57話 ヴァルプルギスの夜。

 特別な夜に、前触れなどない。

 

 旧帝都エゼキエルで、かつてトジバトル・ドルゴルがオーナーであったクラブ「G.O.D」は、新たなオーナーを迎えた現在も変わらず盛況である。


 良家の子女が手軽に冒険心を満たせるというブランドの確立もさる事ながら、クラブ専属の歌い手となったエリの存在も集客に寄与していた。


 バイオレットの魔女――。


 異端の疑惑を招きかねない二つ名は、彼女のさまを良く表してはいる。


 黒いボディコンシャスのワンピースに身を包み、先の尖った帽子から零れるバイオレットの髪を揺らし歌うのだ。


 先般の快気祝いにて、銀冠を喪った太上帝の髪色もバイオレットであると大衆が知るところとなり、益々と歌い手エリの神秘性を高める結果となっていた。


「ねぇ、ダニー。ん――ちょっと――どこ見てるのよっ!」

「――え?――痛ててっ」


 脇を通り過ぎた二人組の美女に気を取られていた男は、隣にいた女に耳をつねられると大仰に痛がって見せた。


「魔女の歌を聞きたいっていうから付き合ってあげたのに、まったくあんたってひとは――」

「ご、ごめん」


 イーゼンブルクの片田舎を出て旧帝都の大学へ通う二人は、同郷のよしみもあり急速に仲を深めたのだが、女は男の浮薄な気性を気に病んで友人等に相談していた。


「――いや、でもやっぱりエリ様は最高だよね」


 これでは、話題を変える為の取って付けたような台詞だと考え、男はさらに言葉を続けた。


「何を歌っているのか、意味が分かんないところがいいんだ」

「――そ、そう?」

「耳心地は良いけど――ほら、俺達の会話が邪魔されないだろ」


 アップテンポな曲に乗せて放たれるエリの歌声は、心地良く耳に残りはするがオビタルには理解できない音節の羅列である。

 その為、聞く者のウェルニッケ中枢に働き掛けないのだろう。


「あ、なるほど――」


 バイオレットの魔女が持つ魅力を、上手く言語化したものだと彼女が感心した時の事である。


 唐突にフロアを圧していた楽曲が消えてしまった。


 ステージ上で歌っていたエリも、不審そうな表情を浮かべて口を閉ざす。


 こうして数舜の間、フロアは異様な静けさに包まれていたのだが――、


 ――機器トラブル?

 ――おいおい、エリ様の歌が終わっちまったじゃねぇか。

 ――早く何とかしてくれよっ!


 客達は口々に不満と疑問を声高に叫び始める。イーゼンブルクの片田舎から出て来た二人の男女も同様だった。


「ちょっと、スタッフは何やってんのよ!」

「エリ様、頑張れえええ!!」


 そうした喧騒の中、魔女の宴と外界を隔てていた巨大な二枚扉が開け放たれ、エントラスエリアに在る高輝度の照明が射し込んで彼等の姿を照らし出した。


「静まれ」


 眩い光を背負い、フロアからは未だ黒い影に見える男が告げた。


「レオ・セントロマである」


 彼の背後には、禍々しい槍部で天を衝く天秤衆が居並んでいる。


 数えたならば二百名程度ではあるのだが、クラブ「G.O.D」の立地する地区全体には数万人の天秤衆が展開されており、信仰の光で罪をあまねえく照らそうと蠢いていた。


「魔女を捕らえるゆえ、邪魔立ては許さぬ」


 そう言ってレオは、ステージ上に立つエリを見据えた。既に出入口は天秤衆が固めており、彼女に逃げる場所など存在しない。


 レオが腕を振ると、彼の脇から数名の天秤が進み出て、そのままステージ上へと向かっていく。


「とはいえ――」


 ようやくエリから目を離したレオは、フロア内の人々をゆっくりとした仕草で睥睨した。


「貴様らは、不敬な名を冠した場にて酒と薬に溺れ、道徳を逸脱した不埒な交わりを求め集い女神の庭を紊乱びんらんさせる屑虫共である。その罪業の深さは鷹の目を持ってしても見通せぬ」


 言い募るほどにレオの瞳は蘭々と輝きを増してゆく。


「さらに言えば価値が無い」


 その言葉を合図とするかの如く、残りの天秤達もフロアへと雪崩れ込んだ。


 悲鳴や怒声は未だ上がっていない。


 あまりにも異常な状況が淡々と進行してしまい、人々は声を上げるいとまも、そして逃亡を試みる契機も無かったのである。


「血で贖え」


 全ての天秤が侵入したのを確認し扉を閉ざしたレオは、二つの取っ手に戦槌を差し込んだ後、自分が口笛を吹いている事に気付いた。


 ◇


 宰相エヴァン公の腰巾着とも揶揄されるアダム・フォルツ選帝侯だったが、自領を代官に任せ旧帝都で暮らす現在の状況を心底から謳歌していた。


 先代の父から押し付けられた口煩い正妻から離れ、イリアム宮傍に建つフォルツ家別邸を棲家としている。


 とはいえ、ほとんどの夜を、別邸ではない別の場所で過ごしていた。


「ねぇ、アダム様」

「――う――ん――どうした?」


 眠りに落ちかけていたアダムは、甘えた口調の愛人によって再び現世に引き戻された。


「あの――私、アダム様にお願いがありますの」


 旧帝都を度々と訪れるようになった頃、さる祝宴で出会った美しい女は、あろうことか先方から言い寄って来たのである。


 女の身許を調べたところ、製薬事業を営むロイド家に連なる女で十分な資産を持っており、金銭や地位が目的ではないと判明した。


 以来、旧帝都ハイエリアに位置する彼女の邸宅で秘かな逢瀬を繰り返すうち、すっかりと彼女に溺れたアダムは、自領を捨て置き旧帝都で暮らすようになった次第である。


「ほう?」


 とはいえ「お願い」などと言われたアダムは、幾分かの警戒心を抱きつつ返事をした。


 ――まさか、やはり側室にしてくれという話しだろうか?

 ――だとすると面倒な事になる。

 ――とはいえ、切るには惜しい女であるし……。


 そう思いながら、しとねを共にする愛人の横顔を見やった。


 ――本当に似ている……。


 アダム・フォルツが心密かに懸想するイドゥン太上帝にである。


 ゆえにこそ、彼は執着をしていた。側室の話なのであれば、真剣に検討せねばなるまいとも考えている。


 一夫一婦制を至高と見なすイーリアス学派に傾倒する正妻を、いかにして説得するのかという難問があったのだ。


「今宵の事なのですけれど――」

「こ、今宵?」


 側室の件ではないと分かり、アダムは胸を撫でおろした。


「これより先、何が起きましても、私を恨まないで下さいね」

「あん?」

「――それでは」


 そう言って身を起こした女は、ナイトローブで裸体を覆ってからうなじに触れた。


「どうぞ」


 彼女がそう呟いた瞬間、二人が仮初の愛を育んできた寝室に、ハルバードを構えた天秤達が押し入って来た。


「な、何だ?貴様――放せっ!私を――誰だとっ!?――ひぃぃっ」


 抵抗する間もなく、アダム・フォルツは全裸のまま、天秤によって拘束されてしまう。

 喉元にはハルバードの斧刃が突き付けられていた。


「無論、存じ上げておりますよ」


 全てが終わってから寝室へ入って来たのは、天秤衆総代ガブリエル・ギーだった。


「が、ガブリエルッ!!己は何の権利があってかような狼藉を?」

「権利――と申しますか、これが私達の聖務なのです」

「ならば異端を捕らえよ。わ、私は敬虔な信者であり、多額の喜捨とて――」

「現在、帝都では異端の摘発と外道の断罪を大々的に行っております。ご安心めされよ」


 新しき世の到来を祝う今宵の宴は、レオ・セントロマと原理主義勢力により企図されたヴァルプルギスの夜である。


「こんな時間にか?」

「夜闇は罪を深くしますゆえ」


 ガブリエル・ギーは、目を細めた。


「ま、まさかとは思うが、私を――異端に――?」


 あの女と出会った瞬間から、己は天秤のてのひらに在ったのだとアダムは気付くが全ては後の祭りである。


「ご返答次第です」


 領邦領主なればこそ、正妻の他に側室を持つ事も許されるが、何れの立場ともしない愛人は不道徳な行為と見なされる。

 異端の俎上に載せられたなら、糾弾されるのは間違いない。


「どうすれば良いのだ。私は」

「なに、簡単な事です。我々は証人を求めているのですよ」

「証人?」

「エヴァン・グリフィスが異端であるとの証人をです」

「――!?」


 想定外の名前を聞いたアダムは、発すべき言葉を喪い呆然と口を開いた。


「病に臥されたレオ猊下を前にして、あなたは聞いたはずなのです。エヴァン・グリフィスが口にした女神の忠実な僕である天秤への不敬を――」


 ◇


 この夜、旧帝都エゼキエルに吹き荒れた粛清の嵐は、世俗の富や地位が一切の防波堤となり得なかった。


 レオ・セントロマと彼が率いる原理主義勢力は、先鋭化したドグマと迷いなき正義感に包まれて全ての殺戮を為したのだ。


 売春宿や、それに類するサービスを供与する施設は勿論のこと、「G.O.D」のような一定のいかがわしさを醸し出すクラブ等は火を放たれた。働く人々や居合わせた客達は、その立場を問わず惨殺されている。


 天秤により殺傷された者の数は万と余名に及び、召喚を命ずる刻印を額に刻まれた者はさらに多い。


 ヴァルプルギスの夜は一晩にして、反政府系組織によって引き起こされたかつての叛乱より大きな恐怖と喪失を人々に与えたのである。


 なお、天秤衆が跋扈ばっこしたのは市街だけではない。


 復活派勢力の支配と正統性の証しであるイリアム宮においても、事前調査により異端と見なされていた廷吏と女官は処断されたのだ。


 併せて、イリアム宮で最も高い塔の上には、ラムダ聖教会の聖旗と天秤の戦旗が並び打ち立てられた。


 アダム・フォルツ選帝侯の働きかけによって、衛兵達はこれに抵抗するどころか進んで協力したのである。


 重臣達の多くも異端の嫌疑により拘束されており、宰相エヴァン・グリフィスですら聖座異端審問所へ連行されたと知った人々は身を震わせた。


 ともあれ、いかなる夜もやがては明ける――。


 早朝、沈黙を守るイドゥン太上帝に代わって、メディアを通じレオ・セントロマは非常に短い声明を発表した。


「光あれ」


 来たる新秩序を告げる狼煙である。

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