59話 蠅の王。

「何なのですか?それは」


 女帝の愛するテラスを訪れた名誉近習レイラは、ウルドの手許に載せられた二つのリングに気付いた。

 鈍い光を放つそれは鉛の様にも見える。


「うむ――」


 片方のリングを摘まんだウルドは、陽光に翳すようにしてそれを掲げた。強い光を浴びると、鈍い輝きは一転して数多の色彩を帯びる。


「余にも分からぬのだが、双子の姉より受け取った」

「――まあ、未来のご息女から?」


 ディアミドの遺したバラ園で起きた珍事について、幾度か二人で意見を取り交わしてはいたのだが、くだんの娘からの贈り物があったとは初耳である。


「む、娘っ――か否かは知らぬがな」

「はい」


 これまでも何度か繰り返されたやり取りである為、レイラは大人しく相槌を打つに止めた。


 彼女は、くだんの珍事について、オソロセアの将エカテリーナ・ロマノフからも報告を受けている。


 野心的なエカテリーナにまつわる良からぬ噂は知っているが、父ロスチスラフ同様に彼女が持つ自己主張の強さをむしろ好んでいた。


 レイラは両名の話を総合した結果、有り得べからざる事象とはいえ、ウルドの見た夢や幻ではないと確信している。


「仔細が分かればレイラにも話そうと思っていたのだが――今もって得体が知れぬ」


 ジェラルドが玩具だらけにした執務室からトールとEPR通信をした後、双子はディアミドのバラ園へ戻ると朝露の如く姿を消した。


 時間が無い――と、姉が語っていた通りだったのである。


「別れ際に受け取られたのですか?」

「こそりとな」

「――ご息女は――双子の姉殿は何と申されたのです?」

「運命共同体的契約関係を結ぶ者へ渡せ――と。急げとも言っておった」


 レイラには耳慣れない言葉だったが、言われた当人であるウルドも同様だろう。


「――が、訳も分からぬまま、急ぎ誰ぞへ渡せと言われてもな」


 そう言ってウルドは腕を組んで小首をかしげつつ、存念有り気な視線をレイラへと送った。


「ひょっとして、陛下――。私を呼ばれたのは、リングを誰に渡すべきかというご相談でしょうか?」

「――う、うむ。幼子の頼みを無碍にする訳にもいくまい」

「慈悲こそ真の帝道に御座います」

「で、あろ」


 テラスに二名、隣の居室には三名の衛兵が立っている。


「鉛の様にも見える奇矯な品ゆえ、誰も欲しがらぬとは思うがのう」

「あら、そうでしょうか?」


 レイラは大仰に驚いて見せた。


「奇矯――と言えば、奇妙奇矯を好物とされる御方が、陛下のお傍にもいらっしゃるではありませんか」


 打てば響く名太鼓――と、ウルドは内心でほくそ笑んだ。名誉近習レイラは、ウルドの欲しいいらえを的確に返してくれたのである。


「お、おお――そうであったな」


 周囲に控える衛兵へ伝わる声音で言葉を紡いでゆく。


「ベルニクじゃ。ベルニクがおったわ」

「大層お喜びになるでしょう。幼子との約も果たせ一石二鳥」


 レイラは真面目くさった貌で頷く。


 ――運命共同体的契約関係――そして、二つのリング――。

 ――未来のご息女の言葉に従うならば、渡すべき相手は定まっている。


 だが、表面上は、あくまで軽佻けいちょうな理由であるとしておいた方が良い。

 先がどうなろうとも政治的ダメージを互いが受けないようにする為にである。


「シモン様と協力し、方策と日取りを決めさせて頂きます」

「頼む」

「かしこまりました――ただ――」


 予てよりレイラには懸念材料がある。今し方聞かされたリングの件よりも重用事と考えていた。


「――もうひとつの言伝が気になります」


 トール・ベルニクに対する言伝である。


 ――レオ・セントロマ枢機卿の招待を必ず受けて。必ずよ。


 大人びた口調で幼い少女は、そう告げたのだ。


「腑に落ちぬ話ではあったな」


 クルノフ領邦へ押し入る天秤衆を大量殺戮した男が、どの面を下げて会いに行けば良いというのか。

 しかも、先方から招待されると言うのである。


 ――けれど、本当にトール伯が招待されたなら、未来から訪れたという双子の話は信憑性が増す。


 レイラが懸念するのは、これが復活派勢力や天秤衆の罠であった場合である。


 罠と断定するには仕掛けが荒唐無稽過ぎるとはいえ、双子の言葉を信じレオの許を訪れたトールが殺されてしまえば、ベルニク領邦のみならず新生派勢力自体が瓦解しかねない。


 そこへ――、


「陛下っ!」


 レイラの懸念を増幅させる報せを携えて、顔面を蒼白とさせた侍従長シモン・イスカリオテが訪れる。


「ら、乱心に御座います。聖レオ――いや、レオ・セントロマが――」


 ◇


 レオ・セントロマの催したヴァルプルギスの夜は、凄惨で不吉な未来を暗示したが故に勢力圏を問わず様々な反応を呼んだ。


「ファーレンが引いたのは間違いないのだな」


 居並ぶ軍高官を前に、ロスチスラフは念を押す様に確認をした。


「ポータル前へ最低限の守備艦隊を残し、自身の邦都へ向かっております」


 新生派勢力で最大の兵力を保有するオソロセアを牽制する為、ファーレン選帝侯は大艦隊をオソロセアと面したポータルに貼り付けていたのだ。


 エカテリーナ・ロマノフを派遣したマクギガン親征時、オソロセアが一万隻の増派に止めざるを得なかった理由である。


「――まあ、必然ではあろうな」


 旧帝都で起きた惨劇については、ロスチスラフも既に聞き及んでいた。


 復活派勢力の実質的首領エヴァン公が異端の嫌疑で捕縛され、統合の象徴である太上帝の動向も公表されていない。

 

 イリアム宮は天秤衆の手中に収まり、宰相不在時の代理人と規定されていたアダム・フォルツ選帝侯のめいで帝都は再びの戒厳令下にある。


 この全てを差配しているのは、何ら政治的実権は持たないはずのレオ・セントロマ枢機卿であるのは耳目の一致するところだろう。


 十三名しか存在しない枢機卿の権威、オビタルの性根へ植え付けられた異端への怯え、そして天秤衆という純然たる暴力機関を用い全てを統御しようとしているのだ。


 事態が紛糾する可能性を見たファーレン選帝侯は、オソロセアへの牽制などしている場合ではないと考えたのである。


「古き都の民には悪いが、敵失による好機としか儂には見えぬ」


 呟くように告げたロスチスラフの言葉を、外征軍司令エカテリーナ・ロマノフ大将は耳聡く聞きつけていた。


「仰る通りですわ」


 今こそ外征軍の出番であろう――とばかりに、エカテリーナは身を乗り出した。


 そんな彼女のさまからは、建国以来の仇敵であるファーレン領邦へ攻め入りたいという思惑が見て取れる。

 他の軍高官とて、大なり小なり似た思いを抱いていた。


「――逸るな」


 己が簒奪者である事を自戒し続けるロスチスラフは、何事も崩れ去る時は一瞬であると肌身に沁みて理解していた。


 それゆえに、彼は慎重を期す。


「まずは、ドミトリを呼べ」


 ロスチスラフがそう告げた瞬間、エカテリーナ・ロマノフは妖しく煌めく瞳を瞬かせたが、蠢動する動乱の萌芽に気付いた者は居ない――。


 他方、遠く離れた聖都アヴィニョンでも動きはあった。


 食事中、主席書記官より報せを受けた教皇アレクサンデルは、手に持つ銀のナイフを食卓に突き立てた。


「――はえの王」


 と、吐き捨てるように告げた悪漢を、主席書記官は黙して見守っている。


 数多の天秤を殺害しプロヴァンスを焼いた自身や聖兵達への復讐ならばアレクサンデルとて許容できただろう。

 天秤と原理主義勢力が拳を振り上げたなら、全力で受けて立つだけの話である。


 ところが、レオ・セントロマが己の刃を向けたのは、浮薄な夜を過ごしただけの一般大衆なのだ。


「エヴァンは?」

「――聖座異端審問所の獄へ」

糞溜くそだめとはいえ命脈は保ったのだな」

「はい」

「化け物共の餌にするつもりかもしれぬが――」


 アレクサンデルの語る化け物とは、忠実で思慮深い奴隷級の事を指していた。最強の天秤にして最悪の天秤である。


「ともあれ、狙いは銀獅子艦隊なのであろう」


 聖都に在するアレクサンデルを討つには艦隊戦力が必須となる。


 腰の定まらぬアダム・フォルツ選帝侯や、異端審問への恐怖から付き従う諸侯にも兵を出させ、一気呵成に攻め寄せるつもりに見えた。


 ――ポータルを抜かれた場合、些か心許なくはある。


 アレクサンデルに不足しているのは、軌道揚陸された際に迎え撃つ地上部隊なのだ。

 聖兵と契約兵の多くは艦艇の乗組員であり、軌道都市にて聖都を護るのはプロヴァンスを攻めさせた一万の手勢のみである。


「頼むは、やはり童子となる――」


 アレクサンデルは、脳裏に帝国地図をえがいた。


 聖都へ至るには旧帝都のカナン星系を通る他にないが、同星系と接する新生派勢力圏の領邦は存在しないのである。


 エヴァンからレオの腰巾着となったフォルツ選帝侯の領地を通るのは論外だろう。


 ――方伯夫人のプロイスとて立場が明らかではない。

 ――そもそも、腹違いとはいえアラゴンの間抜けと姉弟であったしな……。


 いざとなれば助けに来るとトールに約させてはいるが、現段階の勢力図に基づけば困難な道程ではあった。


「ふむん」


 顎――恐らくは顎とおぼしき部分を撫でた。


「まずは、童子の顔でも見ておくか。どうにもならぬなら万艦率い、こちらから蠅を叩きに赴くのも一興であろう」

「では、早速会談の準備を――」

「待て」


 方針を決したアレクサンデルは、食卓に刺したナイフの柄を握りながら言った。


「サムソンを呼んで来い」

「は、はあ?」


 教皇宮殿に長らく仕える下男で、力の強さには定評があった。


「抜けぬ」


 ◇


 聖座異端審問所の外観は他の聖堂と趣を同じくしている。実際に聖堂としての役割も果たしていたのだ。


 とはいえ、その聖堂を背後から圧するかの如く建つ窓の無い方形の建造物に、参拝者達は違和感を抱くだろう。


 正式名称は、聖座異端審問留置場なのだが、誰もそう呼ぶ者はいない。


 タルタロス牢獄。


 古典文明の神話から借り受けた名称となる。入ったなら決して俗世に戻れぬ奈落――という意味では妙味があろう。


「ここか」


 レオ・セントロマはタルタロス牢獄の最奥に位置する鉄扉てっぴの前に立ち、道中の案内をした天秤と獄卒に向かい尋ねた。


「――左様で」


 うっそりとした声音で獄卒が応える。


「開けよ」

「モニタ越しでも尋問できますぜ?」

「開けよ」

「――へいっ」


 鉄扉てっぴを睨み据えるレオの横顔に浮かぶ鬼相に気付いた獄卒は、薄汚れた壁面で鈍い燐光を放つ小さな丸座へ、慌てててのひらを押し当てた。


 耳障りなスライド音が響いた後に、厚みのある鉄扉てっぴが僅かに動く。


「入るぞ?」

「ど、どうぞ」


 レオは自らの手で鉄扉てっぴを押し開いた。


「野郎は縛り上げてますから大丈夫でさあ」


 タルタロス牢獄で働く獄卒には品と学が足りぬと感じたレオは、心密かに彼等の責任者を粛清対象のリストに書き加えた。


 だが――、


「ほう」


 独居房で目にした光景に、思わずレオは感嘆の声を漏らした。縛り上げたという獄卒の言葉は比喩ではなかったのである。


 房の壁際に立つΛラムダを逆さに象った杭に、エヴァン・グリフィスは文字通り縛り付けられていた。


 異端審問とは、審問が始まる前より苛烈な責め苦が始まるのだ。


「一日に一度鳴るタルタロスの鐘を合図に降ろすんでさ。お綺麗な貴人と言えど、出すもんは出さなにゃなりませんのでな。ひひひっ」


 この言葉に伴だった天秤は、さすがに不快気な表情を浮かべたが、エヴァンを前にしたレオには下らぬ戯言など既に耳へ入ってこない。


「――エヴァン」


 縛られ瞳を閉じたままの男へ向かい、レオは掠れた声で呼びかける。


「エヴァン」


 聞こえなかったかと考え、再び声を上げた。


「ま、まさか」


 舌でも噛んだかと焦ったレオが急ぎ足で杭へと近づいた時――、


「――やあ」


 エヴァン・グリフィスが、その瞳を開いた。


「どうやら――君に先を越されたようだ」


 そう言って微笑む男の顔貌が、レオの記憶野に焼き付いた在りし日の少年エヴァン・グリフィスへと重なってゆく。


 ――全ては等しく無価値だ。


 ペレグリン孤児院の聖堂で世界を否定した男に対し、何も持たずに生を受けた銀冠の忌み子レオ・セントロマは告げねばならない。


「エヴァン、君は間違っている」


 あらゆる罪から解放された彼には確信があった。


「私が――僕がそれを証明しよう」


 頭蓋で鳴り響く交響曲にいざなわれ、レオ・セントロマは蠅の王となる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る