66話 ロマン浪漫。

「おや、イェルク卿ではありませんか」


 旧帝都へ到着し休むいとまもなく詩編大聖堂の正門をくぐった美しきイェルク・ケルンテンは、物陰から現れた筋肉質な男に驚き思わず身を震わせた。


「ロ、ロマン卿――」


 得体の知れぬ笑みを顔貌に貼り付けたロマン・クルノフ男爵である。


 トールから命ぜられるままに領邦の中立を保ち、インフィニティ・モルディブの利益率拡大に血道を上げるロマン男爵だったのだが、コンクラーヴェ招集に応じて旧帝都を訪れていた。


 無論、トール・ベルニクの許可を取った上である。


 ――ご自由にどうぞ。


 トールとしてはコンクラーヴェの結果など興味が無かったので、招集に応ずるべきか否かを悩む相手に対して気の抜けるいらえを返していた。


 ――ですけど、ロマン卿は異端審問を受けるところだったでしょう?


 ゲオルク宙域に到来した全ての天秤衆をトールが葬り去った結果、彼はタルタロス牢獄と量子煉獄プルガトリウムという究極の二択を免れたのだ。


 ――そ、そうなのですが、今回のコンクラーヴェに応じれば、私の過去は不問に付すと言われましてな。

 ――わぁ、良かったですね。アハハ。


 かようなトールの暖かい言葉に見送られたロマン男爵は、詩編大聖堂の正門影に潜んで待ち人の到来まで物思いに耽っていたのである。


「久方ぶりですな」


 ロマン男爵が弾む声音で告げた。


「真に」


 笑んで頷くイェルクの腕を取り、密談をする為か自身が潜んでいた物陰へと彼をいざなっていく。


「卿の邦許が何やら騒がしいと聞いておりますが、さすがは信仰篤きイェルク卿と感服致しました」

「い、いえ、そういう訳ではないのです――」


 大仰なロマン男爵の世辞に対し、イェルク子爵は苦笑を浮かべた。


 彼の言う通りケルンテン領邦では、エカテリーナ・ロマノフ率いる先遣隊が本隊の駐留準備を整え、いよいよ十万近い連合艦隊が宙域に入るだろうと目されている。

 

 フォルツ攻めの最前線基地とされる悲運を理由として、正統性に疑義あるコンクラーヴェに参集しないという選択肢もあっただろう。


「どうにも、動きが緩慢でしてね」

「――と言いますと?」

「先遣隊はとうに準備を終えているようですが、未だに連合艦隊はオソロセアに駐留したままなのです」

「ほう」


 行動の速さに定評あるトール・ベルニクが関わっておきながら珍しい――と、ロマン男爵は内心で不審を感じていた。


 ――そういえば今次はロスチスラフ侯が率いるのだったな。

 ――となると、自身が連合艦隊総司令官ではないとへそを曲げたか……。

 ――いや、そういう男ではない。


 業火に包まれるプロヴァンスを背に微笑む呑気な悪魔は、胸の大きさ以外に通俗的な欲を持ち合わせていないと判じていた。


「そのような訳で戦まで猶予がありそうだと言う臣下の意見も多く、急ぎこちらに参った次第です。何より――レオ猊下のお顔も立てておきませんと後々――」


 と、イェルク子爵は語尾を濁した。


「なるほど――お気持ち痛いほどに解りますぞ」


 小領でありながら中立を保たねばならない事情を持つ者として、ロマン男爵は相手の苦渋を容易に想像できた。


「我等の如く小領は、常に煮え湯を飲まされる」

「ええ――とはいえ、ロマン卿は全てをご自分で差配なされる。実に羨ましい事です」


 イェルク子爵は家臣達の派閥力学を無視できない己の非力を嘆いていた。


 譜代の家臣を置かず顧問団のみとするロマン男爵に対して、かねてより尊崇の念を抱いていた彼は何度か教えを請うた事もあるのだ。


 つまりは、ロマン男爵の気分を真に良くしてくれる相手なのである。


「ハハハハ、気苦労が絶えませんぞ。我がロマン街道は」


 そう高笑いを見せながらロマン男爵は、トールの犬となった事実については露見するまで秘しておくと決した。

 美しきイェルクの双眸に浮かぶ潤みが自身の気持ちをたかぶらせたからだ。


 ――ううむ、違うところも昂って参ったぞ。

 ――聖堂閉居となる今宵まで待ちきれぬな――どれひとつ軽く――ふふ。


 辺りに人影の無い事を確認しつつ、ロマン男爵が腕を伸ばしたところで――、


「おやおや、陽はまだ高うございますぞ」


 二人が密談を交わしていた正門傍の物陰のさらに奥、植林された大樹の向こう側から聖職衣に身を包んだ老人が姿を現した。


 大司教パリスである。


「励まれるのは夜にされよ。フホ、フホホ」


 ◇


「ようやく、エロ爺も詩編大聖堂に入ったぜ」


 詩編大聖堂の建物内はECMが張り巡らされており、外界とは一切のEPR通信が行えなくなる。

 故に先程の連絡がコンクラーヴェ前の最後となるだろう。


「妙に楽しそうにしてやがったけど」

「――ふうん。って事は、不埒な現場でも見付けたんじゃないかね」


 ミセス・ドルンは傍の安楽椅子に腰かけ、杖のように見える細い棒を磨きながら応えた。


「言えてる」


 スプリングの硬いベッドの上で胡坐をかいていたテルミナは、そのまま横に倒れ込んでミセス・ドルンの様子を眺めた。


 旧帝都のハイエリアから遠く離れた地区に在る安モーテルで宿泊し、既に一週間以上が過ぎている。


 独りを好むテルミナが見ず知らずの老婆との同室を受け入れた理由は、祖母と孫の巡礼という設定にリアリティを持たせる為に過ぎない。


 身許確認の緩い安モーテルを選んだとはいえ、戒厳令下にある旧帝都で宿の主人に疑惑を抱かせ通報されたなら一巻の終わりなのである。


「しかしさ、婆さん――」

「ミセス・ドルンとお呼び」


 厳しい声音で告げた後に老婆は、磨いていた杖をテルミナへ向けた。


「何度言っても改まらない小娘だね」

「何度言っても改めねぇよ」

「――なかなか、面白いじゃないか」


 ミセス・ドルンが片頬を上げる。


「おうおう、婆が棒切れでポコポコ殴ろうってか?テメェは不殺の誓いでもしてんのかよ」


 小馬鹿にした口調でテルミナはうそぶくと、枕元に置いたバヨネットの柄に手を伸ばした。


「そんな間抜けな誓いをアタシが立てる謂れはないだろう?」

「ハンッ、棒切れの分際で――」


 と、テルミナの言い掛けた悪態は、狭い客室に響いた鋭い金属音に遮られる。


「――!」


 ミセス・ドルンが人差し指で持ち手を軽く叩くと、杖の先から飛び出したきりの尖端がテルミナの鼻先に突き付けられている。


 至近で見るときりの筒部分には細かい棘が散りばめられており、引き抜く際に筋組織や内臓へさらなる損傷を与える形状となっていた。


「仕込み杖かよ――。礼儀作法がどうのこうのと怪しい婆だと思っちゃいたが、パリスの話は噓八百だった訳だな」

「一から十まで本当だよ。ちょいと前まではベルニクで、今はフェリクスで礼儀作法を教えてる。ここへは馬鹿女の尻を蹴り上げに来ただけさ」

「テメェの礼儀が一等劣悪じゃねぇか。そもそも、クルノフで何してやがった?」


 大司教パリスの聖巡船は旧帝都へ至る途中、クルノフの邦都ゲオルクへ立ち寄り老婆を迎え入れているのだ。


「野暮用だよ」

「そう言う奴が――」


 顎を引き錐先から距離を取りつつ愛用のバヨネットを握った。


「――結局、極悪人なんだよッ!」


 テルミナは雄叫んだ直後、左脚の踵でベッドを蹴り上げた勢いのまま横転し、素早く体勢を立て直すとバヨネットを眼前に構えた。

 

 ミセス・ドルンも老婆とは思えぬ機敏さで既に椅子から立ち上がっており、仕込み杖を構える姿には一分いちぶの隙も見られない。


 古びた安ベッドを挟む幼女と老婆が、剥き身の刃を向け合い対峙するシュールな絵姿となった。


 だが――、


「――チッ――っとに、いつも妙なタイミングを狙う野郎だな」


 忌々し気に呟くテルミナがうなじに触れると、剣呑な二人の間に照射モニタが現れた。


「やあ、どうも。元気そうですね」


 一触即発な幼女と老婆という状況に狼狽える様子もなく、照射モニタに写るトール・ベルニクは笑顔で何度か頷いている。

 

 最高度のセキュアプロトコルを使用している為にブロックノイズの目立つ映像だったが、月面基地の司令官室である事はテルミナにも分かった。


 とはいえ事情を知らない者が見たなら、至る所に同じ顔の少女が立っている点に違和感を抱いたかもしれない。


「何だい、ありゃ?」


 実際に違和感を抱く老婆が毒気の抜けた様子でテルミナに尋ねている。


「あーしも詳しくは知らんが、少女Aだとさ」

「エイ?」


 不審気な声を上げるミセス・ドルンの方へトールが目を向けた。


「ん?――ええと――」


 ――眼帯?


 バイオハイブリッド人工眼球という選択肢が存在する時代にあって、隻眼のまま暮らす人物をトールは二人だけ知っている。


 一人は実母と会うべく船団国へ向かった。

 

 そして、今一人は――、


「誰かと思えば、噂の伯爵閣下じゃないか」


 老いたりとはいえ褪せぬ好奇に満ちた片方の瞳を光らせる。彼女の瞳が持つ輝きだけは少女時代から何も変わらない。


「こいつは光栄だね」

「いえいえ、ボクの方こそ光栄です。だって――」


 おや、という表情を浮かべたテルミナの顔貌が二人の間を往復した。


「ひとつ目殿にお会いできた訳ですからね」


 プロイスの晩餐で方伯夫人から聞いた話を総合するなら、目前の人物こそが七つ目を統べる存在なのだろうとトールは理解したのだ。


「お前――」


 ミセス・ドルンは瞳の輝きを消すと、トールの心内を探るように片眼を細めた。その名を口にして良い人間は限られるのである。


「この前プロイスを訪れた際に、ボクも秘密結社である七つ目に混ぜてもらったんです。妙な儀式も済ませましたよ」

「――ディアだね――まったく、線香臭い娘っ子が勝手な事を――」


 プロイスの名を聞き事情を把握したミセス・ドルンは、緊張を緩和させながらも毒づく事は忘れなかった。


「よろしくお願いします。ひとつ目殿!」


 クラウディア方伯夫人からの申し出以来、トール・ベルニクは秘かに心躍らせ尚且つ張り切ってもいたのだ。


 ――この浪漫、誰だってワクワクするよね?


 何しろ、由緒正しき秘密結社の一員になったのである。


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登場人物が多すぎるので、登場人物一覧の最新を近況ノートに。

https://kakuyomu.jp/users/tetsu_mousou/news/16817330662053941114

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