60話 糞溜の糞の滓。

 果てぬ熱狂に包まれた蠅の王――レオ・セントロマではあったが、己の握った権力が脆弱である事と、その源泉が唯一つである点については冷然と直視していた。


 つまりは、恐怖である。


 家柄、能力、魅力、その何れにおいても、レオは誇るべき一切を持ち合わせていない。


 かように取るに足らぬ存在が、無価値な世界へ価値を与える大聖業を為すには、己が持つ唯一の武器を研ぎ澄まさねならないと考えていた。


「参集に応じた者は何名となる?」


 レオは自身の居場所を教理局からイリアム宮へと移している。


 宰相エヴァン・グリフィスの使っていた執務室で、彼の残り香を感じられるようにも思え好ましかった。


「太上帝への忠誠を誓った者共のみとなりますが――」


 復活派勢力圏において、という意味合いである。


「グリフィス以外全ての諸侯が応じております」


 めしいた天秤衆総代ガブリエル・ギーは、レオの立つ窓際を白濁した眼球で真っ直ぐに見据えながら報告をする。


「ハハハ」


 奇妙な覚醒を果たして以来、我欲と共に笑声すらも生母の腹へ残してきたと言われる聖者は、他者が思いもよらぬタイミングで笑うようになっていた。


「それは当然だろう。代官と家臣達は震え上がっていようが――当のグリフィスへ天秤は派出してあるのだな?」

「はい」

「天秤を愚弄するなどと、エヴァン・グリフィスは信仰の劣化が著しい。その罪業の深さは、もはや異端に等しいと言えよう」


 飢餓と鞭を好んだ養父マーリンの教えは実に単純明快だった。


 ――レオ、お前を鞭打つ理由は分かろうな?

 ――つ、罪を犯したからです。

 ――うむ――お前は恥ずべき手技により己を慰めたのだ。


 マーリンは、あらゆる欲望を罪と見做し、尚且つ罪の発掘に余念の無い男だった。


 ――然らば問う。なぜ愚かな罪を犯したのだ?

 ――それは……。


 罪には因がある。因と果は必ず贖わねばならない。


 即ち、因果必罰。


「友柄だった相手ゆえに私も辛いのだが――国許を調べ上げ、何処いずこにて道を踏み誤ったのか周辺と過去を探らねばならぬ」

「乳母、教育係、その関係者数百名を、既に拘束しております」

「良き」


 レオは満足気に頷いた。


「締め上げ、因を求めよ。全てをつまびらかにした後――」


 因には罰を。


「存分に斧槍を振るい肉塊の山を女神へ捧げる」

「――誓って」


 ガブリエルとて、心に期するものがある。


 ベルニクが為した天秤船に対する容赦の無い砲撃、さらには教皇自らが聖兵を率いてプロヴァンスを焼き討つ――これらの事変は天秤衆の権威を大いに失墜させた。


 女神の代理人として審判を下す特別な地位より、なし崩し的に引きずり降ろされかねない危機と相対あいたいしていたのだ。


 ――だが、猊下の快気により潮目は変わった。


 銀獅子を得る為に竹馬の友すらも異端として断罪し、天秤の零落をとどめるべく旧帝都へは血雨を降らせた。


 ――この機を活かさねばならん。


「我等に弓引く罪業の深さを、諸侯と民草の髄まで刻みます」


 ヴァルプルギスの夜は、恐怖の序章に過ぎない。


 ◇


 レオ・セントロマの凶乱より一日、女帝ウルドは諸侯会議を開催していた。


 逼迫した事態を鑑みたウルドは、諸侯を帝都フェリクスへ集める刻を惜しみ、EPR通信による会議体とした上で、諸侯会議における儀典百法をも廃している。


 つまりは、発言序列の決まり事も無ければ、宮廷言葉による迂遠さも生じない。


 これらの仕来りこそ、女帝の政治介入をやわにするオビタル帝国の知恵だったのだが、動乱期においては問題解決の妨げになろう。


「あの気狂いは、聖教会を割る腹のようだ」


 ドミトリからの報告を得ているロスチスラフは、集う諸侯の内で最も情報通となっていた。


「気狂いとは言葉が過ぎませんかな。欲と不浄を捨てた聖レオなのですぞ」


 などと、抗弁しているのは、カロッタを頭に戴くアイモーネ・サヴォイア伯である。


 敬虔伯とも称されるアイモーネは自身が聖職者を志していた事由もあってか、レオ・セントロマへ多分に共感する思いを抱いていた。


 新生派に属しているとはいえ、天秤を殺戮したベルニクとプロヴァンスを焼いた教皇に対して内心で大いに憤っていたのである。


「民草を殺戮する権力者など気狂い以外の言葉があろうか?――否、病に冒された気狂いに無礼ゆえ訂正しよう。糞溜の糞のかすである」

「く、糞のかすっ!?」


 骸骨の様に細い身体を震わせるアイモーネだったが、忌憚のない雑言を得手とするロスチスラフに返す言葉が浮かばない。


「まあまあ、ご両人。重用事は他に御座いましょう」


 照射モニタ越しに取りなすような声音で割って入ったのは、ひとつの毛髪も残らぬ頭部ゆえに銀冠を戴くか否かすら定かではない老人だった。


「その、割る――という話しは、この禿翁とくおうも耳にしましたのでな」


 無役の禿翁とくおうラニエリ・パッツィ。


 爵位と官位を持たない彼こそが、ヴォイド・シベリアの実質的な支配者である。諸侯ではないが、参考人という形で諸侯会議に参列していた。


 ヴォイド・シベリアは、独自の金融法制と商慣習、量子監獄プルガトリウムを擁する為に、古来より帝国内では特殊な地位を占めてきたのだ。


 女帝ウルドに与すると明らかにしながらも、金融と量子監獄については、新生派、復活派を問わず便宜を図ると表明している。


 現状において、両勢力の交渉窓口という役割になりつつあった。


「新たな教会組織の設立を諸侯に承認させる為、イリアム宮へ皆を招いているそうで――。参らねばタルタロス行きだとイーゼンブルクの若殿がボヤいておりました」


 そう言った後、ラニエリはつるりとした頭をひと撫でした。


「タルタロスの次は我等がプルガトリウムですので、辞世の句は禿翁とくおうが預かりましょうぞ、と申しておきましたがな――ワハハハ」


 量子煉獄プルガトリウムの名を聞いて、さすがに追従笑いをする者はいなかった。


「ともあれ、アレクサンデル一派を破門し、新たな教会組織を正としてコンクラーヴェの開催を太上帝に宣下させる腹積もりでしょう」

「教皇位の簒奪か――」

「左様」


 事の道理は兎も角として形式を整えた後に、銀獅子艦隊と諸侯を引き連れて、アレクサンデル一派を粛清する為に聖都へ攻め上るのだろう。

 

 そうなってしまえば、五万隻の聖骸布艦隊を擁するとはいえ、孤立無援のままで聖都を守り切れるはずもない。


 悪漢教皇を見捨てるか否かの選択を、新生派勢力は迫られているのだ。


「さて――この状況、銀獅子権元帥はいかが対応されるおつもりか?」


 無役の禿翁とくおうラニエリは、幾分か挑発的な声音でトールに対し問いを投げ掛けた。

 天秤を藻屑と化した己の責でもある――と、言外に含んでいるのかもしれない。


「――交わした約束を守るという側面もありますけど」


 プロイス領を後にしたトールは、ベルニクへ向かう艦上からの参加となる。


「ここで聖下を見捨てれば、今後の対立で不利になるのは間違いありません」


 アレクサンデルを廃したレオと原理主義勢力は、彼等の信じる宗教的正義を新生派勢力圏にも押し広げようとするだろう。

 古来より熱狂的信仰とはそういう代物なのだ。


 二大勢力の対立構造が、単なる政治的闘争から宗教戦争へ様変わりしたなら、宗教的正統性を訴え得る駒を持つ側が圧倒的に有利となる。


「損得だけで考えても、聖下救出は必須なのです」


 無論、トール自身は損得など度外視してアレクサンデルを助けるだろう。


「それに――あのレオ・セントロマが教皇だなんて、ゾッとしません?」


 ――巨乳戦記でも最悪の教皇になってたからね……。

 ――やっぱり、経緯は違っても似たような状況になるのかな。


「ま、まあ、確かに――」

「我等もコンクラーヴェでは、聖下に投じた身の上なれば――」

「あちら方でも、内心かように考えている諸侯は多かろうな」


 かつてのコンクラーヴェにおいて、諸侯の票に限ればアレクサンデル票が圧倒的だったのである。

 現実的な悪漢を、俗世の為政者は選択したのだ。


「とはいえ、権元帥」


 ラニエリは各自の抱く懸念を代弁するつもりなのだろう。


「カナン星系へ至るには、フォルツかプロイスをまかり通らねばなりません。ですが、フォルツはレオ枢機卿の犬となり、中立のプロイスとて門前にはアラゴンがおりましょう」


 聖都まで駆け付けるには障壁が多いと言いたい訳だが、それを解決する為にこそトール自らがプロイスを訪れていたのである。


 ――無傷で通れる抜け道は作れている。

 ――あと、必要なのは……、


「やはり、フォルツを陥とすほかあるまい」


 トールとラニエリが繰り広げる問答を、黙って聞いていたロスチスラフが口を開いた。


「フォルツは敬虔伯の所領と面しておる上、ケルンテンを通れば我がオソロセアとも近い」


 後に語る諸事情が有る為に、ケルンテンという小領も中立を保ってはいるが、実質的には新生派勢力と見なして良い。


「レオ乱心に乗じて、この際、フォルツ――犬コロを我等で攻めぬか?」


 ◇


「あんた達、留守は頼んだからね」


 二人の弟子を前に、ミセス・ドルンは念を押す様にして言った。


「は、はい」

「お任せ下さい。ドルン婦人」


 アドリアと、サラである。


 サラ以外の二人――アドリアとコルネリウスは、トジバトルの出張に同行して帝都の様子を目にする程度の予定だったのだが、幾つかの経緯があって三人揃って長逗留となっていた。


 優柔不断なアドリアに至っては、サラと共に厳しい隻眼の老婆から礼儀作法を叩き込まれる状況に追い込まれている。


「自分達の夕食は忘れても、ミーシャのディナーは忘れるんじゃないよ」


 丸々と太った老猫が、大きな口を広げて欠伸をした。


「猫――以下――うう――」

「承知しました。ミーシャ殿のお世話を最優先致します」


 ミセス・ドルン一番のお気に入りとなりつつある愛弟子サラは、いかなる横暴にも柔和な笑みを絶やす事がない。


「ドルン婦人こそ、ご自愛ください。時事に疎いわたくしでも、旧帝都は騒がしいと聞いておりますので――」


 ニューロデバイスを持たない彼女達の主たる情報源は、現在のところトジバトル・ドルゴルとなる。


「大丈夫だよ。片目を穿った穴凹あなぼこが守ってくれるんだ」


 隻眼でなければ、彼女はウインクをしたかったのかもしれない。軽口めいた声音で付け加えた。


「糞溜の糞のかすを蹴り上げて、後は帰って来るだけさ。直ぐに終わるよ」

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