19話 飢餓を求む。
★帝国地図
https://kakuyomu.jp/users/tetsu_mousou/news/16817330664816296412
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「――フェオドラ様とレイラ様はご無事なのね?」
帝都フェリクスから報告を受けたエカテリーナ・ロマノフ元帥は、自分でも驚く程に安堵した思いを抱いている事に気が付いた。
ロスチスラフが壮健であった頃は、三姉妹の事など気にも留めていなかったのだが、フェオドラの傍で仕えるようになり少しばかり情が湧いている。
無論、安堵したのはそれだけが原因ではない。
「左様で御座いますとも!」
照射モニタ上にて興奮気味な表情を浮かべているのは、フェオドラに同行している従卒の一人である。
生粋の軍人であるエカテリーナは、端的且つ正確な報告に慣れ親しんでいたが、従卒相手となると勝手が異なり些かの苛立ちを感じていた。
「御二方のみならず、全ての参列者の方々に何ら危害は加えられておりませんぞ。無論、裏切り者共は――」
と、言いながら顔をしかめ右手で首を切る仕草をした。
アイモーネ・サヴォイアほか二人の領主が今回の騒動を引き起こした首謀者であり、尚且つ異端の疑義まで有るとメディアでは大々的に報じている。
異端の
「例の化け物が、大量に現れたと聞いたのだけれど?」
十数年前、エカテリーナは黄金の角邸にて、タロウと呼ばれる奇妙な生命体と剣戟を交わしていた。
さしたる使い手ではなかったと記憶しているが、メディアの伝えるところによれば敵は大聖堂の天蓋部に溢れるほどの頭数だったのである。
それで全く被害が無かったとは、不幸中の幸いとはいえ疑問に感ぜられたのだ。
「ええ、ええ、そうなのです! 私も薄気味の悪い死体の山を見て気を失いそうになりました。まさしく呪われた小鬼と言えましょう。おお、ラムダよ、憐れな我等を救い給え」
報告中に祈り始めた従卒に呆れながらも、エカテリーナは苛立ちを堪えて質問を重ねた。
「その山を築いたのはどこの誰なのかしら? まさか――トール伯がお独りで――?」
フェオドラの従卒はトールの名を聞いた途端、祈りを中断して目を見開き恍惚とした表情を浮かべた。
「雄々しき我等が大英雄! まさしく後世まで――否、我等の認知領域が熱的死に至る末日まで詩歌にて称えられるべき御方でありましょうや!」
「――ふぅ」
修辞に満ちた迂遠な言い回しには辟易したが、つまりは肯定したのだ。
英雄トール・ベルニクは、天蓋部に溢れるほどに現れたタロウを、裏切り者とされた三名以外には被害が拡がらないよう全て始末してのけたのである。
彼の英雄奇譚に地味な一頁が加えられただけ――と納得しても良いが――。
――さすがに妙ですわね……。
まだ何か語りたそうな従卒に手短な礼を伝えた後、EPR通信を切ったエカテリーナは腕を組んで椅子に背を預けた。
――伯がどれほどの手練れだったとしても、予想外に現れた大量の敵を一人で片付けられるはずがないわ。
近衛兵と治安機構が最も警戒したのは外部からの侵入であり、天蓋部から湧き出す敵という想定はしていないだろう。
今回の襲撃に際して、彼等が勲章モノの働きを見せたかという点について、エカテリーナは疑念を抱いている。
――となると、トール伯ご自身で何らかの準備をしていた事に……。
実際のところ、メディアでは報じられていないが、タロウ達を手際よく無力化してのけたのは、トールが配置した皮剥ぎを得手とする少女A達だったのである。
――そう考えると――報道も怪しいですわね。
事件直後から各メディアは、一糸乱れぬ姿勢でアイモーネ達の非道と不忠を糾弾し、タロウに害された因果応報を伝え続けている。
だが、アイモーネは三公であり、残りの二人も少領とはいえ領主なのだ。
今少し配慮があっても良さそうなものだろう。
この時、新生派系列のメディアに対して強い影響力を持つ女の姿が、エカテリーナの脳裏に浮かんでいた。
――ソフィア・ムッチーノのやり口に思えますわ。
ベルニク領邦統帥府報道官を長年務めており、トールに対して絶対的忠誠を誓う女である。
――全て分かった上で、トール伯が事を進めて来たのだとしたら……。
エカテリーナの背筋を悪寒が奔った。
――あの
やがては敵となる
◇
「派手に、しくじってくれたな」
トスカナ行きの密貿易船に乗る為、高速旅客船でファーレン領邦へ向かう白髪のダニエル・ロックは、周囲へ聞こえるのも憚らず怒りを乗せた声音で告げる。
隣席に座るニコライ・アルマゾフは、肩を竦める反応に
近辺の乗客は全て
「――入念に準備をしていたようだ」
メディアの報道を信ずる限り、帝国葬参列者に被害は出ていない。
肝心のアイモーネ達を除けばだが――。
「ご丁寧に異端の
「――あるいは、本当にラムダの怒りに触れたのかもしれん。フフッ。――あ、君――コヴェナント産のワインを頼む」
薄ら笑いを浮かべつつ、ニコライは客室乗務員に酒を頼んだ。
ファーレンに到着しトスカナ行きの密貿易船に乗り換えてしまえば、味わえないであろう贅沢を今のうちに堪能しておこうと考えたのである。
「――」
ニコライはワイングラスが運ばれるまで押し黙っていたが、唇を湿らせた後に囁くような声音で話を続けた。
「大成功とは言えないが、失敗という訳でもなかろう」
無論、
残念ながらそれは成らなかったが――、
「今後の波乱は避けられん」
奇怪な事件への好奇と、手際よく退けた英雄への興奮が覚めたなら、残るのは新生派勢力に与する三人の領主が裏切り者の烙印を押され死んだという事実のみである。
ロスチスラフを含めるなら、短期間に四名の領主を失ったのだ。
オソロセア領邦だけでなく、サヴォイア、トスカナ、ブルグントで後継者問題が一挙に噴出するのである。
さらには、被害が無かったとはいえ、帝国葬に波乱が起きたという事実は、新生派勢力中枢の揺らぎとして諸侯に映るのも間違いない。
「ファーレンなどは、直ぐにも挙兵しようと鼻息を荒くしていようさ」
歴史的な遺恨を残すオソロセアを、隣邦ファーレンは虎視眈々と狙い続けている。
「ロマノフ家が動くという噂もある。狸が治めたオソロセアは、我等が手を出さずとも荒れるかもしれん」
ファーレンが欲しているのは、何より攻める為の大義なのだ。
隣邦の無様な内乱を収拾する為でも良いし、あるいは
不戦を誓う太上帝イドゥンに釈明が叶えば、ファーレンは如何様にも動ける。
「つまりは腰を据え、我々は我々の道を進めば良い」
ニコライは、他者を己が望む方向へ誘導する術を心得ていた。
特に深い怒りを抱いている者は、実に容易く
「肥え太った既得権者同士を相争わせていくのだ。大衆に血と困窮を強いる時代を招かねばならん」
女神と貴族による支配への憎悪を生むには、生半可な犠牲では足りない。
ヴァルプルギスの夜ですら十分では無かった。未だに民衆は女神を信じ、そして貴族達による支配を受け入れている。
なぜか?
「決定的な飢えを――親が子を喰らうほどの飢えだ――」
これこそが、ダニエルに取り入った当初からニコライが何度も囁く
高度に発展したテクノロジーと地表人類という生産資源が、オビタルから耐え難い程の飢餓を忘れさせて久しい。
だが、革命という忌火を燃え広がらせるには、飢餓こそが最も重要な要件である。
「――分かっている」
真直ぐに前を見据えて応えるダニエルは、その実、世界がどうなろうと興味など無かった。
壊せれば良い。
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