54話 言伝。

「名前は聞かない方が良いわ」


 腰に手を当てて幼い少女は告げた。


 ――どうにも困った事態になっておる。


 と、語ったウルドは、何とも言えぬ表情を浮かべ少女の傍らに立っている。


 一方の少年は好奇心が強いのか、はたまた集中力と緊張感に欠けているのか――熊の息子ジェラルドが遺した幼児用玩具に気を取られているようだ。

 

 中でも古戦場セットに多大な関心を寄せており、いつの間にかパトリック・ハイデマン大将が相手をさせられていた。


「ボク等の楽しみを奪う事になるから――って、あな――あ、ある人物が言っていたのよ!」

「そ、そうですか」


 トール・ベルニクは旗艦ブリッジのシートで、なぜか正座をしていた。


 照射モニタの向こうに存在する少女の発する圧によるものなのかもしれない。


「ともかく、お二人は未来から遥々と、ボク等に何か大事なことを伝えに来てくれたんですよね?」


 未来から来たとしか解せぬ言動だったのである。


 女帝ウルドを母と呼んだ挙句、彼女しか知り得ない幾つかの秘事を耳元で囁いた。


 その上で、来たるべき重大局面に備える為、銀河で最も悪党とされる人物に連絡を取るように告げたのだ。


 故ディアミド・マクギガンが燃やしたはずのバラ園で、童子を使った下らぬ狂言を仕組む者がいるとも考え難い。


 しかも、そのバラ園は見事に復元されていたのだ――。あたかも燃やすという事象が無かったかのようにである。


 何らかの超常現象が起きたと解釈するのが自然だろう。人の頭で思い付く出来事は、確率と期間を度外視するなら全て起こり得るのだ。


 そこで、女帝ウルドは、「銀河で最も悪党とされる人物」トール・ベルニクにEPR通信をしたという次第である。


「単純に未来と言っては語弊があるわ」


 少女は見掛けの年齢とはそぐわない口調で話しを続けた。


「古典時間においては未来なのだけれど、認知事象面では過去になるそうよ」


 益々と意味が分からなくなったが、トールはそれ以上の質問は重ねずにおいた。彼女の語尾から察するに、本人も意味を良く分かっていないと判じたのである。


「なるほど」


 ゆえに、曖昧な肯定に止めた。少女がしきりと時間が無いと言っていたのも理由のひとつである。


 ――タイムリープした人って、ひょいっと消えるものだよね。


 自身の嗜んできた娯楽作品における約束事の類型に基づき、トールは現在の状況を受け入れようとしたのかもしれない。


「では折角の機会ですし、有難い託宣を伺いましょうか」

「託宣?――いいえ、神はいないのよ」


 少女は断言をした。


「だから、これは――ある人物からの言伝」

「はい」

「レオ・セントロマ枢機卿の招待を必ず受けて。必ずよ」

「ん――?」


 意外な名前を耳にして、トールは首をかしげた。


「ボクは彼から招待されるんですか?」


 現時点において友好的な関係とは思えないし、さほどの知己も無かった。


「ええ、そうなの。けれど、あなたは断り――そして後に悔やむ。大いにね」

「後悔する――ボクが――」

「珍しい、とママは面白がっていたけれど」


 あまり過去を振り返らない性格であると、トールは自認をしていた。


 ――会社で失敗してもクヨクヨしなかったもんなぁ。

 ――そんなボクが後悔するんだから相当な事なのかも……。


「う~ん、そうですか。まあ、ご忠告通りにしてみようという気になってきましたけど、それって意味があるんですかね?」


 トールが言いたいのは、いわゆる因果律についてである。


 未来からの言伝に基づく行動選択は、世界を世界たらしめる因果律の制約に抵触するように思われた。


 ――世界が許さないとか何とか、ふんわりした理由で上手くいかないはずなんだよね。


 自己無矛盾の原理により過去の改変など不可能とする考え方である。


 何らかの形で未来を観測した段階で、その未来は確定してしまう。その結果、いかなる行動を取ろうとも確定した結果に収束するよう「謎の力学」が働くのである。


 ――後は多世界解釈だけど……。


 新たな選択により世界は分岐していき、無限に並行世界が誕生する。

 結果として、因果律の制約にも抵触しない。


 ――その場合、ボクが助言に従って行動したところで、助言をしてくれた別の並行世界に存在する彼女達には何のメリットも無い。


 つまりは、時間と世界の在り様がいずれであったとしても、未来からの助言には意味が無いとトールは考えたのである。


 ――そもそも、ボクって多世界解釈は嫌いなんだよね。どこかの並行世界には救われないヒロインが残るって事になるし……。


「聞いていた通りの反応をするのね。何だか――面白い」

「ママみたいなこと言ってる」

「煩いわね」


 双子とはいえ、姉弟の力関係は明確となっているようだ。


「――大丈夫、心配しないで」


 怜悧に輝く少女の瞳が、ひざまずくトールを見降ろし口上を許した女の顔貌がんぼうと重なってゆく。


意味があるの」


 そう言って、大人びた仕草で少女は、自身の銀髪をかきあげた。


「メーティスの首輪から解放され――」


 彼女のうなじには、ニューロデバイスが存在しない。良く見れば少年もニューロデバイスなど着けていなかった。


「――プロビデンスゲノムを刻まれた者が、それを証するでしょう」


 ◇


 マクギガンとクルノフ、二つの領邦を襲った一連の嵐は幕を下ろした。


 時を置かず、クリスを除くノルドマン一家は下賜された領地へ向かい、トールより放免されたロマン男爵はゲオルクに在る屋敷へ無事に戻っている。


 傷心のクラウディオ率いるアラゴン艦隊も、ポータル面までベルニク艦隊に見送られながら自領へ入った。

 

 万全を期すがゆえの見送りであったのだが、屈辱的な光景としてクラウディオの心に刻まれた点は後顧の憂いとなるかもしれない。


 他方、インフィニティ・モルディブでは、フリッツとクリスが現地代理人の採用を進めていた。


 同地をロマン男爵の差配に任せるとトールは約しているが、信用できない男である点を鑑み、経営だけでなく監視役も可能な人材を彼の傍へ配置する為である。


 また、領邦より派遣された商務補佐官リンファ他実務担当者の一団は、権利関連の整理と法的手続きを滞りなく済ませ、ベルニクに多大な利益をもたらすスキームを組んだ。


 ――敵がカジノに負けて、うちらが儲かるなんて最高じゃない?


 すこぶるご機嫌な様子でリンファが語るのを、周囲の者は何度か耳にしたそうである。


 ともあれ、旗下兵卒の休暇を終えた後、諸事を部下に託したトール・ベルニクは、少女艦隊を含む六万隻に及ぶ艦艇を引き連れ月面基地への凱旋を果たしていた。


 この凱旋こそが、歴史的なカジノでの勝利をも含み、彼の逸話が神話めいた気配を帯び始めた契機だろうとされている。


「まさに神話だよ――この光景は――」


 誰も目にした事のない月面基地の盛況ぶりに、ケヴィン・カウフマン中将が労務担当官と医療スタッフ増員を指示してから数週間が過ぎた頃――、


 休む事を知らぬ神話は、太陽系より数百光年彼方の星系へと舞台を移していた。


「次のショウは――」


 ネオゴシック様式に倣い建築された人工湖畔にそびえ建つ城の中庭で、あらゆる階層の人々が洒落た装いで着飾り浮かれ騒いでいる。


 中央にしつらえられた水上ステージではショウが披露されており、司会役とおぼしき人物が次なる演者を紹介していた。

 参加者の反応を見る限り、有名なアーティストなのだろう。


 こうした煌びやかなショウだけでなく、望むがままに提供される酒と軽食、そして女達の頬に絶妙な陰影を落とす宙空を彩る花火の輝き――。


 さらには、片時も途切れない激しいリズムの音楽により、どれほど内気な者であったとしてもダンスの相手探しに困る事は無かっただろう。


「これはまた凄いですね」


 面白そうな様子で辺りを見回しながらトールが言った。


「え、はい?」


 主席補佐官ロベニカ・カールセンは、聞こえないという様子で耳に手を添える。


 ドレスコードがある訳でもなかったので、彼女は普段通りのスーツ姿である。トール自身も軍服は避けていたが、パーティ向きの装いなどではなかった。


 ――そりゃ聞こえないよね……。


 旧帝都エゼキエルで、G.O.Dというクラブを訪れたテルミナ達ならば、くだんの空間を思い起こしたかもしれない。


 ラグジュアリー感と規模は桁外れに異なるのだが――。


「あっ、あの人」


 喧騒漂う会場の中に在って、燕尾服を纏いセバス感の漂う人物を見付けたのである。

 トールが求めているのは、責任ある立場の使用人なのだ。


「アッチへ行きましょう!」


 ロベニカの腕を引き、人の群れを掻き分け進んでいく。


「と、トール様っ!?」


 何かを言いたそうな彼女を後ろ手に、トールは前だけを見ていた。


「すみません!」


 目当ての人物まで辿り着き、ようやくトールはロベニカの腕を離した。


 代わって今度はセバス然とした男の腕を、逃がすまいとするかのように強く掴んだ。


「ん――はい?」

「突然に申し訳ありませんが、ご主人に取り次いで頂きたいのです」


 トールは、男の耳元で叫ぶように告げる。


「当家のあるじは、ご招待客様とは――」

「アハ。実は招待すらされてないんですけど――。でも、ロマン・クルノフ男爵からの言伝は預かっていますっ!」


 そう聞いた途端、男の双眸に猜疑の色が現れた。


「――あの、どちら様で?」

「ボクはトール・ベルニクです」

「え!?」


 一瞬の沈黙があった後、男の慇懃な仕草に乱れが生じ始める。


「と、トール――伯――元帥?――あのトール様で?」


 トールは相手を安心させ、尚且つ信用を得る為に満面の笑みを浮かべた。


「そうです、そうです!ボクこそ例のトールです。是非ともプロイス選帝侯に――」

「ひ、ひぃぃぃぃ」


 顔面蒼白となった男は喉笛のような悲鳴を上げて白目を剥いた。


 客に対して礼を失しているとも言えるが、この場に限るなら責められるべきではないだろう。


 微笑む悪魔に腕を強く掴まれたなら、誰もが示す生物学的反応である。


 何しろトール・ベルニクは、数万人の天秤衆を殺した男なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る