60話 糞溜の糞の滓。
果てぬ熱狂に包まれた蠅の王レオ・セントロマは、己が握った権力の源泉と脆弱性を正確に認識していた。
家柄、能力、魅力、その何れにも劣る彼は、恐怖の刃を研ぎ澄ます必要に迫られている。
「参集に応じた者は何名となる?」
レオは自身の執務室を教理局からイリアム宮へ移していた。
宰相エヴァン・グリフィスの使っていた執務室に漂う僅かな残り香が好ましい。
「太上帝への忠誠を誓った者共のみとなりますが──」
復活派勢力圏において、という意味合いである。
「グリフィス以外全ての諸侯が応じております」
「ハハハ」
我欲と共に笑声すらも生母の腹へ残してきたと言われる聖者は、他者が思いもよらぬタイミングで笑うようになっていた。
「それは当然だろう。代官と家臣達は震え上がっていようが。当のグリフィスへ天秤は派出してあるのだな?」
「はい」
「天秤を愚弄したエヴァン・グリフィスは信仰の劣化が著しい。その罪業の深さは異端に等しいと言えよう」
飢餓と鞭を好んだ養父マーリンの教えは実に単純明快だった。
──"レオ、お前を鞭打つ理由は分かろうな?"
──"つ、罪を犯したからです。"
──"うむ――お前は恥ずべき手技により己を慰めたのだ。"
マーリンは、あらゆる欲望を罪と見做し、尚且つ罪の発掘に余念の無い男だった。
──"然らば問う。なぜ愚かな罪を犯したのだ?"
──"それは……。"
罪には因がある。因と果は必ず贖わねばならない。
「アレの邦許を調べ上げ、道を誤った因を遡って探らねばならぬ」
「乳母、教育係、その関係者数百名を、既に拘束しております」
「良き」
レオは満足気に頷いた。
「締め上げよ。全てを
之即ち、因果必罰。
「肉塊の山を女神へ捧げる」
「誓って」
ガブリエルにも期するものがある。
ベルニクは天秤衆を大量殺戮し、教皇はプロヴァンスを焼き討った。これらの事変は天秤衆の権威を大いに失墜させている。
──だが、猊下の目覚めにより潮目は変わった。
天秤の零落を
──この機を活かさねばならん。
「我等に弓引く罪業の深さを、諸侯と民草の髄まで刻みます」
ヴァルプルギスの夜は序章に過ぎない。
◇
レオ・セントロマの凶乱を受け、女帝ウルドはEPR通信により諸侯会議を開催した。
なお、諸侯会議における儀典百法を廃し、発言序列の決まり事も無ければ宮廷言葉の制約も無い。
これらの仕来りは女帝の政治介入を
「あの気狂いは聖教会を割る腹のようだ」
ドミトリからの報告を得ているロスチスラフは、集う諸侯の中で最も情報通となっていた。
「気狂いとは言葉が過ぎませんかな。欲と不浄を捨てた聖レオですぞ」
などと、呑気な抗弁をしているのは、カロッタを頭に戴くアイモーネ・サヴォイア伯である。
敬虔伯と称されるアイモーネは自身が聖職者を志していた事由もあって、レオ・セントロマに共感する思いを抱いていた。
天秤を殺戮したベルニクとプロヴァンスを焼いた教皇に内心で大いに憤っていたのである。
「民草を殺戮する権力者など気狂い以外の言葉があろうか? 否、病に冒された気狂いに無礼故に訂正しよう。いわんや、糞溜の糞の
「く、糞の
骸骨の様に細い身体を震わせるアイモーネだったが、忌憚のない雑言を得手とするロスチスラフに返す言葉が浮かばない。
「まあまあ、ご両人。重用事は他に御座いましょう」
照射モニタ越しに取りなすような声音で割って入ったのは、一切の毛髪が残らぬ頭部故に銀冠を戴くか否かすら定かではない老人だった。
「その、割る──という話しは、この
無役の
爵位と官位を持たない彼がヴォイド・シベリアの実質的な支配者である。諸侯ではないが、参考人という立場で諸侯会議に参列していた。
ヴォイド・シベリアは独自の金融法制と商慣習、量子監獄プルガトリウムを擁する為、古来より帝国内では特殊な地位を占めてきたのだ。
女帝ウルドに与すると明らかにしながらも、金融と量子監獄については、新生派、復活派を問わず便宜を図ると表明している。
結果、両勢力の交渉窓口という役回りになりつつあった。
「新たな教会組織の設立を諸侯に承認させるべくイリアム宮へ皆を招いているそうですな。参らねばタルタロス行きだとイーゼンブルクの若殿がボヤいておりました」
そう言った後、ラニエリはつるりとした頭を撫でた。
「タルタロスの次は我等がプルガトリウムですので、辞世の句は
量子煉獄プルガトリウムと聞いて追従笑いをする者はいない。
「ともあれ、アレクサンデル一派を破門し、新たな教会組織の設立とコンクラーヴェの開催を太上帝に宣下させる腹積もりでしょう」
「教皇位の簒奪か」
「左様」
形式を整えた後、銀獅子艦隊と諸侯を引き連れ聖都アヴィニョンへ攻め上るのだろう。
五万隻の聖骸布艦隊を擁してはいるが、孤立無援のまま聖都を守り切れる可能性は低い。
悪漢教皇を見捨てるか否かの選択を、新生派勢力は迫られていた。
「さて、この状況。銀獅子権元帥はいかが対応されるおつもりか?」
無役の
「交わした約束を守るという側面もありますけど」
プロイス領を後にしたトールは、ベルニクへ向かう艦上からの参加である。
「聖下を喪えば僕らが政治的な不利益を被るのは間違いありません」
二大勢力の対立構造が政治的闘争から宗教戦争へ様変わりした場合、宗教的正統性を訴え得る駒を持つ側が圧倒的に有利である。
「損得だけで考えても聖下救出は必須なのです。それに──、あのレオ・セントロマが教皇だなんて、ゾッとしませんか?」
──巨乳戦記でも最悪の教皇になってたからね……。
──やっぱり、経緯は違っても似たような状況になるのかな。
「確かに……」
「我等もコンクラーヴェでは、聖下に投じた身の上なれば」
「あちら方でも、内心かように考えている諸侯は多かろうな」
「とはいえ、権元帥」
ラニエリは各自の抱く懸念を代弁するつもりなのだ。
「カナン星系へはフォルツかプロイスを
それを解決する為にトールはプロイスを訪れていたのだ。
──無傷で通れる道は出来ている。
──あと、必要なのは陽動……。
「やはり、フォルツを陥とすほかあるまい」
トールと既に口裏を合わせているロスチスラフが口を開いた。
「フォルツは敬虔伯の所領と面しておる上、ケルンテンを通れば我がオソロセアとも近い」
諸事情からケルンテンという小領も中立を保っているが、オソロセアの影響化にあり実質的には新生派勢力と見なして良い。
「レオ乱心に乗じて、この際、フォルツ──犬コロを我等で攻めぬか?」
◇
「あんた達、留守は頼んだからね」
二人の弟子を前に、ミセス・ドルンは念を押す様にして言った。
「は、はい」
「お任せ下さい。ドルン婦人」
アドリアと、サラである。
「自分達の夕食は忘れても、ミーシャのディナーは忘れるんじゃないよ」
丸々と太った老猫が、大きな口を広げて欠伸をした。
「猫──以下──うう──」
「承知しました。ミーシャ殿のお世話を最優先致します」
ミセス・ドルン一番のお気に入りとなりつつある愛弟子サラは、いかなる横暴にも柔和な笑みを絶やす事がない。
「ドルン婦人こそ、ご自愛ください。帝国の世事に疎い
ニューロデバイスを持たない彼女達の主たる情報源は、現在のところトジバトル・ドルゴルだった。
「大丈夫だよ。片目を穿った
隻眼でなければ、彼女はウインクをしたかったのかもしれない。
軽口めいた声音で付け加えた。
「糞溜の糞の
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