68話 矜持。

 帝国歴2802年 07月17日――。


 月面基地に整然と居並ぶ艦艇群の外殻部が、天蓋部遮光フィルターを通してもなお強い陽光に照らされ鈍い輝きを放っていた。


 中央管区艦隊一万隻、そして少女艦隊五万隻――都合六万隻に及ぶ大艦隊の威容は壮観とも言えよう。


 この光景を通信塔から撮影するのが基地職員の間で流行っていると知ったケヴィンは情報漏洩を懸念したが、ベルニク領邦軍総司令官であるトールは気に病む様子もなく笑顔で告げた。


 ――どんどん撮って流してもらいましょうよ。

 ――今となっては、強いと思われて困る事なんてありませんから。


 そのトール・ベルニクであるが、ロベニカに初陣を見送られたゲートを抜けて発着場を歩いていた。


 彼自身、ルチアノグループから提供された商船が過半を占めていた頃と比べれば、隔世の感が胸を去来していたかもしれない。


 彼の後ろに続くのは、俯き加減のケヴィン・カウフマン中将、令嬢然としたジャンヌ・バルバストル大佐等の将校数名及び副官――だけではなかった。


 支給されたベルニク領邦軍の制服をまとう少女Bユキハ、そして数名の少女Aが続いている。


「ケヴィン中将、どうしたんですか?――何だか元気が無さそうですけど」

「い、いえ――別に――」


 と、語尾を濁したケヴィンの言をジャンヌが引き継いだ。


「きっと中将は、今次の大役に身の引き締まる思いをされているのですわ」

「何だ、大丈夫ですよ、ケヴィン中将。前にもあったじゃないですか、アハハ」


 気安く告げるトールに代わって胃痛に悩み続けるケヴィンが、旗艦トールハンマーに座し中央管区艦隊を率いて連合艦隊へ参画するのである。


 但し、本件は極秘事項とされており、連合艦隊のみならずベルニク領邦軍でも限られた幹部のみに知らされていた。


 今回のトールは、少女艦隊が旗艦と定義するエンズヴィル型母艦に少女Bユキハと共に乗艦する。

 トールと少女艦隊は連合艦隊へ合流せず、方伯夫人が開いた門戸を抜けて秘かにカナン星系を急襲する事を企図していた。


「明日はインチキなコンクラーヴェの当日ですから、今晩中にはテルミナ室長とひとつ――いやいや、名前を言ってはいけない例の御方が秘事を手に入れてくれるはずです」

「はあ――」


 最近のトールは、やたらと「名前を言ってはいけない~」の下りを好んで使う。


 ――今度はいったい何に嵌っておられるのだろうか……。

 ――が、それより問題は女神――というか猫様のご機嫌だ。


 少女艦隊が月面基地に入って以来、みゆうの機嫌がすこぶる悪くなっている事にケヴィンは気付いていた。


「きっちり秘事さえ手に入れてくれたなら、後は心置きなく暴れ回って聖下を助けるだけですよ」


 領主の物騒な宣言に返す言葉も無いケヴィンは押し黙ったが、ジャンヌは白い歯を零し満の笑みを浮かべている。


 遠目に眺めたなら、女神と見紛う美が月面に咲いた。


 ◇


 タルタロス牢獄に捉われたエヴァンと接触する場合、聖堂閉居からコンクラーヴェまでは実に都合が良い。


 レオ・セントロマと天秤衆総代ガブリエル・ギーの両名が、EPR通信から隔絶された詩編大聖堂に身を置いている為だ。また、旧帝都における警備資源の多くが、同聖堂の守護に割かれるという利点もある。


 とはいえ――、


「タルタロスの警戒体勢が緩む訳ではない」


 昨夜、突然に姿を現したミセス・ドルンから逃走を図ろうとしたミザリーだったが、諦めた後は七つ目の掟に従い恭順する意思を見せていた。

 

 恐らく、テルミナとドルンが行動を共にする理由と同じく、当面の利害が一致したという側面も大きいのだろう。


 故に約束通り翌朝からコンドミニアムより程近い安モーテルを訪れている。


 テルミナは堅いベッドの上で胡坐をかき、ドルンは仕込み杖を安楽椅子に腰かけ丹念に磨いていた。


「だから、テメェを引き込んだんだろうが。役に立てよ」


 コンクラーヴェを明日に控えて、残された時間の短さにテルミナは苛立っている。


 エヴァンに秘事を吐かせるだけでも良い彼女としては、ミザリーに案内させて大手を振り会いに行けば良いと考えていた。

 今ならタルタロス牢獄からレオやガブリエルへ連絡が届く心配も無いのだ。


「会うだけなら容易だが、連れ出すとなれば難事となる」


 他方のミザリーはエヴァンを救い出そうと考えていた。義侠心などではなく今後も役立つ駒とする為なのだが――。


「チッ、面倒くせぇな。で、婆の望みも同じかよ?」


 先走るミザリーへ灸を据える事と、エヴァンに会うのがドルンの目論見と既に聞かされてはいた。

 つまり、タルタロス牢獄から救出したいという意思は表明していない。


「帰りしなパリスの船を血で染めようかね――」


 テルミナへの暴力的な折檻を宣言した後に言葉を続けた。


「――が、ともあれボウヤの生死は会ってから決めるよ」


 と、ドルンは言外に救出の可能性を滲ませたのである。


「安心致しました」


 そう言ってミザリーは短く息を吐いた後、テルミナの余計な茶々が入らぬ内にと実務的な内容を手早く話し始めた。


「ならば、タルタロスの鐘に合わせて接触すべきかと――」


 タルタロスの囚人達は一日に一度鳴る鐘の音に合わせ、用便等をさせる為に杭のはりつけから降ろされる。


 ミザリーの立場ならば聖座異端審問所における行動に制約は無く、タルタロス牢獄へ入るのを邪魔立てされるいわれも無い。


 その為、囚人の拘束が解かれるタイミングを狙って接触し、連れ出しを図ろうという次第である。


「獄卒はぶち殺せばいいか」

「エヴァンを担当する卒については、そうせざるを得ないだろうな」


 タルタロス牢獄で出会う卒を全て始末するのは不可能事であるので、人ひとりを隠し運べる手押し車を適当な理由を付けて持ち込む必要もあった。


「その鐘は何時いつ鳴るんだ?」

「毎朝の十時」


 もうすぐ十時となるが、さすがに今からでは間に合わないとテルミナも判じた。


「明日か」


 ちょうどコンクラーヴェが終わる頃合いでもある。


「マジで、ワンチャンだな」


 ◇


 コンクラーヴェ当日の朝を迎え、応報の間へ向かう通路を歩く大司教パリスは、不思議な感慨に捉われていた。


 イーゼンブルクの大司教エッケハルト達と語らった聖堂閉居初日の夜以来、彼は聖職者という存在を見直し始めている。


 ――我等を合わせ、十七人の大司教の志が揃った。


 今回のコンクラーヴェに集ったのは諸侯と大司教を合わせて三十五名である。


 つまり、十八名が不信任を表明したなら、レオ・セントロマの教皇即位を妨害できるのだ。

 とはいえ事前に書かされた念書もあって諸侯の造反は見込めない。


 ――だが、パリス兄弟が思いを同じくしてくれたなら愚かな茶番を覆せよう。


 レオ派の中心人物が「愚かな茶番」と言い切ったのである。


 さらには、パリスやアレクサンデルを目の敵にし続けた者達が、過去の因縁を越えて彼の居室を訪れたのだ。


 派閥の領袖である事を捨て、アレクサンデルへの忌避感を乗り越え、レオと天秤衆への恐怖を超克し――彼らは真の正しきを為そうとしているのである。


 ただの名の許に――。


 パリスが凡そ持ち合わせていないモノと自負していたが、聖堂閉居のもたらす不思議な夜は、シニカルでいて享楽的なパリスの魂をも震わせてしまった。


 聖職位など贅を得る為のと軽んじて来た男パリスは、生まれて初めて良き事を為そうと決したのである。


 勇気ある仲間と手を取り合い蠅の王と対峙するのだ。


 この思いに駆られて以来、脳内で鳴りやまぬ行進曲に鼓舞されるパリスは胸を張り、常より厳粛な面持ちで応報の間へ足を踏み入れた。


 朝の支度が遅れたパリスが最後の入室者だったらしく、応報の間には全ての参加者が既に集っている。


 諸侯と大司教が並ぶ円卓でパリスにあてがわれている席は、先日来の同士エッケハルト大司教の隣であった。

 互いに僅かに視線を交わし意思を確認し合う。


 ――儂は正しきを為す男となる。正義のパリスここに誕生ッ!


 屋敷に戻ったら水煙草を控えようと思いを新たにしたところで、枢機卿として別卓に独り座るレオ・セントロマが立ち上がった。


「始めよう」


 彼が静かに告げた直後、応報の間は多数の新たな客人を迎えた。


 総代ガブリエル・ギーを先頭にハルバードで天を衝き入って来た彼等は、円卓に座する参加者達の背面に立ち柄で床を一度だけ打ち鳴らす。


 それだけで何名かは短い悲鳴を上げ身を縮こまらせたのだが、イーゼンブルクのエッケハルト大司教とて多分に漏れない。


「高貴な方々は静まられよ。聖事で御座いますぞ」


 ガブリエル・ギーはレオの隣に立ち、諸侯と大司教達を白眼で睥睨し口を開いた。


「さて、今次のコンクラーヴェですが――」


 過去に類例がないのは確かである。


 枢機卿は一名しかおらず、その一名がしもべの候補者となっている。また、参加の義務と権利を行使しなかった諸侯と大司教も多数存在した。


「混乱を避ける為、僭越ながら天秤衆にて取り仕切らさせて頂く所存」


 レオへの不信任を表明したならば、いかなる非運が待ち受けているか、もはや誰の目にも明らかとなった。


「信任か不信任のみを問う選挙ゆえ、さほどの刻は要しません」


 淡々と語るガブリエルの口調がなおも怖ろしい。ロマン男爵などは、しきりと己の上腕二頭筋に触れていた。


「では、問いましょうぞ。レオ・セントロマ枢機卿をしもべとする。これを信任されぬ方は挙手ではなく席をお立ち下さい」


 不信任から表明させ、尚且つ起立という手法を取らせる事で、目立たぬように反旗を翻そうと考えるやからの意気を挫いたのである。


 その上、各自の背面に控える天秤が頸に刃を突き付けているも同然であった。


 不信任の表明など出来るはずもない。


 この状況で、誰も立ち上がる勇気など持ち合わせておらず、あれほど良心を熱く語っていたエッケハルトは震えて瞳を固く閉じている。


 パリスに協力を求めた十七名の大司教達は誰一人として動かなかったのだ。


 ――やはり――やはり――やはり――。


 そんな光景を、パリスは乾いた想いで見詰めていた。


 ――やはり、良心など小便以下だわい。いざとはなれば鼻息で吹き飛ぶ恥垢に過ぎん。


 かくも良心は弱く脆い。


 食と安全が保障された理想空間においてのみ通用する幻想なのだ。圧倒的な暴力に抗えるのは暴力のみである。


 故に――、


 ――あ~あ、ツマランわい。


 この男が取った行動を、どう解釈すべきかについて諸説が絶えない。ある者は潜んでいた鋼の良心であろうと主張し、ある者は信仰に目覚めたのだと言い張っている。


 だが、本書においては何れの説も採用しない。


「儂は」


 大司教パリス――トスカナの片田舎に生を受け、極めて貧しい幼少期を過ごしたパリス・ヴァシレイオは立ち上がる。


 アレクサンデルとの出会いが彼に幾つかの僥倖をもたらし、生きる悦び――主に快楽であるが――を知った。

 水煙草と「えっちな小娘」を殊更に好んだ男である。

 

「レオの信任などしない。蠅め。糞喰らえじゃ」


 そう彼が言い放った瞬間、遠く離れたタルタロスの鐘が詩編大聖堂へ僅かに響いた。

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