70話 ケルンテンにて。

「信仰篤き敬虔な人々より付託された務めを全うする」


 詩編大聖堂の門前に在る大階段に立つレオ・セントロマは、集まった報道陣を前に厳粛な面持ちで宣した。


 コンクラーヴェの後、大階段にて新教皇は枢機卿を従え最初の記者会見に臨む習わしなのだが、レオに付き従うのは天秤衆総代ガブリエル・ギーのみである。


 他の枢機卿達は未だ聖都アヴィニョンに在り、尚且つ今次コンクラーヴェの正統性を認めていなかった。


 となれば、レオとして採るべき方策も自ずと定まろう。


「全てを一新する機会としたい。聖事の務めを怠った枢機卿共は廃し、詩編大聖堂へ集った大司教達より新たな枢機卿を速やかに選任する」


 良心を愛するイーゼンブルクのエッケハルト大司教などは、教皇選挙直後に内示を受けて枢機卿就任を快諾していた。


 求め続けた名誉ある地位を得た事に気持ちの昂るエッケハルトは、不道徳と蔑み続けた男が数刻前に示した矜持に対する恥と悔恨を、胸の内に秘す開けてはならない薄汚れた小箱に押し込んだ。


 思春期に耽った自慰行為と共に――。


「その後に、我等は聖都奪還軍を急ぎ編成し、教皇を僭称する悪漢と取り巻き共を根絶やしにする。遅くとも一週間後には発てよう」


 アダム・フォルツ選帝侯の働きかけにより銀獅子艦隊は既に掌握している。

 

 また、ファーレン選帝侯の派出した大艦隊もカナン星系に駐留していた。イーゼンブルク、モラヴィアなどの小領も幾ばくかの艦艇を派出している。


 但し、新生派の連合艦隊と対峙するフォルツや、それへの援軍に向かうアラゴン、バイロイトなどは聖都奪還軍への派兵役務を免れていた。


 例外と言えるのは、一切の派兵を免除されたウォルデンとなろう。


 理由は開示されていないが、女帝ウルドの父であり尚且つエヴァンの旧友である事から、裏切りを懸念されたのではとの噂が流布していた。


 ともあれ、教皇就任を宣するレオ・セントロマは、聖骸布艦隊を上回る兵力を聖都へ差し向けられる状況を整えたのだ。


「ゆえ、無辜の臣民は安じて過ごせば良い。女神のともしびは絶えぬ」


 彼が皮肉ではなく、心底からの思い述べている点に真の皮肉と恐怖がある。


「以上が私からの所信である。さて――」


 滔々と己の弁舌を終えたレオは、腰の引けた様子の報道陣を見回した。


「いかなる問いにも応えるが?」


 迂闊な質問は命取りになると彼等も理解している為か、発せられる質問は何れも当たり障りの無い内容となった。


 醜聞に関する明け透けな質問が集中したアレクサンデルの往時とは、随分と異なる様相を呈してはいる。


 あるいは、こちらの方が本来的な姿なのかもしれない。

 

 権力の庇護下で安穏としながら的の外れた批判を声高に叫んで見せるのが、メディアというものが古来より演じて来た道化芝居なのだろう。


 だが、常に例外は存在する。


「あ、あの――」


 気の弱そうな一人の男が、おずおずと手を上げた。慣例として立てた人差し指の先は僅かに震えている。


「エクソダス・Mのガリレオです」


 支局を旧帝都に残す蛮勇を示した新生派勢力圏における唯一のメディアである。


「ほう?」「――」


 意外な名前を聞き、レオと、ガブリエルが興味深げな視線を送った。彼等とてエクソダス・Mの邦許が何れであるかは知っている。


 爛と奇妙に輝く瞳と冷えた白眼に見据えられたガリレオは、言葉を紡ぐのに些かの胆力を必要とした。


「こ、今回は信任を問う選挙だった訳ですが――その――ふ、ふふふ不信任を表明された方はいなかったのでしょうか?」


 後段は緊張の余り早口で捲し立てる口調となったが、誰もが気になっていた点を彼は尋ねたのである。


 信仰をやいばとして数多の血を流し続けるレオと天秤衆に対し、異を唱える聖人の出現を大衆は心秘かに望んでいたのだ。


「例えば、イーゼンブルクのエッケハルト大司教などは――?」


 エッケハルトはレオ派に属する大司教で原理主義者として知られるが、女神の溢れる慈愛を説く姿に多くの者は聖性を見ていた。


 彼ならば――と期待する向きもあったのだ。


「エッケハルト!我が魂の兄弟」


 レオは両手を広げた。


「彼は枢機卿となり益々と光の道を歩む。皆もよしなに」

「――そうですか」


 気落ちした思いが声音に混じらないようガリレオは細心の注意を払った。


「で、では、全ての方が信任されたと?」

「ふむ、いや――」


 腕を組み右の拳を顎下に当て考える様な仕草を見せる。


「――不信任を表した者は居た」


 実に意外な名前を聞く事となった。


「パリス・ヴァシレイオ」

「え――」


 記者達の間でどよめきが拡がる中、ガリレオも驚きの声を上げた。


 かつての同僚であったソフィア・ムッチーノ経由となるが、オリヴァー等と組んでベルニクを陥れようとした奸物だと聞かされている。


 実際、余り良い評判も耳にしない。


「彼のみとなる」


 そう告げるレオを前に、ガリレオは今すぐにでも大司教パリスの取材をしたいと考えていた。

 他の記者も同様らしく、既に何名かは慌ただしく動き出そうとしている。


 だが――、


「取材は難事となろう」


 無駄骨を折らせてはならぬと、レオの中で親切心が湧いたのかもしれない。


「つい先ほど、唐突に倒れてな」


 口角を上げたレオのまなこが円弧をえがく。


「エゼキエル慈恵医療院へ運ばれた。先だっては私も世話になったのだが、素晴らしいスタッフと設備に――」


 淀みなく続くレオの無駄話など、次なる行動へ思いを馳せるガリレオの耳には届いていない。


 ――こりゃ駄目だ。


 最も早い便のヴォイド・シベリア行きに乗り、懐かしのベルニクへ帰ろうと彼は決めていたのである。


 ――支局なんてクソくらえさ。


 ◇


 ケルンテン領邦ズラトロク宙域では、エカテリーナ率いる先遣隊一万隻がフォルツ領邦へ通ずるポータル面にて築城し防衛陣を築いていた。


 惑星ズラトロクは片田舎の軌道都市とはいえ軍港を備えており、補給物資の搬入を済ませ本隊を迎え入れる準備は万端の状況にある。


「アリスタリフ中将、明日には本隊がケルンテン入りするとの報が――」

「胸糞の悪い」

「は、はい?」

「ああ、済まん――君の事じゃ無いんだ」


 戦闘中ではない旗艦ブリッジの正面モニタでは、レオ・セントロマが記者達の質問に応える様子がライブ中継されている。

 

 副官がアリスタリフ中将の意図に気付きモニタへ目をやると、ちょうどレオが口角を上げて笑みを浮かべるところであった。


「――私も――同感ですね」

「消せ」


 アリスタリフが不機嫌な声音で告げると、偽りの教皇に代わって常と変わらぬ漆黒の空間がモニタ上に拡がった。


「本隊がケルンテン入りするのだな」

「はい、いよいよです」


 幾分か興奮した様子を見せる副官と異なり、今次作戦の目的を知らされているアリスタリフに特段の感慨はない。


 ――我等は敵兵力を分散させる為の駒に過ぎん。


 復活派の兵力をカナン星系並びに聖都へ集中させない為にこそ、フォルツ討伐を殊更に喧伝して連合艦隊はケルンテンへ集うのだ。


 連合艦隊の派手な動きの裏では、圧倒的機動力を有するとされるベルニクの新設艦隊が一路聖都を目指し、レオの目論見に先んじて教皇アレクサンデルと枢機卿達を救出する。


 新生派勢力が今後も宗教的正統性において優位を保つには、何をおいても教皇の身柄を確保しなければならない。


 ロスチスラフ侯はその重要性を認め、因縁あるファーレン攻めに期待を抱く家臣や領邦民を抑え込んで今次作戦へ積極的に賛同したのである。


 ――分かっちゃいるけどってやつだよな。


 アリスタリフ自身もファーレン攻めへのこだわりは捨て切れずにいた。


 彼等の親世代はファーレンによる巨額の賠償金に苦しんだ時代を生きており、当時の苦労話を何度も聞かされて育ったのである。


 ――とはいえ、俺が考えても致し方の無い話か。


 アルスタリフが無難な結論に落ち着いたところで、聞き馴れたブーツの足音が響きブリッジの乗組員達の背筋が一際伸びた。


「アリスタリフ中将」


 名を呼ばれた彼は即座に振り向き、所作も美々しい敬礼を素早くして見せる。


「提督」


 エカテリーナ・ロマノフが嫣然と微笑んだ。


「相変わらず良い子ね」


 先遣隊として宙域に入った直後、地表世界へ降り立っていたエカテリーナが旗艦へ戻ったのである。


「任せっきりで申し訳なかったわ」

「いえ」


 不在となったエカテリーナに代わり、本隊の迎え入れ準備について一切の差配をアリスタリフが仕切ったのだ。


 勿論、彼に不満など無い。

 部下として当然の務めであろうし、そして何より――、


「お詫びに、今回も仕入れて来たのよ」


 コヴェナント産のワインが振る舞われるのだ。


 ◇


「ふう、忙しい」


 ケルンテン領邦家臣ホルスト・ジマは多忙を好む男だったが、自身の多忙を周囲に知らせる事はさらに好んでいた。


 故に、ズラトロク行き高速艇の貴賓室へ入り、尻の埋まりそうなシートに腰掛けたそばから気持ちを高揚させる魔法の言葉を口にしたのである。


「フォルツから戻ったところだと言うのに、お次はズラトロクへ参らねばならん。本当に儂は忙しいのう?」


 貴賓室の隅に立つ秘書へ質問するかのように告げた。


「あの――でしたら、この前の――」


 先だってのフォルツ詣で帰りにズラトロクへ寄ればひと手間で済んだのではないか、という言葉を新人秘書は慌てて飲み込んだ。


 フォルツ領邦代官であるウォルフガングの許へ参じ平身低頭でへつらう主人のさまは滑稽だったが、そのホルスト・ジマは秘書如きが軽んじて良い相手ではない。


「――い、いえ。ご苦労様です」


 余計な意見を表明せず、前任者からの忠告に倣った受け応えをした。


「うむうむ」


 求めるいらえが返った事にホルストは満足気な様子で頷いた。


「まあ、この多忙もじきに報われようが」

「は、はあ――?」

「代官殿から素晴らしい知恵を授かってな」


 気分の良いホルストは、思わせぶりに大事たいじを語りたくなっていたのだ。

 

 内容を鑑みれば些か不用心と言えるが、秘書など追従の上手い飾り程度に考えていたのかもしれない。


「女狐を使い、奸雄を懲らしめる。ククク」

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