20話 女男爵、島へ。

 遥か昔、太古の時代に遡る。


 ホモ・サピエンスは小さな惑星の支配者となり、僅か壱エーカーの土地を巡って相争い、汗とそれに倍する血涙を大地に流し続けた。


 故に、いにしえの神々は彼等から空を奪い、さらには大地をも奪ったのである――。


「神様って」


 海風の当たるテラスで、ロッキングチェアに揺られながらマリが呟いた。


「昔から奪うのが好きなのね」


 高台に建てられた白亜の邸宅からは、エメラルドグリーンの海原と、港湾の周囲に拡がるコロニアル様式のカラフルな建築物を一望できる。


 幽閉された身の上でありながら美しい眺めを独占していた女――フレイディス・モルトケは既にこの世に存在しない。


「船団国に伝わる寓話――、つまりはお伽話だよ。お嬢ちゃん」


 そう告げるコルネリウス・スカエウォラは、テラスの白い柵にもたれ邸宅前のロータリーを見下ろしていた。


「地上と空を失ったのは、連中の自業自得なのさ」


 地球の大規模な地殻変動と海面上昇の原因には諸説が有り、誰も正解など持ち合わせていない。


 ホモ・サピエンスに代わって、認知の支配者となったオビタルが興味を持たない研究分野であった点も大きい。


 とはいえ、オビタルの気まぐれとセンチメンタリズムが無ければ、地球はとうにホモ・サピエンスが暮らすには適切ではない環境になっていただろう。


 結果として、殆どの人類は火星を初めとする他惑星に移住しているが、現在も地球の地表面で暮らしている人々は存在した。


「ま、俺達のは、さらに破局的な結末を迎えるだろうがな」

「そう。――なら――あなたの息子も?」


 彼の息子スキピオは、父からミネルヴァ・レギオン総督という立場を奪い、首船プレゼピオを墜とした大量虐殺者である。


 政治的プロセスは不明ながら、現在グノーシス船団国の実権はスキピオが握っており、旧聖都アヴィニョンの戦いではレオに与してトール率いるベルニク艦隊を襲っていた。


 以来、女男爵マリーア・フィッシャーにとって、スキピオは裏切り者であり明確な敵となっていたのだ。


 トールへの思いが叶わぬ事になったとしても、胸に抱く真鍮の鍵と共にマリの想いは永遠なのである。


 故に、トールに仇名す者は全て敵だった。


「相変わらず容赦の無い物言いだな」


 ロータリーに入って来た年代物のピックアップトラックを目で追いながら、コルネリウスは苦笑いを浮かべて頭を掻いた。


「――ようやく待ち人が来たようだ」


 ピックアップの助手席から不機嫌そうな様子の男が降り立ち、スーツに纏わりついた埃をチーフではたいている。


「ご苦労さん! ジョージ」


 テラスから身を乗り出してコルネリウスが声を掛けると、運転席に座っていた老人が農夫帽のつば先を指で弾いてから走り去った。


 麓の港町にある酒場で何度か酌み交わした老人は、ホモ・サピエンスゆえにコルネリウスより遥かに早く死んでいくのだろう。


 ――まあ、俺も長くはないだろうが……。

 

 帝都フェリクスの見物を終えたコルネリウスは、ベルニクの屋敷に舞い戻り気儘な食客として暮らし続けている。


 なお、食客という名の居候は彼だけではない。


 過去にはノルドマン一家やトジバトルが居たし、熊の息子ジェラルド、天秤衆ブリジット・メルセンヌは今も屋敷の住人である。


 有体に言って無駄飯喰らいという立場なのだが、そうとは感じさせない包容力が屋敷にはあった。


 何より、コルネリウスは理解していたのだ。


 トール・ベルニクは復活派勢力を片付けた後、船団国との因縁も武力で解決するつもりだろう――と。


 その為の道先案内人として、コルネリウスは飼われているに過ぎない。


 ――バカ息子のでかすぎる不始末のカタを――俺にも付けさせてくれるはずだ……。 


 だからこそ、今回のように奇妙な依頼であっても引き受けているのだ。


「ぎゃあああ」


 テラスの下方から、先ほど車から降りた男の悲鳴が響いた。


「な、何だ? お前は――お、俺を誰だと――ぎゃわ、あう、お助けぇぇぇ」 


 ◇


「手荒になってしまったのは――謝る」


 顔面に出来た青い痣を撫でながら悲痛な表情を浮かべているのは、元ベルニク領邦軍大将にして元国家反逆罪容疑者オリヴァー・ボルツである。


「彼女は、悪い人を直ぐに見抜いてしまうの」


 そのブリジットは、居室の隅でハルバードを構え立っており、今も冷然とした眼差しをオリヴァーに向けていた。


 ロータリーで客人を出迎えるよう言われていたのだが、オリヴァーをひと目見た途端に殴りつけて拘束しようとしたらしい。


 出会い頭にハルバードで相手の頸を刎ねなかっただけでも、ベルニクの屋敷で長く暮らした成果だったのかもしれない。


「メイド風情が生意気な」


 オリヴァーは忌々し気な口ぶりとなった。


 地表世界の辺鄙な港町とはいえ、瀟洒な邸宅のテラスに立つドレス姿の女は、彼にとって最も輝かしかった時代に屋敷の片隅でメイドとして働いていたに過ぎない。


 それが今や女男爵メイドという奇妙な立場を得て、元領邦軍将校である自分を地表にまで呼びつける権力を握っているのだ。


 ――メイドなど、あのバカでかい屋敷の掃除をしているべきだろう。

 ――物騒な気狂い女と蛮族を引き連れて、こんな場所で何を企んでいる?


 実に嘆かわしく、尚且つ不条理な状況だった。


「そもそもが、俺の嫌疑はとっくに晴れているのだぞ!」


 より正確に言うならば、軍法会議予審機関への送致を免れたに過ぎない。


 軍法会議予審機関及び軍法会議において、法務官を納得させるだけの証拠と証言を中央管区憲兵局は揃えていたのだが、「もう、いいかな」という領主の一声で自由の身とされたのである。


「埃まみれの地表にまで出向いてやったというのに――女男爵だか何だか知らんが、実に礼儀を知らん女――ひ、ひぃ」


 無言のブリジットは、ハルバードの刃先をオリヴァーの顎下に当てていた。


「お嬢ちゃんへの言葉遣いは、十分に気を付けた方がいいぜ。相棒」


 コルネリウスは穏やかな声音で忠告をしつつ、取りなすように二人の間に割って入った。


「何人か死んでる」


 事実か否かなどオリヴァーには分からないが、トールの周囲に仕える連中は総じて敵の命を容赦なく奪うと知っている。


 だからこそ、目前の蛮族も唯々諾々と従っているのだろうとオリヴァーは解した。


「し、失礼した――お目にかかれて光栄に存じますぞ、マリーア卿」


 国家反逆罪容疑から解放されて以降の苦労は、オリヴァーが生来から持っている変わり身の早さに、卑屈というエッセンスを加える結果となった。


 彼は悲惨な十年を過ごしたのである。


 地位と名誉を失い、妻には捨てられ、幾らかの財産もベルニク没落を願う逆張り投資に露と消えた――。


 人と世と、そして何よりトール・ベルニクを呪い、火星の軌道都市アレスの片隅で飲んだくれていたのである。


 ところが、数カ月前にロイド製薬の末端企業からヘッドハンティングをされ、彼は大いに気を良くした。


 ホモ・サピエンスを利用する巨大プロジェクトに関わる企業で、オリヴァーが将校時代に築いた火星や地球で暮らす地表人類とのパイプを買われたのだ。


 ようやく人生が好転し始めた――と思った矢先、トールに連なる女男爵メイドのマリから不幸の使者が訪れたという次第である。


 おまけに先方より招かれた先は、女海賊フレイディスを幽閉した経緯もあるいわつきの邸宅なのだ。


 どうあっても友好的な態度で来れようはずがなかった。


「――あなたが不機嫌なのは理解できる」


 スキピオには不吉な予兆を感じているが、マリの目前に立っている男は、トールの敵だったとはいえ既に無力な負け犬に過ぎない。


 故に――どうでも良かった。


「でも、あなたの力が必要なの」


 届かぬ想い人の言葉は、今でも絶対なのだ。


 ――ひとつ目殿、ドルンさんの話によればね、マリ。


 王配となり大人びたとメディアから評される事の多くなったトールだが、この話しをマリにした時の彼は未だ少年のように瞳を煌めかせていた。


 ――そこにカッシウスさんの秘密が眠ってるらしいんだ!

 ――あと、マリのお母さんの情報も――、


「東方の大きな島へ行きたい」

「あん――?」


 オリヴァーは不審気な声を上げた後、腕を組んで考える様子を見せた。


「――東方――ははあ――なるほど――」


 徐々にオリヴァーの瞳に、狡猾そうな色が浮かび始める。


「カムバラ島か」


 そう言って口端を舐めた。

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