22話 その男、駃騠(ケッテイ)につき。

の地で暮らす原住民どもが、外部の人間を受け入れるのはこの時期だけだ」


 オリヴァー・ボルツが、唯一残った財産とも言える自慢のカイゼル髭を撫でながら告げた。


「すでに知っていることなのだろうが──」


 カムバラ島へ向かう大型クルーズ船最上階に位置するラウンジからは、さざ波ひとつない穏やかな海原を一望できる。


 向かいの席に座る女男爵メイドのマリは、何の表情も浮かべずその海原を見詰めていた。


 背後には彼女を守護する大男と、白痴の美女が武器を手に立っている。


 それを恐れてのことか、ラウンジに集う他の客達は一定の距離を保っていた。


「帝国葬参列という栄誉を捨て置き、地表へ降りているのだからな」


 かくいうオリヴァー本人は、ロスチスラフに対して複雑な想いがある。


 自身、ロスチスラフ、そして船団国のポンテオ・ペルペルナ等と手を組んで、ベルニクの愚かな領主を葬り去ろうと企図した──。


 ところが、愚かなはずの領主は蛮族を追い払っただけでなく、最終的にはポンテオ・ペルペルナのくびをも取ってしまっている。


 他方のロスチスラフは、いつの間にかトールと固い絆で結ばれ、両領邦は血盟とも呼ぶべき包括的な同盟を締結していた。


 これら全ての歴史は、オリヴァーが檻の中で自身の不遇を呪っている最中さなかに、華麗に織りなされたタペストリーである。


「なかなか入れないってのは、俺等も事前にレクチャーされてたんだ」


 気安い様子のコルネリウスが口を開いた。


 今回の特殊な任務に参画するにあたり、特務機関デルフォイの集めた情報は、マリとコルネリウスに共有されている。


「その理由までは分からんが──というより、テルミナ嬢も掴んでいないらしい」


 テルミナ率いる特務機関デルフォイは、新生派のみならず復活派に至るまで広く諜報網を張り巡らせていたが、地表人類へのアプローチは後手に回っていたのである。


 グリンニスの映像調査という名目がなければ、さらに優先度は下がっていただろう。


「ふん、当然だ」


 蛮族ということで当初は警戒していたオリヴァーだったが、共に船旅を続けるうちに最も付き合い易い相手はコルネリウスだと感じている。


 マリは口数が少なく、ブリジッドに至っては何も話さないのだ。


「理由など、誰も知らんのだからな。──が、ともあれ、カムバラの港へ寄港できるのは今だけだ。他の時期に近付けば、島中の砲門が姿を現し轟沈されるのは間違いない」


 地表世界と地表人類を支配するオビタルは、いわば寛大な神とも言える。


 航空と宇宙開発の自由をホモ・サピエンスから奪いはしたが、彼等の生存圏たる地表へ質量兵器で攻撃することは極稀であったし、マイクロ波送電によるエネルギー供給の役目も果たしてきた。


 地表世界の政治に対して、基本的には不干渉の立場を貫いていたのである。


 故に各勢力が武装するのも自由にさせた。大地を巡って争いたければ好きにせよ、という意思表示でもある。


 互いに相争う──、というサピエンスの本能には抗えないと分かっていたのだろう。


 無論、軌道上への脅威となりかねない、航空宇宙兵器や超長距離兵器の開発は決して許さなかったのだが──。


「そいつは昨夜も聞かされたな──」


 コルネリウスとオリヴァーは、既に二人で酒を酌み交わしている。


 両者の育った環境はあまりに異なっていたのだが、同年代であり尚且つコルネリウスがトールに心酔している訳ではないと知り、オリヴァーは大いに口軽く己の半生を語ったのだ。


 あるいは、自身の話を受け止めてくれる相手に飢えていたのかもしれない。


 老いた敗残者の世迷い言に、耳を傾ける暇人など存在しないのだ。


 そんなオリヴァーにとって、ロイド製薬の申し出は大いに彼の自尊心を慰撫したのだが、今回の旅路に巻き込まれてしまった為に破談となるだろう。


 ヘッドハンティングの条件として、ロイドの派遣する調査団を秘密裏にカムバラ島へ案内する条項が含まれていたのである。


「けど──やっぱり、あんたでも無理なのか?」


 コルネリウスの知る情報に基づくなら、オリヴァー・ボルツは特別な立場にある。


「無理だ」


 オリヴァーは首を振り、肩をすくめた。


「俺は──」


 国家反逆罪を問責するにあたり、オリヴァーは徹底的に調べ上げられている。


 その過程で判明した一つの事実があった。


「──地表人類でもなければ、カムバラの民でもない」


 オリヴァーの父は、地表世界の女とちぎりを持ったのである。


「もっとも、オビタルと名乗って良いか否かも定かではないがな」


 経緯の仔細はともあれ、若気の至り──で済ませるには軽率が過ぎた。


 地表人類との交配は、一般的なオビタルの感覚からすると、背徳であり尚且つ破廉恥な行為なのだ。


 ホモ・サピエンスは彼等の始祖であり認知革命の先駆者とはいえ、軌道人類の時代においては家畜の如く利用し保護すべき低位の異種に過ぎない。


「雑種、交雑種、忌み子──好きに呼べば良かろう」


 異種交配の低い受精確率を乗り越え世に生を受けたオリヴァーは、オビタルの特性を受け継ぎはしたが繁殖能力を得ていない。


 また、ニューロデバイスへの適合率も低く、慢性的な頭痛に悩まされ続けている。


「家人からはヒュブリダと影で罵られたものだ」


 南半球の一部地域に現存する猪と豚の交雑種を指すが、オリヴァーに対する蔑みを現した呼び名だったのだろう。


 ベルニクの武門を担うと自負するボルツ一族はこれを恥じ、オリヴァーの父を自死に追い込んだうえ、オリヴァー自身も労して士官学校に入るまでは辛酸を舐めた。


「後、少しだった」


 逆境に耐え、運命に抗い、学び、働き、功を為し、謀を巡らし、裏切り、騙し、殺し──、母の腹から出た際に与えられなかった全てを手に入れようと足掻き続けた。


 自身で語る通り、まさに後少しだったのだ。


 オリヴァーに僅かな運が残っていたなら、ベルニク領邦代官の地位を手に入れていただろう。


 事が成れば、ようやく彼は宣する事が出来たはずである。


 己を蔑み続ける一族に。

 己を捨て置き世を去った父の墓前に。

 己の成長を目にする事なく姿を消した母の記憶に。


 見よ! 我こそはオビタル。

 天翔ける人類の一翼なのだ──と。


「──が、結局は貴様らに良いように使われる犬となった。ヒュブリダである方がまだしも誇り高いのかもしれんな──クッ──クフッフフ──アハ──ハハハ」


 自分自身で語るうち、余りに道化じみた生涯に思われて、乾いた笑声を抑えることが出来なくなった。


 老境に入りながら、全てを白日のもとに晒された哀れな負け犬である。


 今のオリヴァー・ボルツに秘事は無い。


「そう。でも──」


 暫しの沈黙が降りたところで、ようやくマリが口を開いた。


 吹きさらしのラウンジに靡いた風がつややかなバイオレットの髪を揺らすと、嘗て少女だった彼女も幾分か大人の色香を漂わせる。


 あるいは奇しくも得た女男爵という立場が、奥手な彼女を羽化させようとしていたのかもしれない。


「私は今の貴方──、好きよ」

「あん?」


 予想だにしなかった反応に、オリヴァーは却って不安な思いを抱いた。


「素直が一番だと思う。トール様もそうだから」


 良きにつけ悪しきにつけ、己に対して素直という点で、トール・ベルニクの右に出る者はいないだろう。


「今の貴方が功を立てれば、何もかもが変わる気がするの」


 これは言外に、ロイド製薬に与するなという意味をも含んでいた。


「む、無論、案内すると言ってるだろう。犬らしく──」


 マリは人差し指を自身の唇に当てる事で、オリヴァーの言葉を遮った。


「堂々として」


 卑屈な男に、叶えられる大望など存在しない。


「貴方のお母様──の妹──の曾孫さんが居るのでしょう?」


 これこそ、オビタルと地表人類の間に生じる世代ギャップである。


 だが、オリヴァーはカムバラに住む一族との血縁を利用して、地表世界との太いパイプを築いてきたのだ。


「その方を通して、是が非も会わせてもらうわ。カムバラの巫女に」


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駃騠ケッテイ: 雄馬と雌ロバの間に生まれる雑種。

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