64話 運命共同体的契約関係。

 レオ・セントロマが教皇及び多数の領邦領主に対する破門を宣告し、再度のコンクラーヴェを推し進める中、他方のアレクサンデルとて大人しく座視していた訳ではない。


「我々は今、蠅の王が顕現した忌まわしき世を目の当たりとしている」


 教皇宮殿よりブロードキャストされたアレクサンデルの声明は、レオと天秤衆に対する痛烈な非難で始まった。


 なお、EPR通信トラフィック調査会社の報告によれば、ラムダ聖教会の配信としては歴史上最大のリアルタイム視聴者数となっている。


「理想と正義を居丈高に叫ぶ者の多くは呪われたカニバリストであると、始祖たるサピエンスの血濡れた歴史が証していよう」


 食人鬼という最大限の侮蔑表現を使い、レオ一派をこき下ろして見せた。


「しかしながら彼等は血肉に飢えた野獣ではない。なお始末の悪い事に決して飢えてはおらず、他者を支配する梃子てことすべく恐怖を利用しているに過ぎない。正に糞溜の糞の――」


 と、ここまでは全ての地域で閲覧可能だったのだが、放送内容に恐懼した復活派勢力圏の各領邦は、レオと天秤衆に対する忖度からEPRネットワークの大域フィルタリングを有効化する事で閲覧を制限した。


 それと同時、大域フィルタリング回避方法に関連する情報とツールの流通が、ネットワークトラフィックを急激に押し上げる結果となったのは必然だろう。


天翔あまかける誇り高きオビタル、そして庇護すべき始祖たる地表の民よ」


 悪漢アレクサンデルは自身の言葉で大衆を煽動しようとは考えていない。また、彼等が動く事にも期待などしていなかった。


「生きよ」


 故に彼が説くのは一事のみである。


へつらい、妻を謀り、友を売り、親を辱め――それでなお生きよ」


 全ての罪源へ身を投じてきた男は人の持つさがを熟知していた。


「天秤の脅しに屈する者を我は責めぬ。己の命脈を保つに必要な全てを為せ」


 我等は生まれながらにして卑怯である。

 救い様も無く卑劣である。

 幾万の麗句で飾ろうとも、いざとなれば誰もが裏切るのだ。


「その為の裏切りと信仰の欺瞞を我は許す。女神ラムダの御名において赦免しよう」

 

 教皇アレクサンデルが新生派勢力に与すると明らかにしている以上、復活派勢力の領主としては立場上レオ枢機卿支持に回らざるを得ない。


 その為に彼等は領邦民を積極的に守るより、レオと天秤衆を極力刺激しないという方針を選択した。


 結果として、一部の知識人やメディア関係者の間では、天秤衆に対する民衆の蜂起を待望し促すかのような論調が拡がっていたのだ。

 領主に期待できないならば、いっそ領民自身で――という論法である。


 これを、アレクサンデル・バレンシアは明確に否定したのだ。


「偽りのコンクラーヴェも、また然りである」


 レオが執り行うコンクラーヴェを無効と断じつつも、枢機卿と大司教が招集に応ずる事を止め立てしないと言明した。


 聖都に暮らす枢機卿や新生派勢力圏で活動する大司教は別として、復活派勢力圏に在する大司教にとって生死に関わる問題となる為だ。


「無様に生きよ」


 余計な事を考えず、ともあれ生き長らえるよう全ての者達へ告げた。


 領主が負うべき責務を領民に転嫁するなど、正に噴飯ものだとアレクサンデルは考えているのだ。


 権力と権威を背に振るわれる暴力に抗するには同等の力が必要となろう。ならば、力を持つ者こそがその責を担わねばならない。


「我――否、聖骸布と、何より陛下の御旗が蠅を討ち払い、素っ首をメギドの丘にて蹴り転がす日を夢見て微睡むが良い」


 アレクサンデルは慈悲深くも見える笑みを浮かべた後、菓子皿から掴み取った角砂糖と思しき物体を頬張った――。


 その後、事務方より、レオ及び原理主義勢力に与する信徒に対する破門と、レオに代わる新たな枢機卿一名の任命が手短に告示されている。


 なお、枢機卿の末席に連なる栄誉を授かった敬虔伯アイモーネは、歓喜の余り自領サヴォイア領邦をラムダ聖教会に喜捨しようとしたのだが、「いらぬ」のひと言でアレクサンデルは却下した。


 現役の領主が枢機卿という異例人事の背景には、レオ・セントロマに秋波を送りかねない敬虔伯へのくさび――との噂がまことしやかに流布されている。


 くだんの報告を受けたトール・ベルニクが、以下の様に首席補佐官に応えている点を鑑みると恐らくは事実なのだろう。


「いやはや、ホッとしました。ボクは人参が大嫌いですが、人参が大好きな人もいますからね」


 ◇


 ――ロスチスラフ侯?

 ――真か?

 ――権元帥ではなく……。


 オリヴィア宮、謁見の間に集った親征派勢力の諸侯達は、女帝ウルドより下された意外な勅命に虚を突かれた形となった。


 諸侯会議より幾月が過ぎ、フォルツ攻めの万端は整っている。


 教皇より断罪されたレオ・セントロマの大量殺戮に加担したとして、アダム・フォルツの公爵位を剥奪し選帝侯の職位をも解いた。


「アダム・フォルツの頸を取りフォルツの名を絶やせ。無論、降伏も和睦も許さぬ」


 つまりは、皆殺しにせよ――という実に苛烈な勅命である。


 同星系へ艦隊を差し向けるのは、オソロセア、ベルニク、サヴォイア、カドガン、マントヴァの五領邦となった。


 総勢で十万隻という大規模連合艦隊である。


 トスカナ、ブルグント、ピアッチェの三小領邦は、オソロセアと面するファーレンを牽制する為に各ポータル面で大規模演習を実施する。


 とはいえファーレン選帝侯の主だった艦隊は、レオ直々の御指名により旧帝都へ参集させられており、オソロセアを脅かす余力はあるまいと目されていた。レオが企図する聖都攻めに、銀獅子艦隊と共に向かう事になるのだろう。


 異色の領邦ヴォイド・シベリアは、今次も一切の軍事行動に参画しない代わり、資金面での協力を確約している。


 そして、生まれたての雛鳥――マクギガン改めノルドマン領邦は、自領の守りに専念すべしとされた。


 勅命に先立ち、幾度かの諸侯会議にてフォルツ攻めの内示を受けていた各諸侯は、これらの準備を整えた上で帝都フェリクスへ参集したのである。


 確かに、その勅命は下されたのだが――、


「今次の連合艦隊総司令官に、元老ロスチスラフ・オソロセア侯爵を任ずる」


 総司令官が、銀獅子権元帥ではない点に諸侯は色めき立ったのである。


 勅命担う連合艦隊の指揮こそが権元帥の主管であり、実際に嘗ての船団国遠征ではトール・ベルニクが総司令官として遥かな敵地へおもむいていた。


 聖骸布艦隊との連合という異色の組み合わせではあったのだが――。


「謹んで」


 恭しく頭を垂れ、さしたる喜色も浮かべずロスチスラフは応えた。


「老骨卑小な身なればこそ、権元帥の庇護下にて勅命を全う致しましょう」


 衆目のいらぬ勘繰りを押さえ、隣で跪く呑気な若者を立てるかのように口上し、女帝ウルドによる勅命の幕を下ろした。


 ◇


「指輪を呉れるんですか?」


 儀式としての勅命が終わり急ぎ邦許へ戻る諸侯達とは裏腹に、是が非でもと名誉近習レイラに請われたトールは、麗らかな日の当たる女帝ウルドのテラスを訪れていた。


「――わ、輪っかじゃ」


 と、にべもない様子で告げたウルドは、鉛色に鈍く光るリングを摘まんでトールの鼻先へ突き付けた。


「へぇ」


 女帝からリングを受け取ったトールは、しげしげと見詰めた後に匂いを嗅いだり額で擦ったりしている。

 遠目に見ているレイラとしては、苛立たしい事この上ない光景であった。


「鉛?――あれ――アハ――これは面白いですね!」


 陽光に翳すと数多の色彩を帯びるリングに、トールは子供のような喜色を浮かべた。


 ――奇矯――と言えば、奇妙奇矯を好物とされる御方が、陛下のお傍にもいらっしゃるではありませんか。


 レイラの言葉を思い出しつつ、ウルドは口を開いた。


「奇矯であろ?」

「ええ。奇矯ですね」

「面白いか?」

「面白いです」

「気に入ったか?」

「はい」

「好きか?」

「好きです」

「――よし」


 ウルドは小さく拳を握り、満足した様子で何度か頷いた。


「では、着けよ」

「ん?」


 トールが首をかしげると、ウルドが自身の手を見せる。薬指に鉛色のリングが纏わっていた。


「やっぱり指輪――」

「唯の輪っかじゃ。ともあれ、早う着けよ」


 女帝の妙な迫力に気圧され、トールが左手を上げると――、


「右じゃ。薬指」

「き、決まりがあるんですね――」


 鈍いトールとて意味するところは朧気に分かったがゆえに、左手にしようとしたのだが違ったらしい。


 ――そっか、結婚って訳じゃないもんね。


「あれ、ぴったりだ」


 測ったかのように自身の薬指にフィットしており、一度着けると強く引いても抜けそうになかった。


 ――であろ。


「はい」


 ――余も驚いたのだがな。


「へえ、陛下もですか」


 ――うむ。これで非常時となっても問題なかろう。


「お守りか何か――いや――んん?」


 驚きの声を上げたトールに対し、ウルドは少しばかり得意気な表情を浮かべた。


 ――伯も何か余に伝えてみよ。

 ――わわわっ!


「驚愕は伝わった」


 ――これってEPR通信じゃないですよね?

 ――違うな。

 ――す、凄いっ!どこまで通じるんですかね。

 ――余の娘――いや、例の幼子からは「どこまででも」と聞いた。


「これをみんなが持てばECMも――(んぐ)」


 言い掛けたトールの口を女帝ウルドが掌で塞いだ。あるいは、詩編大聖堂の夜における意趣返しとも見える。


 ――当面は秘中の秘とせよ。余は誰にも申しておらぬ。レイラにすらな。

 ――な、なるほど。


 その意図をトールは素早く理解した。


 トールとウルドの得た能力は、EPR通信に依拠するオビタルに革命をもたらしかねないのである。


 ――幼子の言葉を信ずるなら相応の危地がある。だが、このリングは余と、


 ウルドは真直ぐな瞳でトールを見た後に、空気を振動させ鼓膜へ伝搬させる手段を選んだ。


貴方そなたを護るだろう」


 ウルドが音波を選んだのには理由がある。


 勢い余って、もうひとつの機能についても伝えてしまうのを避ける為だ。


 ――ママ、ちなみに、このリングって大昔はジョークグッズだったの。

 ――今のところ一切が笑えぬ話であるな。

 ――ふふっ。


 双子の姉は片目を閉じて、人差し指で唇を押さえた。


 ――浮気したら結構な電流で火傷しちゃうみたい。パパには内緒にしたら?

 ――ふむ。


 かようにして、運命共同体的契約関係は結ばれたのである。

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