72話 想定外。

 ベルニクから旧帝都の存するカナン星系まで、休まず駆けたとしても七日を要するのだが、光速度の九十パーセントを誇る少女艦隊ならば四日の道程に短縮される。


 コンクラーヴェ終了直後に発てば、レオの率いる聖都奪還軍に先んじてアレクサンデルの許へ馳せ参じられよう――というのがトールの目算であった。


 無論、どれほど隠密裡に航行したとしても五万隻に及ぶ大艦隊の移動は、遅かれ早かれ相手も知るところとなるだろう。


 故に、一日たりとも遅延は許されず、レオが慌てて動き出したとしても間に合わぬという状況にする必要があった。


 そこでトールは、プロイス領邦の方伯夫人とよしみを結んだのである。


 彼が七つ目への招待を快諾したのも、秘密結社なる組織へ抱く憧憬だけが動機ではなかったのだ。


 結果として方伯夫人は、自領プロイスにおける航行の安全を保障するだけでなく、弟クラウディオの治めるアラゴン領邦への働きかけ――要は圧力を約していた。


 なお、肥大化した自尊心を抱くクラウディオを刺激しないよう、決定的な敗北を彼に与えなかったのもトールが打った布石の一つである。


 とはいえ、人の身なればこそ、トール・ベルニクにも読み違えはあろう。


「アハハ」


 帝都フェリクス、カドガン、サヴォイア、クルノフまで順調な船旅を続けたトールだったが、ゲオルク宙域に入ったところで受けた報せに言語化できない面白みを感じて笑声を上げた。


「済まぬな――底抜けの愚か者であったらしい」


 呑気な笑い声を不思議に感じながらも、照射モニタに写る喪服姿の方伯夫人は溜息混じりに告げた。


 サヴォイアからクルノフに入ったところで、いよいよ少女艦隊の動きは相手方も知るところとなっている。

 

 その為にレオは聖都奪還軍出征の編成準備を急いでおり、一両日中には動き出すと見込まれていた。


「我がプロイス領を抜けたのは蒼槍のみであった。よもやと思っていたのだが――」


 イドゥン太上帝の威を借りたレオがアラゴン領邦へ与えた役務は、新生派連合艦隊と対峙するフォルツ領邦への派兵だった。


 これに対してクラウディオ・アラゴンは、フランチェスカ准将率いる強襲打撃群五千隻のみを送ったのである。


 つまり、彼が邦許に多数の艦艇を残した狙いは――、


「いやぁ、ボクって凄く恨まれてたんですね」


 カナン星系、そして聖都を目指すトールを迎え撃つべく、復讐に燃えるクラウディオはゲオルクポータルの先に築城し固い防衛陣を敷いていた。


 フォルツへの派出が寡兵になったとはいえ、トールを足止めしたいレオの思惑と合致しており叱責を免れている。


わらわの脅しに屈せぬほどな」


 方伯夫人とクラウディオの関係性に歪みを感じ取ったトールだったが、異母弟とはいえ姉弟は仲良くした方が良いですよ、などという余計な言葉を飲み込んだ。


 ――家族を知らないボクが言えた台詞じゃないしね。


「伯、如何する?――こうなっては、わらわとて旗色を紫紺に染め、プロイス艦隊を出すにやぶさかではないが」


 新生派勢力に与すると公式に宣し、クラウディオを挟撃すると申し出た訳である。


「う~ん」


 腕を組み、小さく唸った。


 プロイスとの挟撃は、アラゴンへ打撃を与えたいなら最善の策だったが、事後を考えるとトールには良案と思えなかったのである。


 ――プロイス領邦は確かに大きいけど、飛地とびちだからなぁ。


 カナン星系に隣接するプロイスとはいえ、中立を保っていればこそ敵も大領を攻めるコストを惜しむだろうが旗色を明らかにしたなら様相は一変する。


 復活派勢力は安全保障上の観点から喉元の棘を抜かざるを得ない。その時、周辺を敵勢に囲まれているプロイスは苦しい戦いを強いられるだろう。


 勢力内で飛地とびちとなった地域の宿命である。


「やはり、方伯夫人は中立の建前を崩されない方が良いでしょう」

「――そうか」


 トールは利害を天秤にかけ、結論を下した。


 安全策となる方伯夫人の申し出を受け入れた場合、プロイス領邦軍の編成を待つ必要がある為さらに日数を要するだろう。


「それに、クラウディオ選帝侯の守備陣は、どうにかなると思うんです」


 相手を殲滅させる場合はいざ知らず、防衛陣を突破するだけであれば、圧倒的機動力を有する少女艦隊なら可能であろうと先のクルノフ逃亡戦で証明されていた。

 

「――ですよね?」


 ブリッジ上で脇に控えていた少女Bユキハと少女Aへ顔を向けた。


「話の内容はBの通訳で理解できた。これも――」


 そう言いながら少女Aは、掌サイズの冊子を振って見せた。


「――役に立った」

「良かった」


 オビタルに関わる情報を少女シリーズに理解できる言語でまとめ、それを冊子として彼女達に配布したのである。


 トールとユキハが手書いた資料を印刷したのだが、設備と技術を兼ね備えた企業を探す事に最も労を要した。


 ルネサンスの興隆を決定付けた偉大な発明は、古典文明末期においてすら石斧の如く消えゆく立場に甘んじていたのである。


「オビタルの防衛戦における築城とは、つまるところ自走重力場シールドの斥力を頼った密集陣形だ」


 自走重力場シールドで築いた城に隠れ、射線口から荷電粒子砲を撃ち攻勢を削ぐ。

 寄せ手も同じ戦術を取ったなら完全に火力勝負となる。


 なお、少女艦隊は自走重力場シールドの射出口を備えておらず、そもそも築城して対峙する事は不可能だった。


「古い――いや、牧歌的と表現すべきか」

「ですね」


 偽る事を知らぬ少女Aの漏らす感想は、トールが兼ねてより抱いていたものと同一である。


 侵入口がポータルに限られるという物理的な障壁と、オビタル帝国なる権威への帰属意識が生み出した多分に行儀の良すぎるドクトリンなのだ。


 その結果、数的劣勢であるはずの船団国にも付け入る隙を与えて来た。


「我のロジックは異なる」


 少女艦隊に与えられた使命はポータル設置だけではない。


 ――我等と遺伝的に繋がりの無い種の生んだ文明は全て破壊する。


 というすこぶる攻撃的な性格を帯びた艦隊なのである。


「散兵戦術に適した編成となるθシータ世代を有効活用するなら、鈍重な密集陣など殲滅も可能である」


 だが、トールは刻を惜しんだ。


 目前の敵を殲滅させたところで、聖都に先入りできなければ意味が無い。


「無論、機動に任せても良い」


 重力場シールドに隠れ砲を放つだけの敵勢を無視して進めば、少女艦隊の足に追いつける艦艇など存在しないのである。


「そうですか。では、殲滅はまたの機会としまして――」


 私怨のみで動くクラウディオなど放っておけば良い。


 少女艦隊がこのまま進めば二十時間以内には聖都へ到着し、アレクサンデルを救出した上で聖骸布艦隊と合流できる。


 その頃には、いよいよレオの聖都奪還軍も編成を終えて動き出すだろうが、交戦などせず望み通り聖都を彼等に呉れてやれば良いのだ。


 女帝ウルドが帝都を捨てたが如く、教皇アレクサンデルも聖都を捨てるのである。


 ◇


 かようにして――、


 クラウディオより買った厄介な憎悪に気付かされた点を除けば、概ねトールの考えた想定の範囲内で事態は推移していたのである。


 固唾を飲んで状況を見守っていたアレクサンデルも、二十時間以内にトールが到着するとの報を受け、自身と共に聖都を後にする者達を集め艦艇に乗り込んでいた。


 枢機卿達だけでなく、近習や教皇宮殿にて仕えていた者達も含まれる。レオが聖都を押さえた際に危険が及ぶであろう人々を集めたのだ。


 ポータル面で守備陣地を敷く聖骸布艦隊に合流するのである。


「随分と遅くはなったが、ともあれ童子は例の気狂いに先んじてくれたのだ。由とせねばなるまい」


 そう言った後に、アレクサンデルは眉を寄せた。


「――が、パリスは無念である」


 パリスの如き悲運を回避する為に、アレクサンデルは嘘を付いてでも生き延びよと宣していたのだが、最も意外な男が最期に矜持を示したのである。


「報せを受けた時は私も驚愕致しました」


 長年、アレクサンデルに仕え続ける主席書記官は、当然ながらパリスという男とその人となりを熟知していた。


「実は虚なり。虚こそ実なり。これが真よ」


 主席書記官にも意味の分からぬアレクサンデルの言葉だったが、人の秘めたるさがの虚実など推し量りようが無いと言いたかったのかもしれない。


「パリスの件は、落ち着き次第に交渉先を探る」


 天秤の手に落ちて五体満足でいられるはずもないが、このまま見捨てるのは忍びないと考えていた。


「さすがの童子も想定しなかった事態であろうしな――」


 クラウディオが抱く怨みの深さを押し測れなかったように、大司教パリスの矜持とて想像の埒外であった。


 だが――、


「ん――?」


 想定外とは続くものなのだろう。


「如何したのだ?」


 アレクサンデルはうなじに触れて照射モニタを眼前に出した。


 彼に直接連絡できる者は限られるが、その限られた者とて滅多な事ではしない。トールを除けばとなるが――。


「聖下」


 人口天体サン・ベネゼ艦隊基地にて総指揮を執る聖兵総長が、悲痛な表情を浮かべ立っていた。


「ポータル面へ展開した防衛陣とのEPR通信が完全に途絶しました」


 艦艇二万隻が守る堅牢な防衛陣で、トールの到着に合わせサン・ベネゼ艦隊基地より残り三万隻も出撃しようとしていた矢先の事である。


「気狂いの艦隊が?」


 尋ねつつ、そんな訳は無いとアレクサンデルも分かっていた。


 信用の置ける筋から入った最新の情報によれば聖都奪還軍は未だ編成準備に手間取っている。


 情報に誤りがあり交戦状態になっていたとしても、築城した聖骸布艦隊が易々と全滅させられるなど考えられなかった。


 だが、EPR通信の完全な途絶とは、通常なら艦隊の全滅を意味する。


 ――いや、もうひとつ可能性が有ったな。


 遥か彼方、蛮族の地で目にした光景をアレクサンデルは思い起こした。


「最後に入った通信は、量子観測機ボブの情報です」


 巨大な質量と無尽蔵のエネルギーを有する移動要塞は、EPR通信を阻害し全てを無に帰すガングニールの槍をいだく。


「とてつもない質量の存在確率が――」


 蛮族、来たる。

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