71話 真名。

 親フォルツ、そして親オソロセアという二大勢力の派閥力学に支配されてきた少領ケルンテンにおいて、ロスチスラフによるかつての権力簒奪は両者の均衡状態を一時的に崩してしまった。


 ホルスト・ジマの不正を追及していたエルモライ・ロマノフが無実の罪を負わされ自死へ追い込まれた悲劇とて、激化した派閥抗争の生み出した副産物なのだろう。


 その死したエルモライにはユリアという名の娘が居た。


 悲劇的な忠臣の血を引くユリアが名を変えて、いかなる経緯を辿ってかオソロセアの武人となり外征軍司令にまで上り詰めた――という物語は魅力的ですらある。


 それ故にこそ、当時の事情に通じた多くの者は、エカテリーナ・ロマノフに故人の面影を見ていたのだ。


 だが、ホルスト・ジマだけは異なる。


 ――ウォルフガング殿の話で全ての疑問は氷塊した。


 先日、急ぎフォルツ領邦を訪れ執り行った代官ウォルフガングとの密議は、ホルスト・ジマの抱いた長年の疑問と不安の一部を解消していた。


 ――どうにもオカシイと思っていたのだ。


 ズラトロク宙域に入ったと告げるアナウンスを耳にしたホルスト・ジマは、薄目を明けて秘書が居ない事を確認した後に胸元から取り出した薬を二錠ほど飲み下した。


 ――エカテリーナ・ロマノフ――彼奴あやつの素性を探ると、ヴォイド・シベリアで事故死した浮浪者へ辿りついた。

 ――どう考えても、身許を偽装しているはずだ。


 それでいて、身上調査の厳しいオソロセア領邦軍に入り司令官職まで拝命し、多くを語らずともロマノフ姓を名乗っている。

 筋の良い協力者が軍上層部、または政権中枢に存在するのは間違いない。


 これらの状況証拠から、エルモライの忘れ形見がオソロセアの庇護を受けてロマノフの血脈を保っていると言えなくもなかった。


 ――とはいえ、


 自身の掌に目を落とし、消すに消せない忌まわしい記憶を呪う。


 ――化けて出たのかと怯えた日もあったが……。


 軍事演習の為に外征軍を引き連れたエカテリーナ・ロマノフが、初めてケルンテン邦都を訪れた日の事を思い起こす。


 彼女と相対し、己が犯した不正を糾弾するかつての直截な瞳に怯えたホルストは、長らく食事も喉を通らぬ日々となり向精神剤を必要とするようになっていた。


 ――そう――娘であるはずがない――なかったのだ。


 今や、ホルストには確信がある。


 外征軍司令エカテリーナ・ロマノフは、エルモライの忘れ形見ではなく黄泉から訪れた復讐者などでもなかった。


 エルモライの娘ユリアは、既にこの世に存在しないのだ。


 なぜなら、


 ――この手で殺したのだからな。

 

 ◇


 旧帝都、ケルンテン、各所で各人の思惑が交錯するなか――、


 聖都アヴィニョンを目指すトール・ベルニクは、少女艦隊が旗艦と定義するエンズヴィル型母艦ブリッジで同じ顔の少女達に囲まれていた。


 黒髪の少女Bユキハ以外は、髪色がバイオレットの少女Aである。


「ユキハさんだけ黒髪なんですね?」

「――いえ、私も本来はバイオレットなのですが、染色して隠すようカッシウス様に言われたのです」

「隠す?」

「はい。厄介事に巻き込まれる髪色だと」

「なるほど」


 トールの知るバイオレットの髪を持つ者は限られている。


 女男爵メイドのマリ。

 船団国で出会った贈歌巫女。

 写像で見たマリの母親と姉。


 ――後はイドゥン太上帝か……。


 サンプル数が余りに少なすぎるとはいえ、カッシウスの言葉に一理あると言える確率だろう。


「トール様の庇護下にある今となっては、本来の髪色に戻しても良いのですが――」


 そう言って黒髪に人差し指を通したユキハは、寂し気に視線を反らせた。


 ――前のボクに何か思い入れがあるのかなぁ。

 ――確か、黒髪に妙な拘りがあったんだよね……。


 モンゴロイド系の商務補佐官リンファ・リュウに対し、過去のトールがセクハラとの誤解を招きかねない行動に出た理由でもあった。


「何だか、シットリとお楽しみ中のようだけど――」


 EPR通信の着信に気付いたトールがうなじへ触れると、照射モニタに現れたテルミナは開口一番憎まれ口を叩くと決めたらしい。


 彼女の隣には名前を言ってはいけない例の御方――ミセス・ドルンも並んでいる。


 ――フードの人も後ろに居るけど――誰だろ?


「こちらへ向かっちゃいるようだな」


 聖都奪還軍に先んじてアレクサンデルを救出する為には、テルミナへ与えた任務の成否に関わらずコンクラーヴェ終了までがタイムリミットだったのである。


 とはいえ、秘事の入手より先にアレクサンデルを救ってしまっては、万が一にもテルミナ達が旧帝都へ取り残された場合に回収する手段が無くなってしまう。


 旧帝都へ集う艦艇を減らす為に連合艦隊を編成するなどという大規模な軍事行動は、教皇救出という名目が無ければ不可能事なのである。


 ――でも、パリス猊下と聖巡船に乗って帰って来るんだから、心配し過ぎだったのかもしれないな。


 最前までエンズヴィル型母艦内の見学に夢中になっていたトールは、未だコンクラーヴェの結果と大司教パリスの現況を知らなかった。


「まず、任務だが――済まん。失敗だ」

「いいや、成功さ」

「失敗だ」


 テルミナは失敗と告げ、ミセス・ドルンは成功と言う。


「野郎の名前を聞き出す前に、婆がグサリと息の根を止めやがった」

「ええっ!?エヴァン公のですか?」


 さすがのトールも驚愕したらしく、瞳を大きく見開いた。


「楽にしてやったのさ。どのみち死んでただろうからね」

「――にしちゃ、絶妙なタイミングだったけどな」


 口封じに殺したのだとテルミナは推測している。


 とはいえ、最後にエヴァンが口にした幾つかの音節は覚えていた。


 彼女にとって名前とは思えない響きだったのだが、ミセス・ドルンの茶々が入らない場でトールに報告しようと考えている。


「死体と言いますか――亡骸はタルタロスに?」


 救国の英雄たり得たかもしれぬ男の末としては余りに寂しい――と、トールは感じていた。


「ボウヤは持ち帰ったよ」


 聖巡船には長期の安置が可能な棺も備えられている。そこへ、既に七つ目の者達がエヴァン・グリフィスの亡骸を運び込んでいた。


「グリフィスへ運ぶんですか?」

「いいや」


 ドルンは首を振った。


「ちょいと綺麗にしてあげるよ。それからボウヤは在るべき場所へ戻す――だから――まあ、成功なのさ」


 有無を言わさぬ口調で語る言葉とは裏腹に、彼女の声音は己を納得させるかのような響きを帯びていた。


「――そうですか」


 名前を聞き出せなかったのは残念だが、遥か彼方を奔るトールとしては状況を受け入れざるをえない。


「プロイスの陰気な小娘から聞いたんだろうが、クルノフの秘蹟は諦めるんだね」

「え――あ、バレてたんですね」


 図星を衝かれたトールは頭を掻いた。


「当たり前じゃないか。エヴァンの真名を欲するのは――そういう訳さね」


 プロイスで七つ目の儀式を終えた後に、トールは方伯夫人からクルノフの秘蹟について話を聞いていたのである。


「アンタにはまだ早いんだ。焦るんじゃない」

「はあ、なるほど――分かりました」


 何が早いのかは理解できなかったが、ひとつ目の言葉にトールは素直に頷いた。


 憧憬の対象だった事もあるエヴァン・グリフィスを、忌まわしいタルタロスより運び出せただけでも良しと判断したのかもしれない。


「なら、もう婆の寝惚け話は終わりでいいな。任務失敗以外にも問題が二つばかり有るんだよ。パリスの野郎が――」


 大司教パリスが、天秤衆の手に落ちていた。

 彼の聖巡船に乗り合わせ大手を振りポータルを抜けるという目論見は叶わない。


「もう一つの問題は――、役立たずの荷物が増えちまった事だ」


 そう言ってテルミナが照射モニタの視点を動かすと、安モーテルのベッドでスヤスヤと眠る大男が映し出される。


 熊の息子、ジェラルド・マクギガンであった。


 ◇


「結局のところホルスト殿は、何を仰りたいのかしら?」


 ケルンテン高官にフォルツ領邦と内通する者が居る――と、旗艦へ押し掛け目の前に座る男は、人払いをした作戦会議室で要領を得ない世間話を繰り返していた。


「内通者に関わる重用事と聞いて、自白するつもりかとわたくし感心していましたのよ」


 親フォルツ派の領袖であるホルスト・ジマなど、オソロセアから見れば元より内通者も同然だったのである。


「ハハハ。いやはや、エカテリーナ提督は手厳しいですな」

「違いまして?」

「まあ、当たらずとも遠からず――と言ったところでしょうか」


 危険な話題に明確な否定を示さなかったホルストに対し、エカテリーナはおやという様子で片眉を上げた。


「私も勝負所でしてな」


 ホルストが目を細める。


「提督へ全てを晒しに来たのですよ」


 彼が直ぐに本題に入らなかったのは、フォルツ領代官ウォルフガングの話を裏付ける為の探りを、下らぬ世間話の中に織り交ぜていたからである。


 奸臣として生き抜いて来たホルストの得手とするところだった。


「――真に隠したい事実を秘すべく、別の偽りを用意されたのは実に周到でございますな」


 故人を微かに偲ばせる面影を作り、借り者の素性にも関わらず敢えてロマノフ姓を名乗った。さらにはケルンテンやコヴェナントに対するこだわりが伝わるようにも行動している。


 それら全ての欺瞞は、ある事実を隠し切れていないかの様に、周囲の者達へ印象付けて来たのだ。


「なればこそ、エルモライ・ロマノフの忘れ形見と噂する愚か者達を、心の内では嘲笑っておられたのでは?ククク」


 低い笑声を漏らしながらホルストは席を立つと床にひざまずき、臣下の礼を取り微動だにしないエカテリーナを見上げた。


「正統なるボリス・オソロセア大公が御息女、エリザヴェータ・オソロセア嬢への拝謁叶いましたこと――」


 ホルスト・ジマは、小領の家臣で終わるべき器ではない。


 彼はそう固く信じていた。


「――誠、光栄に存じます」

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