1話 愚かなり、されど。
~~ 前回までのあらすじ ~~
トール・ベルニクは数万人の天秤衆を屠り、教皇アレクサンデルはプロヴァンス女子修道院を焔で包んだ。
レオ・セントロマ枢機卿はこれに抗するべく、イドゥン太上帝の威を借りて自らが教皇となり聖都を討つと決する。
同時に、盟友で尚且つ愛したはずのエヴァンまでも牢に繋ぎ、ヴァルプルギスの夜を演じて天秤の恐怖を民草に焼き付け自らの権力基盤を強めようとした。
グノーシス船団国の力をも借りたレオだったが、少女艦隊、トールハンマー、そしてベルニクの精鋭を引き連れたトールによって討ち取られてしまう。
その結果、エヴァンとレオを喪った復活派勢力は、イドゥン太上帝が不戦を謳い自勢力の立て直しを図ろうと動いた。
他方の新生派勢力は、女帝ウルドとトール・ベルニクの婚姻が成立し、慶事を理由としてイドゥンの宣した不戦を暗黙の休戦協定として受け入れる。
こうして両勢力は、クルノフとケルンテンを緩衝地帯とし、大きな争いの無い十年を得たのだが――。
◇
「当然ながら、女神ラムダの慈愛を疑った事など無かった――」
粗末な壇上に立っている男は、左手をタクトの様に振りながら語っている。
薄暗い照明に照らされる彼の顔貌に在るのは絶望と怒り、そして瞳には狂気的な輝きが宿っていた。
「銀冠こそが女神より恩寵を授かった者の証しであると信じ続けて来た」
そう告げる男と、彼の話を直接聞く為に集った聴衆達も銀冠ではない。
つまりは恩寵無き人々だった。
銀冠を戴くピュアオビタルのみが、約束の地アフターワールドへ召されるのである。
恩寵無き彼等の死後に、悠久の平穏は待っていないのだ。
銀冠を戴かぬオビタルは女神への信仰と帝国への忠誠を全うし、来世にて刻印が穿たれるのをひたすらに祈るほかなかった。
オビタルに刻まれたこの概念は、ラムダ聖教会と貴族制度に対する大衆の不満や疑問を抑え込んで来たのである。
これらは帝国の社会制度を安定させる仕掛けとして非常に上手く機能していた。
「――だが」
アンチエイジングと、あらゆる外科的措置を否定した男の毛髪は全てが白く、実際の年齢より遥かに老いた風貌に仕立てていた。
「ヴァルプルギスの夜が全てを変えたのだ」
そう言った後に男は、空調の悪い場内で纏い続けていた厚手のフロックコートを脱ぎ捨てた。
と、同時に、聞き入っていた人々の間から小さな悲鳴が漏れる。
フロックコートの下に着込む白いシャツは、敢えて右腕部分の布地を切り落としていた。
隻腕となった切断面が誰の目にも分かるようにする為である。
「我が半身のさらなる惨状もお見せしたいところだが、今宵はご婦人方も多い」
生憎、その軽口を笑う者など居なかった。
あの夜、旧帝都エゼキエルより始まった悲劇は、十年の歳月を経て尚も人々の記憶から薄れてはいない。
聴衆の前に立つ男の名は、ダニエル・ロック。
イーゼンブルクの片田舎に生まれ、嘗てはダニーという愛称で親しまれる浮薄な青年に過ぎなかった。
G.O.Dの惨劇を奇跡的に生き残るまでは――。
「頭蓋に
ダニエルの眉間に刻まれた皺が、さらに深くなった。
自身が発した言葉の通り、実際に酷い頭痛に襲われるのだ。
それを考えるだけで痛みが奔る。
「――貴族、聖職者、そして女神からの」
脳天の割れそうな痛みに耐え、彼は残った左拳を天に向かって突き上げた。
「解放――ごふうっ――か、それとも隷属かッ!」
見る者によっては間抜けな姿にも映ろうが、数百名の聴衆達は彼と同じく左拳を突き上げて応える。
「じ、自由を」「自由!」「解放だ」「隷属などしないっ!」
そう応える彼等にも、幾ばくかの痛みがあった。
政策への不満を動機とした反政府活動程度ならばオビタルにも可能なのだが、宗教や制度そのものへ疑念を抱く事は種としての禁忌に触れてしまう。
彼等はその禁忌を乗り越えなければならない。
「――遥かな古典を遡れば、サピエンスが自由を謳歌した時代があった」
彼の言う自由とは、この場における文脈では政治及び信教に関わる事柄だろう。
だが、その自由は極めて短い期間であり、尚且つ一部の地域に限られていた――という見解が歴史学者の大勢を占めている。
テクノロジーの奇形的発展が、政治的及び宗教的自由の必要性を溶解させたのだ。
政治と宗教の拘束から、サピエンスが解放されたとも言えよう。
「我等は、それを欲する!」
「欲する」「欲する」「欲する」
ダニエルは自身の言葉に唱和する人々を見回した。
「諸君等の勇気に感謝する」
凄絶な表情で聴衆を睨み据え、ダニエルは謝意を述べた。
「思索の果てに得た私の理念に、これほど多数の同士が賛同を示してくれたのだ」
各人には異なる思惑、そして動機が有るのだろうが、一定の痛みを伴おうとも自由という耳心地の良い言葉は、人々を一個の集団として結び付けていた。
とはいえ、実のところダニエル自身にとっては自由など方便である。
十年前――。
同郷の恋人が、少女のあどけなさを残す顔貌を、天秤衆に叩き潰される様を見ながら何も出来なかった。
理不尽で圧倒的な暴力を前に立ち竦んだダニエルは、片腕と半身を喪い床に伏してただ死を待っていたのだ。
祈る事すら忘れ――否、祈ったところで意味など無いと分かっていた。
事実、彼を救ったのは女神ラムダではない。
天秤とは異なる別の暴力である。
暴力こそが彼を救い守り癒し、そして知恵の実を授けた。
彼を救った暴力は、絶望に打ちひしがれる男の耳元で囁いたのだ。
――手段を問わず、力を手に入れなさい。
――そして世界に復讐するの。
祈りは無益である。
赦しや忘却など自己暗示に過ぎない。
復讐の無益さを説く者は、己の子を煮える釜土に放り込まさせよ。その後に同じ戯言を吐けるのならば耳を傾けよう。
「だが、我等の道は険しい」
貧者と社会不適合者を集めた反政府系組織には期待できなかった。
旧帝都エゼキエルの叛乱で中核を成したフレタニティとて、復讐を目論むベルツ家残党が操っていたのである。
既存の反政府系組織は金と利権に流され、汚れ仕事を担う制度の一部に過ぎない。
仮に事が起きたとしても、混乱に乗じて無辜な店や通行人を襲う程度が関の山なのだろう。
何も変えられないし、そもそも変えるつもりが無いのだ。
故に、彼は己で道を切り開くと決した。
とはいえ、復讐を成すには暴力が必要である。
全てを薙ぎ払い、全てを打ち据え、全てを従える力を欲した。
十年という刻は長くはないが、代償と引き換えに彼は多くを手に入れている。
そして今後も手に入れなければならない。
数多の欺瞞、裏切り、殺戮を贖いとして彼は掴み取るのだ。
「今宵、新たな心強い同士を紹介できる事を嬉しく思う」
大物という程ではないが、重要な役割を果たす可能性を秘めた存在である。
「宮廷自由主義派――とでも言えば良いのだろうか」
ダニエルに在るのは復讐というドグマだったが、美しい包装紙で包んだイデオロギーを撒き餌として力を集め続けていた。
新生派、復活派の勢力圏を問わず、社会のあらゆる階層に支持者が生まれ始めており、危機感を抱いた領邦の一部は治安機構の強化を図りつつある。
「オリガ・オソロセア嬢だ」
--------------------------------------------
★イーゼンブルクのダニーについて。
[乱] 57話 ヴァルプルギスの夜。
https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330661085953386
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます