73話 来てね☆

 ケルンテン領邦ズラトロク宙域に入った十万余に及ぶ連合艦隊は、ポータル近傍にて多分に攻撃的な陣形で布陣していた。


 カナン星系を目指し奔る少女艦隊の動きは既に露見しており、連合艦隊は復活派勢力の兵を分散させる為のデコイであると敵方も分かってはいるのだが、大艦隊が目前で攻勢を見せていたなら構えざるを得ない。


 故にポータル先では、フォルツ艦隊を主軸とする防衛陣が敷かれ、あらゆる不測の事態に敵方も備えていた。


 とはいえ、一触即発という情勢下にはなく、ロスチスラフに上がってきた悪い報せも身内に関する内容だったのである。

 

「――警戒が必要でしょう」


 連合艦隊総司令官を拝命したロスチスラフは、旗艦ブリッジを離れ居室にて邦都に残した男とEPR通信を使い密議を交わしていた。


 照射モニタに写るのは戦略情報長官職への栄転を果たしたドミトリである。


 ベルニクとの同盟を締結させた功に報い、領事から情報畑へ戻すと共に最高位の役職をロスチスラフは与えていた。


 ドミトリはオソロセア領邦における全ての情報機関を束ねる要職となり、大いに充足した日々を――主に歪んだ性癖の充足した日々を送っている。


「ホルスト・ジマ」


 その名を口にする時、ロスチスラフは吐き捨てるような声音となる。


「出会った頃より気に入らぬ男であったが、翁となって尚もはかりごとの底が浅い。真に度し難き阿呆である」


 希代の僭主ロスチスラフは、謀略に一家言いっかげんを持つ男なのだ。


「先だって訪れた際に、ウォルフガングから入れ知恵されたのかと」


 フォルツ領邦の代官を長年務めるウォルフガングは、旧帝都で尾を振るのに忙しいアダム・フォルツ選帝侯に代わって領邦経営を差配してきた男である。


彼奴あやつも掴んでおったのか。浮薄な主人より余程切れる男とはいえ――」


 少しばかり意地の悪い笑みを浮かべた。


「仇討ちをそそのかせると本気で考えておるなら、間抜けと評価を改めるべきだろう」


 エカテリーナの謀心ぼうしんを露とも疑わぬロスチスラフの言動が、かねてよりドミトリには理解出来なかった。


 疑うどころか外征軍司令という要職にまで置いているのである。


 ――情報部時代から警告は上げて来た……。


 エカテリーナ・ロマノフの出自は、領邦軍所属前から情報部では把握していた。


 他者に成り代わり全てを巧妙に詐称しているが、その秘したる経歴を丹念に辿って行くと、ケルンテン領邦の旧臣エルモライ・ロマノフという鉱脈へと至る。


 おまけに、エルモライの政敵であるジマ家が保有するコヴェナント・ヴィンヤードを、エカテリーナに近しい人物が詐欺に等しい手段で買収までしているのだ。


 身許調査をする担当員ならば、当たりを引いたと考えるのが当然だろう。

 

 だが、それすらも欺瞞なのである。


 欺瞞に欺瞞を重ねた先に、エリザヴェータ・オソロセアは潜んでいた。


 ――疫病神の娘など怖るに足りない、という訳なのだろうか。


 ロスチスラフ自らが権力の座から引きずり降ろしたボリス・オソロセア大公は、当時を知る多くの領民からすると正に「疫病神」であった。


 勢い任せで始めたファーレン領邦との戦いに敗れ、巨額の賠償金を背負ったボリスは領民を文字通り飢えるほどに搾り上げたのである。


 ファーレンに石を投げボリス大公に糞を投げる――という些か不敬な作者不詳の風刺画は、今もオソロセアの幼年学校では歴史教材に掲載されていた。


 ――まあ、侯の如き大人たいじんの考えなど、俺には分からん……。


「ですが、ホルストの誘いを明確には否定しておりません。映像もありますので宜しければご覧に――」

「ぶほっ」


 水を飲んでいたロスチスラフが思わずむせた。


「こ、これ。情報部は艦艇の作戦会議室まで覗いておるのか?」

「無論です」

「まさかとは思うが、娘の寝所は――」

「滅相もない」


 ドミトリは激しく首を振って否定しながらも、情報部技官時代に進言した事実は秘しておこうと決めた。


「ならば良い――」


 と、ロスチスラフは疑わし気な目付きとなったが、直ぐに思案気な表情に戻すと顎下を撫でた。


「ともあれ、エカテリーナの件は捨て置け。大事たいじない」

「では、例の晩餐会は予定通りに?」

「前線にて迷惑千万な話ではあるが、大艦隊の駐留を飲ませた義理もあろう」

「私などには、些か匂いますがな」


 そう言ってドミトリは鼻を鳴らした。


 片田舎とされる惑星ズラトロクの軌道都市といえど、貴人をもてなす迎賓施設は存在する。


 偽りのコンクラーヴェを終え自領ケルンテンへ逃げるように戻ったイェルク子爵は、連合艦隊首脳をズラトロクに建つ「黄金の角」邸で催す晩餐会へ招待した。


 旧帝都における情報を共有したい、などと尤もらしい理由まで付けている点を鑑みると、奸臣ホルスト・ジマあたりが領主を動かしたのだろうと伺わせる。


「案ずるな」


 ロスチスラフは手を軽く払い、話を終わらせる意向を示した。


「ホルストの如き羽虫など――む――済まぬ、ドミトリ」

「はい?」

「羽虫など殺せば良い。それより、真に怖れるべき相手から連絡が入った」


 生涯を捧げると敬愛する主人の怖れる相手など、些かも脳裏に浮かばぬドミトリは訝し気な表情を受かべた。


「――とはいえ、可愛気だけは有る」


 ◇


「もう、なんでトオルがいないのっ。つまんない、つまんない。あの不気味な貧乳軍団の方がいいだなんて信じられないわよっ!!」


 言葉の通ずる少女シリーズと友情を育んで欲しいと期待したトールだったが、両者の関係性は現段階では未だ友好的とは言い難い。


 ケヴィン・カウフマン中将の肩に乗る猫型オートマタの不機嫌ぶりは、旗艦トールハンマーの乗員達にとって日常となりつつあった。


 月面基地から遥か離れたズラトロク宙域に入ってなお、みゆうの機嫌は改善する気配を見せていない。


 トールが少女艦隊を引き連れ単独で聖都を目指している事に、みゆうは強い苛立ちを感じていたのだ。


 ――はあ――皆にとっては他人事だよな。


 猫様を肩に乗せたまま職務を遂行せざるを得ないケヴィンとしては、良く分からない言葉を耳元で捲し立てられていては多大なストレスとなるのである。


 ――だが、少しだけ意味が分かるような気も……。


 トールとみゆうが会話をする場に幾度も居合わせてきたうえに、猫様の繰り言を一日中聞かされるというスパルタ教育の効果が徐々に現れ始めていたのだろう。


 本人の意図するところではなかったのだが、ケヴィンはオビタルとしてカッシウス以来の存在となり得る可能性を秘めていた。


「あああああ、もう駄目っ。限界」

「え!?」


 ――猫様は、限界と仰ったのか!?

 ――わ、分かるぞ。私はとうとう女神の言葉を……。


「そう言えば私、頑張れば勝手に動かせるのよね」


 ――ふむふむ。『我、勝手、動かす』――むむむ??


「もう勝手にみんな連れて、トオルの所へ行っちゃおうかな」


 ――『勝手、トオル、行く』――んんっ!?

 ――意味はいまいち分からんが、勝手という言葉は不穏な予感がする。


「それがいいわ。そうしましょ。じゃあ――」


 みゆうの気合いの入った声音に、ケヴィンの鋭敏な危機センサーが反応を示す。

 

 何はともあれ「勝手」を制さねばという必死の思いが、彼の舌にオデュッセウスの弁才を宿らせたのかもしれない。


「お、お待ち下さいッ!!女神――い、いえ『猫様ッ』!!!」

「――え――ええっ、び、びっくりぃ」


 旗艦ブリッジに集う部下達の視線は痛いのだが、ケヴィンだけは四の五の言ってはいられない状況だと分かっている。

 

 ロスチスラフ率いる連合艦隊の布陣に組み込まれた状況下では、あらゆる「勝手」が取り返しのつかない外交的問題を生じさせるだろう。


「ねこって言った?」


 みゆうの問いにケヴィンは頷くが、そこから先の言葉は続かない。


「まさか、オジサマも分かるようになったの?」

「い、いえ――」


 何かを尋ねられている事は感じ取れても、明確な意味までは分からぬケヴィンとしては言葉を濁すほか無かった。


 ――くっ、駄目だ。このままでは……。


 と、ケヴィンが心の内で唇を噛んだ時、救いの女神――ならぬ救いの悪魔が手を差し伸べる。


「おおっ、猫様!」

「ん?」

「閣下――トール様です!!」


 ケヴィンは急ぎ照射モニタを眼前に出した。


「トオルぅ!」「閣下!」

「やあ、みゆうさん――ん、ケヴィン中将?」


 無邪気に跳ねる猫と、泣き笑いを浮かべる中年男を交互に見やった。


「いや、何ともご苦労をお掛けしているようですが――」


 状況を察したトールは、労いの言葉を前置いてから話を続けた。


「聖都で大変な事が起きてしまいました」


 常になく緊迫した様子を見せるトールに、みゆうも甘えた口は挟まずケヴィンの肩で大人しくすると決めたようである。


「詳細は後ほど説明しますが、旗艦トールハンマー並びに中央管区艦隊は、直ちにベネディクトゥス星系の未知ポータルよりカナン星系へ入り聖都を目指して下さい」


 旧帝都からベネディクトゥスへ進み叛乱軍を討つ為、嘗てトールが利用した未知ポータルである。


「ロスチスラフ侯――連合艦隊総司令官の許可は頂いています」

「承知しました」


 唐突な下知ではあったが、ケヴィンは問い返す事も表情を変える事も無かった。


 それは彼が職業軍人である証左であり、尚且つトールに対する全幅の信頼を示してもいたのだろう。


「あとは、途中フェリクスに寄り――」


 だが、信頼には限度というものがある。

 

「ウルド陛下も乗せて来て下さいね」


 呆けた様に口を開いたケヴィン・カウフマンは、恐らく幼子がとうを数え終わるまでは固まっていたとされる。

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