・シベリアに預け、最も忠実な男であるドミトリに守らせれば良い。
さらには、ロスチスラフ亡き後の権力闘争から彼女を遠ざけておく事も出来る。
「そこを伯は衝け。アイモーネを廃し、奴の領地へ攻め入る口実を得、『福音の楔』なる呪われた連中を焼き尽くすのだ」
ロスチスラフは、自らの避け得ぬ寿命までをも利用し、さらには愛娘を不遇の立場に追い込んでまで、アイモネーネ・サヴォイアを罠に嵌めようとしているのだ。
あたかもその姿は、病を押して絵筆を奔らせる死期を悟った画家に重なった。動かぬ腕を呪い口述で遺作を残さんとした作家と言い換えても良いだろう。
「連中を始末せねば、我らは腹痛も我慢する必要があろう?」
そう言ってロスチスラフは肩を竦める。
「まあ、そうですよね──ボクも風邪ぐらいはひきますし──」
父代わりとも言えるロスチスラフ亡き世界で、トール・ベルニクは新生派勢力を率い、イドゥン太上帝ばかりか船団国や
自身の死に際に、厄介事の種を一つでも減らしておこうというのは、ロスチスラフなりの親心めいた動機もあったのかもしれない。
「我が娘オリガの名誉回復と、エカテリーナ・ロマノフへの穏便な禅譲を伯に託す。フェオドラに差配させるつもりだが、どうにもあれはお調子者な所がある」
前ボリス大公の忘れ形見にオソロセアを譲ると決めているが、恐らくは臨時代官に任ぜられるフェオドラの能力には幾らかの不安を抱いていた。
何かあった場合の支援をトールに期待したのである。
「勿論です。同盟邦の安定は、ボクとしても最優先しなければなりません」
「──うむうむ」
トールの応えを聞き、ロスチスラフは満足気に目を細め頷いた。彼が義理や人情ではなく、利害に基づく意思表示をした為である。
人は究極的に己の利得になる方向にしか動かない──というのが、ロスチスラフの固い信念だった。
「ならば良い。とはいえ、
「ええ。でも──」
トールは、ロスチスラフの心を少しばかり軽くしてやりたいと考えたのだ。
「イドゥン太上帝については、こちらが優位に立てるかもしれません」
「ほう?」
好みの話が始まりそうだと感じ、思わず弾む声音となった。
「結局、太上帝の怖い部分って、彼女の目的が見えないところだと思うんです」
エヴァン・グリフィスは
レオ・セントロマは歪んだ宗教観に基づき、彼が清浄と信じる世界を作ろうとした。
だが、不戦を誓うイドゥン太上帝は──?
「ひとつ目殿──ミセス・ドルンから色々と教えてもらいまして……。太上帝が銀冠を喪った場所も分かったんです」
至極の銀冠と称えられたイドゥン太上帝は、病が原因で銀冠を喪ったとされていた。
「地球に在る、とある島なんですけどね──」
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